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5 天上の間(4)
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「つまりだね――こういうことだ」
D・Dは例の論文の中の一枚をつまんでピラピラと動かした。
「さっき、この紙自体が〈時間〉であり、紙面が〈空間〉であると言っただろう? 〝空間を歪める〟とはこの場合、紙をこうすることだ」
そう言うと、D・Dはつまんでいた紙を無造作に握りしめてしわくちゃにしてしまった。
「D・D! ちょっと、いいんですか? せっかく書いた論文を……」
「いいんだよ」
こともなげにD・Dは言った。
「こんなもの、私さえいれば何度でも書ける」
「……そうですか」
何となく、俺は後の言葉を失った。
「それから、また別のページを今と同じようにこうする」
D・Dはしわだらけの紙のさらに下をめくると、さっきと同じようにしわを作った。
「もっと厳密に同じにできればよかったんだが。とりあえず、さっきのとこれとは同じ状態にあると思っておいてくれたまえ。つまり……同じ歪みを持った空間同士であると。時空分析では、同じ歪みを持った空間同士はつながることになっている。もっとも、これはまだ理屈の上での話で、実際に確かめられてはいないんだが」
「しかし、それで本当に〝時空間移動〟なんてできるんですか? そもそも、〝つながる〟ということ自体、俺には疑問ですよ」
「それは私も同じだよ、ミズゥ」
めったにないことに、D・Dは深く溜め息をついた。
「だから、これからそれを確かめようというんじゃないか。――じゃあ、さっそく実験を始めるよ。君は外に出て、五分経ったらそこのドアをノックしてくれ。もし実験が成功したなら……そうだな、〝愛してるよ、ミズゥ〟とでも言おうか。しかし、もし私が君に早かったねとか何とか言ったら、残念ながら実験は失敗だ。ただちに私にそう報告してくれ。何か質問は?」
「……別にないです」
質問しようにも、質問すべき事項が俺には思いつけなかった。
「では始めるよ」
自分でも成功するかどうかわからないと深刻な顔をしていたくせに、いざ装置を作動させる段になると、浮き浮きしたようにD・Dは言った。
「これはタイマー式だからね。三十秒後に作動するようにセットしておく。私も君と一緒に外に出るから、ちょっと待っててくれないか」
「え、D・Dも外に出るんですか?」
「もちろんそうだよ。――ああ、具体的にどうこの装置を利用するのかについては、まだ君に説明していなかったっけ。でも、もうそんな時間はないし……ようするにだね、この部屋をタイム・マシンにするんだ。理屈は後でゆっくり納得がいくまで説明してあげる。今はほら、急いだ急いだ」
D・Dは慣れた手つきで空間歪曲装置をセットすると、俺の背中を押して足早に部屋の外に出た。
「D・D。そんな格好のままで……」
ドアを閉めてから、俺はD・Dがまだガウン姿であることに気がついた。
「どうせこんなところに人なんて来ないよ。さっきは毛布を引っかぶったまま外に出たんだ」
「……よかったですね。誰も来なくて」
「別に私はどうだっていいが……ああ、動き出した動き出した。じゃあ、君はさっき言ったように、五分経ったらノックしてくれ。いいね? 頼んだよ?」
「それはかまいませんが……あの……」
どうしても五分待たなくちゃいけないのかと訊く前に、D・Dはにっこり微笑んで、空間歪曲装置の低い唸りの満ちる部屋へと戻ってしまった。
「質問はないかと言われたときに言うべきだったな」
バタンと閉められたドアを前に俺は独りごち、D・Dの命令を忠実に果たすべく自分の腕時計を見た。心に一抹の不安を抱きながら。
D・Dは例の論文の中の一枚をつまんでピラピラと動かした。
「さっき、この紙自体が〈時間〉であり、紙面が〈空間〉であると言っただろう? 〝空間を歪める〟とはこの場合、紙をこうすることだ」
そう言うと、D・Dはつまんでいた紙を無造作に握りしめてしわくちゃにしてしまった。
「D・D! ちょっと、いいんですか? せっかく書いた論文を……」
「いいんだよ」
こともなげにD・Dは言った。
「こんなもの、私さえいれば何度でも書ける」
「……そうですか」
何となく、俺は後の言葉を失った。
「それから、また別のページを今と同じようにこうする」
D・Dはしわだらけの紙のさらに下をめくると、さっきと同じようにしわを作った。
「もっと厳密に同じにできればよかったんだが。とりあえず、さっきのとこれとは同じ状態にあると思っておいてくれたまえ。つまり……同じ歪みを持った空間同士であると。時空分析では、同じ歪みを持った空間同士はつながることになっている。もっとも、これはまだ理屈の上での話で、実際に確かめられてはいないんだが」
「しかし、それで本当に〝時空間移動〟なんてできるんですか? そもそも、〝つながる〟ということ自体、俺には疑問ですよ」
「それは私も同じだよ、ミズゥ」
めったにないことに、D・Dは深く溜め息をついた。
「だから、これからそれを確かめようというんじゃないか。――じゃあ、さっそく実験を始めるよ。君は外に出て、五分経ったらそこのドアをノックしてくれ。もし実験が成功したなら……そうだな、〝愛してるよ、ミズゥ〟とでも言おうか。しかし、もし私が君に早かったねとか何とか言ったら、残念ながら実験は失敗だ。ただちに私にそう報告してくれ。何か質問は?」
「……別にないです」
質問しようにも、質問すべき事項が俺には思いつけなかった。
「では始めるよ」
自分でも成功するかどうかわからないと深刻な顔をしていたくせに、いざ装置を作動させる段になると、浮き浮きしたようにD・Dは言った。
「これはタイマー式だからね。三十秒後に作動するようにセットしておく。私も君と一緒に外に出るから、ちょっと待っててくれないか」
「え、D・Dも外に出るんですか?」
「もちろんそうだよ。――ああ、具体的にどうこの装置を利用するのかについては、まだ君に説明していなかったっけ。でも、もうそんな時間はないし……ようするにだね、この部屋をタイム・マシンにするんだ。理屈は後でゆっくり納得がいくまで説明してあげる。今はほら、急いだ急いだ」
D・Dは慣れた手つきで空間歪曲装置をセットすると、俺の背中を押して足早に部屋の外に出た。
「D・D。そんな格好のままで……」
ドアを閉めてから、俺はD・Dがまだガウン姿であることに気がついた。
「どうせこんなところに人なんて来ないよ。さっきは毛布を引っかぶったまま外に出たんだ」
「……よかったですね。誰も来なくて」
「別に私はどうだっていいが……ああ、動き出した動き出した。じゃあ、君はさっき言ったように、五分経ったらノックしてくれ。いいね? 頼んだよ?」
「それはかまいませんが……あの……」
どうしても五分待たなくちゃいけないのかと訊く前に、D・Dはにっこり微笑んで、空間歪曲装置の低い唸りの満ちる部屋へと戻ってしまった。
「質問はないかと言われたときに言うべきだったな」
バタンと閉められたドアを前に俺は独りごち、D・Dの命令を忠実に果たすべく自分の腕時計を見た。心に一抹の不安を抱きながら。
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