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――幽魔王に人間を愛させてはならない。
妖魔王たちがそう誓い合い、幽魔王に対する監視もこれまで以上に強めたのにもかかわらず、〝二十一番〟を皮切りに幽魔王たちの〝自殺〟は相次いだ。
それはあたかも伝染病のようだった。事実、〝二十一番〟の魂の中には病原体が潜んでいたのだ。〝記憶〟という名の病原体が。
もともとが一つの魂である幽魔王たちは、精神的に多少つながってはいるらしいが、記憶や感覚を共有できるほどではない。だが、他の魂と融合すると、その魂が持っていた記憶まで受け継いでしまうようなのだ。
幽魔王たちはその記憶に共感する。元が同じであるだけに理解するのもたやすいのだろう。そして、自身も同じことをしてしまう。
狂った妖魔王は出なかった。あの〝二十一番〟の妖魔王ほど幽魔王を愛していなかったというより、〝二十一番〟によって耐性がついてしまっていたのだろう。彼らも最初に幽魔王を失っていたなら、あの妖魔王のように狂っていたかもしれなかった。
幽魔王を失った妖魔王は、例外なく妖魔王の名を剥奪され、魔界へと帰された。
以後、人界を訪れることすら禁じられたのである。その中には、かつて彼を妖魔王に推挙してくれた代表者もいた。
監視する対象がなくなったのだから、というのが元・妖魔王を魔界へ帰す理由だったが、真実は、現・妖魔王たちが元・妖魔王に自分たちの幽魔王を奪われることを恐れたためだった。その証拠に、彼らは元・精魔王の処遇については精霊族に一任し、何も意見しなかったのである。
精霊族は魔族のように元・精魔王を精霊界へ強制送還したりはしなかったが、ほとんどの元・精魔王は精霊界へ帰ることを望んだ。〝疲れたから〟というのがその口から一様に出る言葉だった。
妖魔王が無条件に幽魔王を愛してしまうように、精魔王もまた妖魔王を愛してしまう業を負っていた。
妖魔王が愚かしいほど献身的に幽魔王に尽くす姿を見続けるのは、精魔王には大きな苦痛だったことだろう。精魔王にならなければよかったと後悔していた者もいたかもしれぬ。
また、幽魔王が終始妖魔王に冷淡だったのは、救いであったと同時に、ここまで妖魔王がよくしてやっているのにという苛立ちの元でもあっただろう。
精魔王こそ、〝三魔王〟の中で最も複雑な心境と立場に立たされつづけた者に相違なく、そうであればこそ、幽魔王の〝死〟も喜ばしいものであったかもしれなかった。無論、傷心の妖魔王に直接そんなことを言える精魔王はいなかったが。
彼の精魔王も、ずいぶん前から幽魔王のことで彼を責めるのを放棄してしまっていた。
だからと言って、幽魔王を認めたわけではない。この精魔王はあくまで幽魔王とは会おうとしなかった。
本来、精霊族は気分屋なのだが――人が〝妖精〟と呼ぶ種族の大半は精霊族である――きわめて頑迷な面もある。無理に仲良くさせる気は毛頭なかったが、精霊族の手を借りなければならない事態が起こったときのことを考えると、精魔王と疎遠になるのは好ましくない。それゆえ、彼は定期的に精魔王の屋敷を訪ねることにしていた。
そんな彼の魂胆は精魔王にもわかっていたようだが、会いにきてくれるのは嬉しいらしく、いつも笑顔で彼を迎えてくれた。
彼もこの精魔王が嫌いなわけではない。魔族にとって精霊族は気心の知れた相手であり、婚姻している者も少なくない。
しかし、いったん幽魔王を知ってしまったら、精霊族とのぬるま湯のような関係はたちまち色あせてしまう。
幽魔王と一緒にいると気の休まるときがない。どうか笑ってくれるようにと心を砕かねばならないからだ。それにしくじって美しい眉をひそめられた日には、魔界へ逃げ帰りたくなる。
精魔王ではそうならない。見栄も張る気にならないし、時には愚痴さえ漏らす。精魔王が笑っても泣いても、彼はさして気にも留めないだろう。
すまないと思う気持ちもないではない。だが、どうしようもない。
幽魔王が自分に微笑んでくれて、この手に抱かれてくれたら――それきり死んでもかまわないとさえ思ってしまう。
幽魔王に対する想いの深さなら誰にも負けない。彼ほどに幽魔王を大事に思い、愛している者はいないだろう。
幽魔王の孤独も苦悩もすべて知り尽くしているのに、なぜ幽魔王は彼を見ず、何も知らない人間ばかり見つめつづけるのだろう。
人間であるだけで幽魔王の心を捕らえることができるのなら、彼はそうなりたかった。
目玉一つ、腕一本の代償でそうなれるなら、彼はすぐさま目をくりぬき、腕を切り落としただろう。
魔族であることを呪ったのは、ただその一点においてのみ。
魔族であればこそ、幽魔王と長い時間を共にすることができる。しかし、幽魔王に愛されないなら、その時間は無意味だ。たった一瞬であっても、幽魔王の心を手に入れることができるのなら、すべてを失ってもいい。
彼の中に巣食ったその暗い願いは、彼の知らない間に根を広げ、彼を侵食していった。
――少しずつ。少しずつ。ゆっくりと。
そして、あの日。それはとうとう彼を食い破り、彼から永遠に幽魔王を奪ったのである。
妖魔王たちがそう誓い合い、幽魔王に対する監視もこれまで以上に強めたのにもかかわらず、〝二十一番〟を皮切りに幽魔王たちの〝自殺〟は相次いだ。
それはあたかも伝染病のようだった。事実、〝二十一番〟の魂の中には病原体が潜んでいたのだ。〝記憶〟という名の病原体が。
もともとが一つの魂である幽魔王たちは、精神的に多少つながってはいるらしいが、記憶や感覚を共有できるほどではない。だが、他の魂と融合すると、その魂が持っていた記憶まで受け継いでしまうようなのだ。
幽魔王たちはその記憶に共感する。元が同じであるだけに理解するのもたやすいのだろう。そして、自身も同じことをしてしまう。
狂った妖魔王は出なかった。あの〝二十一番〟の妖魔王ほど幽魔王を愛していなかったというより、〝二十一番〟によって耐性がついてしまっていたのだろう。彼らも最初に幽魔王を失っていたなら、あの妖魔王のように狂っていたかもしれなかった。
幽魔王を失った妖魔王は、例外なく妖魔王の名を剥奪され、魔界へと帰された。
以後、人界を訪れることすら禁じられたのである。その中には、かつて彼を妖魔王に推挙してくれた代表者もいた。
監視する対象がなくなったのだから、というのが元・妖魔王を魔界へ帰す理由だったが、真実は、現・妖魔王たちが元・妖魔王に自分たちの幽魔王を奪われることを恐れたためだった。その証拠に、彼らは元・精魔王の処遇については精霊族に一任し、何も意見しなかったのである。
精霊族は魔族のように元・精魔王を精霊界へ強制送還したりはしなかったが、ほとんどの元・精魔王は精霊界へ帰ることを望んだ。〝疲れたから〟というのがその口から一様に出る言葉だった。
妖魔王が無条件に幽魔王を愛してしまうように、精魔王もまた妖魔王を愛してしまう業を負っていた。
妖魔王が愚かしいほど献身的に幽魔王に尽くす姿を見続けるのは、精魔王には大きな苦痛だったことだろう。精魔王にならなければよかったと後悔していた者もいたかもしれぬ。
また、幽魔王が終始妖魔王に冷淡だったのは、救いであったと同時に、ここまで妖魔王がよくしてやっているのにという苛立ちの元でもあっただろう。
精魔王こそ、〝三魔王〟の中で最も複雑な心境と立場に立たされつづけた者に相違なく、そうであればこそ、幽魔王の〝死〟も喜ばしいものであったかもしれなかった。無論、傷心の妖魔王に直接そんなことを言える精魔王はいなかったが。
彼の精魔王も、ずいぶん前から幽魔王のことで彼を責めるのを放棄してしまっていた。
だからと言って、幽魔王を認めたわけではない。この精魔王はあくまで幽魔王とは会おうとしなかった。
本来、精霊族は気分屋なのだが――人が〝妖精〟と呼ぶ種族の大半は精霊族である――きわめて頑迷な面もある。無理に仲良くさせる気は毛頭なかったが、精霊族の手を借りなければならない事態が起こったときのことを考えると、精魔王と疎遠になるのは好ましくない。それゆえ、彼は定期的に精魔王の屋敷を訪ねることにしていた。
そんな彼の魂胆は精魔王にもわかっていたようだが、会いにきてくれるのは嬉しいらしく、いつも笑顔で彼を迎えてくれた。
彼もこの精魔王が嫌いなわけではない。魔族にとって精霊族は気心の知れた相手であり、婚姻している者も少なくない。
しかし、いったん幽魔王を知ってしまったら、精霊族とのぬるま湯のような関係はたちまち色あせてしまう。
幽魔王と一緒にいると気の休まるときがない。どうか笑ってくれるようにと心を砕かねばならないからだ。それにしくじって美しい眉をひそめられた日には、魔界へ逃げ帰りたくなる。
精魔王ではそうならない。見栄も張る気にならないし、時には愚痴さえ漏らす。精魔王が笑っても泣いても、彼はさして気にも留めないだろう。
すまないと思う気持ちもないではない。だが、どうしようもない。
幽魔王が自分に微笑んでくれて、この手に抱かれてくれたら――それきり死んでもかまわないとさえ思ってしまう。
幽魔王に対する想いの深さなら誰にも負けない。彼ほどに幽魔王を大事に思い、愛している者はいないだろう。
幽魔王の孤独も苦悩もすべて知り尽くしているのに、なぜ幽魔王は彼を見ず、何も知らない人間ばかり見つめつづけるのだろう。
人間であるだけで幽魔王の心を捕らえることができるのなら、彼はそうなりたかった。
目玉一つ、腕一本の代償でそうなれるなら、彼はすぐさま目をくりぬき、腕を切り落としただろう。
魔族であることを呪ったのは、ただその一点においてのみ。
魔族であればこそ、幽魔王と長い時間を共にすることができる。しかし、幽魔王に愛されないなら、その時間は無意味だ。たった一瞬であっても、幽魔王の心を手に入れることができるのなら、すべてを失ってもいい。
彼の中に巣食ったその暗い願いは、彼の知らない間に根を広げ、彼を侵食していった。
――少しずつ。少しずつ。ゆっくりと。
そして、あの日。それはとうとう彼を食い破り、彼から永遠に幽魔王を奪ったのである。
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