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オモテ

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 監視すべき〝霊界の使者〟よりも先に、彼は自分の相棒たる精霊族の一人と会った。
 この精霊族は幹部クラスの一人であり、〝霊界の使者〟と直接会った者たちの一人でもある。おそらく、彼よりも年経た精霊族であるはずだが、彼はもともとそんなことを気にする質ではない。
 だから、その精霊族が小さな白い顔をうっすら紅潮させて、何事か話しかけようとしてきたときにも、彼はそれを無視して『使者はどこにいる?』と自分の知りたいことだけ訊ねたのだった。

「この近くの人間どもの村に」

 怒りを買っても不思議ではなかったが、精霊族は落胆したようにぼそりと言った。

「だが、まだそうと決まったわけではない。ただ、父親のわからぬ妙な赤子が生まれたとの専らの噂だ。まさか、今からすぐ確認に行く気か?」
「早いほうがいいだろう」

 そうとだけ答えて、彼はその場を後にした。
 精霊族と共に訪ねる気は毛頭なかった。まずは自分だけで会いたい。
 その、魔族を狂わすという美しき死神に。

 ***

 ――〝霊界の使者〟の監視役をしないか?

 親しい魔族の実力者の一人にそう言われたとき、彼は盛大に顔をしかめた。
 断ろうかとも思ったが、あえてそれをしなかったのは、すでにその〝霊界の使者〟に関する噂を耳にしていたからだ。
 〝霊界の使者〟が、人界にやってきたのは三日前。
 使者は人界の実質的支配者とも言える魔族と精霊族の実力者たちとの会見を望み、すぐにそれは叶えられた。
 彼はその会見には呼ばれなかった。ということは、彼は〝実力者〟ではないのだろう。何かと面倒を嫌う彼だから、そのことについてとやかく言うつもりも立場もないが、その〝霊界の使者〟が、恐ろしく美しい人の姿をしていることだけは、会見前に接触した魔族たちの話から知っていた。
 彼を誘った魔族の実力者も、〝霊界の使者〟の美しさについてだけは、相好を崩してこう語った。

 ――そうとも、この人界でも、魔界でも、あれほど美しいものは二つとてないぞ。何、監視役などと言ってもたいしたことはない。使者殿の〝仕事〟の手伝いをすればよいのさ。

 その〝仕事〟というのが、彼には面妖な内容だった。
 何でも、世界には許容できる魂の数というものがあり、この人界は現在魔族や精霊族が大量に流入してきたために、崩壊の危機にさらされているのだという。使者の故郷である霊界は人界の影であり、人界が崩壊すれば共に崩壊してしまう。そのため、霊界は人界にある過剰な魂を、使者によって強制的に減らすことにした。使者は魔族や精霊族に、これ以上人界のもの以外の魂を増やさないでほしいと要求したのだ。

 ――使者殿は、この世にある魂なら、どんな魂も消すことができるのだ。人間はもちろん、我らも、精霊族もな。

 その証拠に、我らの前で精霊族を一人消してみせたわ、と実力者は笑った。
 その態度に、彼は顔には出さなかったがひどく驚いた。
 魔族にとって、精霊族とは半身も同然だ。それが目前で殺されれば、普通はすぐに報復するだろう。それが、しないどころか、逆に手伝うなどとは。
 彼はひそかに、この実力者は、その〝霊界の使者〟とやらに操られているのではないかと危ぶんだ。そうでなければ、そんな勝手な要求を、魔族のそれも実力者が、嬉々として受け入れたりするだろうか。

 ――……それで、使者殿は、自分の魂を二十四に分けて、それぞれ人間の体を借りると言った。

 彼の不審感も知らず、実力者は上機嫌で話を続ける。

 ――それに合わせて、我らや精霊族も一人ずつ監視役をつけることにしたのさ。魔族は我も含めて七人しかいなかったのでな。残りの十七人はそれぞれ指名で決めることになった。おまえは若いが、賢いし、強い。もう少し愛想があればなおよかったが。だが、おまえがどうしても嫌だと言うのなら強制はせん。なりたがる奴はいくらでもおるからな。

 なりたがる奴はいくらでもいる。
 それが彼を動かした最大の理由だった。
 退屈だったのだ。
 面倒は嫌いだと言いながら、その実、夢中になれるものを探していた。
 目の肥えた魔族の実力者たちに、ここまで美しいと言わしめ、狂わせるもの。
 あらゆる魂を消し去ることができるという、恐るべき未知のもの。

(暇つぶしにはなりそうだ)

 軽い気持ちでそう考え、彼は彼の運命を決める最悪の選択をした。

 ――わかった。なろう。その〝監視役〟とやらに。

 ***

 その夜は新月だった。
 月のない夜は、魔族も精霊族も動きが鈍る。それは彼も例外ではなかったのだが、たいていの魔族には引けをとらない自信がある。また、それゆえに彼は〝霊界の使者〟の監視役という、魔族にとっては最高の役職――と彼を推薦した魔族は言った――を得たのだ。
 人間どもに気づかれないよう村の中へ侵入するのは、彼にはたやすいことだったが、万一見つかったときのために、完全な人型をとった。
 村に入るとすぐに、事前に連絡を受けていたのか、新月の夜でも動けるくらいには力のある精霊族が現れて、例の赤子がいるという家に彼を案内した。
 赤子が生まれた家は、この村の実力者の家らしく、村の中でも一際大きかった。
 だが、父親がわからない上に、いろいろ変わったところがあるせいで、今は母親と共に離れに隔離されている。と、もともとおしゃべりらしい精霊族は、頼みもしないうちから説明してくれた。

「では、使者だけに会うことは難しいか」

 独り言のように彼が問うと、精霊族はしたり顔でうなずき、いや、どういうわけか、母親とは別の部屋で寝かされておりますから大丈夫でしょうと請けあった。
 彼も奇妙には思ったが、好都合には違いない。あとは自分一人でいいからと、彼にしては珍しく、簡単ながらも礼を言い、使者がいるという離れに入った。
 使者の部屋はすぐにわかった。部屋には寝台が一つだけあり、そこに赤子が一人寝かされていた。

(さて。何と声をかけようか)

 たとえ、これが本当に使者であったとしても、赤子ではまともに話もできまい。
 そう考えて、眠る赤子を睨むように見つめていたとき。
 赤子はぱっと目を開き、はっきりと彼を見た。

 ――貴殿が私の担当の魔族か。

 頭に響く声ならぬ声。
 一瞬驚いたが、彼はすぐに冷静さを装い、常の自分らしく、そうだとそっけなく返した。

 ――では、とりあえず『初めまして』と挨拶しておこうか。貴殿は確か、あの場にはいなかったな?

「……ああ」

 そう答えながら、彼は使者の言うことの半分も聞いていなかった。
 確かに、美しい赤子だろうと思う。しかし、しょせんは赤子だ。
 それなのに、どうして目が離せない?
 自分を見上げる好奇心を含んだ眼差しが、愛おしくてたまらない?

(こうやって、魔族は狂わされるのか)

 あの日の魔族の実力者たちが体験したことを、彼は我が身をもって知った。
 他の魔族であったら、一も二もなく使者に微笑みかけていただろう。だが、彼はそうなる前に使者から強引に顔をそむけ、その場を去った。
 逃げたのだ。
 魔族一の愛想なしと揶揄されたほどの彼が。
 あと少し、本当にあともう少しで、使者に手を伸ばして抱きしめてしまうところだった。

(ああ、これなら退屈しないだろう)

 自嘲しつつ、彼は思った。

(だが、これから、心の休まるときもないだろう)              
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