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第九章
『春の祭典(大いなる犠牲)』#48 : 一杯の掛けそば的な怪異現象
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時々、道の横に張り出した枝が、トヨタGT2000のサイドあたりを引っ掻いていくバシバシという音が聞こえる。
車の塗装に傷が!普通の旧車マニアなら気絶しそうな状況だけど、俊作さんは気にしていないようだ。
それにどの道、この道幅ではこの枝振りを避けようがない。
トヨタGT2000は、まだ深い山道を走り続けているのだ。
もちろんずっと獣道まがいの行程だった訳じゃない。
田舎の道は、ある区間が凄く整備されていたかと思うと、次はこんな所を車が走るのかと言うような場所になったり、それはよくあることだ。
今はその狭い方だった。
時に、狸のような小さな生き物がヘッドライトの輪の中に浮かんで逃げ去っていく。
男の車に乗って、何度か、夜の郊外ドライブに出かけた事があるけれど、シートに座っていて、これほど圧倒的な安心感に包まれた経験はない。
この車に乗っていると、「夜」さえ美しく見えるのだ。
ところで僕は、ドライブ中、観光地でもない山の中に、ぽつんとラブホや食堂が現れる光景を見て僕はそれが不思議で仕方がなかった。
一体だれが、どんなタイミングで、それらを利用するのかが判らなかったからだ。
ラブホの方は、その疑問を抱いて少ししてから、その存在理由を体験的に理解したけど、レストランや食堂は未だに理解できないでいた。
俊作さんの車は、既にどっぷりと暮れてしまった、峠道の抉れ込みに這い蹲るようにしてある一軒の平屋建ての食堂に突っ込んでいった。
窓から煌々ともれる光や、店先で揺れている赤い提灯が、かえって嘘臭い。
広いのかも狭いのかも判らない手入れのない駐車場には、先客のトラックが見事なくらい、数台きちんと隙間なく並んでいた。
俊作さんも何気なく、空いたスペースに自分のトヨタGT2000をスパッと納めてしまう。
「ここだよ。」
「ここ」と言うのは、俊作さんが「ある場所で、少しだけ俺の実験に協力してくれないか」と頼んで来た場所だった。
「怖い目に遭うかも知れないが、あまり取り乱さない事だよ。気の乱れ。そっちの方が危険だからな。」
愛車のトヨタGT2000を降りる直前、僕にそう念押しをした俊作さんは、何故だか難しい顔をしていた。
2ドアクーペのトヨタGT2000から降りてみて、改めて思ったのだが、俊作さんは大きいだけじゃなく、やっぱり背が高かった。
しかも腰高のやつ。
二人で並んだ時、少しだけドキッっとした、、。
「、、、さあ、どうだろうな?出るかな?」
トラックがある駐車場から食堂の入り口まで、10メートルもなかったけれど、どうやら俊作さんの実験は、ここから始まるらしい。
駐車場の地面に、食道の窓の明かりが落ちている。
どこかで虫の声が聞こえた。
夕食時の秋の夜を思い出す。
ただし僕は今、俊作さんと山の中のドライブインの前にいるのだ。
と突然、僕と食堂との間の空間を、何か半透明のものが走り抜けた。
思わず僕は、隣の俊作さんの手を握る。
俊作さんの手首に腕輪数珠があったのを何故か意識した。
走り抜ける?半透明なのにどうして走っているって判るの、、。
息を凝らして見ていると、再びそいつが、僕の目のまえを駆け抜けていく。
ビデオの繰り返し再生みたいだ。
それにそいつは、半透明というよりも空気がゆがんで見えるモノと言った方が近いかも知れない。
今度は、形が確定できないのに、それが人間である事が、何故か判った。
その半透明が、酷く苦しげに、何かを叫びながら走っているのが感じられるからだ。
でもそれはあくまでも感じで、夢の中の出来事と同じで、実際の音を聞いてる訳じゃない。
それにそんな声が、実際に聞こえたら、たまらない。
「やっぱり涼子君にも見えるんだな。、、さあいこう。」
「でも、、。目の前にいるよ、あんなのと、ぶつかったら大変だよ。」
「心配することはない。俺達は、普通に生きてるだけでも、ああいう存在には何度もぶつかっているんだ。みんな気が付かないだけの話だ。俺だって戦闘モードになるか、特別な場所でない限りは感じ取れない。それに奴らに害はない。残留思念の慣性法則みたいなものだと思う。アレ自体にはなんの意志もないんだ。」
俊作さんが歩き出したので、僕も進まざるを得なかった。
こんな場面で、俊作さんの手を離すつもりはない。
「さっきのってなんなの?」
僕は身体を俊作さんに擦り寄せる。
そうすれば守って貰える、「女の子」の特権だ。
そう。僕は怪異を"身を持って知ってしっている"これも一種の特権。
…でも大人の素敵な男性に守って貰える特権は、特別な時にしかやって来ない。
「さっき、涼子君が見たのは、トラックへ飛び込み自殺した奴の姿だ。衝動的にやったらしい。飛び込まれた方は良い迷惑だ。運転手の方もそれで生活が駄目になって、最後には首吊りに追いやられた。いや、こういうのは首つり自殺とはいえんな、他殺だよ。怨んで化けてでたいのは、運転手の方だろう。ところが恨むべき相手はすでに死んでる。因果な話だ。皮肉にも、首を吊った方の幽霊は出てない。、、そういうので、有名な話なんだよ。だが、その飛び込み現場はここから少し離れている。化けて出る場所が違う。たぶん奴は、この食堂に吸い寄せられているんだ。」
物事を悪い方に考えると、物事はその方向で進むみたいだ。
その飛び込み幽霊が、ループ映像みたいに、闇の淀んだ林から再びわき出して、駐車場を横切ってくる。
このままでは、奴と僕達ととが完全にクロスする。
僕は、、その瞬間、俊作さんの手をぎゅっと握りしめ、目を瞑った。
何ともなかった。
呆気ない程だ。
確かに、これで「見えない」のなら、何の問題もない。
僕たちは俊作さんのいう様に、こんな感じで毎日どこかで幽霊たちとぶつかっているのかも知れない。
店内に入った。
けれど俊作さんが言ったような、亡霊を吸い寄せるような魔物は、どこにもいなかった。
新聞を眺めながら、丼物をかき込んでいる人や、まだ運転があるだろうに、ビールを美味そうに飲んでいる人。
まったく普通だ。
「どうするかな。ここは何故か、鴨なんばんが旨いんだよな。」
俊作さんの手が、僕の手の中から、さりげなく抜ける。
嫌という感情も、無関心という感情も残さず、手のひらの暖かさを残したまま、、。
この人、ひょっとして昔はオンナでかなり遊んだ人かもと、一瞬思う。
「だったら、私もそれでいいです。」
車を降りる前は、凄くお腹が減っていたけど、あんなものを見てしまった後じゃ、あまりたくさん食べる気はしない。
俊作さんは、慣れた様子で、カウンターの奥の調理場に向かってなにやら言うと、すたすたと、、親子づれの座っている席に歩いていく。
いかにもトラックの運ちゃんって感じの客が多い中で、その母一人・子一人のペアは珍しくて、最初から気になっていた。
若い母親は化粧い感じの人で、カレーライスを半分以上残したまま鬼草をくゆらしている。
坊やのほうは、ハンバーグ定食を一心不乱に食べ続けている。
「あ”っ。」僕は声にならない声を上げた。
なぜって俊作さんが、その坊やの上に重なるように、どしんと座ってしまったからだ。
母親の方が、もの凄い目で俊作さんを睨む。
何か、俊作さんに文句を言っているのだが、例によって音は聞こえない。
代わりに母親の口からメラメラと炎が吹き出すのが見えた。
俊作さんが危ない、、、僕が母親を突き飛ばそうと駆け出した途端に、二人の身体は一瞬にして消えてしまった。
僕は変な感じで、あの母親が座っていた席に、ストンと腰を下ろしてしまう結果になった。
「俺を助けてくれようとしたみたいだね。礼を言うよ。涼子君は勇気がある。並の女の子なら泣き出しているだろうに。」
僕は並の女の子ではないから、泣き出したりはしないが、僕の手は微かに震えていた。
そうこうしている内に、店の人が、鴨なんばんを盆に乗せて持ってきてくれる。
暫く僕達は、何も言わずにそれを食べた。
鴨なんばんは、俊作さんが言うように美味しかった。
蕎麦は普通だったけれど、鴨とネギが新鮮で、出汁が思い切り上出来だった。
あんな事があっても食べられる事自体が不思議だった。
僕は器のなかに数筋だけ沈んでいる蕎麦を見つめながら、俊作さんに尋ねてみた。
「さっきここにいた人たちは駐車場のと違って、はっきり姿がみえました。それに俊作さんがした事に、怒ってたみたい。」
先に食べ終えたので、例の"特別な煙草"を吸っていた俊作さんは、それを灰皿に捨てるとおもむろに言った。
俊作さんの禁煙期間は短すぎる。
「さっきだって、俺には涼子君が言った親子連れのことは見えていた。ああいうのが、あれ以上はっきり見え始めると、困った事になると思う。今まで見た連中は、存在の在りようとして、俺達に干渉する事が出来ないんだ。通常はそれが限界だと思われてる。」
……存在の在りようとして、俺達に干渉する事が出来ない。俊作さんの言葉が突き刺さった。
…… 千代婆ぁチャンはどうなんだろう!?
「いくらリアルに撮られた映画でも、スクリーンの向こうから手を伸ばして、こちらに触れてくるなんて事がないのと同じだね。だが、それを見ている人間が、気持ちを取り込まれると、奴らは影響力を持ち始める。さっき君は俺に奴らが怒ってたと言ったね?」
「ええ。自分の子どもを俊作さんに下敷きにされて、母親の口から火がでた。」
「、、、それは涼子君の心の動きだよ。」
「えっ、、。」
「奴らは、原則的にそんな事が出来る存在じゃない、、だが、、結果は奴らがそうした事になるんだ、、。これが世の中で起こっている本物の怪異現象の三割がたの説明になると俺は思ってる。」
そう言って俊作さんは、自分の手のひらを上にむけてテーブルの上に突き出してくる。
「蕎麦代なら、私が二人分払います。ご馳走してもらってばかりだし、、」
俊作さんは、にこにこ笑って返事をしない。
僕は、やっと気がついて、自分の手を俊作さんの手の平の上にのせた。
俊作さんが僕の手を握りしめると、僕の手の細かな震えが完全にとまった。
「食べた気がしなかっただろう?済まないね、つまらない事につき合わせてしまった。でも俺にとっちゃ君があれを見られるかどうかは重要な事だったんだ。」
・・・・
僕たちはそんなふうにして店を出た。
ふと見上げた夜空は先程まで天空を覆っていた雲がきれて、煌々と光る満月が出ていた。
「ねぇ、あんな親子を吸い込む場の力みたいな何かが、この食堂にあるんですか?」
「一杯のかけそば的心かな、、あっ時代が違うか?いや、つまらん冗談だよ。…そいつは知らない方がいい。原因と結果は綺麗に繋がるとは限らない。良き始まりが必ずしもハッピーエンドになるとは限らないってこと。」
俊作さんは意味深に言った。
それにしても俊作さんは、いつになく饒舌だった。
でもそれが、僕が相手だからそうなるのなら、とっても嬉しい事だった。
「君には、俺がどう見えているのか分からないが、俺は昔から自分の力を過信してずいぶん酷い事を沢山して来たんだよ。鷹見家に預けられた時間で、目が覚めた部分も沢山ある。あれがなかったら、今でもああいった力任せの事をやっていたかも知れない。まあ、言い方を変えると、鷹見での謹慎の価値は、それくらい大きかったと言うことかな。」
所長もオカルト探偵と言われた男だが、怪異に向き合う姿勢は、随分、俊作さんとは違っていた。
基本、俊作さんには、怪異に対する恐れというものがなく、それを現実世界の延長として当たり前のように捉えているようだった。
ただ俊作さんは、自分という存在がなぜ、こういったものが見えるのかという意味を知りたがっているようだった。
「この前、運転手を止めただろう。あの時から少しずつ、俺がこういうものが見えたり特別な力を持っている事自体に、実は深い意味があるのかも知れないと考え始めたんだよ。何かの意味があって力が与えられた。でも、ただ単に俺がヤワになり始めているという可能性も否定できない。かと言って俺のような男は、こういうガキぽい悩みは、誰にも相談できない事なんだよ。」
それは確かにそうだと思う。
第一、相談された方が凄く困るだろう。
俊作さんは圧倒的に相談を受ける側のオーラを持った人間だからだ。
「それで、その相談相手、いや実験相手が私なんですか?」
「んまあ、そう云うのもある。君は繊細で"特別"だから、俺が見ているものも感じるかも知れないと思ってね。そうなら、俺が狂ってないってことになる。君は期待以上だった。」
見立てとしては当たっているかも知れない。
所長と一緒に片付けたオカルト絡みの仕事の際、所長には感じられなかった怪異を僕は幾つか感じていたからだ。
でも自分じゃ、制御出来ないあの力を除いては霊感少年みたいな自覚はまったくない。
千代婆ぁチャンの事だって、未だに、霊に憑依されているという感覚はない。
でもタイミング的には、今まさに僕は俊作さんがいう様な世界の構造が見え始めているのかも知れない。
多分、所長が今まで僕を連れ回して来た現場の霊的な磁気が、前提にあり、そして今回の人探しの体験。
磁石の側に鉄をずっと置いておくと磁力を帯びるのと一緒だ。
「でも二人共、狂ってるって事はないんですか?」
例えば俊作さんがこの世界の裏に潜んでいる邪悪を討滅する為に力を持ったとしょう。
それだからと言って、千代婆ぁチャンの為に動いている僕が正義の側にいるとは限らないし、第一、これらの力自体は元から意味がないのかも知れない。
「面白い事を言うな。君は、至ってまともだよ。」
そうだろうか、、と僕は内心思ったが、それは口には出さなかった。
俊作さんはこのままで大丈夫そうだけど、僕の方は判らない、、。
車の塗装に傷が!普通の旧車マニアなら気絶しそうな状況だけど、俊作さんは気にしていないようだ。
それにどの道、この道幅ではこの枝振りを避けようがない。
トヨタGT2000は、まだ深い山道を走り続けているのだ。
もちろんずっと獣道まがいの行程だった訳じゃない。
田舎の道は、ある区間が凄く整備されていたかと思うと、次はこんな所を車が走るのかと言うような場所になったり、それはよくあることだ。
今はその狭い方だった。
時に、狸のような小さな生き物がヘッドライトの輪の中に浮かんで逃げ去っていく。
男の車に乗って、何度か、夜の郊外ドライブに出かけた事があるけれど、シートに座っていて、これほど圧倒的な安心感に包まれた経験はない。
この車に乗っていると、「夜」さえ美しく見えるのだ。
ところで僕は、ドライブ中、観光地でもない山の中に、ぽつんとラブホや食堂が現れる光景を見て僕はそれが不思議で仕方がなかった。
一体だれが、どんなタイミングで、それらを利用するのかが判らなかったからだ。
ラブホの方は、その疑問を抱いて少ししてから、その存在理由を体験的に理解したけど、レストランや食堂は未だに理解できないでいた。
俊作さんの車は、既にどっぷりと暮れてしまった、峠道の抉れ込みに這い蹲るようにしてある一軒の平屋建ての食堂に突っ込んでいった。
窓から煌々ともれる光や、店先で揺れている赤い提灯が、かえって嘘臭い。
広いのかも狭いのかも判らない手入れのない駐車場には、先客のトラックが見事なくらい、数台きちんと隙間なく並んでいた。
俊作さんも何気なく、空いたスペースに自分のトヨタGT2000をスパッと納めてしまう。
「ここだよ。」
「ここ」と言うのは、俊作さんが「ある場所で、少しだけ俺の実験に協力してくれないか」と頼んで来た場所だった。
「怖い目に遭うかも知れないが、あまり取り乱さない事だよ。気の乱れ。そっちの方が危険だからな。」
愛車のトヨタGT2000を降りる直前、僕にそう念押しをした俊作さんは、何故だか難しい顔をしていた。
2ドアクーペのトヨタGT2000から降りてみて、改めて思ったのだが、俊作さんは大きいだけじゃなく、やっぱり背が高かった。
しかも腰高のやつ。
二人で並んだ時、少しだけドキッっとした、、。
「、、、さあ、どうだろうな?出るかな?」
トラックがある駐車場から食堂の入り口まで、10メートルもなかったけれど、どうやら俊作さんの実験は、ここから始まるらしい。
駐車場の地面に、食道の窓の明かりが落ちている。
どこかで虫の声が聞こえた。
夕食時の秋の夜を思い出す。
ただし僕は今、俊作さんと山の中のドライブインの前にいるのだ。
と突然、僕と食堂との間の空間を、何か半透明のものが走り抜けた。
思わず僕は、隣の俊作さんの手を握る。
俊作さんの手首に腕輪数珠があったのを何故か意識した。
走り抜ける?半透明なのにどうして走っているって判るの、、。
息を凝らして見ていると、再びそいつが、僕の目のまえを駆け抜けていく。
ビデオの繰り返し再生みたいだ。
それにそいつは、半透明というよりも空気がゆがんで見えるモノと言った方が近いかも知れない。
今度は、形が確定できないのに、それが人間である事が、何故か判った。
その半透明が、酷く苦しげに、何かを叫びながら走っているのが感じられるからだ。
でもそれはあくまでも感じで、夢の中の出来事と同じで、実際の音を聞いてる訳じゃない。
それにそんな声が、実際に聞こえたら、たまらない。
「やっぱり涼子君にも見えるんだな。、、さあいこう。」
「でも、、。目の前にいるよ、あんなのと、ぶつかったら大変だよ。」
「心配することはない。俺達は、普通に生きてるだけでも、ああいう存在には何度もぶつかっているんだ。みんな気が付かないだけの話だ。俺だって戦闘モードになるか、特別な場所でない限りは感じ取れない。それに奴らに害はない。残留思念の慣性法則みたいなものだと思う。アレ自体にはなんの意志もないんだ。」
俊作さんが歩き出したので、僕も進まざるを得なかった。
こんな場面で、俊作さんの手を離すつもりはない。
「さっきのってなんなの?」
僕は身体を俊作さんに擦り寄せる。
そうすれば守って貰える、「女の子」の特権だ。
そう。僕は怪異を"身を持って知ってしっている"これも一種の特権。
…でも大人の素敵な男性に守って貰える特権は、特別な時にしかやって来ない。
「さっき、涼子君が見たのは、トラックへ飛び込み自殺した奴の姿だ。衝動的にやったらしい。飛び込まれた方は良い迷惑だ。運転手の方もそれで生活が駄目になって、最後には首吊りに追いやられた。いや、こういうのは首つり自殺とはいえんな、他殺だよ。怨んで化けてでたいのは、運転手の方だろう。ところが恨むべき相手はすでに死んでる。因果な話だ。皮肉にも、首を吊った方の幽霊は出てない。、、そういうので、有名な話なんだよ。だが、その飛び込み現場はここから少し離れている。化けて出る場所が違う。たぶん奴は、この食堂に吸い寄せられているんだ。」
物事を悪い方に考えると、物事はその方向で進むみたいだ。
その飛び込み幽霊が、ループ映像みたいに、闇の淀んだ林から再びわき出して、駐車場を横切ってくる。
このままでは、奴と僕達ととが完全にクロスする。
僕は、、その瞬間、俊作さんの手をぎゅっと握りしめ、目を瞑った。
何ともなかった。
呆気ない程だ。
確かに、これで「見えない」のなら、何の問題もない。
僕たちは俊作さんのいう様に、こんな感じで毎日どこかで幽霊たちとぶつかっているのかも知れない。
店内に入った。
けれど俊作さんが言ったような、亡霊を吸い寄せるような魔物は、どこにもいなかった。
新聞を眺めながら、丼物をかき込んでいる人や、まだ運転があるだろうに、ビールを美味そうに飲んでいる人。
まったく普通だ。
「どうするかな。ここは何故か、鴨なんばんが旨いんだよな。」
俊作さんの手が、僕の手の中から、さりげなく抜ける。
嫌という感情も、無関心という感情も残さず、手のひらの暖かさを残したまま、、。
この人、ひょっとして昔はオンナでかなり遊んだ人かもと、一瞬思う。
「だったら、私もそれでいいです。」
車を降りる前は、凄くお腹が減っていたけど、あんなものを見てしまった後じゃ、あまりたくさん食べる気はしない。
俊作さんは、慣れた様子で、カウンターの奥の調理場に向かってなにやら言うと、すたすたと、、親子づれの座っている席に歩いていく。
いかにもトラックの運ちゃんって感じの客が多い中で、その母一人・子一人のペアは珍しくて、最初から気になっていた。
若い母親は化粧い感じの人で、カレーライスを半分以上残したまま鬼草をくゆらしている。
坊やのほうは、ハンバーグ定食を一心不乱に食べ続けている。
「あ”っ。」僕は声にならない声を上げた。
なぜって俊作さんが、その坊やの上に重なるように、どしんと座ってしまったからだ。
母親の方が、もの凄い目で俊作さんを睨む。
何か、俊作さんに文句を言っているのだが、例によって音は聞こえない。
代わりに母親の口からメラメラと炎が吹き出すのが見えた。
俊作さんが危ない、、、僕が母親を突き飛ばそうと駆け出した途端に、二人の身体は一瞬にして消えてしまった。
僕は変な感じで、あの母親が座っていた席に、ストンと腰を下ろしてしまう結果になった。
「俺を助けてくれようとしたみたいだね。礼を言うよ。涼子君は勇気がある。並の女の子なら泣き出しているだろうに。」
僕は並の女の子ではないから、泣き出したりはしないが、僕の手は微かに震えていた。
そうこうしている内に、店の人が、鴨なんばんを盆に乗せて持ってきてくれる。
暫く僕達は、何も言わずにそれを食べた。
鴨なんばんは、俊作さんが言うように美味しかった。
蕎麦は普通だったけれど、鴨とネギが新鮮で、出汁が思い切り上出来だった。
あんな事があっても食べられる事自体が不思議だった。
僕は器のなかに数筋だけ沈んでいる蕎麦を見つめながら、俊作さんに尋ねてみた。
「さっきここにいた人たちは駐車場のと違って、はっきり姿がみえました。それに俊作さんがした事に、怒ってたみたい。」
先に食べ終えたので、例の"特別な煙草"を吸っていた俊作さんは、それを灰皿に捨てるとおもむろに言った。
俊作さんの禁煙期間は短すぎる。
「さっきだって、俺には涼子君が言った親子連れのことは見えていた。ああいうのが、あれ以上はっきり見え始めると、困った事になると思う。今まで見た連中は、存在の在りようとして、俺達に干渉する事が出来ないんだ。通常はそれが限界だと思われてる。」
……存在の在りようとして、俺達に干渉する事が出来ない。俊作さんの言葉が突き刺さった。
…… 千代婆ぁチャンはどうなんだろう!?
「いくらリアルに撮られた映画でも、スクリーンの向こうから手を伸ばして、こちらに触れてくるなんて事がないのと同じだね。だが、それを見ている人間が、気持ちを取り込まれると、奴らは影響力を持ち始める。さっき君は俺に奴らが怒ってたと言ったね?」
「ええ。自分の子どもを俊作さんに下敷きにされて、母親の口から火がでた。」
「、、、それは涼子君の心の動きだよ。」
「えっ、、。」
「奴らは、原則的にそんな事が出来る存在じゃない、、だが、、結果は奴らがそうした事になるんだ、、。これが世の中で起こっている本物の怪異現象の三割がたの説明になると俺は思ってる。」
そう言って俊作さんは、自分の手のひらを上にむけてテーブルの上に突き出してくる。
「蕎麦代なら、私が二人分払います。ご馳走してもらってばかりだし、、」
俊作さんは、にこにこ笑って返事をしない。
僕は、やっと気がついて、自分の手を俊作さんの手の平の上にのせた。
俊作さんが僕の手を握りしめると、僕の手の細かな震えが完全にとまった。
「食べた気がしなかっただろう?済まないね、つまらない事につき合わせてしまった。でも俺にとっちゃ君があれを見られるかどうかは重要な事だったんだ。」
・・・・
僕たちはそんなふうにして店を出た。
ふと見上げた夜空は先程まで天空を覆っていた雲がきれて、煌々と光る満月が出ていた。
「ねぇ、あんな親子を吸い込む場の力みたいな何かが、この食堂にあるんですか?」
「一杯のかけそば的心かな、、あっ時代が違うか?いや、つまらん冗談だよ。…そいつは知らない方がいい。原因と結果は綺麗に繋がるとは限らない。良き始まりが必ずしもハッピーエンドになるとは限らないってこと。」
俊作さんは意味深に言った。
それにしても俊作さんは、いつになく饒舌だった。
でもそれが、僕が相手だからそうなるのなら、とっても嬉しい事だった。
「君には、俺がどう見えているのか分からないが、俺は昔から自分の力を過信してずいぶん酷い事を沢山して来たんだよ。鷹見家に預けられた時間で、目が覚めた部分も沢山ある。あれがなかったら、今でもああいった力任せの事をやっていたかも知れない。まあ、言い方を変えると、鷹見での謹慎の価値は、それくらい大きかったと言うことかな。」
所長もオカルト探偵と言われた男だが、怪異に向き合う姿勢は、随分、俊作さんとは違っていた。
基本、俊作さんには、怪異に対する恐れというものがなく、それを現実世界の延長として当たり前のように捉えているようだった。
ただ俊作さんは、自分という存在がなぜ、こういったものが見えるのかという意味を知りたがっているようだった。
「この前、運転手を止めただろう。あの時から少しずつ、俺がこういうものが見えたり特別な力を持っている事自体に、実は深い意味があるのかも知れないと考え始めたんだよ。何かの意味があって力が与えられた。でも、ただ単に俺がヤワになり始めているという可能性も否定できない。かと言って俺のような男は、こういうガキぽい悩みは、誰にも相談できない事なんだよ。」
それは確かにそうだと思う。
第一、相談された方が凄く困るだろう。
俊作さんは圧倒的に相談を受ける側のオーラを持った人間だからだ。
「それで、その相談相手、いや実験相手が私なんですか?」
「んまあ、そう云うのもある。君は繊細で"特別"だから、俺が見ているものも感じるかも知れないと思ってね。そうなら、俺が狂ってないってことになる。君は期待以上だった。」
見立てとしては当たっているかも知れない。
所長と一緒に片付けたオカルト絡みの仕事の際、所長には感じられなかった怪異を僕は幾つか感じていたからだ。
でも自分じゃ、制御出来ないあの力を除いては霊感少年みたいな自覚はまったくない。
千代婆ぁチャンの事だって、未だに、霊に憑依されているという感覚はない。
でもタイミング的には、今まさに僕は俊作さんがいう様な世界の構造が見え始めているのかも知れない。
多分、所長が今まで僕を連れ回して来た現場の霊的な磁気が、前提にあり、そして今回の人探しの体験。
磁石の側に鉄をずっと置いておくと磁力を帯びるのと一緒だ。
「でも二人共、狂ってるって事はないんですか?」
例えば俊作さんがこの世界の裏に潜んでいる邪悪を討滅する為に力を持ったとしょう。
それだからと言って、千代婆ぁチャンの為に動いている僕が正義の側にいるとは限らないし、第一、これらの力自体は元から意味がないのかも知れない。
「面白い事を言うな。君は、至ってまともだよ。」
そうだろうか、、と僕は内心思ったが、それは口には出さなかった。
俊作さんはこのままで大丈夫そうだけど、僕の方は判らない、、。
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