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第10話 デス
6 誕
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待ち合わせ場所は駅のロッカー前にした。
朝、出社前にロッカーにしまい、夜、退社後に取り出してその場で渡してしまえば、おそらく誰にも見とがめられないはずだ。
不審に思われるかと思ったが、雅美はあっさり了承した。もしかしたら、自分の予備校の前以外なら、どこでも異を唱えないのかもしれない。
本当に、雅美はいつもどこにいるのか、携帯電話で連絡すれば、十五分以内には必ず現れる。鬼頭にしてみれば、雅美も充分〝神出鬼没〟だ。
「珍しいな。こんなところに呼び出すなんて」
実は疑問に思っていたのか、ロッカー横の壁に寄りかかって立っていた鬼頭を見るなり雅美は言った。
今夜も両手はコートのポケットの中に入れられている。ひとまず、今は外敵はいないようだ。
「いや、ここがいちばん都合がいいかなと……」
しかし、よくよく考えてみれば、荷物を持つのが嫌いな雅美にとっては都合が悪いかもしれない。
だが、もうここに呼び出してしまった。ここで渡すしかないだろう。
鬼頭は溜め息を吐き出すと、今まで雅美に見えないように持っていた手提げの紙袋を彼の前に突き出した。
雅美はそれを見つめてから、怪訝そうに眉をひそめた。
「何だ、これは?」
「赤ワイン。俺の好みで適当に買った。本当は今日何歳になったのか知らないが、とりあえず、誕生日おめでとう、雅美」
雅美はポケットから左手を出して――やはり今夜も素手だった――紙袋を受け取ったが、なぜか腑に落ちないような顔をしていた。
「何であんたが俺の誕生日を知っているんだ?」
鬼頭は思わず雅美を凝視した。
しらばっくれているわけではなく、本気でそう思っているようで、喜ぶどころか、警戒しているような気色さえある。
「いや……前におまえ、予備校の学生証を見せてくれたことがあっただろ。そんとき、誕生月日だけは本当だって言ってた。十二月十二日なんて、あまりにも覚えやすい数字だったから、どうしても忘れられなかったんだ」
「あれか」
ようやく合点がいったらしい雅美が呆然と呟く。
「そんなの……あんたが覚えてるとは思わなかった……」
実は、あのとき雅美が予備校の学生証を見せたのは、自分に誕生日を教えるのが目的だったのではないかと勘繰ってもいたのだが、今の様子を見ると、そんなつもりはまったくなかったようだ。
(すまん。雅美)
自分がそんな勘繰りをしていたと告白するわけにもいかず、鬼頭は心の中で雅美に詫びた。
「鬼頭さん」
呼ばれて雅美を見ると、彼はその視線を避けるようにうつむいた。が、今まで聞いたことがないほどか細い声で、絞り出すように言った。
「ありがとう」
先日の手袋のときにも思ったが、雅美は礼を言うのが苦手なようだ。というより、これまで言う機会がなかったのだろう。
そして、鬼頭もまた、雅美に礼を言われ慣れていない。
「あ、ああ……本当に適当に買ったから、味は保証しないぞ。あと、それは飲むなら家で飲め。外では絶対に飲むな」
照れくさくなってぶっきらぼうに返すと、雅美はしばらく黙りこんでから、まるで手探りするように、おそるおそる訊ねてきた。
「あんたは……誕生日、いつ?」
正直言って、驚倒した。普通、誕生日プレゼントをもらったら、儀礼的に相手の誕生日も訊ねるが、雅美がそんな常識的な行動をとるとは、夢にも思っていなかった。
だが、これも雅美には言えない。鬼頭はわざと軽く答えた。
「俺か。俺のはおまえの以上に忘れられないぞ。――二月十四日」
雅美は目を見張ってから、少し噴き出した。
「バレンタインデーか」
「おかげで、俺の誕生日プレゼントは、昔からチョコレートオンリーだ」
本心からぼやくと、雅美は悪戯っぽく笑った。
「じゃあ、俺はダンボール箱いっぱいのチョコレートを贈ってやろう」
「だから、チョコレートばっかりもらってるって言ってるだろうが」
「チョコレート、嫌いなのか?」
「嫌いじゃないが、限度ってもんがあるだろ」
「毎年、持て余すほどもらっているのか」
雅美の声が剣呑な調子を帯びてきた。このままいくと、また話が面倒な方向に転がっていきそうだ。
「あー……ところでおまえ、やっぱり手袋は使いたくないのか?」
苦しまぎれに以前から思っていたことを指摘すると、雅美の表情は一瞬にして固まった。
「……使えば劣化する」
「いや、使いたくないなら使わなくていい。あれは俺の自己満足で買ったんだ、気にするな」
「別に、使いたくないわけじゃなくて……」
しかし、それ以上はどうしても言えない。雅美は嘘をつくのも苦手なのだ。
(たぶん、素手じゃないと、あの白い炎も出せないんだろうな)
鬼頭がそのことに思い至ったのは、実はあの手袋を買ってやった日、この駅で雅美と別れた後だ。
あるいは、あの力を使ったら、手袋ごと燃やしてしまうことになるのかもしれない。本当に自己満足なプレゼントだったなと今さらながら思う。
(でもまあ、話題転換の役には立った)
雅美よりは嘘をつくのは得意な鬼頭は、何とかうまい言い訳をしようと四苦八苦している雅美に、「じゃあ、明日は朝早いからもう帰るな」と言い残すと、そそくさとその場を立ち去ったのだった。
―END―
朝、出社前にロッカーにしまい、夜、退社後に取り出してその場で渡してしまえば、おそらく誰にも見とがめられないはずだ。
不審に思われるかと思ったが、雅美はあっさり了承した。もしかしたら、自分の予備校の前以外なら、どこでも異を唱えないのかもしれない。
本当に、雅美はいつもどこにいるのか、携帯電話で連絡すれば、十五分以内には必ず現れる。鬼頭にしてみれば、雅美も充分〝神出鬼没〟だ。
「珍しいな。こんなところに呼び出すなんて」
実は疑問に思っていたのか、ロッカー横の壁に寄りかかって立っていた鬼頭を見るなり雅美は言った。
今夜も両手はコートのポケットの中に入れられている。ひとまず、今は外敵はいないようだ。
「いや、ここがいちばん都合がいいかなと……」
しかし、よくよく考えてみれば、荷物を持つのが嫌いな雅美にとっては都合が悪いかもしれない。
だが、もうここに呼び出してしまった。ここで渡すしかないだろう。
鬼頭は溜め息を吐き出すと、今まで雅美に見えないように持っていた手提げの紙袋を彼の前に突き出した。
雅美はそれを見つめてから、怪訝そうに眉をひそめた。
「何だ、これは?」
「赤ワイン。俺の好みで適当に買った。本当は今日何歳になったのか知らないが、とりあえず、誕生日おめでとう、雅美」
雅美はポケットから左手を出して――やはり今夜も素手だった――紙袋を受け取ったが、なぜか腑に落ちないような顔をしていた。
「何であんたが俺の誕生日を知っているんだ?」
鬼頭は思わず雅美を凝視した。
しらばっくれているわけではなく、本気でそう思っているようで、喜ぶどころか、警戒しているような気色さえある。
「いや……前におまえ、予備校の学生証を見せてくれたことがあっただろ。そんとき、誕生月日だけは本当だって言ってた。十二月十二日なんて、あまりにも覚えやすい数字だったから、どうしても忘れられなかったんだ」
「あれか」
ようやく合点がいったらしい雅美が呆然と呟く。
「そんなの……あんたが覚えてるとは思わなかった……」
実は、あのとき雅美が予備校の学生証を見せたのは、自分に誕生日を教えるのが目的だったのではないかと勘繰ってもいたのだが、今の様子を見ると、そんなつもりはまったくなかったようだ。
(すまん。雅美)
自分がそんな勘繰りをしていたと告白するわけにもいかず、鬼頭は心の中で雅美に詫びた。
「鬼頭さん」
呼ばれて雅美を見ると、彼はその視線を避けるようにうつむいた。が、今まで聞いたことがないほどか細い声で、絞り出すように言った。
「ありがとう」
先日の手袋のときにも思ったが、雅美は礼を言うのが苦手なようだ。というより、これまで言う機会がなかったのだろう。
そして、鬼頭もまた、雅美に礼を言われ慣れていない。
「あ、ああ……本当に適当に買ったから、味は保証しないぞ。あと、それは飲むなら家で飲め。外では絶対に飲むな」
照れくさくなってぶっきらぼうに返すと、雅美はしばらく黙りこんでから、まるで手探りするように、おそるおそる訊ねてきた。
「あんたは……誕生日、いつ?」
正直言って、驚倒した。普通、誕生日プレゼントをもらったら、儀礼的に相手の誕生日も訊ねるが、雅美がそんな常識的な行動をとるとは、夢にも思っていなかった。
だが、これも雅美には言えない。鬼頭はわざと軽く答えた。
「俺か。俺のはおまえの以上に忘れられないぞ。――二月十四日」
雅美は目を見張ってから、少し噴き出した。
「バレンタインデーか」
「おかげで、俺の誕生日プレゼントは、昔からチョコレートオンリーだ」
本心からぼやくと、雅美は悪戯っぽく笑った。
「じゃあ、俺はダンボール箱いっぱいのチョコレートを贈ってやろう」
「だから、チョコレートばっかりもらってるって言ってるだろうが」
「チョコレート、嫌いなのか?」
「嫌いじゃないが、限度ってもんがあるだろ」
「毎年、持て余すほどもらっているのか」
雅美の声が剣呑な調子を帯びてきた。このままいくと、また話が面倒な方向に転がっていきそうだ。
「あー……ところでおまえ、やっぱり手袋は使いたくないのか?」
苦しまぎれに以前から思っていたことを指摘すると、雅美の表情は一瞬にして固まった。
「……使えば劣化する」
「いや、使いたくないなら使わなくていい。あれは俺の自己満足で買ったんだ、気にするな」
「別に、使いたくないわけじゃなくて……」
しかし、それ以上はどうしても言えない。雅美は嘘をつくのも苦手なのだ。
(たぶん、素手じゃないと、あの白い炎も出せないんだろうな)
鬼頭がそのことに思い至ったのは、実はあの手袋を買ってやった日、この駅で雅美と別れた後だ。
あるいは、あの力を使ったら、手袋ごと燃やしてしまうことになるのかもしれない。本当に自己満足なプレゼントだったなと今さらながら思う。
(でもまあ、話題転換の役には立った)
雅美よりは嘘をつくのは得意な鬼頭は、何とかうまい言い訳をしようと四苦八苦している雅美に、「じゃあ、明日は朝早いからもう帰るな」と言い残すと、そそくさとその場を立ち去ったのだった。
―END―
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