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【本編】永遠の旅人
02 美形がいっぱい
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「本当に戻らないの?」
もう一度、少女は訊ねた。
「ああ」
対する青年の答えは短い。
「あそこに戻らないでどこに行くの? あたしたちの居場所は〈協会〉にはすぐわかるのに」
「わかったっていいんだ。つかまる前に逃げればいい。でも、その前にあいつだけは必ず殺す」
整った白い顔に、青年は不敵な笑みを浮かべた。
少女はそれを見ることはできなかったが、感じることはできた。
「……殺しても、何も変わらないのに」
「俺の気は済む」
青年は苛立って、少女の黒くて細い手首を引いた。
「最後にどこへ跳ぶかはわかってるな?」
青年の声に、少女は黙ってうなずいた。
「よし、じゃ、行くぞ」
少女の腕をつかんだまま青年が言った。と同時に二人の姿はかき消えた。
二人にとっては初めての、そして〈協会〉にとっては何度目かわからない逃避行の、それが始まりだった――
***
「今思えば、最初から創設しておけばよかったんだけどねえ」
ぽかんとしている達也を無視して、ライアンは嘆息まじりに言った。
「タイム・マシンが実用化されてからというもの、ほぼ全員が過去にタイム・ジャンプしたから、一時、横のつながりというものがほとんどなくなってしまってね。各自、自分の好きな時代に行って、好きなように暮らしていたんだが――というか、そうせざるを得なかったんだが――マシンの修理やメンテナンスのために、どうしても同時代の人間と接触する必要が生じてきた。しかし、さっきも言ったように、一度過去へタイム・ジャンプしてしまったら、その先の未来は自分の知る未来ではないかもしれない。中にはタイム・マシンが開発されなかった未来もあるかもしれないからね。そこで、有志が集って、常に過去にタイム・ジャンプしつづける〝船〟を建造した。まあ、乱暴に言ってしまえば、船の形をしたタイム・マシンだ。何かトラブルがあっても、ここに逃げこめば何とかなる。私はここの職員の一人だ。担当は二十世紀末の十年間。……今はその前の十年間の担当になればよかったと、心から後悔しているよ」
最後のほうは独り言に近かった。
「えーと……」
あまりに突拍子もない話に、しばらく達也はそれ以上言葉が出てこなかった。
このライアンの言うことが全部真実であるという保証はまったくないが、横断歩道からいきなりこの応接室に移動してきたことだけは、まぎれもない事実である。
「とにかく、あんたが未来の人で、タイム・マシンがあって、ここが何とか協会だってことはわかった。でも、それでどうして俺がここに連れてこられなきゃならないわけ?」
「本当に痛いところを突くね」
ライアンは苦笑いすると、左手首からあの腕時計をはずして達也に手渡した。
つい受け取ってしまってから、達也はライアンに訊ねた。
「何?」
「君にあげる。これから過去にタイム・ジャンプするときは、必ずそれを使ってここに移動してからしなさい。なくしたら困るから、今はめておいたほうがいいよ」
実際手に持つと、見かけ以上に重さはあったが、やはりただのデジタル時計にしか思えなかった。
だが、自分の安物よりは高級そうに見えたので、達也は自分のをはずして学生服のポケットにしまうと、代わりにそれをつけた。
「でも……ほんとに俺、そのタイム何とかなの?」
未来云々よりも何よりも、そのことが達也にはどうしても信じられなかった。
「そうだよ。今の君は知らないだろうが、私はかつて一度だけ君に会ったことがある」
何を思い出しているのか、ライアンはにやにやしていた。
「え?」
「君は今、高校二年生だろう? 出会ったのは君が三年生のときだから、私を知らなくて当然だ。君はマシンなど使わず、ある日突然私の前に現れて、やはり突然消えてしまった。それからの私は、ずっと君を捜していたよ。手がかりは、君の名前と学年と日本人だということくらいしかなかったからね。それはそれは涙ぐましい努力を重ねた」
「何でそうまでして……」
唖然として達也が問うと、ライアンはここぞとばかりに微笑んだ。
「それは――」
「知らないほうが幸せだな」
日本語だが、ライアンとは違う男の声がして、達也はソファから跳び上がった。
ライアンは達也のように驚きはしなかったが、このうえもなく不愉快そうな顔になって、声のした方向を睨みつけた。
「私の邪魔をして楽しいかね、ウムル・ヤール室長」
「まあ、楽しくもなくもないな」
ウムル・ヤールと呼ばれた男は、淡々と答えた。
達也がライアンの目線の先を追ってみると、彼と同じ服――おそらく、それが〈協会〉の制服なのだろう――を着た、やはり長身の男が、部屋の端にあった自動ドアを開けっぱなしにして立っていた。
肌は少し浅黒く、漆黒の髪をオールバックにしている。顔つきは厳しく、眼光も鋭かったが、それでもこの男も人並みはずれた美形であることには間違いなかった。
「もう第一段階はクリアしただろう。キーツ、緊急事態だ。第二段階以降は後回しにして、いったん管制室に戻れ」
「私の非番はあと三時間は残っているはずだが」
「残念ながらその主張は〝女王様〟には通用しなかった。自分で直接呼び出すっていうから、わざわざ俺がここまで迎えにきてやったんだ。ありがたく思え」
「私にとってはどちらも大差ないがね。……何があった?」
「エレナがJと逃げた」
その一言で、ライアンの表情は一変した。
「いつわかった?」
「五分ほど前だ。合流ポイントに現れなかったから、探査して発覚した。まあ、十中八九、エレナはJに脅されているだけだと思うが、共犯には違いないからな。非番だろうが本番だろうが、担当者はすぐに来いっていうのが〝女王様〟の言い分だ」
「やれやれ。どうしてこんな晴れがましい日に、そんな面倒を起こしてくれるのかねえ」
ライアンは天井を見上げて溜め息をつくと、呆然としているよりほかのない達也に向き直った。
「話の途中で申し訳ない。緊急事態が起こってしまった。用が済んだら、また改めて君を迎えにいくから、今日のところは……」
「その小僧も一緒に連れていけばいいだろう」
ライアンをさえぎって、ウムルがぶっきらぼうに言った。
ライアンと達也はそろってウムルを見た。
「は?」
「その小僧もジャンパーだろう。ジャンパーを追いかけるなら、同じジャンパーのほうが小回りがきく」
「それはそうだが、この子は自分がジャンパーだということをまったく自覚していない。ジャンパーの追跡など不可能だ」
達也が文句を言う前に、ライアンがウムルに目を怒らせた。
そのとおりなのだが、そこまではっきり言われてしまうと、何だか腹が立つ。
「それなら、今から自覚させればいいだろう」
あっさりウムルは切り返した。
「といっても急には無理だろうが、とりあえず今は一緒に連れていけ。無自覚のままタイム・ジャンプを繰り返されるほうがずっと厄介だ」
ウムルの言うことも一理あると思ったのか、ライアンは柳眉をひそめて迷っていた。
自分にそんな能力があるとはとても思えないが、まだこのライアンとは別れたくないなと達也は思った。
「あの……行くよ」
小さな声でそう言うと、ライアンは意表を突かれたように達也を見つめた。
「たぶん、何の役にも立たないだろうけど」
「達也……」
「おまえより小僧のほうが物わかりがいいな」
ウムルは鼻で笑って、踵を返した。
「そうと決まればとっとと立て。〝女王様〟はおまえの管制室でお待ちかねだ。……なぜだかな」
***
ウムル、ライアンに続いて部屋の外に出ると、白く光る長い廊下があった。
達也はあっけにとられたが、二人が迷わず左折したので、あわててその後を追った。
「達也、大丈夫? 手をつないでいこうか?」
ライアンが笑顔で振り返って、達也に右手を差し出してきた。
それを見た達也とウムルは、期せずして同じセリフを口にした。
「子供じゃないんだから」
とはいうものの、自分一人であの応接室に戻ることはもう不可能だと、数メートル歩いただけで達也は悟った。どの自動ドアも、みんな同じに見える。
標札が出ているわけでもないのに、どうやって識別しているのか、やがてライアンたちはある自動ドアの前で立ち止まった。ライアンが自動ドアの横の壁――別に何も設置されていない――に右手を押し当てる。それだけで、自動ドアは音もなく左右に開いた。
部屋自体はあまり広くはなかった。ちょうど教室一個分くらいの広さだ。
廊下と同様、床も天井も白く、部屋の中央にある教壇のような座席も白かった。
だが、三方の壁一面には、まるでコインロッカーのように隙間なくモニタが並んでおり、その前に腰かけていた、ライアンたちと同じ制服姿の職員たちは、自動ドアが開いたと同時にいっせいにこちらに顔を向けた。
(みんな外人で、みんな美形だな)
ライアンの後ろに隠れるようにして立っていた達也は、一目見てそう思った。
「私が非番を返上しなくても、君なら一人で対処できるんじゃないのかい、ロゼ」
部屋の隅でただ一人立っていた人物に、ライアンは日本語で嫌味を言った。
(ということは、これが――)
〝女王様〟。
長身で男物の制服を着ていたが――モニタ前に座っていた職員の中には女性もいて、彼女はタイトスカートを穿いていた――組まれた腕の上の胸は適度に膨らんでいる。
艶やかな黒髪を肩先で切りそろえた、ここで達也が初めて見た東洋系の美女だったが、表情が冷然としすぎていて、親近感はまったく湧かなかった。
(なるほど。確かに〝女王様〟)
ウムルがつけた渾名かどうかは知らないが、達也は思いきり納得してしまった。
「連帯責任だ」
低かったが、女の声だった。
おまけに、また日本語。
(もしかして、ここって日本語が公用語?)
そんなことを考えたとき、〝女王様〟――ロゼが明らかに達也を見て言った。
「珍しく日本語を使うと思ったら……それが理由か」
「そう。彼は正真正銘の日本人だ。彼の前では日本語しか使っちゃいけないよ」
――んな無茶苦茶な!
ところが、ロゼは無愛想ながらもこう返した。
「わかった」
――なんで?
達也は思わずそう訊きたくなったが、〝女王様〟に自分から声をかけることはとてもできそうになかった。
「それで、現在の状況は? 居場所の特定自体は難しくないはずだが」
ライアンの問いに、ロゼは赤い唇を歪めて答えた。
「特定だけはな。だが、身柄を確保する前にジャンプされる。おまえのエレナが優秀すぎるからな」
「これはこれは」
満面に笑みをたたえてライアンが応じる。
「お褒めにあずかり至極光栄。しかし、実際に跳んでいるのは君のJだ。エレナはJに脅されて、協力させられているだけだろう」
ロゼは形のよい眉をひそめたが、何も言い返さないところをみると、彼女もライアンと同じことを考えているのだろう。
(でも……よく考えてみたら、ジャンパーがここから〝逃げた〟って表現、変だよな? ここはタイム・マシンを使う未来人のための〈協会〉だったんじゃないのか?)
普段使わない頭を達也はフル回転させた。が、ウムルが無言で肩をつついてきた。
「何だよ? 俺、いま考え事してて忙しいんだけど」
「何を考えているのかは知らんが、たぶんおまえの頭では結論は出ないから無駄だ。そんなことより、おまえは本当に自分の意志ではジャンプできないのか?」
「……今までそんなことした記憶ねえもん」
達也はむっとしたが、ウムルの見解自体は正しかったので、訊かれたことには素直に答えた。
「じゃあ、さっきまでいた応接室に、今から跳んで戻ってみろ」
さりげなくそう言われて、達也はウムルに怪訝な目を向けた。
「はぁ?」
もう一度、少女は訊ねた。
「ああ」
対する青年の答えは短い。
「あそこに戻らないでどこに行くの? あたしたちの居場所は〈協会〉にはすぐわかるのに」
「わかったっていいんだ。つかまる前に逃げればいい。でも、その前にあいつだけは必ず殺す」
整った白い顔に、青年は不敵な笑みを浮かべた。
少女はそれを見ることはできなかったが、感じることはできた。
「……殺しても、何も変わらないのに」
「俺の気は済む」
青年は苛立って、少女の黒くて細い手首を引いた。
「最後にどこへ跳ぶかはわかってるな?」
青年の声に、少女は黙ってうなずいた。
「よし、じゃ、行くぞ」
少女の腕をつかんだまま青年が言った。と同時に二人の姿はかき消えた。
二人にとっては初めての、そして〈協会〉にとっては何度目かわからない逃避行の、それが始まりだった――
***
「今思えば、最初から創設しておけばよかったんだけどねえ」
ぽかんとしている達也を無視して、ライアンは嘆息まじりに言った。
「タイム・マシンが実用化されてからというもの、ほぼ全員が過去にタイム・ジャンプしたから、一時、横のつながりというものがほとんどなくなってしまってね。各自、自分の好きな時代に行って、好きなように暮らしていたんだが――というか、そうせざるを得なかったんだが――マシンの修理やメンテナンスのために、どうしても同時代の人間と接触する必要が生じてきた。しかし、さっきも言ったように、一度過去へタイム・ジャンプしてしまったら、その先の未来は自分の知る未来ではないかもしれない。中にはタイム・マシンが開発されなかった未来もあるかもしれないからね。そこで、有志が集って、常に過去にタイム・ジャンプしつづける〝船〟を建造した。まあ、乱暴に言ってしまえば、船の形をしたタイム・マシンだ。何かトラブルがあっても、ここに逃げこめば何とかなる。私はここの職員の一人だ。担当は二十世紀末の十年間。……今はその前の十年間の担当になればよかったと、心から後悔しているよ」
最後のほうは独り言に近かった。
「えーと……」
あまりに突拍子もない話に、しばらく達也はそれ以上言葉が出てこなかった。
このライアンの言うことが全部真実であるという保証はまったくないが、横断歩道からいきなりこの応接室に移動してきたことだけは、まぎれもない事実である。
「とにかく、あんたが未来の人で、タイム・マシンがあって、ここが何とか協会だってことはわかった。でも、それでどうして俺がここに連れてこられなきゃならないわけ?」
「本当に痛いところを突くね」
ライアンは苦笑いすると、左手首からあの腕時計をはずして達也に手渡した。
つい受け取ってしまってから、達也はライアンに訊ねた。
「何?」
「君にあげる。これから過去にタイム・ジャンプするときは、必ずそれを使ってここに移動してからしなさい。なくしたら困るから、今はめておいたほうがいいよ」
実際手に持つと、見かけ以上に重さはあったが、やはりただのデジタル時計にしか思えなかった。
だが、自分の安物よりは高級そうに見えたので、達也は自分のをはずして学生服のポケットにしまうと、代わりにそれをつけた。
「でも……ほんとに俺、そのタイム何とかなの?」
未来云々よりも何よりも、そのことが達也にはどうしても信じられなかった。
「そうだよ。今の君は知らないだろうが、私はかつて一度だけ君に会ったことがある」
何を思い出しているのか、ライアンはにやにやしていた。
「え?」
「君は今、高校二年生だろう? 出会ったのは君が三年生のときだから、私を知らなくて当然だ。君はマシンなど使わず、ある日突然私の前に現れて、やはり突然消えてしまった。それからの私は、ずっと君を捜していたよ。手がかりは、君の名前と学年と日本人だということくらいしかなかったからね。それはそれは涙ぐましい努力を重ねた」
「何でそうまでして……」
唖然として達也が問うと、ライアンはここぞとばかりに微笑んだ。
「それは――」
「知らないほうが幸せだな」
日本語だが、ライアンとは違う男の声がして、達也はソファから跳び上がった。
ライアンは達也のように驚きはしなかったが、このうえもなく不愉快そうな顔になって、声のした方向を睨みつけた。
「私の邪魔をして楽しいかね、ウムル・ヤール室長」
「まあ、楽しくもなくもないな」
ウムル・ヤールと呼ばれた男は、淡々と答えた。
達也がライアンの目線の先を追ってみると、彼と同じ服――おそらく、それが〈協会〉の制服なのだろう――を着た、やはり長身の男が、部屋の端にあった自動ドアを開けっぱなしにして立っていた。
肌は少し浅黒く、漆黒の髪をオールバックにしている。顔つきは厳しく、眼光も鋭かったが、それでもこの男も人並みはずれた美形であることには間違いなかった。
「もう第一段階はクリアしただろう。キーツ、緊急事態だ。第二段階以降は後回しにして、いったん管制室に戻れ」
「私の非番はあと三時間は残っているはずだが」
「残念ながらその主張は〝女王様〟には通用しなかった。自分で直接呼び出すっていうから、わざわざ俺がここまで迎えにきてやったんだ。ありがたく思え」
「私にとってはどちらも大差ないがね。……何があった?」
「エレナがJと逃げた」
その一言で、ライアンの表情は一変した。
「いつわかった?」
「五分ほど前だ。合流ポイントに現れなかったから、探査して発覚した。まあ、十中八九、エレナはJに脅されているだけだと思うが、共犯には違いないからな。非番だろうが本番だろうが、担当者はすぐに来いっていうのが〝女王様〟の言い分だ」
「やれやれ。どうしてこんな晴れがましい日に、そんな面倒を起こしてくれるのかねえ」
ライアンは天井を見上げて溜め息をつくと、呆然としているよりほかのない達也に向き直った。
「話の途中で申し訳ない。緊急事態が起こってしまった。用が済んだら、また改めて君を迎えにいくから、今日のところは……」
「その小僧も一緒に連れていけばいいだろう」
ライアンをさえぎって、ウムルがぶっきらぼうに言った。
ライアンと達也はそろってウムルを見た。
「は?」
「その小僧もジャンパーだろう。ジャンパーを追いかけるなら、同じジャンパーのほうが小回りがきく」
「それはそうだが、この子は自分がジャンパーだということをまったく自覚していない。ジャンパーの追跡など不可能だ」
達也が文句を言う前に、ライアンがウムルに目を怒らせた。
そのとおりなのだが、そこまではっきり言われてしまうと、何だか腹が立つ。
「それなら、今から自覚させればいいだろう」
あっさりウムルは切り返した。
「といっても急には無理だろうが、とりあえず今は一緒に連れていけ。無自覚のままタイム・ジャンプを繰り返されるほうがずっと厄介だ」
ウムルの言うことも一理あると思ったのか、ライアンは柳眉をひそめて迷っていた。
自分にそんな能力があるとはとても思えないが、まだこのライアンとは別れたくないなと達也は思った。
「あの……行くよ」
小さな声でそう言うと、ライアンは意表を突かれたように達也を見つめた。
「たぶん、何の役にも立たないだろうけど」
「達也……」
「おまえより小僧のほうが物わかりがいいな」
ウムルは鼻で笑って、踵を返した。
「そうと決まればとっとと立て。〝女王様〟はおまえの管制室でお待ちかねだ。……なぜだかな」
***
ウムル、ライアンに続いて部屋の外に出ると、白く光る長い廊下があった。
達也はあっけにとられたが、二人が迷わず左折したので、あわててその後を追った。
「達也、大丈夫? 手をつないでいこうか?」
ライアンが笑顔で振り返って、達也に右手を差し出してきた。
それを見た達也とウムルは、期せずして同じセリフを口にした。
「子供じゃないんだから」
とはいうものの、自分一人であの応接室に戻ることはもう不可能だと、数メートル歩いただけで達也は悟った。どの自動ドアも、みんな同じに見える。
標札が出ているわけでもないのに、どうやって識別しているのか、やがてライアンたちはある自動ドアの前で立ち止まった。ライアンが自動ドアの横の壁――別に何も設置されていない――に右手を押し当てる。それだけで、自動ドアは音もなく左右に開いた。
部屋自体はあまり広くはなかった。ちょうど教室一個分くらいの広さだ。
廊下と同様、床も天井も白く、部屋の中央にある教壇のような座席も白かった。
だが、三方の壁一面には、まるでコインロッカーのように隙間なくモニタが並んでおり、その前に腰かけていた、ライアンたちと同じ制服姿の職員たちは、自動ドアが開いたと同時にいっせいにこちらに顔を向けた。
(みんな外人で、みんな美形だな)
ライアンの後ろに隠れるようにして立っていた達也は、一目見てそう思った。
「私が非番を返上しなくても、君なら一人で対処できるんじゃないのかい、ロゼ」
部屋の隅でただ一人立っていた人物に、ライアンは日本語で嫌味を言った。
(ということは、これが――)
〝女王様〟。
長身で男物の制服を着ていたが――モニタ前に座っていた職員の中には女性もいて、彼女はタイトスカートを穿いていた――組まれた腕の上の胸は適度に膨らんでいる。
艶やかな黒髪を肩先で切りそろえた、ここで達也が初めて見た東洋系の美女だったが、表情が冷然としすぎていて、親近感はまったく湧かなかった。
(なるほど。確かに〝女王様〟)
ウムルがつけた渾名かどうかは知らないが、達也は思いきり納得してしまった。
「連帯責任だ」
低かったが、女の声だった。
おまけに、また日本語。
(もしかして、ここって日本語が公用語?)
そんなことを考えたとき、〝女王様〟――ロゼが明らかに達也を見て言った。
「珍しく日本語を使うと思ったら……それが理由か」
「そう。彼は正真正銘の日本人だ。彼の前では日本語しか使っちゃいけないよ」
――んな無茶苦茶な!
ところが、ロゼは無愛想ながらもこう返した。
「わかった」
――なんで?
達也は思わずそう訊きたくなったが、〝女王様〟に自分から声をかけることはとてもできそうになかった。
「それで、現在の状況は? 居場所の特定自体は難しくないはずだが」
ライアンの問いに、ロゼは赤い唇を歪めて答えた。
「特定だけはな。だが、身柄を確保する前にジャンプされる。おまえのエレナが優秀すぎるからな」
「これはこれは」
満面に笑みをたたえてライアンが応じる。
「お褒めにあずかり至極光栄。しかし、実際に跳んでいるのは君のJだ。エレナはJに脅されて、協力させられているだけだろう」
ロゼは形のよい眉をひそめたが、何も言い返さないところをみると、彼女もライアンと同じことを考えているのだろう。
(でも……よく考えてみたら、ジャンパーがここから〝逃げた〟って表現、変だよな? ここはタイム・マシンを使う未来人のための〈協会〉だったんじゃないのか?)
普段使わない頭を達也はフル回転させた。が、ウムルが無言で肩をつついてきた。
「何だよ? 俺、いま考え事してて忙しいんだけど」
「何を考えているのかは知らんが、たぶんおまえの頭では結論は出ないから無駄だ。そんなことより、おまえは本当に自分の意志ではジャンプできないのか?」
「……今までそんなことした記憶ねえもん」
達也はむっとしたが、ウムルの見解自体は正しかったので、訊かれたことには素直に答えた。
「じゃあ、さっきまでいた応接室に、今から跳んで戻ってみろ」
さりげなくそう言われて、達也はウムルに怪訝な目を向けた。
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