BLACK BLOOD

邦幸恵紀

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第2話 THREE(スリー)

2 師匠

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 ――初仕事にはちょうどいいだろう。
 そう言って、俊太郎の師匠はこの仕事を独立祝いがわりに俊太郎に譲ってくれた。
 俊太郎はこの師匠を妖魔ハンターとしても人間としても尊敬していたが、初仕事を見極める目はないかもしれないと思った。

『俺以外に三人も雇われてたって?』

 説明会が終わった後、ホテルの自室で師匠に初仕事の内容を携帯電話で報告すると、彼は〝そんなの俺も聞いてなかったぞ〟と弁解するように言った。

『でもまあ、それはそれでいいだろ。他のハンターのやり方を見るのも勉強になる。で、顔ぶれはどんなだ?』

 俊太郎は自分が知り得たことをそのまま話した。ただ、友部のことを話すときだけは、若干口が重くなった。
 師匠には、友部が自分の幼なじみであることはすでに話してある。その幼なじみに今回一緒に組もうと言われたことを伝えると、師匠は屈託なく〝そりゃよかったじゃないか〟と答えた。

『友部がいるってことは、今回の仕事は厄介だってことだが、奴が自分からそう言ってきた以上、おまえのことだけは何があっても守り抜くだろ。いいか、俊坊しゅんぼう。初仕事だからって気負いすぎて無茶すんなよ。命あっての物種だ』

 本当にいい師匠なのだ。……あの趣味さえなければもっと。

 ***

 三年前のあの夜。
 俊太郎の両親は、妖魔に殺された。
 家の中にいたのにもかかわらず、どこからか忍びこんできた妖魔によって殺された。
 その日、俊太郎はたまたま外泊していたために、一人生き残ることになった。
 否。正確には外泊する予定だった。しかし、真夜中頃に妙な胸騒ぎを覚えた俊太郎は自宅に戻ってしまった。外泊先の住人と一緒に。

 ――友部。

 彼に対しては、申し訳なく思う気持ちと恨みに思う気持ちとが、いつもせめぎあっている。
 冷静に考えてみれば、彼は何も悪くない。むしろ、命の恩人だ。あの日、友部と七年ぶりに再会していなければ――俊太郎が小学四年生になる前日、友部は両親と共に夜逃げ同然に姿を消していた――いつものように自宅にいたら、おそらく俊太郎は両親と一緒に妖魔に殺されていて、今こうして生きてはいなかっただろう。
 玄関の扉を開けたあのときも、友部がかばってくれなかったら、あの妖魔によって大怪我を負っていたか、あるいは死んでいたかもしれない。
 だが、友部は――当時すでに妖魔ハンターだった友部は、俊太郎があの妖魔を捜し出して殺してほしいと頼むと、つらいだろうけど、それはもう忘れて俺と一緒に暮らさないかと間接的に断ったのだった。
 忘れられるわけがない。
 自分はこの目で、あの妖魔が父親の首を人形のように切り飛ばすのを見てしまった。母親にいたっては、死体すら残っていなかった。
 そのとき、友部に叫んでしまった。小学校に上がる前に知り合ってから、一度として彼に向けたことがなかった言葉を。

 ――あんたがやってくれないんなら、俺が自分で捜し出して殺してやる! あんたなんか大っ嫌いだ!

 傷ついた顔をしていた。しかし、俊太郎はそれに背を向けて、今度は自分から友部と決別した。自分を引き取ろうと申し出てくれた伯父夫婦も無視した。当時通っていた高校も退学し、妖魔ハンターになる方法を一人で模索した。
 妖魔ハンターとは職業であって資格ではない。極端な話、小学生であっても、妖魔が狩れさえすれば妖魔ハンターになれる。だが、つい最近までごく普通の高校生だった自分がそうやすやすと妖魔ハンターになれるとは思えない。
 いちばんの早道は現役の妖魔ハンターに弟子入りすることだろうと、電話帳やネットで妖魔ハンターを調べて片っ端から電話をかけてみたが、みんなけんもほろろに断られた。中には依頼の電話ではないとわかったとたんに切られたところもある。
 時間に余裕があったのか、親身になって俊太郎の話を聞いてくれた老人(電話番だったのかもしれない)によると、身内を殺されて妖魔ハンターになりたいと電話をかけてくる人間は多いのだそうだ。しかし、こちらが断ると、それで引き下がってしまう人間がほとんどだという。

 ――妖魔ハンターなんてなるもんじゃないよ。

 最後に老人は言った。

 ――名前が知られてくると、仕事じゃなくても妖魔に狙われるようになる。それでも妖魔ハンターになりたいんなら、実際にその仕事ぶりを見てから決めるんだね。三流の妖魔ハンターに弟子入りなんかしたら、ハンターになるどころか、妖魔の囮に使われて殺されちまうよ。

 もっともと言えばもっともだった。だが、唯一面識のある妖魔ハンターにはすでに断られてしまっていた。
 悩んだ俊太郎は、いま考えると冷や汗が出るようなことを敢行した。妖魔が出た、妖魔に殺されたというニュースを知ったら、その場所へ行って、わざと夜中に出歩いてみたのだ。
 自分が妖魔に襲われるかもしれないという可能性よりも、妖魔ハンターに会えるかもしれないという可能性のほうが俊太郎にとっては重要だった。今だったら、真っ先に妖魔ハンター協会に相談すればいいとわかる。しかし、自ら孤立してしまった俊太郎には、その方法しか思いつけなかった。
 夏だった。ちょうど夏休みの時期だったので、昼間にネットカフェで仮眠をとっていても、怪しまれずに済んだ。そうして実際に夜通し歩き回ってみて思ったのは、意外に妖魔には襲われないものなのだなということだった。
 真夜中を過ぎると、街はほぼ無人となる。車道には時折車も通るが、いずれも夜間走行用に対妖魔装甲を施した専用車両ばかりだった。たいていは誰にも出会わないまま朝を迎えたが、時々、妖魔ハンターらしい男たちと出くわすことがあった。
 彼らはまず例外なく俊太郎を警戒するが、相手がただの元高校生だとわかると、露骨にほっとした様子を見せ、次にこんな時間に何をしているのだと怒鳴りつけた。妖魔ハンターになりたいのだと訴えると、彼らは一瞬唖然としてから、呆れたように笑った。
 おまえには無理だと彼らは口をそろえて言った。どうして無理なのかその理由を問う前に、彼らは俊太郎を追い払った。人間の男を捕らえても保護しても金にはならないのだ。質の悪いのになると、何をどう勘違いしたのか、いきなり俊太郎を暗がりに引きこんで、いくらだと耳許に囁いてきた。もちろん、俊太郎は無我夢中で逃げた。そのときは妖魔よりも人間のほうが恐ろしいと心底思った。




 あの日。
 俊太郎はコンクリートの護岸の上で、膝を抱えて朝焼けの海を眺めていた。海の家が建ち並ぶ海岸には、さすがにまだ人はいなかった。

 ――あと何度このようなことを繰り返せば、目的は果たせるのだろう。

 先の見えない絶望感に、俊太郎は打ちひしがれていた。――と。

「おーい」

 背後から、男の声がした。反射的に振り返ると、缶ビールを片手に持った、長身の男が立っていた。
 よれよれのシャツに履き古したジーンズ。スニーカーはあともう少しで穴が開きそうだ。無精髭を生やしているせいもあって、漆黒の長めの髪は、少しばかり不潔そうに見えた。
 男はニカッと笑うと、大股に歩いてきて、俊太郎の横にしゃがみこんだ。一瞬、逃げようかと思ったが、その前に男が言った。

「ナンパしたかったんだけど、もう売約済みらしいな」

 驚いて見つめ返すと、男はまた笑った。

「まあいいや。しばらくここにいさせろや」

 そう言って、男はコンクリートの上に尻をつくと、のんびり缶ビールを飲みはじめた。
 三十代半ばくらいだろうか。この暑いのにシャツは長袖で、まくり上げてもいない。

 ――ナンパ。売約済み。

 俊太郎は不審に思ったが、男は何も言わず、刻一刻と明るくなっていく東の空を見つめている。
 考えてみれば、誰かと一緒に夜が明けるのを見るのは、これが初めてかもしれない。こんなふうに、見も知らない男と眺めることになるとは、思いもしなかった。

「なあ」

 太陽が完全に昇りきった頃、唐突に男が口を開いた。

「家、どこだ? 送ってってやるから」
「大丈夫です。一人で帰れます」

 あわてて俊太郎は立ち上がった。遅まきながらこの男に対して警戒心が湧いてきたのだ。

「じゃあ、何で今まで帰らなかったんだ?」

 さりげなく、男は俊太郎の痛いところを突いた。

「いろいろ事情はあるんだろうけどな。それでも、夜の一人歩きは感心しねえな。人を襲うのは妖魔だけじゃねえんだぞ」

 その言葉は、今の俊太郎には骨身に染みた。

「妖魔ハンターに会いたかったんです」

 つい、そう口を滑らせてしまった。
 男は大きめの目を見張ったが、あの男たちのように笑いはしなかった。

「狩ってもらいたい妖魔がいるのか?」

 俊太郎はうなずきかけた。が、思い直して首を横に振った。

「いえ。俺が妖魔ハンターになりたいんです」

 今度こそ笑われると思った。しかし、男はやはり笑わずに、さっきまで俊太郎が座っていた場所を大きな手で二回叩いた。座れということらしい。
 従わなければならない理由はなかったが、何となく勢いに押されて、俊太郎はそこに座り直した。

「どうして妖魔ハンターになりたいんだ?」

 俊太郎の顔は見ずに、男はそう訊ねてきた。
 この男にそれを説明したところで、妖魔ハンターになれるわけでもない。そうとわかっていながら、俊太郎はこれまでの経緯を話さずにはいられなかった。
 誰でもいいから、自分の気持ちをわかってもらいたかっただけかもしれない。男はほとんど口を挟むことなく、俊太郎の話を聞きつづけた。
 俊太郎がここに来たところまで話したときには、海岸には人の姿が見えはじめていた。

「なるほどな」

 それが俊太郎の話を聞き終えた男の第一声だった。

「それで妖魔ハンターになりたいってわけか。まあ、気持ちはわかるけどな。でも、実際問題、その妖魔をしとめるのは難しいぞ」

 俊太郎は男の顔を見つめずにはいられなかった。
 今まで、そんな答えを返してきた人間に会ったことがなかった。俊太郎が妖魔ハンターになりたいと言うと、皆あきらめろとか無理だとか言って一蹴した。

「特徴のある妖魔ならまだ捜しやすいが、おまえさんの話じゃ、姿もろくに見れなかったみたいだしな。もしかしたら、もうどこかで狩られてるかもしれない」
「でも、まだ狩られてないかもしれない」

 俊太郎は声を荒らげた。

「まだどこかで人を殺してるかもしれない」

 肩を震わせている俊太郎を一瞥して、男は何気なく言った。

「そんなに自分が許せないか?」

 俊太郎は瞠目して男を見上げた。
 男の顔には、苦笑いが浮かんでいた。

「おまえさんみたいなのはよくいるよ。生き残ったことが幸運だとは思えなくて、逆に自分を責めちまうんだ。たとえるなら……あれだ、戦争に行って、生きて帰ってきた兵隊が、それを恥だと思っちまうようなもんだ。そんな人間に、いくら周りがそんなことはないって言ったって、納得なんかできっこねえ。自分自身が許せねえんだからな。きっといちばんの望みは、自分も親と同じように妖魔に殺されることなんだろ?」

 言葉もなかった。
 どうしてこのホームレスの一歩手前のような男には、俊太郎の気持ちがわかるのだろう。
 それに、この男は妖魔のことをよく知っているような気がする。

「どうしても、妖魔ハンターになりたいのか?」

 俊太郎の決意の強さを測るように、男は正面から彼の目を見すえた。

「はい」

 俊太郎もまっすぐ男の目を見てうなずいた。

「毎年、妖魔ハンターの三分の一が妖魔に殺される。それでもいいのか?」
「俺は殺されない三分の二になります」

 男はあっけにとられたような顔をしたが、すぐに愉快そうに笑い出した。この男が声を立てて笑ったのは、このときが初めてだった。

「妖魔に殺されたほうがいいとか抜かしやがったら、ぶん殴ってやろうかと思ってた。そうか。おまえさんは自分が生きるために、妖魔ハンターになりたいんだな。なら、いいか。俺の知ってる妖魔ハンターでよかったら、紹介してやるよ」
「ほんとですか!」

 予想もしていなかった展開に、俊太郎は歓喜の声を上げた。だが、男はそれを見ると、なぜかにやにやしだした。

「ただし、それにはいくつか条件がある。……おまえさん、料理はできるか?」

 俊太郎は少し考えてから、慎重に答えた。

「これから覚えます」
「正直でいいな。でも、好きなものしか食わねえから、種類はそんなに覚えなくてもいいや。あと、妖魔ハンターは依頼があれば即出動だ。住みこみで働けるか?」

 これにはすぐに答えられた。

「もちろんです。今からだってすぐに行けます」
「そりゃ好都合だ。あとは……と、そうだ。弟子の間は給料なんてないぞ。飯だけは食わしてやるが、基本的に無給だと思え。そのかわり、教授料みたいなのもとらねえから」
「はい。大丈夫です」

 今のところ、両親の保険金もある。住居と食事の心配さえなければ、無給でも何とかやっていけるだろう。

「そうか。じゃあ、紹介してやろう。俺の名前は松本まつもと総司そうじ。おまえさんは?」
「北山俊太郎です」
「顔に合わない古風な名前だな。よし、なら俊坊。今すぐ荷物とってこい。朝のうちにここを出るつもりだったんだ」
「は、はい……」

 言われるまま立ち上がったものの、ふと気になって、俊太郎は男――松本に訊ねた。

「あの……その紹介してもらえる妖魔ハンターの人は、どこに住んでる人なんですか?」

 松本はにやりと笑うと、東京のはずれだがほとんど自宅にはいないと言った。

「狩りのときには、ほとんどウィークリーマンションだな。自分の好きな時間に出入りできるから」
「そうですか。それで、その人の名前は?」

 松本はさらに笑みを深めた。

「さっき、紹介しただろうが」
「は?」

 すました顔で、松本は自分を人差指で指した。

「松本総司。妖魔ハンターだ」

 俊太郎の師匠との出会いは、そんなふうだった。

 ***

 結局、師匠には友部の申し出を断ってしまったことは言えずじまいだった。
 たぶん、正直に話したら師匠は怒るだろう。自分でも愚かしいことをしているとわかっている。でも。

(俺はもう、あの男には頼らないって決めたんだから)

 携帯電話を握りしめながら、俊太郎は自分にそう言い聞かせた。
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