MIDNIGHT

邦幸恵紀

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第8話 フレンド

1 墓穴

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 秋晴れだった。
 しかも、土曜で会社は休み。外出するなら、最高の日和である。
 だが、午前中いっぱいを寝倒してしまった鬼頭には、行きたいところもなければ、やりたいこともなかった。さらに、行かなければならないところも、やらなければならないこともない。
 人間、暇になるとろくなことをしない。暇を持て余した鬼頭は、最近、携帯電話を購入したばかりの少年に、つい電話をかけてしまった。
 少年の名は霧河雅美。女性と見まがうような美しい顔をしているが、別に鬼頭と援助交際しているわけではない。ではどういう関係なんだと訊かれると鬼頭は返答に窮する。
 確かに、毎日のように会って、夕飯を食べたり(食べているのは鬼頭だけだが)、夜の街をぶらついたり、時には幽霊の女の子とだべったりしているのだが、〝友人〟とはあまり呼びたくない。しかし、他に適切な言葉も見つからないので、とりあえずは〝年の離れた友人〟と考えることにしている。
 その友人に、鬼頭は何を話そうと思っていたわけではない。第一、彼とは昨日も会っていた。しいて言うなら、おそらく今就寝中の彼を電話で叩き起こしたらいったいどのような反応を返してくるかという、悪戯心の混ざった好奇心から、その携帯電話にかけたのだった。
 意外なことに、すぐに雅美は出た。だが、それまでに聞いたことがないほど険悪で掠れた声だった。

『何の用だ?』

 寝ていたらしい。もともと鬼頭との連絡用に購入した携帯だから、かけてくるのは鬼頭だけだとわかっている。

「いや別に、用って用はないんだけど」

 予想以上に不機嫌そうなので引く一方、鬼頭はとても楽しかった。ので、ついこんなことを言ってしまう。

「今日は天気もいいし、おまえ誘って、どっか出かけようかなと」

 しばらく、沈黙が落ちた。呆れて眠ってしまったんじゃないかと鬼頭が心配になったとき、ようやく返事が返ってきた。

『どうして昨日のうちにそう言わない』
「今日、突然そういう気分になったんだ」

 それに、この電話はたぶん嫌がらせだ。

「でも、おまえ眠そうだし、俺一人で行くよ。起こして悪かったな。ゆっくり寝ててくれ。じゃ」

 目的を達した鬼頭はすっかり満足して電話を切ろうとしたのだが。

『待て』

 相変わらず低い声で雅美が呼び止めた。

『あんた、いったいどこへ出かけるつもりだ?』
「え? いや、まだ特に、どことは決めてないけど……」

 このあたりで、鬼頭は電話をかけたことを後悔しはじめていた。自分で墓穴を掘るどころか、墓石まで用意してしまったような気がする。

『じゃあ、今すぐここまで迎えにこい。それまでに眠気を覚ます』
「ここまでって……おまえのマンションまでか?」
『他にどこがある』

 眠いせいか、普段にもまして高飛車である。鬼頭は思わず低姿勢になった。

「あの……別に無理にとは……」
『俺が完全な夜行性だと熟知した上で、わざわざかけてきたんだろう。行かないわけにはいくまい』
「……そうですね。すぐにお迎えに参ります」

 浅はかな自分を悔やみながら、鬼頭はそう答えるしかなかった。
 雅美のマンションには、鬼頭は二回ほどしか行ったことがない。それも部屋の前までだ。
 わけあって、ここのマンションのエレベーターは苦手なので、雅美の部屋のある七階まで階段を上るしかない。四捨五入すれば三十歳になる鬼頭にはかなりの重労働だった。

「もうどこへ行くか決めてきたのか?」

 すぐに外に出てきた雅美は、開口一番そう訊いた。
 いつものとおり、黒いコート姿である。彼は結局、真夏もこの格好で押し通した。

「ええと……」

 実は全然考えていなかった。しかし、正直にそう答えれば、ただでさえよくない雅美の機嫌がさらに悪化することは目に見えている。

「そうだ、雅美。おまえ、一応予備校生なんだよな?」
「そうだが……」

 それがいったい何の関係があるんだと鬼頭を睨む。

「よし、じゃあ、今からおまえが行ってる予備校、見に行こう」
「何?」

 そう来るとは思わなかったのか、雅美はあっけにとられていた。

「だいたい、おまえが予備校生だなんて、俺は最初から信じられなかったんだ」

 ここぞとばかりに鬼頭は言いつのる。

「おまえ、籍だけ置いてて、一度も行ったことないんじゃないのか? 毎日こんな昼間に寝てたら、予備校なんて通えないだろ。そもそも、本当に大学に行きたいと思ってるのか? どうせ、今まで学校なんて、通ったこともないんだろうが」

 だって、どうしても想像できないのだ。雅美が一般人と机を並べて勉強している姿、などというものは。
 これは雅美の痛いところを突いたようだ。黙ったまま眉をひそめた。どうやら本当に籍だけで通っていないようである。いや、予備校生だということ自体、嘘なのかもしれない。

「ところで雅美」

 これ以上このことで責めるのは酷かなと思い、鬼頭は話題を変えた。

「俺、ここまで階段で上ってきて、喉渇いてるんだけど」
「エレベーターを使わなかったのか?」

 呆れたと言わんばかりに雅美が目を見張る。

「ちゃんとここに着くかどうかわからないからな」
「ああ……なるほど」

 五月のあの事件のことを思い出したのだろう。雅美は納得したようにうなずいた。

「喉が渇いてるんなら、早く下に降りて、喫茶店にでも入れば……」
「いや、だからな」

 婉曲におまえの部屋に入れてくれと言ったつもりだったのだが、雅美にはうまく伝わらなかったようだ。

「ちょっとおまえの部屋で、茶の一杯でも飲ませてくれと、そう言いたかったんだ、俺としては」

 雅美は困ったように眉根を寄せた。
 人も上げられないほど散らかっているのか。それとも、主義として入れたくないのか。
 いずれにしろ、これでは無理に彼女の部屋に上がりこもうとしている男のようだ。もちろん、鬼頭にはそんなやましい下心はまったくなく、ただ純粋に、雅美がどんな部屋に住んでいるのか興味があっただけなのだが。

「……って、遊びに行く約束だったな。喫茶店行こう、喫茶店。今日は俺がおごってやるから」

 この気まずい沈黙を何とかしようと、鬼頭は不自然なほど明るく笑って歩き出した。
 からかうのは好きだが、無理を言って困らせるのは本意ではない。

「何もないんだ」

 絞り出すような雅美の声が鬼頭を止めた。

「俺の部屋……何もなくて……お茶も、急須も、湯飲みもないんだ。湯を沸かす薬缶やかんも、鍋もない。だから、あんたに茶を飲ませようにも、飲ませようが……」

 うつむいて、いかにもすまないといった様子で言い訳する雅美を、鬼頭は奇妙な感動をもって眺めていた。
 雅美が困惑していたのは、鬼頭を部屋に上げたくなかったからではなく、真実、鬼頭に茶一つ出すことができなかったからなのだ。
 いかなる理由でか、雅美は物を食べることができない。そんな彼に、食器も調理器具も必要ないだろう。普通では考えられないが、雅美ならしごく当然のことである。
 こういうとき、鬼頭は雅美の特殊性を思い知らされる。そして、自分のその特殊性を恥ずかしいと思っているらしい雅美に不思議な感を抱く。
 そもそも、雅美は〝普通でない〟のが〝普通〟だった。出会った頃は雅美自身がそのことを強調していたほどだ。
 だが、今の雅美は、鬼頭の前では滅多に人外の力は使わない。雅美の力が必要になるような危機的状況にならないせいもあるが、事前に雅美がそうならないように回避しているふしもある。時々ではあるが、鬼頭にそこを通るのはやめようと意見することがあるのだ。
 最初がどうであれ、雅美は鬼頭の前ではできるだけ〝普通〟でありたいと思い、そのようにふるまおうとしている。それなのに、彼を助けてやるつもりで、逆に傷つけてしまった。
 しかし、あわてて気にするなと言ったのでは、雅美は余計気にしてしまう。

「家では紅茶は飲まないのか?」

 何でもないように、そう声をかける。

「そうまでして、飲みたいものでもないから……」

 そのかいあってか、雅美はやや顔を上げ、呟くように答えた。

「水でよければ提供できるが……蛇口から直接でもよければ」
「無理にいいよ。我慢できないほどじゃない」

 あくまで喉が渇いたという言葉を信じているらしい雅美に、鬼頭は後ろめたさといじらしさを感じて苦笑する。

「本当は、喉が渇いたというのはついでで、一度おまえの部屋を見てみたいと思ったんだ。でも、かえって余計な気を遣わせちまったな。すまん」

 雅美は大きく瞬きした。怒られるのではないかと思っていたのだが、その口から出たのは気抜けしたような声だった。

「何だ、そんなことか」
「え?」
「それならそうと、最初からそう言えばいいものを……本当に、何もないぞ」

 そう言いながら、雅美はさっさとドアを開け、中に入る。
 どうやら、部屋に上げてくれるらしい。
 あまりにあっさり自分の希望が叶ってしまったので、鬼頭はしばらく呆然としていた。

「どうした? 入らないのか?」

 ドアの陰から雅美が顔を覗かせる。その表情にはまったく屈託がない。お茶は飲ませられないが、部屋を見せる分にはかまわないようだ。

「いや、入るよ。お邪魔します」

 〝普通〟ではない雅美がどんな部屋に住んでいるのか、やはり興味があった。
 鬼頭はドアに手をかけると、未知の空間に足を踏み入れた。
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