BLACK BLOOD

邦幸恵紀

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第1話 21(トゥエンティ・ワン)

2 小学校(昼)

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 荷物を役場に預け――田舎では、そこがいちばん安心だ――足早に戸外へと出た俊太郎を、友部があわてて追いかけてきた。

「おーい、待てよ俊太ー! 今から小学校行くんだろー? 一緒に行こうぜー!」

 しかし、俊太郎に立ち止まる気配はない。

「俊太ー、何怒ってんだよー」
「……怒ってる?」

 ようやく俊太郎は立ち止まり、眉をひそめて友部を振り返った。
 そういう顔をすると、やたらと悩ましくなることを、俊太郎はいまだにまったく自覚していない。

「怒ってなんかない。ただ、さっさと仕事を済ませて、とっととてめーとおさらばしたいだけだ!」
「またまたー、そんなつれないこと言って」

 友部はにやにや笑って俊太郎の肩をつついた。俊太郎はむきになってその手を払う。

「俺はなーッ! てめーとは小学校んときに縁が切れたんだッ!」

 なりふりかまわず、俊太郎は怒鳴った。

「なのにここ一年、俺の行く先行く先現れやがって……俺はてめーとなんか絶対組みたくないんだからな!」
「だって、しょーがないじゃなーい」

 口に手を当てて、友部はにっと笑った。

「あなたと私の小指は、見えない赤い糸でつながってるんですもの」
「じゃあ、その小指を出せ」

 俊太郎は袖口から細身のナイフを取り出した。

「右か左か? 念のため、両方切り離しておくか?」
「真顔で言うなよ。ほんのクラシック・ジョークじゃないか」

 さすがに少々あせって、友部は俊太郎に腕をかざした。

「そうか。俺はてっきりマジかと思った」

 醒めた声で俊太郎は言い、袖口にナイフを収めた。

「いいとこだな」

 ふいに、友部は俊太郎から目をそらせた。俊太郎はすぐに友部の視線を追い、その先にある景色に改めて気がついて、ああと短く同意した。
 役場は町の中心にあり、その前を走る広い道路沿いには、人家や店が建ち並んでいた。少し目線を上げれば、青い空を食むようにそびえたつ、初夏の緑の山々が視界に入る。

「ここ、温泉出るんだってよ。俺らも仕事終わったら、ゆっくり温泉につかって、そして熱い夜を過ごさない?」

 そう言う友部の顔は、悪戯っぽく笑っている。

「てめー一人でやってろよ、ジジイ」

 冷たく言い捨てると、俊太郎は友部に背を向けて、すたすたと歩きはじめた。

「ひっどぉーい。俊ちゃんとあたしとじゃ、たった一歳しか違わないじゃないのぉー」

 そのたった一歳の差で今までさんざん先輩面してきたのはそっちじゃないかと、友部の似合いすぎるオカマ言葉を聞きながら俊太郎は思った。




 小学校は役場から二十分ほど歩いたところにあった。その周囲には住宅街が広がり、ちょうど昼下がりであるせいか、人通りは少なかった。
 昼に妖魔は出ないということは、この時代の人間なら誰でも知っている。たとえそこに妖魔が出、すでに九人が食い殺されていたとしても、人はそこからたやすく引っ越すことはできないし、夜だけ家の中に閉じこもっていれば済むものならば、何も妖魔はそれほど恐れる存在ではないのだ。第一、いま世界中のどこにでも妖魔はいる。
 そんなわけで、大人の接待も子供の部活も、今世紀に入ってからは著しく制限されてしまい、前世紀末に隆盛をきわめた二十四時間営業のコンビニエンス・ストアもその姿を消してしまった。
 風俗関係はすたれることなく続いているが、夕方入店したら最後、朝までそこから出ることは許されない。ホテルがわりに利用する者もかなりいる。
 また、かの悪名高き残業は今世紀に入ってもなくならず、会社に泊まりこみで行われるのが通例となり、会社のビジネスホテル化として社会問題になっている。

「へえ、けっこう立派じゃんか」

 町に一つしかないという例の小学校を見て、友部が言った。
 正面に時計台のある、アーリー・アメリカン風の三階建ての校舎である。屋根はペパーミント・グリーン、壁面はホワイトで、周りの景色とよく合っていた。田舎の学校らしく、グラウンドはかなり広くとってあり、それをぐるりと取り囲むように、小学校特有の遊具の数々が並んでいる。

「中に入ってみるのか?」

 友部が校舎を親指でさした。

「ああ」

 友部のほうは見ずに、俊太郎はうなずいた。

「でも、ほら、鍵かかってるぜ。町長から借りてくれば――」

 よかったなと言いかけたとき、カカッと続けて二つ音がして、校舎の屋根と同じ色をした門に掛けられていた巨大な南京錠が、友部の履き古したスニーカーの前にぼとりと落ちた。
 見れば、錠前のかんぬきが二箇所きれいに切断されており、門にはナイフが二本、並んで突き刺さっていた。無論、門は鉄製である。

「見かけによらず、荒っぽいなー、俊ちゃんは」

 落ちた錠前とまだ門に残っていた閂とを見比べながら、俊太郎を責めるでもなく友部は呟いた。

「めんどくさかっただけだ」

 我知らず、弁解するような口調になって、俊太郎は門からナイフを引き抜いた。このナイフも対妖魔用の特別製で、こんなことぐらいでは刃こぼれひとつしない。しかし、友部の言うとおり、わざわざこんな真似をしなくても、最初から町長に鍵を借りておけば済んだことなのにと、何だか自分がとてつもなく愚かしく思えてきた。

「まあ、今から借りに行くのもめんどくさいしな」

 うつむいて自分を責めはじめた俊太郎に、友部があわてて助け船を出した。

「こんな鍵くらい、いくらでも弁償できるし、俺たち仕事でやってるんだからさ、気にしないで、とにかく中に入ろうぜ、な?」

 友部は長い足で門の片方を蹴っ飛ばして一気に開けた。

「……うん」

 幼い子供のように、こくんと俊太郎はうなずいた。
 こういうときの友部は昔の彼そのままで、実はけっこう好きなのだが、本人にそう言えばつけあがらせるだけなので、あえて何も言わない。
 そのときだった。

「何してるんですか」

 突然、二人の背後で、とがめるような少女の声が上がった。もとより、名うての妖魔ハンターの二人である。彼女が少し離れたところで、怪訝そうに自分たちを見ていたことは、先刻承知していた。二人は驚いた顔ひとつせずに、その少女を振り返った。
 少女は今時では貴重な濃紺のセーラー服に身を包み、学生カバンによく似た茶色いバッグを両手から提げて、彼らを睨みつけていた。艶やかな黒髪をボブにしていて、ほとんど出ている広い額は、知的なものを感じさせた。

「何してるって……デートしてるように見えない?」

 すかさず、俊太郎は友部の顔を腕で殴った。手は大事な商売道具なので、こんなくだらない目的のためには使用しない。

「ここ、立入禁止です。鍵まで壊して、泥棒でもする気ですか」

 少女の表情と声は硬い。友部の冗談を解する余裕もないらしい。確かに、見知らぬ若い男二人に注意するのは、かなり勇気がいったことだろう。

「あー、実は俺たち、妖魔ハンターなんだ」

 あわてて俊太郎は言った。その言葉が少女に与えた影響は顕著だった。

「妖魔……ハンター……?」

 少女は大きく目を見張った。

「そう。町長に依頼されて、ここらへんに出るっていう妖魔を狩りにきたんだ」

 どうやら信じてくれそうだと見て、俊太郎は言葉を継いだ。

「……本当に?」

 だが、少女はすぐにまた警戒心をあらわにして、いかにも不審そうに訊ね返してくる。

「そりゃあ、この商売には免許なんてないから証明できないけど」

 返事に困ってしまった俊太郎に代わって、友部が言った。

「一応、妖魔ハンター協会の会員証は持ってるよ――ほら」

 友部は俊太郎の内ポケットにするっと手を差し入れると、カード状のものを取り出して、勝手に少女に手渡した。

「なんでおまえが見せるんだよ!」

 今さらジャケットの襟をかきあわせて、俊太郎は友部を睨んだ。

「だってー、俺、あんなもん持ってないもーん」

 しれっと友部は答えた。

「それより俊太。おまえ、隙だらけだぞ。俺だからいいようなものの、どっかの変なおじさんに胸まさぐられたらどうするんだ」

 友部の表情は、あくまで真剣である。

「んなことすんのは、てめーしかおらんわい!」
「ちがーもーん。男の胸まさぐったって面白くないもーん。俺だったらもっと下のほう……」

 続きを許さず、俊太郎はすみやかに友部の顔面にウェスタン・ラリアートを浴びせた。

「あ……あの」

 すでにその存在を二人に忘れかけられていた少女が、おそるおそる声をかけてくる。

「これ……お返しします。妖魔ハンターっていうの、本当だったんですね。ごめんなさい」
「あ……いや、普通すぐに信じられないよね。こっちこそごめん」

 俊太郎は少々緊張して、少女から自分の会員証を受けとった。こんな商売をしているせいか、このくらいの年の少女とはほとんど縁がない。そうでなくとも、俊太郎には女性に対する免疫が少なかった。

「納得したところで、さっさと行こうかー」

 露骨につまらなそうな顔をして、友部が俊太郎の襟首を引っ張る。俊太郎から女性と知りあう機会を奪っている最大の原因は、やはりこの男だった。

「でも……どうしてここに? ここに妖魔がいるんですか?」

 去りかけた二人にすがるようにして、少女が訊ねてきた。その眼差しはただの好奇心とは思えないほど真剣だ。俊太郎と友部は、思わず顔を見合わせた。

「まだ、そうと決まったわけじゃないけどね」

 代表して友部が答えた。

「あの……もしよかったら、私も一緒に行っていいですか?」

 ためらいがちに、しかしはっきりと少女は言った。

「よくない」

 きっぱりと答えた友部の頭を即座にはたいてから、俊太郎はさとすように言った。

「昼でも危ないよ。妖魔がいるかもしれないとこは避けるもんなのに……どうしてわざわざ行きたいの?」
「それは――」

 ためらうように少女はうつむいた。

「父が、ここで先生をしていて――」

 ぱっと少女は顔を上げ、少し潤んだ瞳でまっすぐに彼らを見た。

「半年前から、行方不明になってるからです」   
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