【完結】輪廻の鳥【R18】

邦幸恵紀

文字の大きさ
上 下
5 / 6
本編

終章  大神官

しおりを挟む
 夜明けを待たず、エレミヤはネブザラダンを帰した。
 時間がないのだ。
 この後のことは、ネブザラダンには見られたくない。たとえ、その記憶は消せるとわかっていても。
 気怠い体をもてあましながら、エレミヤは寝乱れた寝台の上に腰を下ろした。まさに、それを狙いすましたかのように、白い光の球体が部屋の隅に現れた。

「神の使いの降臨か」

 疲れた顔に、エレミヤは皮肉に満ちた笑みを浮かべた。ネブザラダンには一度として見せたことのない表情だった。

 ――また、交わったのか。

 光はエレミヤにだけ聞こえる声で、なじるように言った。

 ――あと少しでおまえは帰れるはずだったのに。いつもいつも、おまえは直前になって罪を犯す。

「仕方あるまい」

 軽く羽織っただけの衣の襟元を押さえて、エレミヤは自嘲気味に笑った。

「あの男が私の前に現れるのは、常に〈降臨祭〉の前なのだから。時が移り、名が変わろうと、あの男は今宵に私を求めるのだから」

 ――帰りたくはないのか。我らの世界へ。

 エレミヤは答えず、ただ笑った。

 ――脆弱な人の体に縛られて、人と交わることを禁じられても、それでもおまえはこの世界に留まりたいのか。同じ過ちを繰り返したいのか。

「過ちか」

 エレミヤは、またあの皮肉めいた笑みを浮かべた。

「人界へ降り、あの男を愛したのは過ちか。おまえたちには、何の関わりもないことだろうに」

 ――我らは……いや、私はおまえを失いたくない。わが同胞よ。

「だから私を捕らえて、主の前へと引き立てたのか。私にこんな罰を与えたのか。――物は言いようだな」

 エレミヤは眉をひそめて、胸を押さえた。苦しい。そろそろこの体にはいられなくなってきたようだ。

 ――それでも、おまえは繰り返す。あの男と恋をする。幾度繰り返せば気がすむのだ。あの男と添い遂げることなど、望むべくもないのに。

「おまえたちにはわかるまい」

 苦悶に歪む顔を上げ、エレミヤは不敵に笑った。

「それでも、私は彼と恋をして、永劫の罰を受ける苦しみのほうを選ぶ」

 ――……百年後にまた迎えにくる。

 そう言い残して、光は消えた。同時に、エレミヤは寝台に倒れこんだ。荒く息をついて肩を抱く。
 エレミヤは――いや、「彼」は汚れた体に長く留まることはできぬ。早急にこの体を捨てて、また新しい器を見つけなければ。まだ汚れを知らぬ、人々が好みそうな美しい男女を。
 もう幾度も繰り返してきた行為。そうして適当な人間を乗っとったら、神託と称して神官たちを迎えにこさせる。簡単なことだ。しょせん神官とは、「彼」のあやつり人形にしかすぎないのだから。
 また、「彼」がこの罰から逃れることも、そう難しいことではない。百年に一度の〈降臨祭〉のとき、清らかな身でいればよい。それだけで「彼」はかの地に帰れる。
 なのに。
 いつも、その直前になって、あの男は現れる。
 遥かな昔、初めて会った、あのときの姿のままで。
 たぶん、これこそが罰。愛する男と巡り会っても、情を交わせぬ、これこそが罰。
 あの男と契って同じことを繰り返すか。それとも、あの男を拒んで、今度こそかの地に帰るか。
 いつも、この〈降臨祭〉の夜に「彼」は決断を迫られる。そして、あの男と契ることのほうを選ぶのだ。いつもいつも。
 肉欲に溺れているわけではなかった。ただ、二度とあの男と会えなくなることが辛いだけだ。
 でも、もしかしたら、自分はこの罰を楽しんでいるのかもしれない。何度でもあの男と巡り会うことができるから。何度でもあの男と恋をすることができるから。
 「彼」はそっとエレミヤから離れた。今の「彼」の姿は人には見えぬ。エレミヤは寝台に長い銀髪を投げ出して、まるで眠っているかのように横たわっていた。
 今年の春、「彼」がエレミヤに憑いたときに、エレミヤの魂は「彼」と同化していた。ゆえに、「彼」が離れれば、エレミヤは、正確にはエレミヤの体は死んでしまう。だが、そのことに対する罪悪感などは「彼」にはない。これでまた一人、死因不明の〈大神官〉が増えたと思うだけだ。後の処理はいつものように、神官たちがうまくやってくれるだろう。
 器を見つける前に、「彼」にはやらねばならないことがあった。
 記憶を消さなくては。
 まず、神殿の衛兵の、今宵ネブザラダンが神殿を訪れたという記憶を。
 次に、ネブザラダンの、今宵神殿を訪れて、エレミヤと契ったという記憶を。

 ――エレミヤが死んだと知ったら、ネブザラダンは悲しむだろうか。

 ふと「彼」は思った。
 それもまた、主の与えた罰だったかもしれない。ネブザラダンが愛したのは、あくまで「エレミヤ」という名の〈大神官〉であり、「彼」ではないのだ。「彼」にとっては、あの男もネブザラダンも、同じ一人の男であっても。
 だから、今度の新しい器は、できるだけエレミヤに似た器にしよう。ネブザラダンが懐かしがって、また神殿を訪れるくらい。そうなっても、もうネブザラダンは自分を求めたりはしないだろうけれど。
 開け放した窓から、「彼」はまだ暗い戸外へと滑り出た。いつか、小鳥を追って転落したあの窓だ。そう思ったとき、「彼」はあの男と初めて会ったときのことを思い出し、思わず笑った。
 あのとき、あの男は傭兵だった。「彼」の背にはまだ輝く翼があり、崖っぷちに腰かけて海を眺めていた。
 たまたま近くを通りかかったらしいあの男は、明らかに人ではない「彼」に、何の屈託もなく、こう声をかけてきたのだった。

 ――その翼は、空を飛べるのか?

  ―了―
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

愛人は嫌だったので別れることにしました。

伊吹咲夜
BL
会社の先輩である健二と達哉は、先輩・後輩の間柄であり、身体の関係も持っていた。そんな健二のことを達哉は自分を愛してくれている恋人だとずっと思っていた。 しかし健二との関係は身体だけで、それ以上のことはない。疑問に思っていた日、健二が結婚したと朝礼で報告が。健二は達哉のことを愛してはいなかったのか?

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜

飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。 でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。 しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。 秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。 美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。 秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

色狂い×真面目×××

135
BL
色狂いと名高いイケメン×王太子と婚約を解消した真面目青年 ニコニコニコニコニコとしているお話です。むずかしいことは考えずどうぞ。

乙女ゲームが俺のせいでバグだらけになった件について

はかまる
BL
異世界転生配属係の神様に間違えて何の関係もない乙女ゲームの悪役令状ポジションに転生させられた元男子高校生が、世界がバグだらけになった世界で頑張る話。

捨て猫はエリート騎士に溺愛される

135
BL
絶賛反抗期中のヤンキーが異世界でエリート騎士に甘やかされて、飼い猫になる話。 目つきの悪い野良猫が飼い猫になって目きゅるんきゅるんの愛される存在になる感じで読んでください。 お話をうまく書けるようになったら続きを書いてみたいなって。 京也は総受け。

処理中です...