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第三話 若林博士、最後の挑戦!
第一章 Mの災難(1) 若林宅・喫茶店
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若林修人がいつものように階下へ下りると、いつものように朝食の支度がもう始まっていた。
「おー、今日も早いなー」
若林家では食事は夕夜が作ることになっている。ゆえに、若林はキッチンにいるのは夕夜だと頭から決めこんでいた。
「おまえも相変わらず早いな」
若林はダイニングテーブルに手をついたまま硬直した。
夕夜によく似ているが、明らかに違う声。
第一、夕夜が若林を〝おまえ〟よばわりするはずがない。
あわててキッチンにいる後ろ姿を見ると、髪が背中の中ほどまであって、一つに結ばれていた。
夕夜の髪は襟足までしかない。そして、ロボットの髪が勝手にそこまで伸びるはずがない。
「何だよ。俺が朝起きてるのがそんなに珍しいのかよ」
おたまを持って振り返ったその顔は――
「ま、正木! 何でおまえがここに!」
「てめー、昨日のこと、やっぱり覚えてねえのかよ」
夕夜によく似た美しい顔――本当はこちらのほうが〝オリジナル〟なのだが――をむっとさせて、正木凱は言った。
「昨日? 俺がおまえに何かしたのか!?」
別の意味で若林は動揺した。
そういえば、昨日の記憶が真っ白だ。もしかして、自分は正木に何かとんでもないことをしでかしてしまったのか?
「いや、別に何も……」
若林のあわてぶりに、正木のほうがたじろいだ。
「じゃあ、何があったんだ? どうしておまえがここにいるんだ?」
真剣に若林は言った。
「おまえな……」
と正木が呆れたように顔をしかめたときだった。
「ほーら、やっぱりパニくってる」
若林の背後で、美奈のはしゃいだ声が上がった。
振り返ると、悪戯っぽい顔をした美奈の隣には、にこやかな笑みをたたえた夕夜が立っていた。
正木と顔の作りはよく似ていても、作る表情の種類はかなり違う。
「よかったですね」
見ているこちらまで幸せな気分になれそうな笑顔で、夕夜は言った。
「正木博士の作った〝朝食〟なんて、これから先、もう二度と食べられませんよ?」
***
話は昨日の午後に戻る。
正木は夕夜と美奈の買い物に、嫌々つきあっていた。
先日の呉千代子の一件以来、夕夜と美奈が正木に会いにくる回数は、目に見えて増えてきていた。
口でこそ迷惑がっていたものの、二人のプログラムを作ったのは他ならぬ自分であったし、その意味では自分の息子・娘のようなものであったので、結局、いつも会ってやっていた。
そして、その日はクリスマス・パーティの準備という名目で、あちらの店やらこちらの店やら、さんざん二人に引っ張り回されたのだった。
「てめーら……いいかげんにしろよ……」
疲れきって入った喫茶店で、正木は低くそう言った。
「おまえらはロボットだから疲れないだろうがなー。俺は人間で、しかも三十代なんだぞ。何も一日でこんなに買いこむことないだろ。計画的に分けて買えよ」
「だってー。まーちゃんに見てもらいたかったんだもんねー」
隣に座っている夕夜と顔を見合わせて美奈が言った。
夕夜いわく面食いの若林に作られただけに、彼女もまた夕夜と並んでひけをとらないほど美しい。波打つ艶やかな黒髪と雪のような白い肌から、夕夜は〝白雪姫〟と評しているが、その夕夜は〝王子様〟である。
単独でも充分人目を引くのに、さらに正木と一緒にいるものだから、彼らは完全に周囲から浮き上がっていた。
「どうせだから、まーちゃんもうちに来なさいよ」
そう言いながら、美奈はコーヒーを飲んでいた正木の腕を引っ張った。
「うわっ、バカ、こぼれるっ!」
美奈の力が強すぎて、正木はあわてて叫んだ。
「あ、ごめん!」
美奈が赤くなって――はいなかったが――ぱっと手を離す。
「おまえ、まだコントロールがうまくいってないな。もっと学習しろよ」
つかまれた腕をさすりながら、正木は顔をしかめた。
テーブルにこぼしてしまったコーヒーは、夕夜がすぐにおしぼりで拭きとっていた。
「じゃあ、ねー、クリスマス・パーティ来てよー」
今度は正木の腕はつかまずに、美奈は甘えた声を出した。
「ちゃんとプレゼントもあげるから。ね?」
「おまえ、俺をいくつだと思ってるんだ?」
呆れて正木は言った。
夕夜よりも大人っぽい外見のくせに、美奈にはひどく子供じみたところがある。もっとも、美奈はまだ起動してから二月も経っていないのだから、それはむしろ当然のことだったかもしれないが。
「夕夜、こいつ何とかしろ。俺はあそこには絶対行かないって、何度言っても聞きやしねえ」
困ったときの夕夜頼みである。辛辣なところもあるが、正木の意向はほとんど叶えてくれる――はずだった。
「たまにはいいじゃないですか」
しれっとした顔で、そう夕夜は言ったのである。
「今年は美奈も生まれたことだし、一緒にぱーっとやりましょうよ」
「おまえらで勝手にやってりゃいいだろ。何で俺が……」
露骨に不快な顔をして、正木はそっぽを向いた。
それを見て、夕夜と美奈が正木以上に傷ついた表情をする。
その手は食わないと正木は思った。もう二度と若林には会わないと決めたのに、川路や千代子のせいでまた若林に会ってしまった。そして、彼のはっきりしない態度にまた苛立つことになったのだ。
正木の気持ちはとうの昔に決まっている。だからこそ、気づかれないのがおかしいくらい、若林に対してだけは好意的な態度をとり、これ見よがしに隙を見せてきた。
それなのに、ああ、それなのに、あの男は……あの男はっ!
まったくその気がないのならあきらめもつく。だが、向こうも自分に特別な感情を持っているようだから、いつまでたっても一縷の望みというものを捨て切れない。
それなら本人に直接自分をどう思っているのか訊いてみればよさそうなものだが、それであっさり何とも思っていないと答えられたらと思うと怖くて訊けず、結局そのままずるずると十七年も経ってしまった。
人から天才と言われ、自分でもたいがいのことは人並み以上にこなせると思っていたのに、まさか男相手にこんな思いをすることになろうとは。それとも、こんな自分だからこそ、こういう運命が用意されていたのだろうか。思わず哲学書の一冊でも書きたくなる。
だが、若林という人間に出会ったことに関しては後悔はしていない。彼がいなければ、今ここに夕夜と美奈はいなかった。
彼らは正木の誇りだ。若林が正木の理論にのっとって作り上げ、それに正木が魂を吹きこんだ。他の誰のためでもない。若林のためだけに。
(酔ってるな)
自分の感情を冷静に見つめて、正木はそっと苦笑いした。いいかげん、もういい年のくせに。
「とにかく、俺はもう二度と若林に会う気はないからな」
言い捨てて、正木は立ち上がった。
あんな鈍感な男相手にやきもきするのは、もうたくさんだ。
「えー、なんでよー」
とたんに起こる美奈のブーイング。
夕夜はそれに同調することはなかったが、意味ありげにちらりと正木を見やると、さっとソファから立ち上がった。
「何だよ?」
怪訝に夕夜を見る正木へ、
「帰るんでしょう? 送りますよ」
さも当然とばかりに夕夜は言った。
「馬鹿野郎、俺はヤローだぞ? 何でおまえに送られなきゃならないんだ? 美奈と一緒にさっさと帰れ」
ぶっきらぼうに正木は言い捨て、さすがに今日は自分で会計を済ませに行った。
「ほら、美奈、行くよ」
ふくれっ面の美奈の腕を引いて、夕夜が口早に囁いた。
「でも、まーちゃん帰れって言ったじゃない」
美奈はきょとんとしていた。正木に対しては、変なところで聞き分けがいい。
「大丈夫。あれは本気で言ってない。僕らがついてっても、迷惑がるだろうけど怒りはしないよ。だって、ここまで来て、はいそうですかっておとなしく帰るわけにはいかないだろう? まだ僕らは本当の目的を果たしていないんだから」
「でもさー。やっぱ無理なんじゃない?」
美しい眉をひそめて美奈は言う。
「あんなに意地張っちゃってさ。若ちゃんのほうがまだ可愛げがあるわよ」
「そうかなあ。僕は正木博士のほうがあると思うけど……と、こんな話をしてる場合じゃなかった、ほら、行っちゃうよ、急いで!」
「ちょっとぉー! 一人でさっさと行かないでよぉー!」
早くも出口へ向かおうとした夕夜の背中に、美奈は声を張り上げた。
「この荷物、誰が持つのよ?」
振り返れば、正木が座っていた隣には、買いそろえた品の数々が今にも崩れそうに積み重なっていた。
「おー、今日も早いなー」
若林家では食事は夕夜が作ることになっている。ゆえに、若林はキッチンにいるのは夕夜だと頭から決めこんでいた。
「おまえも相変わらず早いな」
若林はダイニングテーブルに手をついたまま硬直した。
夕夜によく似ているが、明らかに違う声。
第一、夕夜が若林を〝おまえ〟よばわりするはずがない。
あわててキッチンにいる後ろ姿を見ると、髪が背中の中ほどまであって、一つに結ばれていた。
夕夜の髪は襟足までしかない。そして、ロボットの髪が勝手にそこまで伸びるはずがない。
「何だよ。俺が朝起きてるのがそんなに珍しいのかよ」
おたまを持って振り返ったその顔は――
「ま、正木! 何でおまえがここに!」
「てめー、昨日のこと、やっぱり覚えてねえのかよ」
夕夜によく似た美しい顔――本当はこちらのほうが〝オリジナル〟なのだが――をむっとさせて、正木凱は言った。
「昨日? 俺がおまえに何かしたのか!?」
別の意味で若林は動揺した。
そういえば、昨日の記憶が真っ白だ。もしかして、自分は正木に何かとんでもないことをしでかしてしまったのか?
「いや、別に何も……」
若林のあわてぶりに、正木のほうがたじろいだ。
「じゃあ、何があったんだ? どうしておまえがここにいるんだ?」
真剣に若林は言った。
「おまえな……」
と正木が呆れたように顔をしかめたときだった。
「ほーら、やっぱりパニくってる」
若林の背後で、美奈のはしゃいだ声が上がった。
振り返ると、悪戯っぽい顔をした美奈の隣には、にこやかな笑みをたたえた夕夜が立っていた。
正木と顔の作りはよく似ていても、作る表情の種類はかなり違う。
「よかったですね」
見ているこちらまで幸せな気分になれそうな笑顔で、夕夜は言った。
「正木博士の作った〝朝食〟なんて、これから先、もう二度と食べられませんよ?」
***
話は昨日の午後に戻る。
正木は夕夜と美奈の買い物に、嫌々つきあっていた。
先日の呉千代子の一件以来、夕夜と美奈が正木に会いにくる回数は、目に見えて増えてきていた。
口でこそ迷惑がっていたものの、二人のプログラムを作ったのは他ならぬ自分であったし、その意味では自分の息子・娘のようなものであったので、結局、いつも会ってやっていた。
そして、その日はクリスマス・パーティの準備という名目で、あちらの店やらこちらの店やら、さんざん二人に引っ張り回されたのだった。
「てめーら……いいかげんにしろよ……」
疲れきって入った喫茶店で、正木は低くそう言った。
「おまえらはロボットだから疲れないだろうがなー。俺は人間で、しかも三十代なんだぞ。何も一日でこんなに買いこむことないだろ。計画的に分けて買えよ」
「だってー。まーちゃんに見てもらいたかったんだもんねー」
隣に座っている夕夜と顔を見合わせて美奈が言った。
夕夜いわく面食いの若林に作られただけに、彼女もまた夕夜と並んでひけをとらないほど美しい。波打つ艶やかな黒髪と雪のような白い肌から、夕夜は〝白雪姫〟と評しているが、その夕夜は〝王子様〟である。
単独でも充分人目を引くのに、さらに正木と一緒にいるものだから、彼らは完全に周囲から浮き上がっていた。
「どうせだから、まーちゃんもうちに来なさいよ」
そう言いながら、美奈はコーヒーを飲んでいた正木の腕を引っ張った。
「うわっ、バカ、こぼれるっ!」
美奈の力が強すぎて、正木はあわてて叫んだ。
「あ、ごめん!」
美奈が赤くなって――はいなかったが――ぱっと手を離す。
「おまえ、まだコントロールがうまくいってないな。もっと学習しろよ」
つかまれた腕をさすりながら、正木は顔をしかめた。
テーブルにこぼしてしまったコーヒーは、夕夜がすぐにおしぼりで拭きとっていた。
「じゃあ、ねー、クリスマス・パーティ来てよー」
今度は正木の腕はつかまずに、美奈は甘えた声を出した。
「ちゃんとプレゼントもあげるから。ね?」
「おまえ、俺をいくつだと思ってるんだ?」
呆れて正木は言った。
夕夜よりも大人っぽい外見のくせに、美奈にはひどく子供じみたところがある。もっとも、美奈はまだ起動してから二月も経っていないのだから、それはむしろ当然のことだったかもしれないが。
「夕夜、こいつ何とかしろ。俺はあそこには絶対行かないって、何度言っても聞きやしねえ」
困ったときの夕夜頼みである。辛辣なところもあるが、正木の意向はほとんど叶えてくれる――はずだった。
「たまにはいいじゃないですか」
しれっとした顔で、そう夕夜は言ったのである。
「今年は美奈も生まれたことだし、一緒にぱーっとやりましょうよ」
「おまえらで勝手にやってりゃいいだろ。何で俺が……」
露骨に不快な顔をして、正木はそっぽを向いた。
それを見て、夕夜と美奈が正木以上に傷ついた表情をする。
その手は食わないと正木は思った。もう二度と若林には会わないと決めたのに、川路や千代子のせいでまた若林に会ってしまった。そして、彼のはっきりしない態度にまた苛立つことになったのだ。
正木の気持ちはとうの昔に決まっている。だからこそ、気づかれないのがおかしいくらい、若林に対してだけは好意的な態度をとり、これ見よがしに隙を見せてきた。
それなのに、ああ、それなのに、あの男は……あの男はっ!
まったくその気がないのならあきらめもつく。だが、向こうも自分に特別な感情を持っているようだから、いつまでたっても一縷の望みというものを捨て切れない。
それなら本人に直接自分をどう思っているのか訊いてみればよさそうなものだが、それであっさり何とも思っていないと答えられたらと思うと怖くて訊けず、結局そのままずるずると十七年も経ってしまった。
人から天才と言われ、自分でもたいがいのことは人並み以上にこなせると思っていたのに、まさか男相手にこんな思いをすることになろうとは。それとも、こんな自分だからこそ、こういう運命が用意されていたのだろうか。思わず哲学書の一冊でも書きたくなる。
だが、若林という人間に出会ったことに関しては後悔はしていない。彼がいなければ、今ここに夕夜と美奈はいなかった。
彼らは正木の誇りだ。若林が正木の理論にのっとって作り上げ、それに正木が魂を吹きこんだ。他の誰のためでもない。若林のためだけに。
(酔ってるな)
自分の感情を冷静に見つめて、正木はそっと苦笑いした。いいかげん、もういい年のくせに。
「とにかく、俺はもう二度と若林に会う気はないからな」
言い捨てて、正木は立ち上がった。
あんな鈍感な男相手にやきもきするのは、もうたくさんだ。
「えー、なんでよー」
とたんに起こる美奈のブーイング。
夕夜はそれに同調することはなかったが、意味ありげにちらりと正木を見やると、さっとソファから立ち上がった。
「何だよ?」
怪訝に夕夜を見る正木へ、
「帰るんでしょう? 送りますよ」
さも当然とばかりに夕夜は言った。
「馬鹿野郎、俺はヤローだぞ? 何でおまえに送られなきゃならないんだ? 美奈と一緒にさっさと帰れ」
ぶっきらぼうに正木は言い捨て、さすがに今日は自分で会計を済ませに行った。
「ほら、美奈、行くよ」
ふくれっ面の美奈の腕を引いて、夕夜が口早に囁いた。
「でも、まーちゃん帰れって言ったじゃない」
美奈はきょとんとしていた。正木に対しては、変なところで聞き分けがいい。
「大丈夫。あれは本気で言ってない。僕らがついてっても、迷惑がるだろうけど怒りはしないよ。だって、ここまで来て、はいそうですかっておとなしく帰るわけにはいかないだろう? まだ僕らは本当の目的を果たしていないんだから」
「でもさー。やっぱ無理なんじゃない?」
美しい眉をひそめて美奈は言う。
「あんなに意地張っちゃってさ。若ちゃんのほうがまだ可愛げがあるわよ」
「そうかなあ。僕は正木博士のほうがあると思うけど……と、こんな話をしてる場合じゃなかった、ほら、行っちゃうよ、急いで!」
「ちょっとぉー! 一人でさっさと行かないでよぉー!」
早くも出口へ向かおうとした夕夜の背中に、美奈は声を張り上げた。
「この荷物、誰が持つのよ?」
振り返れば、正木が座っていた隣には、買いそろえた品の数々が今にも崩れそうに積み重なっていた。
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