【完結】Dance of Death(ダンス・オブ・デス)

邦幸恵紀

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2 夜の駐屯地

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 夜になった。
 前金には安すぎるが、傭兵たちには食料と水が配られた。
 この駐屯地で天幕を使用できるのは、アバリシアの正規軍だけだ。にわか傭兵や渡り傭兵たちは、結局いつもの夜営状態となったが、不満を訴えた者はいなかった。食い物にありつけただけで有り難いと思った者も少なくなかったのだろう。
 出立は早朝。アバリシアが選んだ決戦の地は、ケミネの森を抜けた先にある。クラウドたちは本陣の様子をぎりぎり窺える木々の近くで、食事と仮眠をとることにした。
 火をおこすのはクラウドの数ある仕事のうちの一つである。決して口には出さないが、ランは火が苦手なのだ。
 何しろ寡黙な少年なので理由はわからない。が、おそらく火絡みで嫌な思いをしたのだろう。水浴びしているときに盗み見たかぎりでは、体に火傷の跡はなかったが。

「ラン。少しでも食べておいたほうがいいですよ。珍しいことに白パンです。とてもおいしいですよ」

 いつものように、焚き火から離れたところで毛布を被って座っていたランに、クラウドは軽く表面を焼いたパンと水筒を差し出した。
 干し肉もあるが、この少年は肉類も好まない。普通の人間なら涎を垂れ流しそうな肉の焦げる匂いすら嫌悪する。
 ランはパンと水筒を見つめていたが、やがて渋々といった様子でそれらを受け取った。
 何をしてやっても、ランはクラウドに礼は言わない。
 クラウドもまた、ランに礼は言われたくない。
 ランのためではない。自分のためにクラウドは彼の世話を焼いているのだ。
 この人形のような赤毛の少年傭兵を、戦場以外で死なせないために。

「本当に、ここはもう末期ですね」

 焚き火のそばに戻り、炙った干し肉をかじりながら、ランに話しかける。
 予想どおり、返事はない。しかし、半年も付き合えばさすがに慣れる。ランは答えないが聞いてはいる。ただ、会話をする気がないだけだ。

「身辺調査などまったくせずに、自称傭兵を受け入れている。……もし、その中に敵国の間者がまぎれこんでいたら、いったいどうするつもりなんでしょうね」

 やはり、ランは答えない。もそもそとパンを食べている。
 傭兵に支給されるようなパンと言えば、堅くて食べにくい黒パンが定番だが、この国では違うようだ。さらに、小麦の質がいいのかパン職人の腕がいいのか、適度に柔らかく食べやすい。ランもかなり気に入ったようで、間をおかず咀嚼している。
 そうしている様を見ると、年相応というより、小さな子供のようにも見える。あるいは小動物。クラウドが惹かれたのはこのランではないが、可愛いと思わないでもない。ランには気づかれないように口角をゆるめる。
 今回、クラウドたちがジャドではなくアバリシアについたのは、後のないアバリシアなら、すぐに雇われると踏んだからだった。
 事実、アバリシアは自分たちのような見るからに怪しい二人組でも受け入れた。その時点で、すでに勝敗は決していると言える。
 だが、クラウドもランも報酬は二の次だ。傭兵がいる戦場に立つこと。それがランのほとんど唯一の望みであり、クラウドは自分の目的のために、それに付き合っている。

「ラン。もう一つ食べますか?」

 パンを食べ終えたランに、クラウドはすかさず声をかけた。
 滅多にないことに、ランは小さくうなずいた。クラウドは串刺しにして焼いていたパンを手に取りかけたが、ふと動きを止めて眉をひそめた。

「やれやれ。身辺調査はなくても実技試験はあるんですね」

 そう呟くクラウドの視線の先には、松明や焚き火の光を背に受けた、大柄な黒い人影があった。

「捜したぞ。こんなところにいやがったのか」

 やけに高飛車な声を聞くまでもなく、その人影が昼間自分に切りかかろうとしたあの男だということはわかっていた。

「何か御用ですか?」

 面倒だが無視するわけにもいかない。クラウドは表面上は穏やかに訊ね返した。

「ああ。でも、あんたじゃない。そっちの坊やだ」

 男はにやにやしながら、ランを顎で指した。

 ――いよいよ面倒だ。

 クラウドは目立つのは承知の上で、あえて神父服を着ているが、ランは傭兵としてごく普通の装備をしていても人の目を引いてしまう。
 戦場でならいいが、それ以外の場所では実に不都合だ。ランにとっても。自分にとっても。

「今度はランを〝試す〟おつもりですか?」

 先回りして言うと、男は鼻白んだようだった。

「こう言ったら何ですが、あなた、何様ですか? 実はここの採用官ですか? あの受付の方は否定されていたようですが」
「セオだ!」

 こちらが訊いてもいないのに、男――セオは勝手に名乗りを上げ、昼間のものとは違う剣を抜いた。

「それを使うのは、明日の戦場でいいでしょう」

 もはやクラウドは侮蔑の感情を隠さなかった。

「今ここで切り合いをして、お互い何の得があるというんですか?」
「俺に負けるようだったら、今夜中にここから抜け出せ」

 そう答えたセオの声は、拍子抜けするほど真摯だった。

「そいつなら、傭兵なんざしなくても、他にいくらでも生きる道があるだろ」

 ――たとえば? おまえたち相手の男娼とか?
 クラウドは心の中でセオを嘲笑った。
 ああ、本当に。この世は見た目に惑わされる馬鹿が多すぎる。
 もっとも、そのおかげで自分も今、こうして生きていられるのだが。

「ラン。そういうことらしいですが、どうします?」

 振り返ってランに訊ねると、彼は微妙に不機嫌そうな顔をしていた。
 その表情を見て、今度こそこの男を始末してやろうかとクラウドが考えたとき。
 ランはセオを一瞥もせずに言った。

「断る。面倒だ」

 さすがラン。端的にして率直だ。クラウドはつい笑ってしまった。

「ということですので、どうかお引き取り願えませんか? 明日に備えて、お互いもう休みましょう」

 あっけにとられている様子のセオに、いつもの穏和な元神父の仮面をつけ直して撤収をうながすと、セオは今度は不快そうな目をクラウドに向けた。

「あんた、あの坊やの何なんだ?」

 この質問もこれまで幾度となくされてきた。
 一度ふざけて恋人と答えかけたが、言いきる前にランにナイフで刺されそうになったので、以後はこう答えることにしている。

「幼なじみです。僕が神学校に入るまで、兄弟同然に育ちました」

 本当は兄弟というのがいちばん無難なのだが、自分とランとではあまりにも容姿が違いすぎる。そう説明すると、ランは少しだけ嫌そうな顔をしたが反対はしなかった。恋人よりはましだと思ったのだろう。

「それからまあ、いろいろあって、今は傭兵稼業をしているというわけです。世間ではよくあることでしょう?」
「ああ。でも、神父服着て傭兵してる元神父なんて、あんたしかいないだろうな」

 セオは抜き身のままの剣を何気なく動かした。

「あんたのその得物。いったい何だ?」
「知りたいですか?」

 莞爾と微笑み、傍らに置いていた〝得物〟に手を伸ばす。

「旅の名工に無償で作っていただいた、自慢の逸品なんです……」

 もともとクラウドは忍耐強くはない。否、目的があれば耐えることもできるが、この山男のような傭兵は、クラウドの神経を苛立たせる言動ばかりする。

 ――殺さなければいいんだろう。

 クラウドが半眼になったその瞬間。
 背中に何かをぶつけられた。

「え?」

 あわてて背後を見れば、そこにはランに渡したはずの水筒が落ちており、ランは背から下ろしていた剣の柄に手をかけていた。

「切り合いなら、明日、戦場でしろ」

 相変わらず感情のこもっていないその声は、クラウドだけでなくセオに対しても向けられているようだった。

「ここでいくら切り合っても、金はもらえない」
「はあ……」

 すっかり気を削がれたクラウドが間の抜けた返答をすると、ランは剣の柄から手を離し、再び毛布を被って草むらに横になった。もう寝るということらしい。

「これ以上揉めると、今度はナイフが飛んできますよ」

 クラウドがセオに向かって肩をすくめると、セオは神妙な顔をしてうなずいた。
 ランにその気はまったくなかっただろうが、このときだけクラウドたちはささやかな仲間意識のようなものを抱いたのだった。
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