【完結】死セル君。【三魔王シリーズ1】

邦幸恵紀

文字の大きさ
上 下
10 / 13

10

しおりを挟む
 もしもこのとき、幽魔王がもっと別の言葉――たとえば〝友人〟や〝仲間〟――を遣っていたなら、彼は幽魔王を失わずに済んでいたかもしれなかった。
 幽魔王が選んだのは、〝恋人〟や〝家族〟と同じくらい最悪のものだった。

「どういう意味だ。それは」

 硬い声で自分が問うのを彼は聞いた。
 意味など知っていた。これはただの決まり文句だ。幽魔王に言い直す猶予を与えるための。

「おまえはベターハーフ思想を知らないか?」

 だが、幽魔王はさらに最悪の選択をした。呆れたような笑みすら浮かべて。

「〝よりよい半身〟。そういう意味だよ」
「おまえも欲しいのか。それが」

 幽魔王から笑顔が消えた。
 やっと彼の異常に気づいたのだ。同時に、自分が禁句を口にしてしまったことも。

「そんなことは言っていない」

 眉をひそめてそう答える幽魔王は、もう以前のあの冷ややかな空気をまとっていた。
 これまでの彼ならあわてて弁解し、幽魔王の機嫌を直そうとしただろう。また幽魔王もそれを期待していたに違いない。
 しかし、彼は引き下がらなかった。立ち上がり、ソファに座っている幽魔王の近くに歩み寄る。
 ほの暗いルームライトに照らし出されている幽魔王は凶悪なまでに美しい。思わず見とれてしまい、彼はあわてて気を引きしめた。

「それは、人間なのか?」
「僕にわかるはずがないだろう」

 幽魔王はますます不快げな表情になる。ついさっきまで、あれほど優しく微笑んでいたのに。
 逆に言えば、あまりに気分がよかったからこそ、うっかり彼に〝半身〟の存在を話してしまったのだろう。
 このときの幽魔王は、彼に対してというよりも、軽率だった自分に対して憤っていたのかもしれない。人間に深入りする幽魔王に妖魔王たちが神経を尖らせていることは、幽魔王自身がいちばんよく知っていたはずだ。

「だが、おまえは人間だと思っているだろう?」

 図星を突かれて幽魔王は顔をしかめた。
 魔族と違い、幽魔王は嘘をつくのが苦手だ。そうするくらいなら沈黙を守る。このときも幽魔王はそうした。

「俺では、駄目なのか?」

 いけない、ともう一人の彼が心の中で叫んだ。それを言ってしまえば、今まで苦労して積み重ねてきたものが崩れ去ってしまう。
 何も聞かなかったことにして、今日はこのまま帰るのだ。同胞たちに特に人間と親しくしている幽魔王がいないか訊き、見つけしだい、その人間をうまく遠ざけさせ、幽魔王の怒りのほとぼりが醒めた頃、上質な酒を手土産に、何食わぬ顔で再び訪ねる。
 簡単なことだ。今まで何度も繰り返してきたことではないか。幽魔王はつれないが、冷酷ではない。嫌そうな顔をしながらも、なかったことにしてくれるだろう。そうすれば、これまでどおり幽魔王のそばにいられる――

「俺では、おまえの〝半身〟にはなれないのか?」

 ――終わりだ。
 こういうとき、人間たちは〝たががはずれた〟というのだろう。いったんはずれてしまえば、もう元には戻れない。最後まで一気に壊れていくだけだ。
 幽魔王は大きく目を見張っていた。が、何も言わず、苦い笑みを浮かべた。
 幽魔王が何を思ってそんな表情をしたのか、今となってはよくわかる。だが、このときの彼には、いかにも自分を嘲笑っているように見えて、とっさに幽魔王の細い手首をつかんだ。
 初めてのことだった。
 そして、そのあまりの冷たさに、怒りを忘れて慄然とした。

「冷たいだろう?」

 彼の表情でわかったのか、幽魔王は動じることなく穏やかに言った。

「ここだけじゃない。体中がいつもこうだ。火に当たっても、決して温まることはない。おかげで、暑い思いをしたこともないけどね」
「なぜ、こんな……」

 どう考えても、これは尋常な人間の体温ではなかった。たとえるなら、溶けることのない氷。長く触れていると、そこから自分の体温まで奪われていくような心地がする。長年焦がれつづけた幽魔王に、今ようやく触れられたのだという喜びさえ。

「僕の魂のせいだ」

 自分の手首をつかんでいる彼の手に、幽魔王はさらにもう一方の手を重ねた。冷たさが倍になった。

「どの魂も負の性質を持っている。でも、その器である肉体は正だ。互いに引かれあっているが、同時に反発もしあっている。だから、魂は長く肉体の中に留まることができないんだ。僕の魂はね、負の中の負なんだよ。本来なら正であるはずの肉体まで負にねじ曲げてしまうほど。そうでなかったら、五百年も使いつづけることはできないよ」
「しかし、だからと言って、これほど冷たくなるものなのか? これではまるで、死――」

 言いかけて、彼は口ごもった。幽魔王の美しい顔が、ほんのわずかだがこわばったのを見てしまったからだった。

「なぜ、そこでやめるんだ?」

 幽魔王は自虐的に笑った。

「おまえの言うとおりだよ。この体はね、死んでいるんだよ。僕の魂が入りこんだとき、すでにね」       
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】世界の果てで君を待つ

邦幸恵紀
BL
【ファンタジー/傭兵と王子/年齢差/残酷描写多少あり】 宿屋の息子リダルは、〝世界の果て〟を探す中年剣士ウィングエンを護衛に雇い、旅に出た。いつの日か、二人で〝世界の果て〟を見るために。

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

【完結】乙女ゲーの悪役モブに転生しました〜処刑は嫌なので真面目に生きてたら何故か公爵令息様に溺愛されてます〜

百日紅
BL
目が覚めたら、そこは乙女ゲームの世界でしたーー。 最後は処刑される運命の悪役モブ“サミール”に転生した主人公。 死亡ルートを回避するため学園の隅で日陰者ライフを送っていたのに、何故か攻略キャラの一人“ギルバート”に好意を寄せられる。 ※毎日18:30投稿予定

思い込み激しめな友人の恋愛相談を、仕方なく聞いていただけのはずだった

たけむら
BL
「思い込み激しめな友人の恋愛相談を、仕方なく聞いていただけのはずだった」 大学の同期・仁島くんのことが好きになってしまった、と友人・佐倉から世紀の大暴露を押し付けられた名和 正人(なわ まさと)は、その後も幾度となく呼び出されては、恋愛相談をされている。あまりのしつこさに、八つ当たりだと分かっていながらも、友人が好きになってしまったというお相手への怒りが次第に募っていく正人だったが…?

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

愛人は嫌だったので別れることにしました。

伊吹咲夜
BL
会社の先輩である健二と達哉は、先輩・後輩の間柄であり、身体の関係も持っていた。そんな健二のことを達哉は自分を愛してくれている恋人だとずっと思っていた。 しかし健二との関係は身体だけで、それ以上のことはない。疑問に思っていた日、健二が結婚したと朝礼で報告が。健二は達哉のことを愛してはいなかったのか?

フローブルー

とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。 高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

処理中です...