宇宙の戦士

邦幸恵紀

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14 女神様かと思った

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 間違えてはいけないと思うと、なぜか間違えてしまう。
 実によくあることだが、水には突っこみたくないと考えていたせいだろう。次に紀里がいたのは、まさしく水の中だった。
 紀里は深い自己嫌悪に陥ったが、幸い、少し顔を上げれば息ができた。咳きこみながら周囲を見回す。
 池、なのだろうか。周りには青々とした木が茂っている。
 冷静になってみれば、胸元までしか深さはなかった。生ぬるい水は濁っていて、とても飲む気にはなれないが、風呂に入りたいという希望は叶ったことになるのか。ただし、水風呂だが。

(それにしても、ここはどこだ?)

 といっても、この星の地理などまるでわからない紀里には無意味な問いだ。
 まだ腹は減っていないが、それも時間の問題だろう。当面欲しいのは、水と食料と寝場所。とりあえず、人のいる場所を探さなくては。ロス・メデスには見つからないように。

(こんなことになるんなら、サバイバル本でも読んどくんだった)

 紀里は本を読むのが嫌いだった。仕方ないから教科書は読むが、本の形をしたものはマンガくらいしか読まない。
 だから、鏡太郎が書いたという本も、結局一度も読まなかった。確か、ペンネームは〝なかたけ〟だったか。児童向けのファンタジー小説を書いていたらしいが、自宅以外で鏡太郎の本を見かけたことがなかったせいもあり、クラスメイトに自分の父親が作家だと自慢したことも一度もなかった。

(とにかく、ここから出ないと)

 濡れて重くなった髪を絞りながら、紀里は岸に向かって歩き出した。と。
 岸辺の木の陰に、誰かがいた。
 思わず足を止めて見つめると、相手もまた大きく目を見張っていた。
 見たところ、まだ十二、三歳くらいの少年だった。目鼻立ちのはっきりとした、浅黒い顔をしている。痩せた体にまとっているのは、薄汚れた白っぽいシャツと半ズボン。かろうじて靴は履いていたが、ボロボロな上に大人用なのかブカブカだった。
 おそらく、ここに水を汲みにきたのだろう。かなり年季の入った白いポリカンのようなものを両手に提げていた。

「ええと……」

 濡れそぼった頭を掻きながら、紀里は少年に話しかけた。

「ごめん、今出るから……」

 もし、ここの水を飲み水にしていたら――紀里は飲みたくないが、せっぱつまればきっと飲む――ここで水浴びしていた自分を不快に思うだろう。とっさに紀里はそう考えたのだった。
 だが、少年は何の反応もせず、大きな黒い瞳でじっと紀里を見つめているばかりである。

(そうか。日本語じゃ通じないよな)

 ばつが悪くて紀里は苦笑いしたが、実は紀里が使った言語は、先ほどロス・メデスと話したときにも使った言語だった。しかし、その自覚はいまだにない。記憶以外にもいろいろ壊れている紀里だった。
 髪と同様、水をたっぷり吸って重くなった制服をうっとうしく思いながら、紀里はようやく池から上がった。すぐに上着ごとワイシャツを脱いで思いきり絞る。
 今の姿になってから、紀里の身体能力は格段に上がっていた。固い制服も何の苦もなく脱水できる。ズボンも脱ぎたかったが、いつ何が起こるかわからない状況で、トランクス一枚にはなりたくなかった。
 紀里が上着を脱ごうとしたとき、少年はあわてて目をそらせかけたが、その胸が平らだとわかると、意外そうな残念そうな表情をした。髪が長いから女だと勘違いされていたようだ。心外すぎるが気持ちはわからないでもない。小学生くらいでも男は男だ。

「あー……ちょっと訊きたいんだけど」

 まだ湿っているワイシャツを羽織りながら、紀里は少年に声をかけた。通じなくても他に言葉を知らないのだ。これで押し通すしかないだろう。
 少年はびくりと肩を震わせたが、逃げ出しはしなかった。不安そうに紀里を見つめ返してくる。

「この近くに、飯が食えそうなところはないかな。俺、道に迷っちゃって……」

 少年は少し首を傾げてから、背後の木々を指さした。
 おそらく、その方向に人が住んでいる場所があるのだろう。もしかしたら、単に自分がどこから来たかを示しているだけかもしれないが。

「そうか。どうもありがとう」

 言葉は通じないながらも、感謝の気持ちは伝わったのか、少年はぎごちなく笑った。笑うと白い大きな歯がよく目立つ。
 そこに何があるのかはわからないが、とりあえず目標はできた。紀里は上着を頭に被り、少年が指さした方向に向かって歩き出した。
 少年は黙ってその後ろ姿を見送っていたが、完全に見えなくなると、ほうと溜め息をついた。

「……女神様かと思った」

 そう言う少年の言語は、多少なまりはあったものの、紀里が使ったそれと同じだった。

 * * *

 少年が指した方向へ向かって歩いていくと、すぐに緑が切れ、また元の砂漠に戻った。
 だが、紀里は騙されたわけではなかった。その砂漠の向こうには、陽炎に揺らめく町があったのだ。
 いまだに日本の高校生としての記憶しか持たない紀里には、茶色い建築物ばかりが密集するその町はひどく殺風景なものに映った。ところどころにこのオアシスを囲むような緑も見えたが、それでも物足りなく思える。
 あの少年はあそこから来たのか。それとも、また別の場所から来たのか。それは紀里にはわからなかったが、とりあえず、あそこなら人はいそうだ。

(目的地が目に見えれば、ちゃんとうまく飛べるかな)

 ここからあの町までそれほど離れてはいないようだったが、灼熱の太陽の下、熱砂の上を歩いていく気にはとうていなれなかった。
 逃げ出さなければ、少なくとも紀里は衣食住の心配をする必要だけはなかっただろう。
 しかし、あの女――ロス・メデスの命令に従うことだけは、どうしてもできなかった。道具扱いされたのにも腹が立ったが、それ以前に、あの命令を遂行すること自体が嫌だった。
 ――ある〝化け物〟を殺すため。
 あの女はそう言った。
 〝化け物〟というからには人間ではないのだろう。それがもし、先ほどの少年のような人々を襲うものならば、紀里も拒みはしなかったが。
 だが、あの女の言う〝化け物〟は違う。
 それは紀里の直感でしかなかったが、他に何を信じろというのだろう。ここにはもう、鏡太郎はいないのだ。

(今度こそ、うまく飛べますように!)

 誰にともなく祈りながら、紀里は今日三度目のテレポートを試みた。
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