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# 篭絡ツールMSS①
男娼少年ピオーネのインストール
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「インストール?」
「そう、ある男性の情報をMSSにインストールするんだ。研究も進んでいるから以前と違って半日もあれば済む。後は不二子がそれをフィッテングしてくれればいいだけさ。」
Qは自分の後退した額を撫で上げながら、どこか私に媚びるように言った。
面長のキュウピー人形のような顔がだらしなく緩んでいる。
おまけに言葉の終わりに、右手で目に見えない注射器の針から薬剤を噴出させるマネをして見せた。
ここがQの研究室でなく、そしてこの私が普通の若い女性なら、心の中できっと彼のことを、「この変態!」と嘲っていたに違いない。
私が開発部部長のQに初めて出会った時には、もっと取っ付きが悪く、その代わりにそれなりの権威を少しは感じさせる男に見えたものだったのだが、、、。
「もう少し、そのインストールとやらを詳しく説明してくれないかな。それと俺の事を葉雨座と呼ぶのはかまわないけど、さすがに下の名を不二子というのは皆の手前、不味いんじゃないか?それ昔のアニメの登場人物の名前だろ?」
Qは少し不満げな表情を見せる。
私が批判的な質問したからではない。
Qは「説明」をするのが大好きだから。
それに彼は、私の事を不二子と呼べなくしている組織内の外圧に苛立っているのだ。
今の私の外見は完全に男性だが、Qに私の身体の管理が移行された時には改造女性だった、その倒錯を不二子という呼び名でQは楽しんでいる。
不二子の命名者はこのQであり、私の呼称に、男性名の制限をかけたのは組織の上層にいる"検死官"だった。
この組織に入って数ヶ月経つというのに、私はいまだに組織のヒエラルキーが把握できていない。
Qは飛び抜けた能力を持っているが、単なる技官の筈だ。
「殺人」の数で人間の値打ちを計るような組織の中では、それほど力があるとは思えない。
だが目の前のQは、ちょっと刺激するだけでも検死官への不満を爆発させかねないでいる。
一方、その検死官は口には出さないが、私の同僚であるハマーの事をライバル視しているのはあきらかだった。
だが我が同僚のハマーは、検死官に対して常にへりくだっている。
目を移して、師範のチーの場合などは、組織の中で孤高の人のように思えるが、いざとなれば組織ごと巻き込んで自爆してしまいそうな凄みを常に保っている。
結局、Qだけが大人になりきれないオタクという見栄えなのだろうか、、。
と長々と思案を巡らせて見たが、人の名前や役割りなんてただの記号見たいなものだ。
人形になって人格を剥奪された今ではソレが良く判る。
「情報があればMSSは被着用者の皮膚を情報元通りに再現出来る。元は医療用なんだから当たり前だな。重度の火傷でも、ある程度の面積を持ったリアルで無傷な皮膚さえ残っていれば、それをMSSがコピーする。そういう原情報を与えてやる事を、インストールと呼んでいる訳だ。」
私の脳裏に、数少ない組織内の友人であるミナが、リッパー達から取り戻してくれた私の皮膚の存在が浮かんだが、即座にその思いを振り払った。
それは、今の私にはまさに何の役にも立たない「未練」そのものだったからだ。
「じゃ、俺が今着ていこのメディカルスキンスーツも、インストール元となる人物が存在する訳だね。」
「いや、いない。不二、、葉雨座の場合は、元となる君の皮膚が全部剥ぎ取られていたから復元が出来なかった訳だ。そこで他人の皮膚の情報をインストールする必要があった、、、良識的に見れば、以前の君の体組織に一番よく似た女性の皮膚の情報をインストールしてやれば、MSSの着用者である君のフィッテングと相まり、かなり元の姿に近くなった女性となって、不自然な人形化は防げた筈だが、。」
不自然な人形化か……あの時の事は余り思い出したくはなかった。
それに要所を誘導してやらないとQの話は際限なくダラダラと続く。
「それは最初にハマーに聞かされたよ。専属工作員になる前ならいわゆる普通の男にだって戻れるんだとね。今ならよく判る。でもあんな目に遭わされた後で普通の男に戻ろうとする人間はいないよ。ましてや人の願望によって切り刻まれ、再構築されたオンナになろうとはね。」
私の口調は露骨に苛立たしさを含んでいたに違いない。
Qの顔が困惑気味になる。
Qはこういった人間の心理の動きに追随する能力が乏しい。
「正確に言うと君のMSSにインストールされたのは、ある固有の人間の情報ではない。あの頃、私が開発していたカメレオンスーツ機能そのものなんだよ。それは医療部が開発した最初のMSSとは別物なんだ。私のカメレオンは鋳型と寿鉄機能を同時に備えていて、それで他人に成り済ます事が出来る。私はプロトMSSみたいな、医療用のお優しい発明はしないからね、かなりハードなやつだよ。だが私は着用者が男性であることを基本に考えていた。私の中ではスーパーヒロインよりスーパーヒーローの方が強いからね。まあそれが組織にとっては好都合だった訳だ。女性にでも、何にでも、変身できる新しい男性スタッフが一人増える訳だからね。要は、私が上に医療用プロトMSSの改造を押しつけられた時に、タイミング良く、いや失敬、運悪く、葉雨座がやって来たということさ。」
Qの説明は、ジョー・ハマーが最初に私にしたそれと微妙な違いがあるような気がしたが、私にはその差が具体的に何処にあるのかが判らなかった。
当時、ジョー・ハマーも、MSSの本質を良く理解していなかったのかも知れない。
「よく判らないが、今の葉雨座としての容姿は、葉雨座そのものじゃなくて、あんたがMSSにインストールしたカメレオン機能とやらで、俺の中の女性性の容姿を捜し当てて、それを元に男性化したものだってことか?ややこしいな…弄んでる。裏リコールならやりそうな事だよ。」
「うむ、そこの所が複雑なんだが、君は私が想定していた以上にMSSに対する適合性を見せている。君のMSSをプロトタイプとして同じモノを何着か作って、数人の女性に着用して貰ったが、君のMSSほどの能力を見せたものは一着もない。」
カメレオンスーツだって?
男性タイプだって?
何を嬉しそうに…。
この天才オタクめ、天は二物を与えず、、。
おまけに工作組織のスタッフと来た。
Qに、自分の作り出した兵器が人殺しに使われている可能性もあるのだという自覚は本当にあるのだろうか、、。
こんなQに、リアルな女性タイプMSSが設計出来る筈がない。
私の視線に何かを感じ取ったのかQは取り繕うように言った。
「だから、、そのなんだ、美男の今の君が、凄くハンサムなのは、女性である筈だった頃の君がとっても綺麗な美女だったという証明なんだな。肉体の奥深くから情報を汲み出し、そしてもう一度それを元の場所に差し戻す、フィッテングとはそういう事なんだ。」
「なあQ。綺麗じゃない美女はいないんだよ。ハンサムじゃない美男もいないしね。でも、いいか、、。インストールの意味もフィッテイングの意味も何となく判ったよ。要は そ れ ら し く なるって事だな。」
「ああ、、理解してくれたんだね、そりゃ良かった。」
Qの顔色が悪い。
恐らく今頃になって自分が、葉雨座という人間に対して配慮に欠けた言動を取り続けていた事に気付き始めたのだろう。
「とこでQ。チー師範から聞いたよ。今度の件、俺の身体の事、心配してくれてたんだって?」
「、、、ああ。」
Qの声がぶっきらぼうになっていく。
私はQとの会話を切り上げる事にした、、Qの漏らした私のMSSに対する特別な適合性という話は気にはなったが、ここら辺りがQとの会話の限界というものだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・
Qのいう「二度目のインストール」で、手に入れた新しい身体の名前は賢治にした。葉雨座賢治だ。
今度は、ちゃんとした「変身先」の対象者データがあるインストールだそうだ。
検死官がとっさの思いつきで新生・葉雨座こと私に銘々した下の名がジョジーだったから、二人揃って「丈治と賢治」になる。
丈治と言う漢字は私が後から宛てた。
お手軽な語呂合わせだが、いかにも兄弟という感じで気に入っている。
つまり、この仮想兄弟の二人の名付け親は、物事を深く突っ込んで考えないタイプの人間だったということだ。
トレーニングルームにある控え室の姿見にかけてある覆いをはらって、全裸の全身をチェックする。
組織のトレーニングルームはいつ利用しても空いている。
ほとんど一人用の状態だ。
工作員達の活動内容は破壊隠蔽工作だから、メンバーの多くはある程度の技量を身につけると、体技そのものの鍛錬よりも、最新兵器の習熟などに関心が移っていくのだと師範チーが淋しげに語っていたのを思い出す。
でもトレーニングルームには男達の汗の匂いがこびり付いていて、この設備がまったく見捨てられたものではないことを示していた。
そして私はその匂いに囲まれているのが好きだった。
控え室の大きな姿見に映った私の新しい姿はなかなかキュートだ。
筋肉が在るようなないような。
男の中に女が内在しているような、、 丈治あるいは不二子としての私もそんな存在なのだが、賢治の場合はその内に秘められているのは「女」というより「少女」に近い。
「少女」が好きな男にとっては、こたえられない味わいだろう。
もっとも正真正銘、元男性であった私にとって、葉雨座賢治の超ハンサムな姿は、ややうんざり気味の演出だったが。
私の最新MSSには、"ピオーネ"こと、コードネーム・ブラックパールがインストールされている。
"ピオーネ"は、今回の篭絡対象者であるジェィドが過去に愛した「お稚児さん」の名前らしい。
勿論、本名じゃない。
"ピオーネ"と名付けられた少年は、、ジェィドがフォンコングで買ってきた掘り出し物の男娼だったようだ。
だが、彼の溺愛が本物だったらピオーネの生体情報はそう容易く流れないだろう。
私にインストールされた「ブラックパール」は、ピオーネではなくジェィドに捧げられた哀れな生け贄達の中の一人ではなかったのか?と聞くと、Qはそれは違うだろうと答えた。
Qはそう言った情報にほとんど執着しない男なので、信憑性は薄いのだが「インストールする為の生体情報が我々の手元にある事がなによりの証拠だろう?リコールはそのピオーネに釣られるんだ。」
この理詰めの説明には珍しく説得力があった。
だが私には"ピオーネ"が、ジェィドの暗い欲望の対象になったのなら、例えほんの少しでも「無傷な肉体部分」が、他人の手に渡る可能性は低くいと思うのだが…。偏愛とはそう云うものだ、私はそう考えている。
鏡の前で、両腕を頭の後ろで組んで脇の下を映してみる。
無毛だ。
私は処理をした覚えはないし、MSSが情報を再現できなかったとも思えない。
腕にも脚にも産毛程度の体毛しかない。
なめらかで艶のある肌。
「なるほどね。これで"ピオーネ"、つまりブラックパールってわけだ、、。」
今度は鏡に映った自分の顔を角度を変えて検分してみる。
睫が長い。
私の前の顔より丸顔で幼い、、が、、目が猫のように見える。
前の私の顔が女性に好かれる顔だとすると、今度の"ピオーネ"君は嫌われる顔なのではないかと思う。
嫉妬されるというのか、「男のくせにそんな顔、必要ないでしょ」という感じだろうか、、つまり、"ピオーネ"の顔には、何処か男を誘惑する為のパーツが揃いすぎているのだ。
そうこうしている内にペニスが勃起しはじめた。
鏡の中の自分を見て感じているのだ。
元来のオンナである私の意識が引き金になったのか、葉雨座になった男の私が"ピオーネ"に情欲を感じたのか、、それは定かではない。
葉雨座のペニス造形は工芸品にしたいほど素晴らしいが、どこか作り物めいていた。
今度の"ピオーネ"のペニスは確かに自然のものらしく、右に反って中ぶとりだった。
とにかくその顔に似合わず、太くて大きい。
そのペニスを見ている内に私はあの忌まわしいインストール作業を思い出してしまった。
卑猥で残酷な作業、施術して来る相手が人間ではないから心に傷を負わないだけの話だ。
リッパー達による人形化で、想像を超える恥辱と暴力を受けたこの私でさえ、まだあの恥ずかしさに慣れる事ができない、、。
まあいい。
忘れる事だ。
あのリッパー二人組でさえ、今はもう私の仲間なのだから。
元の葉雨座には放っておいても三週間後には復元するらしいから、急ぐ必要がない限りアンイストールにあたる行為は受けなくて良いとの事だ。
自慰の為、ペニスに伸びそうになる手を我慢して、私は鏡にお尻を突き出し肛門を広げてMSSのフィッテンッグの様子をみる。
完璧だった。
私は私自に、ご褒美をあげる事にした。
再び埋め立てられたウィメンズホールと人造ペニスと無傷のアナルを同時に刺激するという、私だけにしか許されない究極のオナニーを、、。
・・・そう、実をいうと私はこのオナニーを、あのインストール中に覚えたのだ。
もしこんな事を、私の部屋でやれば、友人のミナが、さかりの付いた「オオカミ女」のように興奮して、私を喰い殺してしまうことだろう。
身体の中に先程の淫行の余韻を残したまま私は街に出た。
賢治らしい服装を買い整える為だ。
丈治のスーツは不思議な事にオーバーサイズになっていて、似合っているという状態からはかけ離れてしまっていた。
身長そのものは変わらないのに 、、MSSの威力は大したものだった。
MSSの素材で体形補正用女性下着を作れば大ヒット間違いなしなのに、裏リコールは、MSSを工作用の仕掛け道具にしておくために、そのテクノロジーを封印し続けるのだろう。
新商品で稼ぐ金も、篭絡した人間から吸い上げ稼ぐ金も同じだというのに。
それともMSSには、商品化出来ない何か決定的な欠陥があるのだろうか。
それを考えると少し怖くなったが、、どうせ一度は死んだ身だ。
どれもこれも、人間人形には下らない感情の揺らぎに過ぎない。
買い物の途中で、ショーウィンドウに映し出されたスポーツウェア姿の自分を確認する。
ウェアは組織のトレーニングルームのロッカーにあったものだ。
それらしい重ね着をして来たから、今風の若者に見える。
ウィンドウの中の、"ピオーネ"をかけ合わせた新しい賢治は、元の私だったら幾ら可愛いくても拒絶反応を起こしてしまうタイプの男の子だった。
色々な意味で丈治とは正反対の存在だった。
周りの人間達の反応も違う。
丈治が街を歩いて集める感情の多くは、男からも女からも「羨望」と「憧れ」だった。
だが賢治の場合は驚くべき事に、その殆どが賢治に対する「欲望」だった。
しかも、それはまだ性に目覚めぬ年齢の子ども達以外の全ての人間達から放たれていたのだ。
恐らく"ピオーネ"は、自分に向けられた「欲望」と渡り合いながら、その短い人生を送ってきたに違いない。
そして私はこの日、"黒真珠"の凄惨な生き様を追体験する事になった。
新しい身体を飾るためのワードローブがなかなか見つからず、休憩がてらに、カフェのテラス席でラテを啜っていたら、一人の中年親父が、どたどたまっすぐ私の方にやってきて、なんの断りもなくドッカと目の前の席に座った。
「ぼく、なんぼや?」
人種の「三段重ね」と言われるこの都市では、純血は勿論、方言を喋る人間は極少数になっている。
方言を使うのは、そういった生活史を持つ人間、、あるいは方言のアクの強さを意識的に利用しようとする人間のどちらかだ。
中年男の肥満体をはち切れそうに包むスーツは灰色、ループタイをぶら下げたワイシャツの首元はだらしなく開いている。
混血が進んで美形が多いこの国の人間にしては、珍しい姿形だった。
本人は、多分に倒錯的な気分で今の姿を維持しているのかも知れなかった。
「はあ?」
私は本当に面食らって、そう言った。
「とぼけなや。わしらみたいな人間はお互いが匂いで判る。」
困ったのは、私には「わしらみたいな人間」がまったく理解できないというのに、私の外見は恐らく「わしらみたいな」そのものなのだろうと予測が付いた事だ。
私はとりあえず自分の想像力を働かせて、「中年のホモ男に金で買われようとする少年男娼」を演じてみることにした。
どのみちジェィド・ウィルソンに対しても似たような演技をしなくてはならないのだ。
練習がてらに丁度いい。
「なあ。わしもう我慢でけへんのや。そこで、先にちょっとさせてなぁ、、」
中年男は脂ぎった手で突然私の手を握ると、ビルとビルの隙間に私を連れ込んだ。
その空間は入り口は狭いのに、一旦中に入り込んでしまうと、ゴミを集積するためのコンテナが数台置いてあったりと、結構広かった。
ひょっとするとこの中年男、この界隈の地理に通じているのかも知れなかった。
「ちょっとまってよ、、。ホテルでやるって約束じゃん。」
私は怯えた表情を作ってみせた。
標的のジェィド・ウィルソンと逢う前に出来るだけ色々な「役回り」の練習をしておいた方がいい。
中年男は私の手首を掴んだまま、それを自分の股間に引っ張っていった。
脂肪の塊のような身体からは信じられないような力だ。
中年男はこの怪力と強引さで、今までかなり阿漕な所行を働いて来たに違いない。
「な、、ぶっといやろ。わしのはええで、ケツマンコしてから、お金いらん、その代わりボクと付きおうてて、泣いて頼んだん何人もおるんや。」
「けっ!冗談!おっさん、破滅させたるよ。まだまだ世の中、ホモへの風当たり厳しいねんで。」
私もついつられて中年男の口調を真似しながら、周囲に轟き渡らせるべく、悲鳴を上げる準備をした。
中年男は直感的に、私が何をしでかすかが判ったようで、空いた手で私の口を塞ごうとした。
私たち二人は、揉み合いになったが、最終的に私の腕が捻り上げられた時点でケリがついた。
勿論、わざと腕を捻り上げられてやったのだ。
ついでに唇を嫌らしく歪めて見せてもやった。
サディストに対するサービスショットと言うわけだ。
相手を逆上せ上がらせて置いてから、突き落としてやる方が、与えるダメージが大きい。
何故か目の前の中年男は、そうされるのがふさわしい人物のように思えたのだ。
それに"ピオーネ"の被虐の表情が、どれほど男達に媚薬的な効果をあげるのかを見届けておく必要もあった。
ゴミコンテナと中年男の腰に挟まれ腕をねじり上げられる。
おまけに私の口は中年男の分厚い手でふさがれている。
私の耳元に、熱い息が吹きかけられる。
「なっ、なっ、その可愛らしい顔のままで、ここから出ていきたかったら言うこときくんや。」
私のお尻に密着している中年男の股間のものが膨れ上がってくるのが判る。
私は首を横に振る。
中年男は、さらに私の腕をねじ上げようとしたが、その動きが突然止まった。
MSSの外骨格機能が働きだしたのだ。
MSSは関節の可動範囲を超える力が外部から働いた時、内側の肉体を守るために、その皮膚を極薄の外骨格化する。………戦う生き人形だ。
中年男は自らがからめ取ったひ弱な肉体が、反逆し始めるを感じていた。
中年男の判断が遅れた。
単純な事だったのだ。
獲物をこの瞬間に、手放せばそうはならなかった筈だ。
逆関節に決めた筈の相手の身体を中心にして、中年男の身体は、風車のように一回転し、地面に叩き付けられた。
私は皮下脂肪で緩んだ胸を皮膚ごと鷲掴みにして、男を地面から引き起こすと、そのまま手近な壁に押しつけた。
男の顔は苦悶に歪んだが、その口からは悲鳴さえ上がらず、カハッ!という乾いたえづきの音が絞り出されただけだった。
男の脚は数センチ地面から浮いている。
もっと吊し上げてやりたかったが、男との身長差を考えるとこれが精一杯だった。
「おっさんが買えるようなボクじゃないんだけど。気が付かなかったかなぁ、、、。」
中年男の顔は苦痛のあまり沁み出た鼻水や涙でぐじゃぐじゃだった。
そんな顔の中から、「・・反省してます。」という哀れっぽい声が押し出されてくる。
だがそれは偽装だった。
いつか師範チーが、「ゲス人間の攻撃パターンは読みやすい」と言っていたが、まさにその通りだった。
男の手は自分の背中に回り込み、何かをまさぐっている様子だった。
私の視野の中で、男が背中から引きずりだして来た獲物の一端が見えた。
護身用のスタンガンだった。
出来る限り細身に作られてある所と、その色使いから見てスタンガンは女性用のものだろう。
(おまえみたいな男から身を守る為にそれがあるのよ。なのにお前は。)
私の中で、私のではない、得たいの知れない怒りが爆発した。
私の左手がスタンガンを握りしめた男の右手を迎え撃つ。
いつもならそれを手早く払い落として次の攻撃に転じる所だ。
だが私の手は、スタンガンを持った男の手を丸ごと包み込んだ後、それを思いっきりねじり上げた。
ボギッという鈍い音と、再びの悲鳴が男の口から迸った。
私は左手の中指の山が飛び出すような形で握り拳を作ると、それを男の喉に突き込んだ。
MSSのお陰でバックスイングなどしなくても、私の全ての打突の威力は常人の数倍はある。
この中年男が上げるべき本物の悲鳴は、ひゅーひゅーという異音に変わった、、。
これで中年男はこれ以上騒げなくなる。
助けも呼べないわけだ、、だが、そろそろケリをつけてやっても良い頃だった。
私の買い物はまだ終わっていない。
こんな男の為に、丸一日を潰すのはやりきれなかった。
私は周りを見回した。
路地の中に、先程私が押しつけられていたゴミコンテナがもう一度目に飛び込んでくる。
コンテナからは折れたモップの杖が飛び出して見えた。
私はコンテナまで中年男の胸を掴んだまま彼を引きずって行き、さっきまで私が取らされていた屈辱的なポーズを彼に強いた。
「おっさんよう。あんたやられるのも好きそうだよね。今日は初めての出会いなんだ。サービスしてあげるよ。お金はいらない。」
私は中年男の腕をねじりあげたまま、彼のズボンを片手で脱がそうとした。
あまり旨くいかない。突き出た腹の中にベルトがめり込んでいたからだ。
どうして男って奴はこんな格好の悪いベルトなんてものを、いつもするんだろう。
むかついて来たので、最後はズボンを引きちぎってしまった。
私がMSSの力の制御を失うのは珍しい事だった。
中年男の目の前にモップの折れた杖があった。
それを私が引き抜いた時、中年男はすべてを理解したのだろう。
中年男は最後の抵抗と助けを求める悲鳴を上げようとしたが、そのどれもが無駄に終わった。
私は身繕いをして路地から大通りに出た。
なんだか空気の味が違う。
私は会った事もない"ピオーネ"の気持ちを少しだけ理解したような気がした。
「そう、ある男性の情報をMSSにインストールするんだ。研究も進んでいるから以前と違って半日もあれば済む。後は不二子がそれをフィッテングしてくれればいいだけさ。」
Qは自分の後退した額を撫で上げながら、どこか私に媚びるように言った。
面長のキュウピー人形のような顔がだらしなく緩んでいる。
おまけに言葉の終わりに、右手で目に見えない注射器の針から薬剤を噴出させるマネをして見せた。
ここがQの研究室でなく、そしてこの私が普通の若い女性なら、心の中できっと彼のことを、「この変態!」と嘲っていたに違いない。
私が開発部部長のQに初めて出会った時には、もっと取っ付きが悪く、その代わりにそれなりの権威を少しは感じさせる男に見えたものだったのだが、、、。
「もう少し、そのインストールとやらを詳しく説明してくれないかな。それと俺の事を葉雨座と呼ぶのはかまわないけど、さすがに下の名を不二子というのは皆の手前、不味いんじゃないか?それ昔のアニメの登場人物の名前だろ?」
Qは少し不満げな表情を見せる。
私が批判的な質問したからではない。
Qは「説明」をするのが大好きだから。
それに彼は、私の事を不二子と呼べなくしている組織内の外圧に苛立っているのだ。
今の私の外見は完全に男性だが、Qに私の身体の管理が移行された時には改造女性だった、その倒錯を不二子という呼び名でQは楽しんでいる。
不二子の命名者はこのQであり、私の呼称に、男性名の制限をかけたのは組織の上層にいる"検死官"だった。
この組織に入って数ヶ月経つというのに、私はいまだに組織のヒエラルキーが把握できていない。
Qは飛び抜けた能力を持っているが、単なる技官の筈だ。
「殺人」の数で人間の値打ちを計るような組織の中では、それほど力があるとは思えない。
だが目の前のQは、ちょっと刺激するだけでも検死官への不満を爆発させかねないでいる。
一方、その検死官は口には出さないが、私の同僚であるハマーの事をライバル視しているのはあきらかだった。
だが我が同僚のハマーは、検死官に対して常にへりくだっている。
目を移して、師範のチーの場合などは、組織の中で孤高の人のように思えるが、いざとなれば組織ごと巻き込んで自爆してしまいそうな凄みを常に保っている。
結局、Qだけが大人になりきれないオタクという見栄えなのだろうか、、。
と長々と思案を巡らせて見たが、人の名前や役割りなんてただの記号見たいなものだ。
人形になって人格を剥奪された今ではソレが良く判る。
「情報があればMSSは被着用者の皮膚を情報元通りに再現出来る。元は医療用なんだから当たり前だな。重度の火傷でも、ある程度の面積を持ったリアルで無傷な皮膚さえ残っていれば、それをMSSがコピーする。そういう原情報を与えてやる事を、インストールと呼んでいる訳だ。」
私の脳裏に、数少ない組織内の友人であるミナが、リッパー達から取り戻してくれた私の皮膚の存在が浮かんだが、即座にその思いを振り払った。
それは、今の私にはまさに何の役にも立たない「未練」そのものだったからだ。
「じゃ、俺が今着ていこのメディカルスキンスーツも、インストール元となる人物が存在する訳だね。」
「いや、いない。不二、、葉雨座の場合は、元となる君の皮膚が全部剥ぎ取られていたから復元が出来なかった訳だ。そこで他人の皮膚の情報をインストールする必要があった、、、良識的に見れば、以前の君の体組織に一番よく似た女性の皮膚の情報をインストールしてやれば、MSSの着用者である君のフィッテングと相まり、かなり元の姿に近くなった女性となって、不自然な人形化は防げた筈だが、。」
不自然な人形化か……あの時の事は余り思い出したくはなかった。
それに要所を誘導してやらないとQの話は際限なくダラダラと続く。
「それは最初にハマーに聞かされたよ。専属工作員になる前ならいわゆる普通の男にだって戻れるんだとね。今ならよく判る。でもあんな目に遭わされた後で普通の男に戻ろうとする人間はいないよ。ましてや人の願望によって切り刻まれ、再構築されたオンナになろうとはね。」
私の口調は露骨に苛立たしさを含んでいたに違いない。
Qの顔が困惑気味になる。
Qはこういった人間の心理の動きに追随する能力が乏しい。
「正確に言うと君のMSSにインストールされたのは、ある固有の人間の情報ではない。あの頃、私が開発していたカメレオンスーツ機能そのものなんだよ。それは医療部が開発した最初のMSSとは別物なんだ。私のカメレオンは鋳型と寿鉄機能を同時に備えていて、それで他人に成り済ます事が出来る。私はプロトMSSみたいな、医療用のお優しい発明はしないからね、かなりハードなやつだよ。だが私は着用者が男性であることを基本に考えていた。私の中ではスーパーヒロインよりスーパーヒーローの方が強いからね。まあそれが組織にとっては好都合だった訳だ。女性にでも、何にでも、変身できる新しい男性スタッフが一人増える訳だからね。要は、私が上に医療用プロトMSSの改造を押しつけられた時に、タイミング良く、いや失敬、運悪く、葉雨座がやって来たということさ。」
Qの説明は、ジョー・ハマーが最初に私にしたそれと微妙な違いがあるような気がしたが、私にはその差が具体的に何処にあるのかが判らなかった。
当時、ジョー・ハマーも、MSSの本質を良く理解していなかったのかも知れない。
「よく判らないが、今の葉雨座としての容姿は、葉雨座そのものじゃなくて、あんたがMSSにインストールしたカメレオン機能とやらで、俺の中の女性性の容姿を捜し当てて、それを元に男性化したものだってことか?ややこしいな…弄んでる。裏リコールならやりそうな事だよ。」
「うむ、そこの所が複雑なんだが、君は私が想定していた以上にMSSに対する適合性を見せている。君のMSSをプロトタイプとして同じモノを何着か作って、数人の女性に着用して貰ったが、君のMSSほどの能力を見せたものは一着もない。」
カメレオンスーツだって?
男性タイプだって?
何を嬉しそうに…。
この天才オタクめ、天は二物を与えず、、。
おまけに工作組織のスタッフと来た。
Qに、自分の作り出した兵器が人殺しに使われている可能性もあるのだという自覚は本当にあるのだろうか、、。
こんなQに、リアルな女性タイプMSSが設計出来る筈がない。
私の視線に何かを感じ取ったのかQは取り繕うように言った。
「だから、、そのなんだ、美男の今の君が、凄くハンサムなのは、女性である筈だった頃の君がとっても綺麗な美女だったという証明なんだな。肉体の奥深くから情報を汲み出し、そしてもう一度それを元の場所に差し戻す、フィッテングとはそういう事なんだ。」
「なあQ。綺麗じゃない美女はいないんだよ。ハンサムじゃない美男もいないしね。でも、いいか、、。インストールの意味もフィッテイングの意味も何となく判ったよ。要は そ れ ら し く なるって事だな。」
「ああ、、理解してくれたんだね、そりゃ良かった。」
Qの顔色が悪い。
恐らく今頃になって自分が、葉雨座という人間に対して配慮に欠けた言動を取り続けていた事に気付き始めたのだろう。
「とこでQ。チー師範から聞いたよ。今度の件、俺の身体の事、心配してくれてたんだって?」
「、、、ああ。」
Qの声がぶっきらぼうになっていく。
私はQとの会話を切り上げる事にした、、Qの漏らした私のMSSに対する特別な適合性という話は気にはなったが、ここら辺りがQとの会話の限界というものだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・
Qのいう「二度目のインストール」で、手に入れた新しい身体の名前は賢治にした。葉雨座賢治だ。
今度は、ちゃんとした「変身先」の対象者データがあるインストールだそうだ。
検死官がとっさの思いつきで新生・葉雨座こと私に銘々した下の名がジョジーだったから、二人揃って「丈治と賢治」になる。
丈治と言う漢字は私が後から宛てた。
お手軽な語呂合わせだが、いかにも兄弟という感じで気に入っている。
つまり、この仮想兄弟の二人の名付け親は、物事を深く突っ込んで考えないタイプの人間だったということだ。
トレーニングルームにある控え室の姿見にかけてある覆いをはらって、全裸の全身をチェックする。
組織のトレーニングルームはいつ利用しても空いている。
ほとんど一人用の状態だ。
工作員達の活動内容は破壊隠蔽工作だから、メンバーの多くはある程度の技量を身につけると、体技そのものの鍛錬よりも、最新兵器の習熟などに関心が移っていくのだと師範チーが淋しげに語っていたのを思い出す。
でもトレーニングルームには男達の汗の匂いがこびり付いていて、この設備がまったく見捨てられたものではないことを示していた。
そして私はその匂いに囲まれているのが好きだった。
控え室の大きな姿見に映った私の新しい姿はなかなかキュートだ。
筋肉が在るようなないような。
男の中に女が内在しているような、、 丈治あるいは不二子としての私もそんな存在なのだが、賢治の場合はその内に秘められているのは「女」というより「少女」に近い。
「少女」が好きな男にとっては、こたえられない味わいだろう。
もっとも正真正銘、元男性であった私にとって、葉雨座賢治の超ハンサムな姿は、ややうんざり気味の演出だったが。
私の最新MSSには、"ピオーネ"こと、コードネーム・ブラックパールがインストールされている。
"ピオーネ"は、今回の篭絡対象者であるジェィドが過去に愛した「お稚児さん」の名前らしい。
勿論、本名じゃない。
"ピオーネ"と名付けられた少年は、、ジェィドがフォンコングで買ってきた掘り出し物の男娼だったようだ。
だが、彼の溺愛が本物だったらピオーネの生体情報はそう容易く流れないだろう。
私にインストールされた「ブラックパール」は、ピオーネではなくジェィドに捧げられた哀れな生け贄達の中の一人ではなかったのか?と聞くと、Qはそれは違うだろうと答えた。
Qはそう言った情報にほとんど執着しない男なので、信憑性は薄いのだが「インストールする為の生体情報が我々の手元にある事がなによりの証拠だろう?リコールはそのピオーネに釣られるんだ。」
この理詰めの説明には珍しく説得力があった。
だが私には"ピオーネ"が、ジェィドの暗い欲望の対象になったのなら、例えほんの少しでも「無傷な肉体部分」が、他人の手に渡る可能性は低くいと思うのだが…。偏愛とはそう云うものだ、私はそう考えている。
鏡の前で、両腕を頭の後ろで組んで脇の下を映してみる。
無毛だ。
私は処理をした覚えはないし、MSSが情報を再現できなかったとも思えない。
腕にも脚にも産毛程度の体毛しかない。
なめらかで艶のある肌。
「なるほどね。これで"ピオーネ"、つまりブラックパールってわけだ、、。」
今度は鏡に映った自分の顔を角度を変えて検分してみる。
睫が長い。
私の前の顔より丸顔で幼い、、が、、目が猫のように見える。
前の私の顔が女性に好かれる顔だとすると、今度の"ピオーネ"君は嫌われる顔なのではないかと思う。
嫉妬されるというのか、「男のくせにそんな顔、必要ないでしょ」という感じだろうか、、つまり、"ピオーネ"の顔には、何処か男を誘惑する為のパーツが揃いすぎているのだ。
そうこうしている内にペニスが勃起しはじめた。
鏡の中の自分を見て感じているのだ。
元来のオンナである私の意識が引き金になったのか、葉雨座になった男の私が"ピオーネ"に情欲を感じたのか、、それは定かではない。
葉雨座のペニス造形は工芸品にしたいほど素晴らしいが、どこか作り物めいていた。
今度の"ピオーネ"のペニスは確かに自然のものらしく、右に反って中ぶとりだった。
とにかくその顔に似合わず、太くて大きい。
そのペニスを見ている内に私はあの忌まわしいインストール作業を思い出してしまった。
卑猥で残酷な作業、施術して来る相手が人間ではないから心に傷を負わないだけの話だ。
リッパー達による人形化で、想像を超える恥辱と暴力を受けたこの私でさえ、まだあの恥ずかしさに慣れる事ができない、、。
まあいい。
忘れる事だ。
あのリッパー二人組でさえ、今はもう私の仲間なのだから。
元の葉雨座には放っておいても三週間後には復元するらしいから、急ぐ必要がない限りアンイストールにあたる行為は受けなくて良いとの事だ。
自慰の為、ペニスに伸びそうになる手を我慢して、私は鏡にお尻を突き出し肛門を広げてMSSのフィッテンッグの様子をみる。
完璧だった。
私は私自に、ご褒美をあげる事にした。
再び埋め立てられたウィメンズホールと人造ペニスと無傷のアナルを同時に刺激するという、私だけにしか許されない究極のオナニーを、、。
・・・そう、実をいうと私はこのオナニーを、あのインストール中に覚えたのだ。
もしこんな事を、私の部屋でやれば、友人のミナが、さかりの付いた「オオカミ女」のように興奮して、私を喰い殺してしまうことだろう。
身体の中に先程の淫行の余韻を残したまま私は街に出た。
賢治らしい服装を買い整える為だ。
丈治のスーツは不思議な事にオーバーサイズになっていて、似合っているという状態からはかけ離れてしまっていた。
身長そのものは変わらないのに 、、MSSの威力は大したものだった。
MSSの素材で体形補正用女性下着を作れば大ヒット間違いなしなのに、裏リコールは、MSSを工作用の仕掛け道具にしておくために、そのテクノロジーを封印し続けるのだろう。
新商品で稼ぐ金も、篭絡した人間から吸い上げ稼ぐ金も同じだというのに。
それともMSSには、商品化出来ない何か決定的な欠陥があるのだろうか。
それを考えると少し怖くなったが、、どうせ一度は死んだ身だ。
どれもこれも、人間人形には下らない感情の揺らぎに過ぎない。
買い物の途中で、ショーウィンドウに映し出されたスポーツウェア姿の自分を確認する。
ウェアは組織のトレーニングルームのロッカーにあったものだ。
それらしい重ね着をして来たから、今風の若者に見える。
ウィンドウの中の、"ピオーネ"をかけ合わせた新しい賢治は、元の私だったら幾ら可愛いくても拒絶反応を起こしてしまうタイプの男の子だった。
色々な意味で丈治とは正反対の存在だった。
周りの人間達の反応も違う。
丈治が街を歩いて集める感情の多くは、男からも女からも「羨望」と「憧れ」だった。
だが賢治の場合は驚くべき事に、その殆どが賢治に対する「欲望」だった。
しかも、それはまだ性に目覚めぬ年齢の子ども達以外の全ての人間達から放たれていたのだ。
恐らく"ピオーネ"は、自分に向けられた「欲望」と渡り合いながら、その短い人生を送ってきたに違いない。
そして私はこの日、"黒真珠"の凄惨な生き様を追体験する事になった。
新しい身体を飾るためのワードローブがなかなか見つからず、休憩がてらに、カフェのテラス席でラテを啜っていたら、一人の中年親父が、どたどたまっすぐ私の方にやってきて、なんの断りもなくドッカと目の前の席に座った。
「ぼく、なんぼや?」
人種の「三段重ね」と言われるこの都市では、純血は勿論、方言を喋る人間は極少数になっている。
方言を使うのは、そういった生活史を持つ人間、、あるいは方言のアクの強さを意識的に利用しようとする人間のどちらかだ。
中年男の肥満体をはち切れそうに包むスーツは灰色、ループタイをぶら下げたワイシャツの首元はだらしなく開いている。
混血が進んで美形が多いこの国の人間にしては、珍しい姿形だった。
本人は、多分に倒錯的な気分で今の姿を維持しているのかも知れなかった。
「はあ?」
私は本当に面食らって、そう言った。
「とぼけなや。わしらみたいな人間はお互いが匂いで判る。」
困ったのは、私には「わしらみたいな人間」がまったく理解できないというのに、私の外見は恐らく「わしらみたいな」そのものなのだろうと予測が付いた事だ。
私はとりあえず自分の想像力を働かせて、「中年のホモ男に金で買われようとする少年男娼」を演じてみることにした。
どのみちジェィド・ウィルソンに対しても似たような演技をしなくてはならないのだ。
練習がてらに丁度いい。
「なあ。わしもう我慢でけへんのや。そこで、先にちょっとさせてなぁ、、」
中年男は脂ぎった手で突然私の手を握ると、ビルとビルの隙間に私を連れ込んだ。
その空間は入り口は狭いのに、一旦中に入り込んでしまうと、ゴミを集積するためのコンテナが数台置いてあったりと、結構広かった。
ひょっとするとこの中年男、この界隈の地理に通じているのかも知れなかった。
「ちょっとまってよ、、。ホテルでやるって約束じゃん。」
私は怯えた表情を作ってみせた。
標的のジェィド・ウィルソンと逢う前に出来るだけ色々な「役回り」の練習をしておいた方がいい。
中年男は私の手首を掴んだまま、それを自分の股間に引っ張っていった。
脂肪の塊のような身体からは信じられないような力だ。
中年男はこの怪力と強引さで、今までかなり阿漕な所行を働いて来たに違いない。
「な、、ぶっといやろ。わしのはええで、ケツマンコしてから、お金いらん、その代わりボクと付きおうてて、泣いて頼んだん何人もおるんや。」
「けっ!冗談!おっさん、破滅させたるよ。まだまだ世の中、ホモへの風当たり厳しいねんで。」
私もついつられて中年男の口調を真似しながら、周囲に轟き渡らせるべく、悲鳴を上げる準備をした。
中年男は直感的に、私が何をしでかすかが判ったようで、空いた手で私の口を塞ごうとした。
私たち二人は、揉み合いになったが、最終的に私の腕が捻り上げられた時点でケリがついた。
勿論、わざと腕を捻り上げられてやったのだ。
ついでに唇を嫌らしく歪めて見せてもやった。
サディストに対するサービスショットと言うわけだ。
相手を逆上せ上がらせて置いてから、突き落としてやる方が、与えるダメージが大きい。
何故か目の前の中年男は、そうされるのがふさわしい人物のように思えたのだ。
それに"ピオーネ"の被虐の表情が、どれほど男達に媚薬的な効果をあげるのかを見届けておく必要もあった。
ゴミコンテナと中年男の腰に挟まれ腕をねじり上げられる。
おまけに私の口は中年男の分厚い手でふさがれている。
私の耳元に、熱い息が吹きかけられる。
「なっ、なっ、その可愛らしい顔のままで、ここから出ていきたかったら言うこときくんや。」
私のお尻に密着している中年男の股間のものが膨れ上がってくるのが判る。
私は首を横に振る。
中年男は、さらに私の腕をねじ上げようとしたが、その動きが突然止まった。
MSSの外骨格機能が働きだしたのだ。
MSSは関節の可動範囲を超える力が外部から働いた時、内側の肉体を守るために、その皮膚を極薄の外骨格化する。………戦う生き人形だ。
中年男は自らがからめ取ったひ弱な肉体が、反逆し始めるを感じていた。
中年男の判断が遅れた。
単純な事だったのだ。
獲物をこの瞬間に、手放せばそうはならなかった筈だ。
逆関節に決めた筈の相手の身体を中心にして、中年男の身体は、風車のように一回転し、地面に叩き付けられた。
私は皮下脂肪で緩んだ胸を皮膚ごと鷲掴みにして、男を地面から引き起こすと、そのまま手近な壁に押しつけた。
男の顔は苦悶に歪んだが、その口からは悲鳴さえ上がらず、カハッ!という乾いたえづきの音が絞り出されただけだった。
男の脚は数センチ地面から浮いている。
もっと吊し上げてやりたかったが、男との身長差を考えるとこれが精一杯だった。
「おっさんが買えるようなボクじゃないんだけど。気が付かなかったかなぁ、、、。」
中年男の顔は苦痛のあまり沁み出た鼻水や涙でぐじゃぐじゃだった。
そんな顔の中から、「・・反省してます。」という哀れっぽい声が押し出されてくる。
だがそれは偽装だった。
いつか師範チーが、「ゲス人間の攻撃パターンは読みやすい」と言っていたが、まさにその通りだった。
男の手は自分の背中に回り込み、何かをまさぐっている様子だった。
私の視野の中で、男が背中から引きずりだして来た獲物の一端が見えた。
護身用のスタンガンだった。
出来る限り細身に作られてある所と、その色使いから見てスタンガンは女性用のものだろう。
(おまえみたいな男から身を守る為にそれがあるのよ。なのにお前は。)
私の中で、私のではない、得たいの知れない怒りが爆発した。
私の左手がスタンガンを握りしめた男の右手を迎え撃つ。
いつもならそれを手早く払い落として次の攻撃に転じる所だ。
だが私の手は、スタンガンを持った男の手を丸ごと包み込んだ後、それを思いっきりねじり上げた。
ボギッという鈍い音と、再びの悲鳴が男の口から迸った。
私は左手の中指の山が飛び出すような形で握り拳を作ると、それを男の喉に突き込んだ。
MSSのお陰でバックスイングなどしなくても、私の全ての打突の威力は常人の数倍はある。
この中年男が上げるべき本物の悲鳴は、ひゅーひゅーという異音に変わった、、。
これで中年男はこれ以上騒げなくなる。
助けも呼べないわけだ、、だが、そろそろケリをつけてやっても良い頃だった。
私の買い物はまだ終わっていない。
こんな男の為に、丸一日を潰すのはやりきれなかった。
私は周りを見回した。
路地の中に、先程私が押しつけられていたゴミコンテナがもう一度目に飛び込んでくる。
コンテナからは折れたモップの杖が飛び出して見えた。
私はコンテナまで中年男の胸を掴んだまま彼を引きずって行き、さっきまで私が取らされていた屈辱的なポーズを彼に強いた。
「おっさんよう。あんたやられるのも好きそうだよね。今日は初めての出会いなんだ。サービスしてあげるよ。お金はいらない。」
私は中年男の腕をねじりあげたまま、彼のズボンを片手で脱がそうとした。
あまり旨くいかない。突き出た腹の中にベルトがめり込んでいたからだ。
どうして男って奴はこんな格好の悪いベルトなんてものを、いつもするんだろう。
むかついて来たので、最後はズボンを引きちぎってしまった。
私がMSSの力の制御を失うのは珍しい事だった。
中年男の目の前にモップの折れた杖があった。
それを私が引き抜いた時、中年男はすべてを理解したのだろう。
中年男は最後の抵抗と助けを求める悲鳴を上げようとしたが、そのどれもが無駄に終わった。
私は身繕いをして路地から大通りに出た。
なんだか空気の味が違う。
私は会った事もない"ピオーネ"の気持ちを少しだけ理解したような気がした。
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