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プロローグ
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その子供は、たった一人で、満天の星を見上げていた。
肌寒い、あるものといえば奇怪な形をした岩山と乾いた砂しかない荒野で、凍りついたようにうずくまっていた。
――たった一つの目的のために生み出され、その目的が果たせなかったために見捨てられた哀れな子供。
強い好奇心といくばくかの哀れみから、彼はその子供に声をかけた。
「星が、好きなのか?」
しかし、子供はわずかに肩を動かしただけで、彼を振り返らなかった。
すでにこの子供は、未知のものに対する好奇心も警戒心も失ってしまっているのだ。あるいはもうこの世に自分を害せるものはないのだとたかをくくっているのか。
だが、彼はめげずに言葉を継いだ。
「俺も星を見るのは好きだ。どんなことも、馬鹿馬鹿しく思えるようになるからな。でも、おまえはそうじゃないんだろう?」
子供は何も言わなかった。相変わらず、目を合わせようともしない。
怒りは起こらなかった。子供がそうなるのも無理はないと思った。
何も見ない。何も聞かない。
誰もここから自分を救い出してはくれないのだから。
「あそこに、行きたいか?」
ほんの思いつきで彼は言った。
彼の悪い癖だ。子供と違い、特別な力は何も持たずに生まれてきたのに、なぜか他人の急所を知らないうちに突いてしまう。これで起こさなくてもいい面倒をいくつも起こしている。
このときも、あれほど何の反応も見せなかった子供が、初めて彼を見た。
白銀の髪。紫紺の瞳。精巧だが生気のない整いきった顔。最先端のロボットでさえ、これほど空虚な表情をしていないだろう。
「行きたいのか?」
もう一度、念を押すように訊ねる。
今までどおり、子供が何も言わなければ、彼はこの場を立ち去るつもりだった。意志表示をしない子供を連れ出すほど、彼は慈善家ではない。
「――行きたい」
たどたどしい口調ではあったが、確かに子供はそう言った。
そして、汚れた細い指で、頭上の星空を指した。
「あそこに……行きたい」
子供が指さした方向に目をやりながら、彼は苦笑していた。
気まぐれと言いつつ、最初からそのつもりで自分はここに足を運んだのかもしれない。立場は違えど〝作り出された〟という点で、子供と彼はよく似ている。
「了解、わかった」
子供は指を下ろして、彼を見上げた。その顔には、初めて表情らしきものが浮かんでいた。
驚き。戸惑い。困惑。
子供は、彼がどういうつもりでそう言ったのか、図りかねているのだった。
「望みどおり、おまえをあそこに連れていってやるよ」
それは、子供を作り出したものに対する反逆を意味していた。しかし、彼に子供の居場所を漏らした時点で、すでにそのことは予測されていたのではないかという気がする。
誰かの思惑どおりに動かされるのは癪に障るが、それが自分の意志と一致するうちはおとなしく従っておいてやろう。とりあえず、今はここからこの子供を連れ出してやりたいのだ。
「幸い、船乗りにはツテがある。そいつをだまくらかせば、何とかなるだろう。どうだ? 俺と来るか?」
彼は子供に手を差し伸べた。子供はあっけにとられたようにその手を見つめていたが、やがておずおずと手を伸ばし、つかんだ。
――冷たくて、小さい手だった。
「なら、決まりだ」
彼は子供の手を握って、強引に立たせた。声は出さなかったものの、子供は目を大きく見張っていた。今まで、こういう立たされ方をされたことがなかったらしい。
立たせてみると、子供の背丈は、彼の腰ほどまでしかなかった。
こんな子供に、彼らは〝殺人〟を強要したのだ。――いや。あれはすでに〝人〟ではないのかもしれないが。そして、だからこそこの子供は、生み出されたのかもしれないが。
「じゃあ、行くか……」
子供の名前を呼ぼうとして、彼はこの子供には名前すら与えられていなかったことを思い出した。
「そうだな……まず、おまえの名前を決めなくちゃな……」
子供の手を引きながら、彼は砂地を歩き出した。
子供も、引かれるまま歩き出す。
「そういや、自己紹介がまだだったな。俺の名前は――」
肌寒い、あるものといえば奇怪な形をした岩山と乾いた砂しかない荒野で、凍りついたようにうずくまっていた。
――たった一つの目的のために生み出され、その目的が果たせなかったために見捨てられた哀れな子供。
強い好奇心といくばくかの哀れみから、彼はその子供に声をかけた。
「星が、好きなのか?」
しかし、子供はわずかに肩を動かしただけで、彼を振り返らなかった。
すでにこの子供は、未知のものに対する好奇心も警戒心も失ってしまっているのだ。あるいはもうこの世に自分を害せるものはないのだとたかをくくっているのか。
だが、彼はめげずに言葉を継いだ。
「俺も星を見るのは好きだ。どんなことも、馬鹿馬鹿しく思えるようになるからな。でも、おまえはそうじゃないんだろう?」
子供は何も言わなかった。相変わらず、目を合わせようともしない。
怒りは起こらなかった。子供がそうなるのも無理はないと思った。
何も見ない。何も聞かない。
誰もここから自分を救い出してはくれないのだから。
「あそこに、行きたいか?」
ほんの思いつきで彼は言った。
彼の悪い癖だ。子供と違い、特別な力は何も持たずに生まれてきたのに、なぜか他人の急所を知らないうちに突いてしまう。これで起こさなくてもいい面倒をいくつも起こしている。
このときも、あれほど何の反応も見せなかった子供が、初めて彼を見た。
白銀の髪。紫紺の瞳。精巧だが生気のない整いきった顔。最先端のロボットでさえ、これほど空虚な表情をしていないだろう。
「行きたいのか?」
もう一度、念を押すように訊ねる。
今までどおり、子供が何も言わなければ、彼はこの場を立ち去るつもりだった。意志表示をしない子供を連れ出すほど、彼は慈善家ではない。
「――行きたい」
たどたどしい口調ではあったが、確かに子供はそう言った。
そして、汚れた細い指で、頭上の星空を指した。
「あそこに……行きたい」
子供が指さした方向に目をやりながら、彼は苦笑していた。
気まぐれと言いつつ、最初からそのつもりで自分はここに足を運んだのかもしれない。立場は違えど〝作り出された〟という点で、子供と彼はよく似ている。
「了解、わかった」
子供は指を下ろして、彼を見上げた。その顔には、初めて表情らしきものが浮かんでいた。
驚き。戸惑い。困惑。
子供は、彼がどういうつもりでそう言ったのか、図りかねているのだった。
「望みどおり、おまえをあそこに連れていってやるよ」
それは、子供を作り出したものに対する反逆を意味していた。しかし、彼に子供の居場所を漏らした時点で、すでにそのことは予測されていたのではないかという気がする。
誰かの思惑どおりに動かされるのは癪に障るが、それが自分の意志と一致するうちはおとなしく従っておいてやろう。とりあえず、今はここからこの子供を連れ出してやりたいのだ。
「幸い、船乗りにはツテがある。そいつをだまくらかせば、何とかなるだろう。どうだ? 俺と来るか?」
彼は子供に手を差し伸べた。子供はあっけにとられたようにその手を見つめていたが、やがておずおずと手を伸ばし、つかんだ。
――冷たくて、小さい手だった。
「なら、決まりだ」
彼は子供の手を握って、強引に立たせた。声は出さなかったものの、子供は目を大きく見張っていた。今まで、こういう立たされ方をされたことがなかったらしい。
立たせてみると、子供の背丈は、彼の腰ほどまでしかなかった。
こんな子供に、彼らは〝殺人〟を強要したのだ。――いや。あれはすでに〝人〟ではないのかもしれないが。そして、だからこそこの子供は、生み出されたのかもしれないが。
「じゃあ、行くか……」
子供の名前を呼ぼうとして、彼はこの子供には名前すら与えられていなかったことを思い出した。
「そうだな……まず、おまえの名前を決めなくちゃな……」
子供の手を引きながら、彼は砂地を歩き出した。
子供も、引かれるまま歩き出す。
「そういや、自己紹介がまだだったな。俺の名前は――」
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