【完結】北条秀一という男

邦幸恵紀

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 大学に入学してから二年が過ぎた。
 店主の愛想の悪さと味の良さが反比例しているこの中華食堂もすっかり行きつけになった。
 だが、いつものように俺の向かいの席に座っていた北条ほうじょう秀一しゅういちは、ラーメンには手をつけないまま、「おい、遠藤えんどう」と不機嫌そうに俺を呼んだ。

「何だよ、いきなり」

 ラーメンのメンマを口に入れかけていた俺は、箸を止めて北条を見やった。ちなみに、俺の下の名前は〝和也かずや〟だが、そちらで北条に呼ばれたことは一度もない。

「あのな」

 一瞬だけ俺と目を合わせてから口早に言う。
 北条の声は非常な低音だ。平均身長の俺よりも頭半分ほど背丈もある。だから、見かけも怖いがしゃべると余計怖いとよく言われる。

「ずっと迷ってたんだけどな……」

 その低音で北条は話しつづける。相変わらず俺のほうは見ない。

「おまえ……つきあってくれないか?」
「つきあう? どこに?」

 即座に俺は問い返した。北条とは学外では飲食店以外行ったことがない。
 北条はようやくまともに俺を見ると、そのまま頭を抱えこんでしまった。
 珍しい。北条が落ちこんでいる。それほど俺はおかしなことを言っただろうか。

「いや……遠藤……俺の〝つきあう〟っていうのは、そういう意味じゃなくて……」

 ほどなく立ち直ったらしい北条は、それでも額から手をはずさなかった。

「その……言いにくいんだが……大学以外でも俺とつきあってくれないかっていう……」

 それで、俺はおそらく今、北条が言わんとしている〝つきあう〟の意味がわかった。わかったが、にわかには信じられなくて──これは当然のことだと思う──まじまじと北条を見た。それに気づいた北条が、あわてて俺から視線をそらせる。
 北条は決して醜男ではない。むしろ並より整っている。もう少し愛想よくすれば、女子からもっと気軽に声をかけられるようになるだろう。そう──男からだって。

「北条」

 北条はこちらにもはっきりわかるほどびくっと身を震わせ、おそるおそる窺うように俺を見た。
 普段の不遜な態度が信じられないほど気弱げな北条。そんな北条を俺が見たのは、もちろんこれが初めてだった。

「一つだけ、おまえに訊いておきたいことがある」
「な、何だ?」

 戦々恐々としながらも、北条が身を乗り出してくる。

「おまえ、俺とつきあって、何するつもりだ?」

 一瞬、北条の表情が凍てついた。その反応が、すでにすべてを物語っていた。
 俺は席を立った。弾かれたように北条が俺を見上げる。何か言おうと北条が口を開くのを、俺は北条自身がいつもするように、睨みつけることによって制した。

「払っとけよ」

 そう言い捨てて、俺は店を出た。
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