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第5章 苦悶の朝
1 右を向いて一秒後*
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目が覚めて、新藤が最初にしたのは、右腕が痺れている原因を知ることだった。
右を向いて一秒後。
(……げ)
新藤は硬直した。
自分の右腕を枕にして、佐京が気持ちよさそうに眠っている。普段の冷ややかな表情が信じられないほどあどけない寝顔だ。
白い肌によく映える墨のような髪が、カーテン越しに入る朝の光を浴びて艶やかに輝いている。軽く開いた赤い唇は今にも甘い吐息を漏らしそうだ。
しばらく新藤は見とれていたが、はっと我に返って自分の体をまさぐり、佐京の肩から布団を少しめくってみた。
(――裸だ)
一気に昨夜のことを思い出し、さーっと血の気が引いていく。
それでも右腕だけは動かそうとしないところが何であるが、新藤は一瞬自分が死んでしまうかと思った。
(おいおいおいおいおい……)
ショックのあまり、新藤は思わず笑った。すっかり下りてしまった長い前髪を、空いた左手で掻き上げる。
(これからいったいどうする気だ? いや、それより何より、こいつ――)
もう一度、今度はそっと右を向いた。
相変わらず、佐京はぐっすりと眠りこんでいる。
新藤は自分の額から左手を離して、やはりそっと佐京の髪に指先を滑らせた。
起きてしまうだろうかと少しの間指を止めたが、その様子はなさそうだったので、そのまま肩の線をなぞり、布団の上からぎごちなく撫でた。
(こいつ、どうして――)
こういう状況になってしまっても、いまだに信じられない。
もしかしたら、これはちょっとリアルすぎる夢なのかもしれない。
そんな夢を見てしまう時点でいかがなものかと自分でも思うが、寝直してまた目を覚ましたら、今度は自分の安アパートの万年床の中にいるのかもしれない。
しかし、新藤がどれほど現実逃避をしようとしても、この右腕に感じる重さと体温はごまかしようがない。
(とにかく……こいつが寝てる間に、今後のことを考えておくか)
いつまでも現実から目をそむけているわけにもいくまい。自分がしでかしてしまったことには最後まで責任は持とう。
とりあえず、今日は日曜で、昼からバイトを入れている。今、新藤はコンビニエンスストアとドラッグストアの二つのバイトを掛け持ちしているが、今日のはドラッグストアのほうだ。
本当は一度自分のアパートに戻ってからバイトへ行きたいが、佐京が起きたらそんな時間はなくなってしまうような気がする。最悪、ここから直行だ。
おそらく、今後は自分のアパートにいるよりも、佐京のこの部屋にいる時間のほうが長くなってしまうだろう。新藤の安アパートでは、佐京のあの喘ぎ声は周りに筒抜けになってしまう。第一、あのアパートに佐京を招くのは、掃きだめに鶴を放りこむようなものだ。新藤には絶対にできない。
昨夜のあれで、佐京は自分の〝恋人〟になった――のだろうか。ほんの二ヶ月ほど前までは挨拶を交わしたこともなく、しかも自分はホモではなかったはずなのに。冷静に振り返ると目眩を起こしそうになる。
(人生、一寸先は本当に闇だな……)
しみじみそう思っていると、佐京が軽く唸って、ゆっくり目を開いた。
佐京も新藤と同様、すぐには状況がつかめなかったようだ。息を詰めて見守る新藤を寝惚けたような顔で凝視していたが、やがて「新藤……?」と不思議そうに訊ねてきた。
「そうだよ。おまえと同じクラスの新藤高広だよ。おはよう。よく眠れたか?」
佐京は不機嫌そうに眉をひそめた。あまり寝起きはよくないらしい。
「今、何時だ?」
「えーと……」
首をひねって、サイドボードの上に置かれているアナログの目覚まし時計を見る。
「八時前だ。眠かったらまだ寝てろ。おまえは今日は何も予定はないんだろ?」
「たぶん」
思考能力も落ちているのか、返事がいいかげんである。
「俺は昼からバイトだからもう起きるよ。佐京、悪いけど頭動かすぞ」
佐京の頭の下から、痺れてもはや感覚のない右腕を抜きとろうとすると、急に佐京が抱きついてきて、新藤の唇に己のそれを押しつけてきた。
突然で驚いたが、佐京もようやく昨夜のことを思い出したのだろう。新藤は佐京を抱きしめ返すと、深く唇を重ねて、互いの舌をからませあった。
このままじゃまずいと新藤が思ったのは、佐京が腰をすりつけて、細い足を巻きつけてきたときだった。
二人とも、体もすっかり目覚めていた。
「佐京!」
何とか佐京の唇から逃れると、新藤は必死で叫んだ。
「シャワー! 借りてもいいか!」
すでに白い肌を紅潮させはじめていた佐京は、がっかりしたような表情を見せたが、新藤がバイトだけは絶対遅刻も欠勤もしたくないと考えていることをよく知っていたので、多少ふてくされ気味ながら、いいよと答えた。
「シャワー浴びてる間に、風呂も入れてきてくれ。やり方わかるか?」
「ああ、わかる。おまえも後で入れよ」
本当は煙草も吸いたかったが、今は一刻も早く佐京と離れなければならなかった。
新藤は佐京の額に触れるだけのキスを急いですると、すばやくベッドを抜け出て、昨夜自分が脱ぎ散らかした服を回収し、浴室に向かって走っていった。
一人ベッドに取り残されてしまった佐京は、不満そうな溜め息を漏らしたが、自分もベッドを下りると、その横にあるクローゼットの扉を開けた。
右を向いて一秒後。
(……げ)
新藤は硬直した。
自分の右腕を枕にして、佐京が気持ちよさそうに眠っている。普段の冷ややかな表情が信じられないほどあどけない寝顔だ。
白い肌によく映える墨のような髪が、カーテン越しに入る朝の光を浴びて艶やかに輝いている。軽く開いた赤い唇は今にも甘い吐息を漏らしそうだ。
しばらく新藤は見とれていたが、はっと我に返って自分の体をまさぐり、佐京の肩から布団を少しめくってみた。
(――裸だ)
一気に昨夜のことを思い出し、さーっと血の気が引いていく。
それでも右腕だけは動かそうとしないところが何であるが、新藤は一瞬自分が死んでしまうかと思った。
(おいおいおいおいおい……)
ショックのあまり、新藤は思わず笑った。すっかり下りてしまった長い前髪を、空いた左手で掻き上げる。
(これからいったいどうする気だ? いや、それより何より、こいつ――)
もう一度、今度はそっと右を向いた。
相変わらず、佐京はぐっすりと眠りこんでいる。
新藤は自分の額から左手を離して、やはりそっと佐京の髪に指先を滑らせた。
起きてしまうだろうかと少しの間指を止めたが、その様子はなさそうだったので、そのまま肩の線をなぞり、布団の上からぎごちなく撫でた。
(こいつ、どうして――)
こういう状況になってしまっても、いまだに信じられない。
もしかしたら、これはちょっとリアルすぎる夢なのかもしれない。
そんな夢を見てしまう時点でいかがなものかと自分でも思うが、寝直してまた目を覚ましたら、今度は自分の安アパートの万年床の中にいるのかもしれない。
しかし、新藤がどれほど現実逃避をしようとしても、この右腕に感じる重さと体温はごまかしようがない。
(とにかく……こいつが寝てる間に、今後のことを考えておくか)
いつまでも現実から目をそむけているわけにもいくまい。自分がしでかしてしまったことには最後まで責任は持とう。
とりあえず、今日は日曜で、昼からバイトを入れている。今、新藤はコンビニエンスストアとドラッグストアの二つのバイトを掛け持ちしているが、今日のはドラッグストアのほうだ。
本当は一度自分のアパートに戻ってからバイトへ行きたいが、佐京が起きたらそんな時間はなくなってしまうような気がする。最悪、ここから直行だ。
おそらく、今後は自分のアパートにいるよりも、佐京のこの部屋にいる時間のほうが長くなってしまうだろう。新藤の安アパートでは、佐京のあの喘ぎ声は周りに筒抜けになってしまう。第一、あのアパートに佐京を招くのは、掃きだめに鶴を放りこむようなものだ。新藤には絶対にできない。
昨夜のあれで、佐京は自分の〝恋人〟になった――のだろうか。ほんの二ヶ月ほど前までは挨拶を交わしたこともなく、しかも自分はホモではなかったはずなのに。冷静に振り返ると目眩を起こしそうになる。
(人生、一寸先は本当に闇だな……)
しみじみそう思っていると、佐京が軽く唸って、ゆっくり目を開いた。
佐京も新藤と同様、すぐには状況がつかめなかったようだ。息を詰めて見守る新藤を寝惚けたような顔で凝視していたが、やがて「新藤……?」と不思議そうに訊ねてきた。
「そうだよ。おまえと同じクラスの新藤高広だよ。おはよう。よく眠れたか?」
佐京は不機嫌そうに眉をひそめた。あまり寝起きはよくないらしい。
「今、何時だ?」
「えーと……」
首をひねって、サイドボードの上に置かれているアナログの目覚まし時計を見る。
「八時前だ。眠かったらまだ寝てろ。おまえは今日は何も予定はないんだろ?」
「たぶん」
思考能力も落ちているのか、返事がいいかげんである。
「俺は昼からバイトだからもう起きるよ。佐京、悪いけど頭動かすぞ」
佐京の頭の下から、痺れてもはや感覚のない右腕を抜きとろうとすると、急に佐京が抱きついてきて、新藤の唇に己のそれを押しつけてきた。
突然で驚いたが、佐京もようやく昨夜のことを思い出したのだろう。新藤は佐京を抱きしめ返すと、深く唇を重ねて、互いの舌をからませあった。
このままじゃまずいと新藤が思ったのは、佐京が腰をすりつけて、細い足を巻きつけてきたときだった。
二人とも、体もすっかり目覚めていた。
「佐京!」
何とか佐京の唇から逃れると、新藤は必死で叫んだ。
「シャワー! 借りてもいいか!」
すでに白い肌を紅潮させはじめていた佐京は、がっかりしたような表情を見せたが、新藤がバイトだけは絶対遅刻も欠勤もしたくないと考えていることをよく知っていたので、多少ふてくされ気味ながら、いいよと答えた。
「シャワー浴びてる間に、風呂も入れてきてくれ。やり方わかるか?」
「ああ、わかる。おまえも後で入れよ」
本当は煙草も吸いたかったが、今は一刻も早く佐京と離れなければならなかった。
新藤は佐京の額に触れるだけのキスを急いですると、すばやくベッドを抜け出て、昨夜自分が脱ぎ散らかした服を回収し、浴室に向かって走っていった。
一人ベッドに取り残されてしまった佐京は、不満そうな溜め息を漏らしたが、自分もベッドを下りると、その横にあるクローゼットの扉を開けた。
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