【完結】永遠の旅人

邦幸恵紀

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【番外編】エピローグ、そしてプロローグ(J視点)

エピローグ、そしてプロローグ(後)

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 女に抱き上げられて初めてわかったが――それにしても、とんでもない怪力だ――Jが〝転がって〟いたのは、緑に覆われた広場の一角だった。
 少女はその脇にある遊歩道を女と共に歩いていて、偶然Jを発見したのだった。

『そういえば、まだ名前を訊いていなかったわね』

 元の遊歩道に戻ってから、Jの頭上に日傘を差しかけて歩いていた少女は、思い出したように口を切った。

『私はがわりん。名前の〝鈴音〟は〝鈴の音〟ではなく〝鈴虫の鳴き声〟という意味よ。鈴虫が鳴きわめく秋に生まれたから。……と英語で伝えてちょうだい』
『お嬢様』

 女は真顔で受け答えた。

『今ここでお名前の由来まで明かす必要はないと思うのですが』
『あら。やっぱり〝鈴虫〟は外国の人にはわからない?』
『いえ、そうではなく』

 ――リンネ。

 その名前が耳に入ったとき、Jは一瞬、心臓が止まりそうになった。

 ――まさか、やっぱりこの女は……でも、そうだとしたら年代が合わない……

『うーん……じゃあ、とりあえず私たちの名前を伝えて、その人の名前を訊いてみて。カルテに名前くらいは書いておかないと』
『わかりました』

 軽く嘆息してから、女はJに目を向けた。

「おまえの名前を私の主人が知りたがっている。さしさわりがあれば偽名でもかまわん。しょせん名前など個体を識別する記号にすぎないのだからな」
「……あんたの〝お嬢様〟は自分の名前にずいぶん思い入れがありそうだが。〝エドガワ・リンネ〟というんだろう?」
「日本語がわかるのか?」

 女は大きく目を見開いた。Jはどうにか首を横に振った。

「話の内容はわかるが、俺が話せるのは英語だけだ。……俺の名前は〝J〟。ただのアルファベットの〝J〟。姓はない。今、あんたが言ったとおり、個体を識別するためだけに、たまたま俺に割り振られた記号だ。俺が生まれた地区では、子供の出生率は高くてもほとんどすぐに死んじまうから、〝ジョン〟だの〝ジャック〟だのいちいち名前をつけるのが面倒になったらしい。実際、それで事足りた」
「……なるほど。お嬢様にはその名前だけお伝えしよう。私もおまえと同様、姓はない。ただの〝ロゼ〟だ」

 今度はJが目を剥いて、女――ロゼを見た。
 それに気づいたロゼは、不審そうに眉をひそめた。

「どうした? この顔に〝ロゼ〟という名はおかしいか?」
「いや、そんなことはないが……あんたは何で姓がない?」

 ロゼは何でもないことのように、さらりと答えた。

「ロボットに姓など必要あるまい。我々は人間の所有物なのだから、名前だけで充分だ」
「ロボット……?」
「今まで見たことがないか? もっとも、おまえの話を聞いたかぎりでは、今までロボットとは無縁の生活をしてきたようだな」

 かすかにだが、ロゼはJを小馬鹿にするような笑みを見せた。
 現実には、Jはロボットとは無縁どころか、腐れ縁のような関係にあったのだが――このロゼとは特に――その説明をしだすと収拾がつかなくなりそうだったので、反論はしなかった。
 この世界の二四××年においては、まだロボットは一部の人間たちだけが所有できる特別な〝物〟なのだ。Jの知る世界とは歴史の流れがまったく異なっている。

『お嬢様。この男の名前は〝J〟。姓はないそうです』

 Jに対する態度は〈協会〉のロゼとほとんど変わらないが、ここのロゼが鈴音にかける声は、彼が一度も聞いたことがないほど柔らかい。

『ジェイ?』
『アルファベットの〝J〟だそうです』
『それが名前なの? 愛称とかじゃなくて?』
『本名だそうです』
『覚えやすくて呼びやすいけど、何だかかわいそうね。……そうだわ、本名は〝ジェイソン〟ということにしたらどうかしら?』

 鈴音の無責任な思いつきに、ロゼは生真面目に意見した。

『お嬢様。それは古来より不吉な名前とされています』
『あら、どうして?』
『何でも、連続殺人鬼の名前だとか』
『まあ、それじゃもっとかわいそうね』

 空が青かった。
 その空に浮かぶ白い雲は、手さえあればつかめそうなほど近く見えた。

(ここだ、ロゼ!)

 心の中でJは絶叫した。

(あんたたちが血眼ちまなこになって探している、〝理想郷〟はここにある!)

 だが、タイム・マシンを持たず、発信機も埋めこまれなかった彼には、〈協会〉のあのロゼにそれを知らせる術がなかった。

『ロゼ、大変!』

 ふとJを覗きこんだ鈴音が血相を変えた。

『この人、泣いてるわ! どこか痛いんじゃないかしら!』
『確かに。しかし、痛いはずはないと思うのですが』

 そう言いながらも、ロゼは英語でJに訊ねた。

「どこか痛むのか? お嬢様が心配されている」

 できることなら、〈協会〉のあの彼女のように、Jも自分の顔を覆って隠したかった。
 しかし、そうできない彼は、きつく目を閉じてうつむいた。

「……しいて言うなら、心が痛い。俺を助けてくれたは、死ぬほどここに来たがっていたのに、恩知らずな俺が来れてしまった。偶然とはいえ、申し訳ない……」
『ロゼ、何て?』
『よくわかりませんが、体が痛いわけではないようです。ここに来たがっていた恩人たちではなく、恩知らずな自分が来られてしまって申し訳ないと』
『日本に来たがっていた恩人たち? あら、いったいどういうことかしら? てっきり金持ちのド変態のところから逃げ出してきたものだとばかり思っていたのに』
『お嬢様……』
『あなたもそう思ったんじゃない? だから今、人を呼ばずに運んでくれているんでしょう?』
『私はお嬢様のご命令でしたら、何でも従います』
『そうかしら? ずいぶん逆らわれているような気もするけど。でも、あなたは私のベビーシッターでボディガード。私が結婚したとしてもずーっと一緒。それが嫌だっていう男はこっちからお断り。そのかわり、私が死んだらあなたは自由。誰にもあなたを支配できないようにしてあげる』
『お嬢様。私はお嬢様が亡くなられたら自決します。自由などいりません』

 Jはぎょっとしてロゼを見上げたが、彼女はしごく当然のことのような顔をしていた。

『そこが〝日本製〟の長所で短所よね』

 鈴音は苦笑いしながら、白いレースのハンカチで、さりげなくJの顔を拭いた。

『それなら〝命令〟よ、ロゼ。あなたは私が死んでも生きつづけなさい。私の〝命令〟がなくても、あなたが救える命があるなら救いなさい。ただし、救いがたいと思ったら見捨ててもいいわ。そこはあなたの自己判断で』
『……もし、その〝命令〟に反したらどうなりますか?』
『どうもしないわ。でも、あなたにはできないでしょう? だって、あなたは私のロゼだもの』

 あどけなく鈴音は笑うと、ハンカチを握った手で前方を指した。

『ほら、病院よ。あそこは私が個人病院なの。規模は大きくはないけど、再生医療なら日本一……いえ、世界一だと自負しているわ。あなたのその体も、ほぼ元どおりに復元できるはずよ。歩けるようになったら、あの公園を一緒に散歩しましょう。私とロゼと三人で。……とJさんに英語で話してもらえるかしら、ロゼ』
『お嬢様は本当に英会話を習得する気はさらさらないんですね』
『だって、あなたがいるんだもの、わざわざ私が話せるようになる必要なんてないじゃない』

 鈴音が指し示した先には、病院というより瀟洒しょうしゃなホテルのような外観の建物が何棟か建ち並んでいた。その周囲には、ちらほらとだが人の姿もある。
 おそらく、Jが〝転がって〟いた場所は、江戸川家(あるいは鈴音個人)の私有地だったのだろう。いったいどれだけ金持ちなのか。
 だが、〈協会〉のロゼが失った〝主人〟がこの鈴音だったとしたら――それゆえに自分の姓を〝リンネ〟としたのなら――〝主人〟を守れなかった彼女の無念さが、Jにもわかるような気がした。

 ――救える命があるなら救いなさい。

 一人の少女の〝命令〟が、時空を超えて自分の命を救った。
 そして、今も。

「……俺はあんたたちに何を返せばいい?」

 自問のように呟いたJを、ロゼと鈴音が同時に見た。

『ロゼ、いま何て言ったの?』
『実はこの男は、日本語を聞きとることはできるそうです。……自分は私たちに何を返せばいいのかと』
『まあ、聞きとれる分、私よりレベルが高いわね。でも、それならそうと、ロゼも早く言ってちょうだい。……そうね。私はあなたの話を聞きたいわ。あなたがどこから来たのか。最後はどこに行きたいのか』
最後ラスト?」
『今のは私にもわかったわ。……あなたがここに来られたのは、偶然ではなく必然よ。申し訳ないと泣ける心があるなら、今度はその人たちに何を返せばいいのかもわかるでしょ? 最初からあきらめたら駄目。あきらめたらそこで終わり。人間があきらめなかったから、今ここにロボットのロゼはいて、あなたを救うために運んでいるのよ』

 鈴音はにこりと笑うと、涙腺がゆるいのねと言って、再びJの顔をハンカチで拭った。

  ―了―
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