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2 天上の間(1)
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「やあ、ミズゥ」
窓に向かって陣どられた大きなデスクの前で、俺の髪色と同じ黒いガウン姿のD・Dが、愛用のロッキングチェアに腰かけたまま陽気に笑った。
部屋は相変わらず汚い。本当はもっと広く使えるはずの部屋なのに、窓以外の壁の前には天井まで届きそうな本棚がヴェレーゼの中心街のビルのようにそびえたち、部屋の真ん中には本と書類が山積みになっている丸テーブルが中央広場の銅像のようにでんとかまえているものだから、狭苦しくて仕方がない。
さらにだ。その丸テーブルの横には、ソファ兼D・Dのベッドが置いてあるのだ。何度見ても、ここが〝天上〟だとは俺には思えない。
「着替えてないじゃないですか」
「着替えたよ」
涼しい声でD・Dは言った。
「さっきまで毛布を羽織っていた」
その毛布らしいのは、ベッドの上でとぐろを巻いていた。もしここにジェシカがいたら、感激してこの毛布に頬ずりするかもしれない。いや、それどころか――やめよう。彼女の尊厳にかかわる。
「で、D・D。今日は何の御用ですか?」
「用がなくちゃ呼んじゃいけないのかね?」
「用もないのに呼ばれたくありません」
「つれないねえ」
言葉とは裏腹に楽しげに笑う。腰まである長い銀色の髪が、笑うたびに光って揺れた。
本当のところを言うと、俺はD・Dを見るのは嫌いじゃない。性格はともかく、彼は並の女以上に綺麗だ。
「まあ、かけたまえ。今、コーヒーを入れるから」
ロッキングチェアから立ち上がったD・Dは、デスクの横のサイドボードから、いつものコーヒーセットをトレーごと持ってきた。
俺は言われたとおり、丸テーブルの近くにあった丸椅子に腰を下ろした。その拍子にテーブルの上の紙の山が雪崩を起こしたが、不可抗力の自然災害だと判断し、拾い集めることはしなかった。
D・Dもちょうど場所ができたとばかりに、テーブルの上の空いたスペースにコーヒーセットを置くと、そのままソファに座ってしまう。
「またインスタントですか?」
俺専用の黒いマグカップに茶色い粉をスプーンで放りこみ、テーブルの下にあったポットの湯を注いでいるD・Dに、俺はこれ見よがしに溜め息をついてみせた。
「ここは本当はコーヒー厳禁なんだよ」
だからインスタントでもありがたく思えと言外に言う。
D・Dはコーヒーが嫌いだ。味もだが匂いが嫌なのだそうだ。今も少し不快そうに顔をしかめている。だったら入れなきゃいいのに、なんてことは俺は言わない。それくらいの我慢はしてくれなきゃ困る。
「本当に、今日は何の用ですか?」
もう一度、俺は訊ねた。D・Dはにやりと笑い、上目づかいに俺を見た。
緑色の目だ。初夏の若葉の色だ。
「私はね。君をたいへん買っているよ」
カップに伸ばす俺の手が一瞬止まった。
――不気味だ。D・Dがこんな顔をするときは、いつも何かあるのだ。
「買いかぶりですよ」
負けじと俺は微笑み返す。
「そうかね。そんなことはないと思うよ。君はたいへん頭が切れる。打てば響くような君の反応は、いつも私を楽しませてくれているよ。だからね、ミズゥ」
D・Dは、ことさらにっこり微笑んだ。
「また、私の研究につきあってくれんかね?」
窓に向かって陣どられた大きなデスクの前で、俺の髪色と同じ黒いガウン姿のD・Dが、愛用のロッキングチェアに腰かけたまま陽気に笑った。
部屋は相変わらず汚い。本当はもっと広く使えるはずの部屋なのに、窓以外の壁の前には天井まで届きそうな本棚がヴェレーゼの中心街のビルのようにそびえたち、部屋の真ん中には本と書類が山積みになっている丸テーブルが中央広場の銅像のようにでんとかまえているものだから、狭苦しくて仕方がない。
さらにだ。その丸テーブルの横には、ソファ兼D・Dのベッドが置いてあるのだ。何度見ても、ここが〝天上〟だとは俺には思えない。
「着替えてないじゃないですか」
「着替えたよ」
涼しい声でD・Dは言った。
「さっきまで毛布を羽織っていた」
その毛布らしいのは、ベッドの上でとぐろを巻いていた。もしここにジェシカがいたら、感激してこの毛布に頬ずりするかもしれない。いや、それどころか――やめよう。彼女の尊厳にかかわる。
「で、D・D。今日は何の御用ですか?」
「用がなくちゃ呼んじゃいけないのかね?」
「用もないのに呼ばれたくありません」
「つれないねえ」
言葉とは裏腹に楽しげに笑う。腰まである長い銀色の髪が、笑うたびに光って揺れた。
本当のところを言うと、俺はD・Dを見るのは嫌いじゃない。性格はともかく、彼は並の女以上に綺麗だ。
「まあ、かけたまえ。今、コーヒーを入れるから」
ロッキングチェアから立ち上がったD・Dは、デスクの横のサイドボードから、いつものコーヒーセットをトレーごと持ってきた。
俺は言われたとおり、丸テーブルの近くにあった丸椅子に腰を下ろした。その拍子にテーブルの上の紙の山が雪崩を起こしたが、不可抗力の自然災害だと判断し、拾い集めることはしなかった。
D・Dもちょうど場所ができたとばかりに、テーブルの上の空いたスペースにコーヒーセットを置くと、そのままソファに座ってしまう。
「またインスタントですか?」
俺専用の黒いマグカップに茶色い粉をスプーンで放りこみ、テーブルの下にあったポットの湯を注いでいるD・Dに、俺はこれ見よがしに溜め息をついてみせた。
「ここは本当はコーヒー厳禁なんだよ」
だからインスタントでもありがたく思えと言外に言う。
D・Dはコーヒーが嫌いだ。味もだが匂いが嫌なのだそうだ。今も少し不快そうに顔をしかめている。だったら入れなきゃいいのに、なんてことは俺は言わない。それくらいの我慢はしてくれなきゃ困る。
「本当に、今日は何の用ですか?」
もう一度、俺は訊ねた。D・Dはにやりと笑い、上目づかいに俺を見た。
緑色の目だ。初夏の若葉の色だ。
「私はね。君をたいへん買っているよ」
カップに伸ばす俺の手が一瞬止まった。
――不気味だ。D・Dがこんな顔をするときは、いつも何かあるのだ。
「買いかぶりですよ」
負けじと俺は微笑み返す。
「そうかね。そんなことはないと思うよ。君はたいへん頭が切れる。打てば響くような君の反応は、いつも私を楽しませてくれているよ。だからね、ミズゥ」
D・Dは、ことさらにっこり微笑んだ。
「また、私の研究につきあってくれんかね?」
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