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第5章 旅の道連れ 愚者達の世界

第25話 倒れた柳緑

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  イェーガン達から餞別替わりにもらった食料も心許なくなり始めたと言うのに、柳緑達は未だ西方向に延々と続く大草原を抜け出せないでいた。
   しかも全く生命体に遭遇しないのだ。

『このままてはダラガンどころか、別の並行世界にさえ行けない。引き返すしかないのか』と切羽詰まった挙げ句、柳緑が考え出した奥の手が、イェーガンから貰った精霊石を使う事だった。
    過去、柳緑は無意識の内に、精霊石のエネルギーを稼働爆発させる事に成功し、花紅は小規模ながら物体移動能力を発現制御している。
    この二人が同時に精霊石に働きかければ…。

『精霊石を使って、今、自分達がいるこの時空の中に、破綻点を出現させる。 大きなものは無理にしても、二人が潜り抜けられる規模ならそれが出来るかも知れない…。』
    この目論見は半分成功した。
    だがそれが、柳緑には命取りになった。
    問題は開かれたコラプスの向こう側にあったのだ。
   
    その現象が起こる前に、雲や大地の草木などの無数の影がクッキリと地表を走った。
 明るい昼間の空が青みを深めながら暗くなり、世界は急速に日没後の景色へと移り変わっていく。
 花紅の、柳緑の艶やかな肌と強靱な筋肉を持つ身体中に張り巡らせ、更には柳緑の神経にも接続してある感覚自体がヒヤリとするほど気温が下がり風が吹いた。
 黒く変じた太陽の周囲には、淡い真珠色の光のベールを思わせる大気が沸き立ち、同時に、昼間には見えぬ筈の天空の星々が輝き始めた。

…………………………………………

 『 柳緑はあの世界のネオプリオンに冒された』と花紅は、柳緑の意識に残った並行世界での体験記憶から、そんな結論を導き出していた。
    彼等が精霊石によって召喚した並行世界は、柳緑達の知識にあるパプアニューギニアの風土とそっくりだった。
   つまり一応、柳緑は極めて元の世界に近い並行宇宙との接続に成功した…と云う事でもあった 。

   だがあくまでそれは、AIである花紅の仮説分析だ。
    柳緑がパプアニューギニア並行世界に行って戻って来るまでの経過が断片的な光景としてはあるものの、その本体や前房は何一つとして掴めてはいないないのだ。
    そして柳緑は、その地で病に侵され、今持って意識を失っている。

   柳緑が、彼等の世界に非常に良く似た異世界に行き、戻って来た事だけはプロテクの連動しているカブのマッピングが微妙にズレている事実が裏付けていた。
   つまり今、花紅が柳緑を看護するこの場所は、もう既に今までの草原世界ではないのだ。

    パプアニューギニアのフォレ族に発症したクールー病(Kuru)は風土病だ。
    治療不能とされる神経の変性をもたらす伝達性海綿状脳症の一種で、ヒトのプリオンが原因とされる。
    感染源について広く受け入れられている知識として、フォレ族には葬儀に際して遺体を食する習慣があることが指摘されている。
  クールーはフォレ族の言語であるフォレ語(英語版)で「恐怖に震える」という意味の言葉に由来するが、kúru自体は〈震え〉を意味する。

    これは、典型的な症状である身体の震えに由来するが、フォレ族ではこの他に罹患者が病的な笑いを見せることから「笑い病」としても知られている。
   歴史研究により、1900年前後に、フォレ族の生活圏の端に存在した一人の自然発生したクロイツフェルト・ヤコブ病罹患者が、クールー病の根源であることが推測された。
    二人の調査により、フォレ族の葬儀習慣が急速かつ容易にクールー病の拡散を招いたことが明らかとなった。
   フォレ族はしばしば家族を埋葬し、数日経過して蛆が群がった遺体を掘り起こしてから解体し、蛆と共に遺体を食していたのだ。
    柳緑の記憶を辿るとどうやら彼はその世界に一度接続したようだ。

    今までどんな過酷な状況下でも病気では倒れる事のなかった柳緑が、そのクールー病に似た形で発熱し、カブに乗る事すら難しい状態になって二日が経過しているのだ。

   …………………………………………………………………………

 柳緑はサイドカーの座席の中で天に向かって吠えた。
    何か途方もなく苦しい夢にうなされた後のようだった。
 その頭部は今はもう頭部処置の為に展開していたインナーシェルが解除されている。

「戻ってきた?戻ってきたんだね、柳緑?」
 ヘルメットを小脇に抱えて花紅が柳緑の顔を覗き込んでいる。

「、、ああ?俺はあの後、この心の病気になったんだな、、。」
    柳緑は混乱していた。花紅から見ると"あの後"が合っていない。
   そして彼が云う心の病とはネオクールーの事ではない。
   実際に精神にダメージを受けているのはクールー罹患のせいなのだが、柳緑にはその自覚がないのだ。
    記憶がそれ程に混乱しているのだ。

 だが花紅はあえてネオクールーについてもNutsWaspについても触れなかった。
    
    花紅には虹の頭部を食い破って出てきたものと、柳緑がかって戦ったモノとの差異は判っていた。
 それが同じに見えるのは、柳緑の心の闇のせいだ。
 そしてもし例え両者が同じモノであっても、今の柳緑なら、もう一度戦えそうな気がしていた。

「そうだよ!そんな柳緑の面倒を見てくれたのはカイルングさんだ。カイルングさんは柳緑を医者に診せ、医者は僕を君につけた。そしてカイルングさんは何時でも僕が君の側にいられるように、ホロが投影できる新しいプロテクを柳緑に作ってくれた。」
「、、それも、ちょっとはマシになった俺が、旅に出たいと言ったからだよな、、、でそれが、最後のカイルング爺さんの遺作になった…。」

 柳緑の精神治療カウンセリングプログラムとしての花紅は、カイルングが最後の気力と知力を振り絞り、自分の命を削ってプロテク人体制御フィードバックプログラムとカウンセリングプログラムの超絶的なハイブリッドを作り上げ、それが現在の「自分(花紅)」を形成した事を記憶していたが、あえてそのことは柳緑には伝えなかった。

 花紅の価値判定では、現在の花紅は一種の人工知性に相当したし、カイルングも傷ついた柳緑の"相棒"として花紅を望んだ筈だった。
 しかし今それを言えば、又、柳緑の心にカイルングの過労死を進めたのは自分だという負荷がかかると花紅は判定したのだ。

「柳緑がNutsWaspを倒したからジョン・カイルング・クリアのプロテク工房は評判を取り戻したけど、あの件があって以来、カイルングさんのプロテクに対する気持ちは変わりつつあったからね。きっと燃え尽きちゃったんだよ。あれから後は、カイルングさんは虹姉さんと、追い込まれた柳緑への罪滅ぼししか頭になかったみたいだ。」
「、、そうだったな。忘れちゃいけない大切な事なのに俺はそういう事を随分、置いてきたような気がする。つらかったあの場面を忘れるために、俺を支えてくれた人達の大切な事も捨て去って来たんだ。俺が引きずって来たのは、復讐の手掛かりであるテロメア解を求める為に旅に出たという建前だけだった。」

「そんな事ないさ。このカブを守ってきたのも、立夏の思いを大切にしたかったからだろ?テロメア解だってそうじゃないか。あれは梁刑事が、カーンタンの足取りを最後の最後まで追ってくれたお陰で判った唯一のキーワードだろ?テロメア解が判れば、カーンタンに辿り着けるって。君の姉さんとカーンタンの本当の関係もそれで判るかも知れないって。そう梁刑事が教えてくれたんじゃないか。君はその梁刑事の思いにも答えようとしてる。そんなに悪ぶる必要はないんだよ。」

「、、、、、。その梁さんも、行方不明になっちまったけどな。」
    梁刑事がNW事案に深く関わったからだ…と柳緑は考えている。
    あの魑魅魍魎共をこの世界に引き込んだのはカーンタンだったのか…それともカーンタンも又あの虫達に支配されたのか?

「とにかく良かった。柳緑が元に戻ってくれて。この荒療治に効果がなかったら、僕はお手上げだった。」
「、、だな。こんな異界で、俺とずっと又、一緒に引き籠もり生活なんて、お前もまっぴらごめんだろうからな。それに今のお前は手が使える。もし俺がそうなっていたなら、結構、俺はお前の事こきつかってだろうさ。引きこもりには、お前は本当に便利な存在だからな。」
 柳緑はサイドカーの座席から抜け出て少し笑いながら言った。

「これからどうするの?あっ、やっぱテロメア解を求めて旅を続けるんだよね!」
「旅は続ける、でもテロメア解探しは後回しだ。」

「えっ?」
「お前流に言わせると、あのNutsWasp世界の脅威の存在だ。それを俺は今回でもう一度思い知らされた。奴らはあちこちにいる。普通にしてたら感じ取れないだけなんだよ。あそこからの出入り口を塞ぐ必要があると思うんだ。俺はあの世界の奴らが又、こっちにちょかいを出してくるような気がしてならないんだよ。」

    ・・・NutsWasp世界?「えっ?」
     出入り口。柳緑はなんと、過去のパプアニューギニアに似た並行宇宙の事をNutsWaspが棲息する魑魅魍魎世界と勘違いしているのかも知れない。
     いや或いはもしかしたら柳緑の意識の混乱ではなく、それは事実なのかも…。

    ネオクールー病の蔓延したパプアニューギニア並行宇宙は、ほぼ現実世界の過去時制を遡る形で存在していた。
    なのにクールー病自体は抑え込めていない。
    つまり、柳緑らの世界と極めて良くにているが、その後の事実経過が異なって行く。その"何か"がある世界なのかも知れない。

「、、同感だね。それにあの世界に充満してた奇妙な空間の歪みかたが、凄く気になるんだ。ひょっとしたら、あれには精霊石の力を全部集めても対処出来ないかも知れない。あれはあまりにも異質過ぎるからね。じゃあ、これからあの通路を塞ぐための爆弾あるいは爆薬、そういうのを探すんだね、、。、、けど鍛冶屋でもなかったよね、そういうの。」
    柳緑は花紅、花紅は柳緑だ。

「ミサイルでもいい、、コラプスが、どこかの軍事基地みたいなのを掘り起こしてくれてたら助かるんだがな。それに俺達の近似値世界なら、『マップ』が又、まともに反応するかも知れない。」
「でも、あそこで虹ねえみたいに囚われてる人達がいたらどうするの?」
「俺がヒーローなら、彼らをこちらの世界に救出解放してしてから、奴らの世界ごとぶっ潰すが、そんな事は出来そうにもない。…とにかく俺は、アイツラがおもしろ半分で、又こっちに来ることだけは阻止したい。」

「判った。善は急げだ。直ぐに出発しよう。それにミサイルを買う軍資金を貯めなくちゃね。柳緑の持ってるファイヤービーンズ以外は、みんなこれに変わっちゃったからね。」
 花紅は胸にかけた精霊石を上に掲げて見せた。

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