7 / 13
07
しおりを挟む
奥深い森の中に、その精魔王はいた。
植物でできた巨大な〝檻〟の前で、真っすぐに背筋を伸ばし、端然と正座していた。
その表情は硬く、容易に触れることを許さない厳しさをたたえていた。だが、彼はその凛とした横顔を美しいと思った。もちろん、幽魔王とは比ぶべくもないが。
「笑いに来たのか?」
前を見すえたまま、精魔王は二十三人の妖魔王たちに言い放った。
容姿は儚げであったが、ここからこの精魔王を動かすことは、妖魔王全員の力をもってしても困難なことのように思われた。
「いや」
妖魔王Aはそうとしか答えなかったが、きっとこう続けたかったに違いない。
――我々に〝二十一番〟を笑う資格などない。次にこうなるのは自分かもしれないのだから。
「では、これを始末しに来たのか? 私はもう少し待ってくれと言ったはずだが」
「奴は正気に戻ったか?」
精魔王は答えなかった。
中に閉じこめているものが見えぬよう、〝檻〟は幾重にも固く緑に覆われていた。しかし、その中からかすかに漏れ聞こえる獣じみた咆哮は、妖魔王たちの耳にも届いていた。
おそらく、原形に戻ってしまっているのだろう。そして、それこそ〝二十一番〟が狂ったままだという何よりの証拠だった。
「いつまでもここにこうしておくわけにもいくまい」
真の目的を隠して、Aは古なじみの一人でもある精魔王に柔らかな声をかけた。
「いったん魔界へ帰そう。向こうには結界を張るのが得意な魔族がいくらでもいる。そやつらに交代で任に当たらせよう。その間に、これの正気も戻るやもしれぬ。とにかく、この結界を解いてくれ。あとは我らが引き受ける」
「……嘘つきめ」
呻きに似た低い声で精魔王は罵った。これには百戦錬磨のAでさえ、一瞬たじろいだ。
「魔族は皆嘘つきだ。初めて霊界のが現れたときからな。おまえたちはこれを魔界で殺すつもりだろう。私が魔界へは行けないことをいいことに、殺した後もいけしゃあしゃあと、これがまだ生きていると言うつもりなのだろう。おまえたちの手口は見え透いている」
「狂った魔族は殺さねばならぬ」
精魔王を言いくるめることはできぬとあきらめたか、Aは真実を告げた。
「おまえも知っていようが、一度狂った魔族はまず正気に戻ることはない。死ぬまで破壊と殺戮の衝動に駆られつづけるのだ。精霊族はどう思うか知れぬが、我らにとっては同族の手で殺してやるのがせめてもの情けだ」
「では、おまえたちの汚い手など借りぬ」
精魔王はAに一瞥も与えなかった。
「私が自分でやる」
精魔王が言ったと同時。
〝檻〟を構成していた蔓がほつれ、急速に成長してゆき、その先端を槍のように尖らせた。
何本も。何本も。〝檻〟はさながら針山のようになった。
すべての蔓は、獲物に狙いを定めた蛇のように、鋭い切っ先を〝檻〟へと向けた。と、一気に刺し貫いた。
凄まじい悲鳴を聞いたような気がした。
思わず精魔王を見ると、その表情はまったく変わっていなかった。
もうそのような甘い感傷は捨て去ったのだと、その顔は言っていた。
「魔族は狂うばかりで、自分で自分の命を断つこともできぬのだな」
声も出せない妖魔王たちを尻目に、精魔王は嘲るように言った。
「あの霊界のすらできるのに。まこと、魔族とは手のかかる愚か者よ」
初めて精魔王は妖魔王たちを見た。その小さな顔には晴れやかな笑みが広がっていた。危ない。そう思ったのは彼だけではなかったはずだ。
「私は、できるぞ」
止めようとしたときには、もう遅かった。
精魔王の白い手は、己の首を切り落としていた。
血は流れなかった。精魔王の多くがそうであるように、またたくまに干からび、崩れ、砂塵と化す。それは幽魔王の最後にも似ていた。
魔族、精霊族にも魂はある。だが、幽魔王の故郷である霊界は、あくまで人界の生物のためにあり、彼らの魂を受け入れることはない。
人界にいるかぎり、彼らは死ねばそのまま〝消滅〟するしかない。それゆえ、人界での彼らは人間以上に〝死〟を恐れる。ましてや〝自殺〟など論外だった。
それから長い間、この精魔王の最期の微笑は、彼の脳裏に焼きついて離れなかった。
あのとき、なぜ精魔王は笑ったのだろう。精魔王もまた狂っていたのだろうか。
それこそ、精魔王が魔族を愚か者だと評した理由にほかならなかったのだが、魔族である彼には、精魔王のように最愛の者を失うまで、理解することはできなかったのである。
植物でできた巨大な〝檻〟の前で、真っすぐに背筋を伸ばし、端然と正座していた。
その表情は硬く、容易に触れることを許さない厳しさをたたえていた。だが、彼はその凛とした横顔を美しいと思った。もちろん、幽魔王とは比ぶべくもないが。
「笑いに来たのか?」
前を見すえたまま、精魔王は二十三人の妖魔王たちに言い放った。
容姿は儚げであったが、ここからこの精魔王を動かすことは、妖魔王全員の力をもってしても困難なことのように思われた。
「いや」
妖魔王Aはそうとしか答えなかったが、きっとこう続けたかったに違いない。
――我々に〝二十一番〟を笑う資格などない。次にこうなるのは自分かもしれないのだから。
「では、これを始末しに来たのか? 私はもう少し待ってくれと言ったはずだが」
「奴は正気に戻ったか?」
精魔王は答えなかった。
中に閉じこめているものが見えぬよう、〝檻〟は幾重にも固く緑に覆われていた。しかし、その中からかすかに漏れ聞こえる獣じみた咆哮は、妖魔王たちの耳にも届いていた。
おそらく、原形に戻ってしまっているのだろう。そして、それこそ〝二十一番〟が狂ったままだという何よりの証拠だった。
「いつまでもここにこうしておくわけにもいくまい」
真の目的を隠して、Aは古なじみの一人でもある精魔王に柔らかな声をかけた。
「いったん魔界へ帰そう。向こうには結界を張るのが得意な魔族がいくらでもいる。そやつらに交代で任に当たらせよう。その間に、これの正気も戻るやもしれぬ。とにかく、この結界を解いてくれ。あとは我らが引き受ける」
「……嘘つきめ」
呻きに似た低い声で精魔王は罵った。これには百戦錬磨のAでさえ、一瞬たじろいだ。
「魔族は皆嘘つきだ。初めて霊界のが現れたときからな。おまえたちはこれを魔界で殺すつもりだろう。私が魔界へは行けないことをいいことに、殺した後もいけしゃあしゃあと、これがまだ生きていると言うつもりなのだろう。おまえたちの手口は見え透いている」
「狂った魔族は殺さねばならぬ」
精魔王を言いくるめることはできぬとあきらめたか、Aは真実を告げた。
「おまえも知っていようが、一度狂った魔族はまず正気に戻ることはない。死ぬまで破壊と殺戮の衝動に駆られつづけるのだ。精霊族はどう思うか知れぬが、我らにとっては同族の手で殺してやるのがせめてもの情けだ」
「では、おまえたちの汚い手など借りぬ」
精魔王はAに一瞥も与えなかった。
「私が自分でやる」
精魔王が言ったと同時。
〝檻〟を構成していた蔓がほつれ、急速に成長してゆき、その先端を槍のように尖らせた。
何本も。何本も。〝檻〟はさながら針山のようになった。
すべての蔓は、獲物に狙いを定めた蛇のように、鋭い切っ先を〝檻〟へと向けた。と、一気に刺し貫いた。
凄まじい悲鳴を聞いたような気がした。
思わず精魔王を見ると、その表情はまったく変わっていなかった。
もうそのような甘い感傷は捨て去ったのだと、その顔は言っていた。
「魔族は狂うばかりで、自分で自分の命を断つこともできぬのだな」
声も出せない妖魔王たちを尻目に、精魔王は嘲るように言った。
「あの霊界のすらできるのに。まこと、魔族とは手のかかる愚か者よ」
初めて精魔王は妖魔王たちを見た。その小さな顔には晴れやかな笑みが広がっていた。危ない。そう思ったのは彼だけではなかったはずだ。
「私は、できるぞ」
止めようとしたときには、もう遅かった。
精魔王の白い手は、己の首を切り落としていた。
血は流れなかった。精魔王の多くがそうであるように、またたくまに干からび、崩れ、砂塵と化す。それは幽魔王の最後にも似ていた。
魔族、精霊族にも魂はある。だが、幽魔王の故郷である霊界は、あくまで人界の生物のためにあり、彼らの魂を受け入れることはない。
人界にいるかぎり、彼らは死ねばそのまま〝消滅〟するしかない。それゆえ、人界での彼らは人間以上に〝死〟を恐れる。ましてや〝自殺〟など論外だった。
それから長い間、この精魔王の最期の微笑は、彼の脳裏に焼きついて離れなかった。
あのとき、なぜ精魔王は笑ったのだろう。精魔王もまた狂っていたのだろうか。
それこそ、精魔王が魔族を愚か者だと評した理由にほかならなかったのだが、魔族である彼には、精魔王のように最愛の者を失うまで、理解することはできなかったのである。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
僕らが描いた夢の先へ
むらさきおいも
BL
平和だったこの国はいつしか得体の知れない妖魔に支配されるようになった。
妖魔は人々を操り村や町をどんどん支配していき、一部の村は廃墟と化していた。
師範の元で剣術を学ぶ俺らは、妖魔討伐の戦力として城に常駐し、戦闘態勢を整えている。
その中でも数少ない異能の持ち主のルシア。
彼は癒しの力を持っているが、その力は無限では無いので力の回復が必要となる。
日々討伐に明け暮れ寝るだけでは回復もままらない時は、交わりによって回復させならければならない。
その相手となるのが同じ隊のカイル。
最初は仕方なく受け入れていたものの、カイルの優しさに惹かれていくルシアは自分の気持ちの変化に気がつく…
カイルと離れたくない。
俺は絶対にカイルを守るんだ!
仲間愛も兄弟愛もあるイケメン剣士のキュンキュンラブストーリー♡

いつかコントローラーを投げ出して
せんぷう
BL
オメガバース。世界で男女以外に、アルファ・ベータ・オメガと性別が枝分かれした世界で新たにもう一つの性が発見された。
世界的にはレアなオメガ、アルファ以上の神に選別されたと言われる特異種。
バランサー。
アルファ、ベータ、オメガになるかを自らの意思で選択でき、バランサーの状態ならどのようなフェロモンですら影響を受けない、むしろ自身のフェロモンにより周囲を調伏できる最強の性別。
これは、バランサーであることを隠した少年の少し不運で不思議な出会いの物語。
裏社会のトップにして最強のアルファ攻め
×
最強種バランサーであることをそれとなく隠して生活する兄弟想いな受け
※オメガバース特殊設定、追加性別有り
.

魔力なしの嫌われ者の俺が、なぜか冷徹王子に溺愛される
ぶんぐ
BL
社畜リーマンは、階段から落ちたと思ったら…なんと異世界に転移していた!みんな魔法が使える世界で、俺だけ全く魔法が使えず、おまけにみんなには避けられてしまう。それでも頑張るぞ!って思ってたら、なぜか冷徹王子から口説かれてるんだけど?──
嫌われ→愛され 不憫受け 美形×平凡 要素があります。
※溺愛までが長いです。
※総愛され気味の描写が出てきますが、CPは1つだけです。
Loves、Loved
富井
BL
谷中雅は大学の図書館で年下の山内隼人に告白をされるが、その時はまだ雅は昔の恋人のことを忘れられないでいた。だが、なんとなく始まる隼人との付き合い。それと同じように幼馴染の緑山も、助教授の山波と恋に落ちる。
どうにもならない恋の苦しみと別れたくても別れられない愛に苦しむ男たちの葛藤

【完結】下級悪魔は魔王様の役に立ちたかった
ゆう
BL
俺ウェスは幼少期に魔王様に拾われた下級悪魔だ。
生まれてすぐ人との戦いに巻き込まれ、死を待つばかりだった自分を魔王様ーーディニス様が助けてくれた。
本当なら魔王様と話すことも叶わなかった卑しい俺を、ディニス様はとても可愛がってくれた。
だがそんなディニス様も俺が成長するにつれて距離を取り冷たくなっていく。自分の醜悪な見た目が原因か、あるいは知能の低さゆえか…
どうにかしてディニス様の愛情を取り戻そうとするが上手くいかず、周りの魔族たちからも蔑まれる日々。
大好きなディニス様に冷たくされることが耐えきれず、せめて最後にもう一度微笑みかけてほしい…そう思った俺は彼のために勇者一行に挑むが…

初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。


成り行き番の溺愛生活
アオ
BL
タイトルそのままです
成り行きで番になってしまったら溺愛生活が待っていたというありきたりな話です
始めて投稿するので変なところが多々あると思いますがそこは勘弁してください
オメガバースで独自の設定があるかもです
27歳×16歳のカップルです
この小説の世界では法律上大丈夫です オメガバの世界だからね
それでもよければ読んでくださるとうれしいです
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる