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第3章
#12 : 地下室 囚われのマーゴ
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壁の漆喰が湿っている。
外は雨なのだろう。冬の雨は、雪との体感差の為に少し空気が暖かい。
守門は摘蕾の大豪邸の中に充てがわれた一室にいる。
守門のお気に入りの腕時計のアナログ針は、午前七時を少し回った頃だ。
守門が古城で過ごし初めてから、今日で2日目程が経とうとしている。
その生活の中で一番苦痛なのが、この朝食の時間だった。
守門の寝室から食堂まで早く歩いても4分以上かかる。
深夜まで続く"看取り"による睡眠不足の眠い目をこすりながら、たった一枚のトーストやコーヒーにありつくために必要な4分はきびしい。
他人の家だ、それなりの身繕いが必要になる。
そしてそれだけ睡眠をけずっても、いままでの看取りで判ったのは、娘に取り憑いたのは男性格の悪魔の類だという事だけだ。
あまり意味のない結果だつた。
「おめが覚めますように。」
守門の登場を計算したかのように、摘蕾がサーバーから香り高いコーヒーをカップに注いでいた。
「あ?ああ。お早う御座います、…でしたね、摘蕾さん。でも、こんなところにいて…朝の奉仕の方は、いいんですか?今からだと間に合いませんよ。」
摘蕾婦人はこんな状況下でも朝の慈善奉仕活動を続けている。
いやこんな状況だからこそ続けているのかも知れない。
昨日はテーブルの上にミルクピッチャーと籠に入ったバゲット、そしてチーズが置いてあるだけだった。コーヒーは保温ポットの中だった。
摘蕾が用意したスクランブルエッグをかき込みながら守門が訊ねた。
彼の普段の仕事ぶりの影響だった。
食事は速く、食事と共に些末な用件を済ます。
「後片付けは、他の者がしてくれます。我が家にもようやく常駐してくれるメイドさんが見つかったのですよ。それに貴方様が来て下さったので。……私、何もかもが上手く行くような気がしています。」
いかにも貴婦人風に微笑みながら答えた摘蕾は、コーヒーを飲む守門の顔を暫くじっと眺めていた。
「俺の顔に何かついてますか?」
「雨降野神父様が選んだお人の顔の表情。何故貴方が神父様のお気に入りだったのか判ります。とてもチャーミングですよ。」
婦人は選んだと、言った。
つまり守門が雨降野耶蘇児が施設から引き取った養子である事を知っているのだ。
「貴方は何か勘違いをなさってる。父親はあの大震災を何故か人間の贖罪だと捉えていて、彼はその罪滅ぼしの為に、彼の慎ましい生活の中で出来る精一杯の行いとして、孤児を一人引き取る事にしたんです。…つまり彼の目にした中で最も悲しい目をした子どもを選んだんですよ。それが俺。でも悲しい思いをしたのはあそこにいた全員だ…。」
婦人はさも済まなさそうな表情を見せた。
恐らくは、自分の軽率な発言を恥じているのだろう。悪い人ではない…気持ちも強い…ただ余りにも長くお嬢様育ちをしてきた人なのかも知れない、と守門は思った。
地下室に下っていく階段の壁には、ガス灯がしつらえてある。
勿論、核シェルターを兼ねているこの地下室に、ガスなどが送られている訳がない。
照明の中身は、自家発電の電力だ。
全ては摘蕾財閥会長の趣味なのだ。
この城にしても摘蕾財閥会長が、吸血鬼映画に登場するトランベスバニアの古城をイメージして作らせたものだ。
周囲が超高級住宅街だからそれ程目立たなくなるが、建物としてはゲテモノだった。
摘蕾と守門の影が石畳の階段に長く伸びていく。
「この趣味の悪い入り口のスィッチ。もうお祖父様は、専用病院からここへはお帰りになれないのだからと、主人には言ってるんですが…。」と摘蕾婦人が摘蕾財閥会長の胸像の頭部の眼球を押し込むと、目の前の煉瓦作りの壁が二つに割れゴロゴロと動いた。
勿論、煉瓦は装飾用に分厚いスチール扉の表面に貼ってあるだけだ。
摘蕾財閥会長の悪趣味ないたずら笑いが聞こえそうだった。
隠し部屋の奥から硫黄のような臭いが吹き上がってくる。
「…何度嗅いでも耐えられない。この臭い、奴らの体臭だと、耶蘇児様は仰ってました。」
マーガレットが横たえられている部屋の左右の壁には、巨大な円筒の水槽が設置してあり、中には青い水が入っていた。かっては何が飼育されていたのだろう。
「…今まで言えなかったけれど、この部屋は色々と趣味が悪い。俺の父親が悪霊祓いの為にこんな部屋を勧めるとは思えないのだが?…。」
これは監禁だ。良くて籠の鳥…保護とはけして言えない。
「ええ!勿論!これはお爺様の指示というか、お爺様に取り入った偽者の後釜エクソシストが、夫に進言した結果ですわ…。」
いや裏であってもエクソシストであれば、そんな事を言い出す間抜けはいない。
悪魔は反撃してくる。
力の弱いエクソシストなら自分の逃げ道を用意する。
こんな、何時でも密閉空間になるような空間に悪魔と同室したりはしない。
恐らくは、祖父か摘蕾・父の意向におもねる為にそう提案したのだろう。
つまり父の後任者は、本気で悪魔払いをしようと思っていたのではないのだろう。
「最後まで雨降野耶蘇児に任せて下さればよかったのに…父は自分が関わった人間をけっして見捨てたりはしない。その人が拒まないかぎりはね。例えどんな事情があったとしてもだ。」
摘蕾婦人の顔色が曇る。
「二度目も耶蘇児様にお願いするつもりでした…。でも祖父が、同じ人間が二度も悪魔に憑かれるなどはあり得ない。前の悪魔祓いが不十分だったと言い張って。それにマーゴの自殺の事もありましたし。ですから神父様にはその状況さえご連絡出来なかったのです。」
「………。」
守門には、なんとなくだが、三嶋神父がこの悪魔祓いを自分に振り向けて来た意味が見えて来たように思えた。
仏教の考え方だか、世の中のすべてのものごとは、必ずなんらかの原因によって起こる。
ものごとは直接の原因を(因)とし、間接の原因(縁)とする。因と縁がはたらいて生じ、すべては原因と結果の関係でつながっているとされる。
どちらかと云うと雨降野に引き取られるまでの守門は、幼心にもそう云う価値観を自然に持っていた人間だった。
たから震災時における自分の両親との死に別れにもそれに基づく因果を感じているのだ。
勿論、雨降野耶蘇児のやり残した仕事にも…。それを三嶋神父が見越している。
ベッドの枕元にあったスタンドライトに守門は電源を投入した。
光の中にマルガリータの美しい顔がくっきりと浮かび上がる。
守門はその顔を見て、なぜ自分が初対面の摘蕾婦人に強く惹かれたのかをもう一度思い出した。
初めてベッドに横たわるマルガリータを見た時には電撃が走った。
一目惚れだった。
奇妙な時間倒置だが、初めて会った摘蕾婦人に感じた時のあの感覚は、この出逢いへの予行演習だったのだ。
………………………………………………………………………………
「俺は雨降野守門。父、最高位たるエクソシスト・耶蘇児の遺言に依って、このエクソシズムを譲り受けた。お前の正体を知りたい。」
自分の祓魔念波をマルガリータの頭部に伸ばした。
これは信仰から来る力ではない。
だがしかし相手が高級な悪魔なら、面白がってこの念波と問いに答える筈だ。
なぜなら悪魔はとてつもない自信家だから。
『検索単語に該当するデータ、、及びその問いに関するサジェスチョンは有りません。しかし遺言に関するデータは大量に保存してあります。開示しますか?』
コンピュータの合成音の声が、マルガリータの唇から響いた。『人工知能家電か。俺にはユーモアのセンスがあるぞと言いたいのか?馬鹿め…』と守門は思った。
守門は摘蕾婦人に振り向きながら少し下がってくれと目で合図を送る。
部屋にあったもう一つの椅子に、婦人が座ったのを見届けると守門は"語りかけ"を続けた。
『悪魔よ。お前は俺の父と闘った相手だ。どうかそのよしみで、俺が与えられた父の意思を知って欲しい。力の強いお前ならなんということもない筈だ。俺の父は既にこの世になく、君が父とどう闘ったのかも、又これを引き継ぐ資格が俺あるのかも判らない。しかし、俺は君が創造力に富み、更に闘いを愛する柱である事を信じている。』
相手が頭の良い悪魔なら、この歯の浮くような言い方で逆に乗ってくる。面白い遊んでやろう、と思うのだ。
『我が名は……そうだな、名前にはあまり意味はないのだが、この際、分かりやすくしておこうか。我が名はメフィストフェレス。柱達の代弁者である、一等悪魔だ。しかし…残念ながら私は君の父上に折伏されたその悪魔ではない。故に君は父親のやり残した仕事は引き継げない事になる。というより、雨降野耶蘇児は、立派な仕事をしてこの世を去ったのだ。彼の名前は地獄に鳴り響いているよ。但し残念ながら君の思い込みとはちがって、雨降野耶蘇児がこの麗しい娘から祓った悪魔は、ただのつまらない下級悪魔だったがね。』
最後の台詞は声音が女性のものに変わった。
「?!ああ、マルゴの声だわ。」と言う摘蕾婦人の声は既に鼻声だ。
「シッ。黙って聞いていて。」
『後継者よ、君なら知っているかも知れないな?手足のひょろ長い半魚人型の悪魔だよ。奴は、自らをアエーシュマと名乗っていた。アエーシュマは、耶蘇児神父に祓われ呆気なく我々の大地と空である虚無に帰っていった。私はその過程を興味深く観察させてもらっていたよ。なぜなら私は、耶蘇児神父とこの麗しい娘に興味があったからね。』
お前の父親は低級悪魔を祓っただけだ、その息子のお前に何が出来る?趣味の悪い悪意の塊がブワッとマルガリータの唇から吹き上がってくる。
守門は怒りに震える指で、ライトスタンドを消した。
同時に悪魔との接続を切る。
マルガリータは最初に会った眠り姫の状態に戻っている。
「えっ、まだ?!」
「名乗りがあったんだ、これでもう手続きの半分は済んだ。続きは、明日にしましょう。あまりマルガリータさんの身体から悪魔を出し続けたくない。それは彼女の身体にとってかなり負担なんですよ。やる時は一気にやる。それにどういう訳か彼女に取り憑いているメフィストフェレスやらも、彼女の身体をいたわっているように見えた。…普通なら悪魔はあんなにすんなりとは引き下がらない。何しろ奴らの目的は、人間に苦痛を味合わせる事ですからね。…これは少し作戦を練る必要がありそうだ。」
守門にしても、メフィストフェレスのはったりはともかく、自分の事を"柱達の代弁者"と名乗るような悪魔は初めてだった。
「アエーシュマという名は耶蘇児神父からも聞いています。……そして今度の悪魔もマーゴを狙っている。判るでしょ!私の娘の場合は、ただの悪魔憑きじゃない!お願い、最後まで。最後まで娘をお願いします。」
摘蕾婦人が、立ち上がりかけた守門の手を持って哀願した。
『ただの悪魔憑きじゃない、とはどういう意味だ?貴女は自分と娘との間に他人には言えない秘密を持っているのではないか?』と守門は感じたが、その事は口にしなかった。
裏のエクソシズムには良くある事だった。
悪魔憑きとは直接的な関係はないが、被害者の生活背景の中に家族間のDVが隠れていたりするのは珍しい事ではない。
それにそんな裏事情にがっかりするのは自分が甘いからだと守門は思った。
第一、それを言い出せば、人は何故祈るのかと云う問題になる。
………………………………………………………………………………
その夜、守門は不思議な夢を見た。
いや"誰か"に見せられた夢なのかも知れない。
その夢で、守門は自分の身体が悪魔化されたマーゴに変身していく過程を見ることが出来た。
守門の全身の体毛が抜けていく。
肌の色が見る見る内に黒くなっていくのと同時に骨格が変化していく。
悪魔化マーゴのそれが人間の乳房に該当するものであるのかどうかは分からないが、平坦だった守門の胸は盛り上がっていた。
ご丁寧にも股間の生殖器は縮んで行って、やがてその姿を消した。
だが、代わりに姿を現した生殖器は目立った凹部もなく、人間の女性の生殖器ではないようだ。
ひょっとするとこの存在には、生殖と密接に繋がった外見上の「性差」というものがないのかも知れない。
全てがリアルで、夢の蒙昧の映像ではなかった。
守門の身体が、悪魔化マーゴとの融合時に記憶した事を、悪魔化マーゴのイメージ能力がもう一度再生しているようだった。
次に、守門は自分がマルガリータに犯されている夢を見た。
こちらの方は、現実の矛盾を反映させているように解釈される如何にも人間らしい夢だった。
守門は男として女のマルガリータに犯されているのか?それともあの不思議な悪魔化マーゴになった自分を、男に変化したマルガリータに犯されているのか…すべてが曖昧だった。
そして悪魔化マーゴになった自分は、ただ受け身でマルガリータの愛を享受しているわけではなく、犯されながらも、マルガリータの肉を激しく喰らっているのだ、、。
・・・やはりそれは啓示夢だったかも知れない。
外は雨なのだろう。冬の雨は、雪との体感差の為に少し空気が暖かい。
守門は摘蕾の大豪邸の中に充てがわれた一室にいる。
守門のお気に入りの腕時計のアナログ針は、午前七時を少し回った頃だ。
守門が古城で過ごし初めてから、今日で2日目程が経とうとしている。
その生活の中で一番苦痛なのが、この朝食の時間だった。
守門の寝室から食堂まで早く歩いても4分以上かかる。
深夜まで続く"看取り"による睡眠不足の眠い目をこすりながら、たった一枚のトーストやコーヒーにありつくために必要な4分はきびしい。
他人の家だ、それなりの身繕いが必要になる。
そしてそれだけ睡眠をけずっても、いままでの看取りで判ったのは、娘に取り憑いたのは男性格の悪魔の類だという事だけだ。
あまり意味のない結果だつた。
「おめが覚めますように。」
守門の登場を計算したかのように、摘蕾がサーバーから香り高いコーヒーをカップに注いでいた。
「あ?ああ。お早う御座います、…でしたね、摘蕾さん。でも、こんなところにいて…朝の奉仕の方は、いいんですか?今からだと間に合いませんよ。」
摘蕾婦人はこんな状況下でも朝の慈善奉仕活動を続けている。
いやこんな状況だからこそ続けているのかも知れない。
昨日はテーブルの上にミルクピッチャーと籠に入ったバゲット、そしてチーズが置いてあるだけだった。コーヒーは保温ポットの中だった。
摘蕾が用意したスクランブルエッグをかき込みながら守門が訊ねた。
彼の普段の仕事ぶりの影響だった。
食事は速く、食事と共に些末な用件を済ます。
「後片付けは、他の者がしてくれます。我が家にもようやく常駐してくれるメイドさんが見つかったのですよ。それに貴方様が来て下さったので。……私、何もかもが上手く行くような気がしています。」
いかにも貴婦人風に微笑みながら答えた摘蕾は、コーヒーを飲む守門の顔を暫くじっと眺めていた。
「俺の顔に何かついてますか?」
「雨降野神父様が選んだお人の顔の表情。何故貴方が神父様のお気に入りだったのか判ります。とてもチャーミングですよ。」
婦人は選んだと、言った。
つまり守門が雨降野耶蘇児が施設から引き取った養子である事を知っているのだ。
「貴方は何か勘違いをなさってる。父親はあの大震災を何故か人間の贖罪だと捉えていて、彼はその罪滅ぼしの為に、彼の慎ましい生活の中で出来る精一杯の行いとして、孤児を一人引き取る事にしたんです。…つまり彼の目にした中で最も悲しい目をした子どもを選んだんですよ。それが俺。でも悲しい思いをしたのはあそこにいた全員だ…。」
婦人はさも済まなさそうな表情を見せた。
恐らくは、自分の軽率な発言を恥じているのだろう。悪い人ではない…気持ちも強い…ただ余りにも長くお嬢様育ちをしてきた人なのかも知れない、と守門は思った。
地下室に下っていく階段の壁には、ガス灯がしつらえてある。
勿論、核シェルターを兼ねているこの地下室に、ガスなどが送られている訳がない。
照明の中身は、自家発電の電力だ。
全ては摘蕾財閥会長の趣味なのだ。
この城にしても摘蕾財閥会長が、吸血鬼映画に登場するトランベスバニアの古城をイメージして作らせたものだ。
周囲が超高級住宅街だからそれ程目立たなくなるが、建物としてはゲテモノだった。
摘蕾と守門の影が石畳の階段に長く伸びていく。
「この趣味の悪い入り口のスィッチ。もうお祖父様は、専用病院からここへはお帰りになれないのだからと、主人には言ってるんですが…。」と摘蕾婦人が摘蕾財閥会長の胸像の頭部の眼球を押し込むと、目の前の煉瓦作りの壁が二つに割れゴロゴロと動いた。
勿論、煉瓦は装飾用に分厚いスチール扉の表面に貼ってあるだけだ。
摘蕾財閥会長の悪趣味ないたずら笑いが聞こえそうだった。
隠し部屋の奥から硫黄のような臭いが吹き上がってくる。
「…何度嗅いでも耐えられない。この臭い、奴らの体臭だと、耶蘇児様は仰ってました。」
マーガレットが横たえられている部屋の左右の壁には、巨大な円筒の水槽が設置してあり、中には青い水が入っていた。かっては何が飼育されていたのだろう。
「…今まで言えなかったけれど、この部屋は色々と趣味が悪い。俺の父親が悪霊祓いの為にこんな部屋を勧めるとは思えないのだが?…。」
これは監禁だ。良くて籠の鳥…保護とはけして言えない。
「ええ!勿論!これはお爺様の指示というか、お爺様に取り入った偽者の後釜エクソシストが、夫に進言した結果ですわ…。」
いや裏であってもエクソシストであれば、そんな事を言い出す間抜けはいない。
悪魔は反撃してくる。
力の弱いエクソシストなら自分の逃げ道を用意する。
こんな、何時でも密閉空間になるような空間に悪魔と同室したりはしない。
恐らくは、祖父か摘蕾・父の意向におもねる為にそう提案したのだろう。
つまり父の後任者は、本気で悪魔払いをしようと思っていたのではないのだろう。
「最後まで雨降野耶蘇児に任せて下さればよかったのに…父は自分が関わった人間をけっして見捨てたりはしない。その人が拒まないかぎりはね。例えどんな事情があったとしてもだ。」
摘蕾婦人の顔色が曇る。
「二度目も耶蘇児様にお願いするつもりでした…。でも祖父が、同じ人間が二度も悪魔に憑かれるなどはあり得ない。前の悪魔祓いが不十分だったと言い張って。それにマーゴの自殺の事もありましたし。ですから神父様にはその状況さえご連絡出来なかったのです。」
「………。」
守門には、なんとなくだが、三嶋神父がこの悪魔祓いを自分に振り向けて来た意味が見えて来たように思えた。
仏教の考え方だか、世の中のすべてのものごとは、必ずなんらかの原因によって起こる。
ものごとは直接の原因を(因)とし、間接の原因(縁)とする。因と縁がはたらいて生じ、すべては原因と結果の関係でつながっているとされる。
どちらかと云うと雨降野に引き取られるまでの守門は、幼心にもそう云う価値観を自然に持っていた人間だった。
たから震災時における自分の両親との死に別れにもそれに基づく因果を感じているのだ。
勿論、雨降野耶蘇児のやり残した仕事にも…。それを三嶋神父が見越している。
ベッドの枕元にあったスタンドライトに守門は電源を投入した。
光の中にマルガリータの美しい顔がくっきりと浮かび上がる。
守門はその顔を見て、なぜ自分が初対面の摘蕾婦人に強く惹かれたのかをもう一度思い出した。
初めてベッドに横たわるマルガリータを見た時には電撃が走った。
一目惚れだった。
奇妙な時間倒置だが、初めて会った摘蕾婦人に感じた時のあの感覚は、この出逢いへの予行演習だったのだ。
………………………………………………………………………………
「俺は雨降野守門。父、最高位たるエクソシスト・耶蘇児の遺言に依って、このエクソシズムを譲り受けた。お前の正体を知りたい。」
自分の祓魔念波をマルガリータの頭部に伸ばした。
これは信仰から来る力ではない。
だがしかし相手が高級な悪魔なら、面白がってこの念波と問いに答える筈だ。
なぜなら悪魔はとてつもない自信家だから。
『検索単語に該当するデータ、、及びその問いに関するサジェスチョンは有りません。しかし遺言に関するデータは大量に保存してあります。開示しますか?』
コンピュータの合成音の声が、マルガリータの唇から響いた。『人工知能家電か。俺にはユーモアのセンスがあるぞと言いたいのか?馬鹿め…』と守門は思った。
守門は摘蕾婦人に振り向きながら少し下がってくれと目で合図を送る。
部屋にあったもう一つの椅子に、婦人が座ったのを見届けると守門は"語りかけ"を続けた。
『悪魔よ。お前は俺の父と闘った相手だ。どうかそのよしみで、俺が与えられた父の意思を知って欲しい。力の強いお前ならなんということもない筈だ。俺の父は既にこの世になく、君が父とどう闘ったのかも、又これを引き継ぐ資格が俺あるのかも判らない。しかし、俺は君が創造力に富み、更に闘いを愛する柱である事を信じている。』
相手が頭の良い悪魔なら、この歯の浮くような言い方で逆に乗ってくる。面白い遊んでやろう、と思うのだ。
『我が名は……そうだな、名前にはあまり意味はないのだが、この際、分かりやすくしておこうか。我が名はメフィストフェレス。柱達の代弁者である、一等悪魔だ。しかし…残念ながら私は君の父上に折伏されたその悪魔ではない。故に君は父親のやり残した仕事は引き継げない事になる。というより、雨降野耶蘇児は、立派な仕事をしてこの世を去ったのだ。彼の名前は地獄に鳴り響いているよ。但し残念ながら君の思い込みとはちがって、雨降野耶蘇児がこの麗しい娘から祓った悪魔は、ただのつまらない下級悪魔だったがね。』
最後の台詞は声音が女性のものに変わった。
「?!ああ、マルゴの声だわ。」と言う摘蕾婦人の声は既に鼻声だ。
「シッ。黙って聞いていて。」
『後継者よ、君なら知っているかも知れないな?手足のひょろ長い半魚人型の悪魔だよ。奴は、自らをアエーシュマと名乗っていた。アエーシュマは、耶蘇児神父に祓われ呆気なく我々の大地と空である虚無に帰っていった。私はその過程を興味深く観察させてもらっていたよ。なぜなら私は、耶蘇児神父とこの麗しい娘に興味があったからね。』
お前の父親は低級悪魔を祓っただけだ、その息子のお前に何が出来る?趣味の悪い悪意の塊がブワッとマルガリータの唇から吹き上がってくる。
守門は怒りに震える指で、ライトスタンドを消した。
同時に悪魔との接続を切る。
マルガリータは最初に会った眠り姫の状態に戻っている。
「えっ、まだ?!」
「名乗りがあったんだ、これでもう手続きの半分は済んだ。続きは、明日にしましょう。あまりマルガリータさんの身体から悪魔を出し続けたくない。それは彼女の身体にとってかなり負担なんですよ。やる時は一気にやる。それにどういう訳か彼女に取り憑いているメフィストフェレスやらも、彼女の身体をいたわっているように見えた。…普通なら悪魔はあんなにすんなりとは引き下がらない。何しろ奴らの目的は、人間に苦痛を味合わせる事ですからね。…これは少し作戦を練る必要がありそうだ。」
守門にしても、メフィストフェレスのはったりはともかく、自分の事を"柱達の代弁者"と名乗るような悪魔は初めてだった。
「アエーシュマという名は耶蘇児神父からも聞いています。……そして今度の悪魔もマーゴを狙っている。判るでしょ!私の娘の場合は、ただの悪魔憑きじゃない!お願い、最後まで。最後まで娘をお願いします。」
摘蕾婦人が、立ち上がりかけた守門の手を持って哀願した。
『ただの悪魔憑きじゃない、とはどういう意味だ?貴女は自分と娘との間に他人には言えない秘密を持っているのではないか?』と守門は感じたが、その事は口にしなかった。
裏のエクソシズムには良くある事だった。
悪魔憑きとは直接的な関係はないが、被害者の生活背景の中に家族間のDVが隠れていたりするのは珍しい事ではない。
それにそんな裏事情にがっかりするのは自分が甘いからだと守門は思った。
第一、それを言い出せば、人は何故祈るのかと云う問題になる。
………………………………………………………………………………
その夜、守門は不思議な夢を見た。
いや"誰か"に見せられた夢なのかも知れない。
その夢で、守門は自分の身体が悪魔化されたマーゴに変身していく過程を見ることが出来た。
守門の全身の体毛が抜けていく。
肌の色が見る見る内に黒くなっていくのと同時に骨格が変化していく。
悪魔化マーゴのそれが人間の乳房に該当するものであるのかどうかは分からないが、平坦だった守門の胸は盛り上がっていた。
ご丁寧にも股間の生殖器は縮んで行って、やがてその姿を消した。
だが、代わりに姿を現した生殖器は目立った凹部もなく、人間の女性の生殖器ではないようだ。
ひょっとするとこの存在には、生殖と密接に繋がった外見上の「性差」というものがないのかも知れない。
全てがリアルで、夢の蒙昧の映像ではなかった。
守門の身体が、悪魔化マーゴとの融合時に記憶した事を、悪魔化マーゴのイメージ能力がもう一度再生しているようだった。
次に、守門は自分がマルガリータに犯されている夢を見た。
こちらの方は、現実の矛盾を反映させているように解釈される如何にも人間らしい夢だった。
守門は男として女のマルガリータに犯されているのか?それともあの不思議な悪魔化マーゴになった自分を、男に変化したマルガリータに犯されているのか…すべてが曖昧だった。
そして悪魔化マーゴになった自分は、ただ受け身でマルガリータの愛を享受しているわけではなく、犯されながらも、マルガリータの肉を激しく喰らっているのだ、、。
・・・やはりそれは啓示夢だったかも知れない。
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