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第七章
『極東ファンタジア トッカータとフーガ』#35 スナップドラゴン
しおりを挟むその巨大倉庫群は、浪速二区の外れの寂れた工場地帯にあった。
つまり一級河川である酔象川の川原に近い。
昔の難波森は大きな湿地帯でその外れは酔象川が流れていたそうだ。
三方を山に囲まれた京都盆地と山科盆地に囲まれた京都とは、都市の成り立ちが違うのだ。
一つの倉庫の大きさは、アメリカに本社がある某・会員制倉庫型店舗くらいの規模だ。
倉庫前の広場には数台の車が止めてある。
乏しい街灯の光の下でも判るほどの、いずれも場所柄に似合わない高級車だ。
内側から少し光が漏れている大きな倉庫の入り口には、数人の物騒そうな男達がたむろしていて僕たちが近づいていくと、中で一番頭の良さそうな男が出迎え役をかって出てきた。
ピアノの白の鍵盤見たいな歯並びを持つ映画俳優のジョン・レグイザモに良く似ている。
愛嬌があるのに、そのくせ凄く獰猛な感じのする不思議な顔立ちだった。
浪速二区には東洋系以外にも様々な人種がいる。
俊作さんが、その男に名刺のような紙切れを手渡すと、それを見た男は俺に付いてこいと顎をしゃくる。
おそらく紙切れは、"ソーヤ"辺りが書いた紹介状なんだろう。
なんだか映画の一場面みたいだけれど、これは現実のことだった。
それにこうやって都市伝説が期せずして現実の姿を現し始めると、僕が探し求めている鬼猿が"死体で発見!!"なんて懸念も出てきた。
「誉さん。ここから先は俺は入場できません。、、でも中では何も起こらんでしょう。起こるとすれば外だ。あるいは、あなたが軽率な行動をとった時か、、、この街で遊び慣れている貴方だ。俺の言っている意味はおわかりでしょう?止めるなら今ですよ。」
「例えば、誰かが此所のことを密告して、警察が踏み込んで来たらという事だよな、望む所だよ。俺はそれなら、いくらでも軽率な行動をとってやるさ。親父の為にね、」
どうしてこの子は、こんなに自分の父親の事を強く憎んでいるんだろう?、、それを考えると何故か僕は頭が痛くなった。
けれど僕のその頭の痛みは、倉庫の扉が開けられた時に嘘のようにとれていた。
"今は違う"、探しものに集中すべき時だ。
僕は昔、所長が教えてくれた、クリスマスに西洋でやるというスナップドラゴンという遊びの事を思い出した。
用意した浅めのお皿にレーズンを載せて、ブランデーをかける。
そのブランデーに火をつけ、全てが燃えているうちに素手でレーズンを掴み取って食べるという危険な遊び、、。
所長によると、この遊びには色々な起源や意味があるそうなのだが、僕が聞いた中では「ドラゴン召喚」説が一番面白かった。
冬の森の中で、これをやるとドラゴンが寄ってくるのだとか、、、。
扉が開けられた途端に、がらんとした倉庫の広い空間が現れるのかと思ったが、そこにあったのは大型コンテナを並べて作ったと思われる迷路の様な細長いトンネル状の通路だった。
それにこの鉄製の腸内空間の内部には、多数の人間が蠢いている気配が充満していた。
「クラブ・チェルノボグにようこそ。入場する前に此処でマスクを付けてもらいますよ。そしてクラブから出るまではそのマスクを取らないこと。更に、クラブから出る時は必ず、あんた達だけにしてもらいたい。出る時に、この人と中でオトモダチになりました、ってのは駄目だ。」
ジョン・レグイザモが慣れた口調で言う。
イントネーションは少し妙だが流暢な日本語だ。この台詞を何度も繰り返しているのかも知れない。
僕は後を振り返ってみたが、もちろん俊作さんの姿はなかった。
「客同士は、お互いの事を知る必要はない。そういうことだね。」
そう言った鷹見クンをジョン・レグイザモがじろりと睨む。
「若造君は口数が多い、、いずれその口で身を滅ぼすぞ。だが今は中に飾って在るものを見て、この世の真実を知るといい。」
男は冗談めかしてそう言いながら、僕たちをコンテナで作られた受付ブースに案内した。
男のいうマスクは、頭部全体をびっちりと覆うラバー製の黒光りするガスマスクだった。
ただしマスクの口元にある筈のフィルターは外されており、その穴から辛うじて口を外気に触れさせる事が出来る。
ノーネクタイで高級なスーツを着崩した鷹見クンと、娼婦然とした僕が昆虫の頭のように見えるガスマスクを被ると、二人とも何か変な生き物になったような気がした。
「そのマスク、気に入ったなら持って帰ってもらっていい。サツに踏み込まれたらそれを被ったまま逃げることだ。まあ、あり得ないがね。会場はこのドアの向こうだ、帰る時はこのコンテナから、、、俺じゃないかも知れないが、誰かが詰めている。帰ると、一言声をかけてくれればいい。俺の名はロドリゲスだ。覚えておいてくれ。」
ロドリゲスって偽名に決まってる筈だけど、まさか、映画「三人のエンジェル」に登場するチチ・ロドリゲスをもじっているのかしら?
確かにチチ・ロドリゲスは、ジョン・レグイザモが演じているけど、あれはドラァグクイーンの役どころだ。
それを分かって名乗っているのならこの男、相当、ネジ曲がったユーモアセンスの持ち主だと思った。
トンネルの脇腹にはいくつか出入り口があって倉庫をトンネル自体で囲った広場にでる事が可能だった。
第一会場、第二会場みたいな見立てなのだろう。
その会場は薄暗かった。
中央部分に幾つかのスポットライトが立てられていて、光の円錐があちこちに数本たっている。
その回りにもコンテナで作られた幾つかのブースがあるようだった。
それに驚いた事に、会場内に大型コンテナトラックが2台駐車していた。
正面から入場した時は、一つの巨大倉庫に見えたが、内部に置かれたコンテナなんかで作られた迷路を使って、僕たちは別棟の違う倉庫に移動していたのかも知れない。
全体が凄く手が込んでいる迷路仕立てになっているのだ。
コンテナトラックの側にもいかにも物騒そうな男達が二・三人たむろしていた。
「とりあえず、明るい所に行ってみよう。僕の側から離れるなよ、子猫ちゃん、、、、あっ、君の名前なんだっけ?」
つくづくお坊ちゃまだよ、あんたは、、そう思ったけれど、僕は僕で、なんの偽名も用意してなかった自分に慌てた。
とっさに昨日の夜、ネットカフェで見た大昔のテレビ番組を思い出した。
部屋の中では全裸で過ごすのが癖というシングルマザーの腕利き女刑事の話で、主演女優の名前が涼子。
「涼子、、、ダサい名前だから、あんまり好きじゃない。仲のいい子は、あたしのことリョウって呼んでる。」
「だったら、涼子ちゃんから始めるかな。・・・おっ、アルコールとオードブルは一応用意してあるんだ。」
鷹見クンが言うとおり、手近な所に会議用の長机に白い布をかけただけのテーブルがおいてあり、その上にはドリンク類とオードブルが用意されていた。
面白いのはカクテルでも発泡酒の類でもすべてストローがついていた事だ。
オードブルもよく見るとあちこちに爪楊枝や小さなフォークが用意されていた。
確かにこれならガスマスクを被っていても食事をとることが出来る。
細やかな気遣い、やるじゃん、オーナーの河童野郎は、、と僕は妙な所で感心してしまったのだが、そう言えば、いつ河童に出会えるんだろう?
「じゃ、行こうか。」
鷹見クンはウィスキーグラスにストローを差し込んでそれを器用に指先でぶら下げるように持つと僕の腕を引っ張って歩き始めた。
僕は慌てて、銀の器に盛ってあった莓を一粒口にほおりこんで、鷹見クンについていく。
頼りないナイトだが、いないよりはましだ。
幾つかある光の円錐の側に近づくにつれ、このクラブの実態が見えて来た。
それぞれの光の中央には、様々なポーズを取った全裸の女達がいて、その回りを何人ものガスマスク姿の男女が取り囲んでいた。
全裸の女の近くには、人間がすっぽり収まりそうなトランクが蓋を開けた状態で放置してある。
あの大型コンテナトラックも、そのトランクも、総ては警察の踏み込みに備えて準備されたものなのだろう。
手入れがあったら、何もかもを一気にトラックに放り込んで撤収する。
周囲の人間たちの会話から、このクラブの正式名称が「チェルノボグ・サーカス」だという事が分かったけれど、確かに此処には移動式サーカスの雰囲気があった。
一番近くの光円錐に近づいてみると、その中央には腰を前に突き出したストリップダンサーのポーズをした女が立っていた。
だがその女は微動もしない。
すると全裸の女の右側で彼女を観察していたドレス姿のガスマスクの女が、やおら全裸の女の右乳房をむんずと鷲掴みにした。
胸を掴まれた女から悲鳴が上がるかと思った瞬間、その乳房がパッカリと外れた。
残された胸元の断面からは、生々しい脂肪層や筋肉や血管の断面が現れたが、血は一滴も流れていない。
ガスマスクの女は、自分の手のひらにある乳房の断面をしげしげと眺め物思いに耽っている。
知ってる!これってプラスティネ-ション標体だ!
「すげぇ、、これが人体剥製なのか、、、。」
隣にいる鷹見クンの声が掠れていた。
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