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第1章 コラプス(破綻)、西の旅
第3話 山寺の怪異
しおりを挟む【 05: 夜、山道に迷う】
「柳緑(りゅうり)、これからどうするの?しばらくこの辺りを彷徨ってみる?」
「そうだな、こんな昔の時空破綻にテロメア解が転がっているとはとても思えないが、ユニバーサルフォースの言語ブリッジなしに人と喋れるのは有り難いしな、、あれを使うと頭が痛くなる。それに今のところ『マップ』を信用するなら、ゾーンに間違って入り込んでるって感じでもなさそうだしな。」
その『マルチバース コラプス マップ』を頼りに、どんどんカブで道を進んで行くと、道幅が徐々狭くなり、登り勾配になり始めた。
片一方に、山が迫っており、そちら側は切り立った様な崖になった。
仕方なく、柳緑は一度『三十石』を止め、サイドカーと本体を結合するブリッジの幅を最小に詰める。
これでサイドカー付きのカブは、軽自動車以下の車幅になるが、走行上の安定性は極めて悪くなる。
いやどちらにしても、こんな山道ではスピードなどは出せないのだが、、タイヤにスパイクベルトなどを取り付けなくて済む分、彼等にしてみればまだましな道行きなのかも知れない。
いつの間にか、日が暮れた暗い中を、柳緑と花紅はカブのヘッドライト頼りにコトコトと山道を前に進んでいく。
「りゅうり。道に迷ってない?」
「そうだな、元から『マップ』自体があやしいものだからな、、それに俺が枝道を見逃してる可能性もある。」
「どうすんの、引っ返えそうか?」
「引っ返すっても、方角は違ってないと思うんだがな。最低限、見当違いのゾーンに紛れこまなきゃいいわけだし……、そのうちどこかの街道へ出るだろ。」
「だけどさ、人に道を聞くって言っても家も何もないし、こんなとこで宿屋あるかな?折角、同一時空の破綻地点に巡り会ったんだもの。もっと人とお喋りしたり、悪戯したりして、楽しみかったな。」
「まぁ今晩、宿屋は無理だろな。こんな急な地形じゃ、まともにテントも張れないし。野宿を覚悟だな、、。」
「『野宿』て何?キャンプと、どうちがうの?」
「野に直に寝るから野宿。」
「だったら山に寝たら『山宿』ってな、ものなの?」
「まぁそんなもんか。俺らが普段やってるキャンプは、あれはあれで結構贅沢なものなんだぜ。テントとか、最低でも夜露をしのぐ、なにかが用意してあるだろ。」
「なら、鳥やなんか、何時も『枝宿』してるよね。」
「何をグチグチと下らない事をいつまでも言ってる。」
「僕は野宿も山宿も嫌い。宿屋宿の布団宿にして欲しい。」
「それができないから、こうやってただ進んでるんだろ。歩いてないだけ有り難いと思え。」
「こんな山の中走ってて、何も出て来ない?」
花紅が怯えたように言った。
「同一時空の破綻地帯なんだ。それに今までも荒れた感じがなかった。突拍子もないものは出ないだろ。まぁ出たところで、『かめ』ぐらいなもんかな。」
「亀が出る?こんな山ん中に?」
「『かめ』が出るなぁ、頭に『お』の付いた『かめ』が出る。」
「頭に尾が付いた亀?こんなとっから尾っぽが生えてんのん?」
花紅は本体ギリギリまで近づけてあるサイドカーから柳緑を見上げるように言った。
花紅は自分の握り拳を、飛行帽の上に二つ重ねて置いていた。
それが尾っぽのつもりなのだろう。
ホログラムだから、やろうと思えば闇の中でも、その身体を光らせる事が出来るが、今は自然に見えるように自動調光されていて花紅の生白い顔だけが、闇の中でぼんやり浮かんでいる。
こうして見ると、花紅の顔にはどこか柳緑の姉、「虹霓(こうげい)」の面影がある。
「そうじゃないよ。花紅。頭に『お』の字を付けて『かめ』と続けて言ってみな。」
「おかめ……? おかめはんて、昔の女の人の名だろ?」
「そうじゃなくて『お』を長く引っ張って、『かめ』と言うんだ。」
「お~かめ……、こ、怖わぁ。僕、オオカミは嫌いだよ!」
「誰だって、嫌いだよ。」
「断ってくれ。」
「断っても出て来るもんは、しょ~がないな。」
「りゅうりー。もしもオオカミが出たら、『オオカミが出た!』てなこと言ったら駄目だぞ。それ聞いた途端、僕は腰が抜ける。もしも出たら、『オオカミが、出ぇ~~~~』と、そこで突っ張っといて。」
「そうしたら、どうなるんだ?」
「僕が木の上か何かに隠れた時に、続きの『たぁ~ッ』を言ってくれたらいい。」
「その間に、俺が食われてしまうぜ、よくそんなこと言えるなぁ、お前……。」
「しかし何だな、『捨てる神ありゃ拾う神あり』って、ちょっと俺の手の先を見て見ろ。」
「え?」
「手の先を見ろっての、」
「りゅうり の手の先……、プロテクグローブの太い指、、」
「誰が指を見ろって言ってるんだ、指の先だろ。」
「かなりセンサー部分がへたって来てる。早い目に、リストアした方がいいな。」
「…センサーの先だよ。」
「センサーの表面に油膜が付きかけてる、早い目のクレンジングが、、」
「いつまでも遊んでるじゃないぞ。この方角を見ろって言ってるんだよ。」
「この方角。ほぉ、ほぉ。」
「明かりがチラチラと見えてるだろ。あれは山寺か何かが、あるんだろうと思う。向こうに行って一晩泊めてもらう交渉をしてみるさ。」
柳緑はそういうと、『三十石』のハンドルに付いているスロットルをやや強めに開けた。
【06: ベチョタレ雑炊を食べる】
柳緑(りゅうり)は山寺の境内にスーパーカブを駐めた。
「なんだか、滅茶滅茶静かだね。」
パタタタというカブの乾いた擬装エンジン音が途絶えると、周囲の山の静寂が迫ってくる。
柳緑は相変わらずメットを右肩にかけ、リュックを背負ったままの野戦服ポンチョのスタイルで、山寺の戸口にたった。
隣に立っている花紅(かこう)の明度は、いつもよりもやや低めに抑えてある。
この時代の人間には、明るすぎるよりも、やや暗めの見え方の方が違和感を与えないだろうと思ったからだ。
「ちょっと、お頼の申します、今晩わ。」
柳緑の口調が少し時代がかっている。
これは多少なりとも柳緑の「学習結果」によるものだった。
郷にいれば、郷に従えだ。
「はい、どなた?」
戸板の向こうから艶のある女性の声が返ってきた。
「伊勢参りの旅のもんでございますが、道を取り違えまして、行き暮れて難渋しとります。すいませんが、一晩泊めていただけないでしょうか?」
柳緑はそうは言ったが、もちろん"伊勢"が何処にあるのかさえ知らない。
これも『コラプス(破綻)マップ』からの受け売りだった。
その代わり、一帯一路弾丸鉄道の西端の駅が、アイルランドにある事を柳緑は本物の知識で知っている。まあこの異世界では全く意味のない事だが。
「それはお気の毒な、しかし当寺(てら)は尼寺でございますのでな、殿方をお泊めするといぅわけにはまいりませんので、下の村のお庄屋さんの所へでも行て泊めておもらいなさったらいかがで?」
「それが下の村も上の村も、もぉ歩きくたびれてましてね。お庭の隅でも、軒の下でも結構でございます、雨露さえしのげましたら結構なんで。」
嘘八百だった。
この一日で自分の脚で歩いたのは、煮売屋の周辺と、店の中だけだった。
それに例え、表に駐めてあるカブが見つかったとしても、実際に動くところを見ない限り、この尼僧には、カブが乗り物であるとは判らないだろうと、柳緑は思った。
柳緑には、コプラスの事や、自分の旅の経緯を一から説明するより、この罪のない嘘の方がずっと簡単だったのだ。
「人を助けるは出家の役と申します、今も言ぃましたよぉに尼寺、男のお方をお泊めするといぅわけにはまいりませんが、本堂でお通夜(つや)をなさるといぅのなら、雨露だけはしのげますでのぉ。」
「有り難い事で、そういうことで、ひとつよろしゅう、お頼の申します。」
「それでしたら、ちょっと、お待ち願えますか?」
戸の奥で、ぱたぱたと足音が聞こえ、何やらゴトゴトと用意をしている気配がした。
「ねぇねぇ、さっきの人、何って言ってたの?」
すかさず花紅が聞いてくる。
「ここは尼寺だ、女の坊(ぼん)さんが勤めてる尼寺だよ。男を泊めるわけにはいかないって事なんだけど、本堂でお通夜するんなら、泊めてあげる、って言ってくれてだんよ。」
「つまり、本堂でオツヤさえしたら良いって事?」
「そいう事だ。」
「お艶はんというのは、別嬪かなぁ?」
「お前何を考えてるんだ……、お通夜をするといぅのはな、夜通し寝ないで、仏さんのお守をする事を言うんだよ。」
「嫌だよ、そんなの。夜通し、寝ないのなら、何にもならないじゃないか。明日も旅があるんだぜ。」
「だから、それは表向きなんだよ、本当は寝ても良いんだ。」
「ほぉ、表向きお通夜、裏向きは布団宿か?」
再び戸口に気配が戻ってきたのを察した柳緑は、大きな声を出した。
「……、どぉぞ、ひとつよろしゅ~、お頼の申します。」
「掛け金も何も掛かったないので、こっちどぉぞ、お入りを。」
戸を開けた柳緑と花紅の二人の前に、尼さん頭巾を被った年増の僧が現れた。
切れ長の目に細面の顔立ち、不必要に艶のある女性だった。
「手桶に水が汲んでございます。そこにタライがありますよってにな、足袋脱いでワラジ脱いで、足洗ろぉて、どぉぞ、こっちお上がりを。」
「りゅうり、やっぱり止めとこうよ。」
花紅が小声でいう。
「どうしてだ?」
「尼さん、難しいこと言ってるし。『足袋脱いで、ワラジ脱げ』だなんて、ワラジ脱いでからでないと、足袋は脱げないだろうと、僕は思うんだよね。」
「何をくだらねぇ事を言ってる。俺みたいに、今すぐワラジ脱いで、足袋脱いで、足洗らったように、見せかけて、早く上がって来い。」
上がりがまちには柳緑の履いていたソフトスニーカーが行儀良く並べて置いてあった。
「足袋に、ワラジねぇ。僕の場合、りゅうりがホロで作ってくれた方が早いじゃん、、。」
【07 : 棺桶の蓋がポ~ン】
「どぉも、えらいご無理なことをお願いいたしまして。」
「いやいや、何のおもてなしもできゃいたしません。あのぉ、お二人とも空腹そうなご様子で。」
「何の不服もありませんよ、中に入れてもらっただけでも、ありがたいと思ってます。」
「『不服』そうやない、『空腹』、お腹が空いてござるよぉな、ご様子かと思いましてな。」
「それでしたら、ちょっと減っとります、よぉなこって。」
柳緑が尼僧の口調につられて、そう言った。
「そこに雑炊が炊いてございますので、よろしかったらお上がりを、」
「雑炊、わたし好きでんねやがな、まんでやんがな、フグ雑炊、カキ雑炊、マッタケ雑炊。」
「いやいや、寺方には、そのよぉな贅沢な結構なものはございませんが、今日は当寺の開山のお上人の忌日(きにち)にあたりますので、月にいっぺんずつ炊きます『ベチョタレ雑炊』といぅのができてございます。」
「ベチョタレ雑炊? あまり聞ぃたことがないなぁ、」
「そこに茶碗も箸も出てますんで、勝手によそて勝手にお上がりを」
「そしたら遠慮なしに……、かこう 手ぇ出すんじゃない、俺が入れてやるから、ちょっと待て。ウワァ~ッ、湯気が立ってるなぁ、さ、よばれよ……、ほな、遠慮なしにいただきます。」
ところが花紅は、柳緑がよそった椀を覗き込んだ後、じっと動かない。
いつもは実体のない身ながら、それらしい演技をする所なのだが。
だが柳緑の方は、そんな花紅の姿にも気が回らない、相当、空腹だったのだ。
フゥ~ッ、ズズゥ~……と柳緑が、ベチョタレ雑炊なるものをかき込んだ。
「ちょっとお尋んねしますが、庵主さん。この舌の先にザラザラしたものが残るのは、何が入ってまんねん?」
「それは味噌が切れたんで、山の赤土が入れてございます。」
「え、そんなもんが食べられますか?」
「赤土は体に精ぇを付けますでなぁ、」
「赤土で精を付ける、何やら盆栽みたいになってきたなぁ……。この一寸ぐらいに切ってあって、噛みしめると甘ぁい汁が出まんねけど、藁みたいなもの、こら何でんねん?」
「それは『藁みたいなもん』やない、藁でおます。」
「聞ぃたか、おい、かこう。言いようがあるもんやなぁ、『藁みたいなもんやない、藁』だそうだ、、。ところで、藁が食べられますか?」
「あれは、体をホコホコと温めますでな、」
「ほいほい、藁食って土食って、これで壁塗りコテを呑んだら、腹の中に壁が出来る……。この草みたいなもんが出て来ましたが?」
「それはゲンゲン花の陰干しで、」
「ゲンゲン花……、」
急いで柳緑は、膝元に置いたヘルメットに手を掛けてさり気なくゲンゲン花を検索する。
ヘルメットの耳下部分にタッチ式のキーボードが仕込んである。
「体毒下しだろ、これ。、、もしもし庵主さん。カエルみたいなもんが出て来ましたが?」
「出すのん忘れとりました。ダシを取るためにイモリが入れてある。」
「おおきに、ごっつぉはんでございました。」
柳緑は顔が青くなっている。
「遠慮せんと、どぉぞぎょ~さん……」
「いやいや、今のイモリでぐっとお腹が膨れましたんで、ありがとうございます。」
「お口には合いますまい、明日になったら、また麦飯(ばくはん)なと炊いてしんぜましょ。ところでお泊り願う早々、こんなことお願いして何でございまんねやが、実はちょっとお二人に留守番をお願いしたいんで。」
「え~っ、こんな寂しぃ山寺で留守番なんて。こんな時刻から、どこけへお出かけになるんですか?」
慌てた柳緑の口調が、元の時代のものに戻り初めている。
「実は下の村にお小夜後家といぃましてな、金貸しのお婆さんが住んどりまして、貧乏なお方に、高い利子でお金を貸し付けては、厳しゅ~取り立てる。あんまり評判のえぇお方やなかったんですが、今朝ほどポックリとお亡くなりになられましてな。村の衆が寄って棺桶に納めてお勤めをしてましても、貸し付けてあるお金に気が残ってますねやなぁ、またしても棺桶のふたをポ~ンと跳ねのけては『金返せぇ~、金返せ』出て来るんやそうで。悪い人でも死にゃ仏、これから行て、ありがたいお経を上げて成仏さしたげよと思いますので、ちょっとお二人にお留守番を。」
"棺桶の蓋がポ~ン"の下りで、柳緑の顔が青褪める。生きた人間に対してはヤンチャが過ぎる柳緑だが、こう云う類のものには弱い。
「まあ、お小夜後家の婆様には色々な因縁話がございますが、お亡くなりになられてはもう立派な仏様におなりにまりますのでな。」
「金貸し婆ぁの因縁話!それ聞きたい。同じ通夜するなら知っときたいなー!」
よせば良いのに花紅は、それを聞きたがった。
「死んだ御仁の悪口は言えませんが…まあこの話は、直接お小夜後家の婆様とは関係がないのでよろしかろう。」
なにやら怪しげな目つきで尼さんは花紅の顔を見ながら続けた。
「ある夜更けに、人がよく面倒見のいい猟師の亀右衛門さんのところに、仲間の若い猟師が二人やって来ましてな。どうしても明日までに十両の借金を返せねばこの村に居られなくなったと言います。あちこちと金の工面して回ったがどうにもならず、亀右衛門さんを頼って来たというのです。
亀右衛門さんにも十両のまとまった金はなく、手紙を持って金貸しのお小夜後家の所へ行って借りるようにと取り計らうのですが、二人はこんな夜更けに狐・狸が化けて出るという天神の森を抜けて行くのは怖く、お小夜後家の所に行ったところで信用がない二人には、貸してくれないだろうと、情けないことを言っています。
亀右衛門さんは『いい若い者が怖い、怖いとは情けねぇ。俺なんぞ怖いと思ったことなど一辺もない・・・』なぞと豪語し、『そんなら俺が行ってやる』と、お人良し丸出しでこんな夜中に出掛けて行きなはったと。
天神の森にさしかかり、本当は怖がりの亀右衛門さん、『何でこんなことを引き受けてしまった・・・』と悔やみますが引き返すわけにも行かない。すると目の前にすーっと若い娘が現れた。さては狐狸妖怪の類と見構えたのですが、正真正銘の人間のようです。
この若い娘は奉公先の番頭といい仲になり、お腹に子まで宿してしまった。店の金を盗んで番頭と駆け落ちしてここまで来たが、番頭は逃げ出してしまった。両親に会わせる顔もなく、ここで首を吊って死のうと思っていると明かします。
首吊りなんて早まったことはするなと止めにかかった亀右衛門さんに娘は、『ここにある十両をあげるから死なせてくれ』と言い出します。十両と聞いた亀右衛門さん。十両あればこの先、怖い思いをしてお小夜後家の所へ行かずとも済む。
そこで気持ちを切り替えて、首吊りを勧め、やり方が分からないという娘に、懇切丁寧、首吊りの方法を教え始めたのです。『・・・こうやって縄を木の枝に掛け、・・・この桶を踏み台にして・・・こうやって首を縄の輪の中に入れ・・・踏み台をポーンと・・』蹴ってしまった。
ぶら下がった亀右衛門さんのよだれと鼻汁を垂らした無様な死にざまを見て、娘はすっかり首吊りの気は失せた。両親に宛てた書置きを、こんな物もういらないと亀右衛門さんの懐(ふところ)に入れ、渡した十両を取り戻して、すたこらさっさと駆け出して行ってしまったのです。
一方、亀右衛門さんの帰りが遅いのを心配した二人は迎えに出掛ける。まだ夜明け前の天神の森に入ると、何かにぶつかった。よけても押してもすぐに戻って来る。力一杯押したら、戻って来て顎にぶつかった。よく見ると木の枝にぶら下がった亀右衛門さんの死体だった。びっくり仰天して二人は役人の所へ走ったのです。
死体をつぶさに検分した役人は亀右衛門の懐に娘が入れた書置きを見つけた。『私こと、ご両親様に申し分けなきことなれど・・・』、役人『亀右衛門はいくつだ?』、『確か今年78で・・・』、
役人は書置きを読み続けます。『”いつしかあの人と深い仲になり、ついには因果の胤(たね)を宿し候”・・・、どうもおかしいな、亀右衛門とは男の名。世にふたなりという男と女の両性を有する者もあると聞くが・・・、これ亀右衛門は男子か女子か?』若い猟師が答ました『いえ、猟師でございます』 」
「なーんだ落とし話かぁ。」
「まぁそうだと、良いのですのですけどねぇ。」
横で黙って聞いていた柳緑の顔が強張る。
「そんな怖い話、言わないでください。こう見えても我々怖がりなんで。そんなん、かなんがな!」
言葉通りこの時だけは柳緑も、この時代の人間になりきることが出来た。
まさに『そんなん、かなんがな。』の気持ちだったのである。
「いえいえ、心配なさらずとも、このお寺も宵の口は寂しゅございますが、夜が更けると賑やかになります。」
「不思議な寺ですよね。宵が寂しゅ~て、夜が更けると賑やか……。そうか庵主さん、貴方がまだ若くてお綺麗だから、夜中に村の若い衆が遊びに来たりするんですね?」
花紅が又、呑気な事をいう。
「そのよぉなことはございませんが、この本堂の真ぁ裏が、墓場になっとります。夜中になりますと、骸骨がぎょ~さん出て来て、相撲を取って遊びます、『八卦よい残った残った、ガチャガチャ、ガチャガチャ』まことに賑やか。」
「何の賑やかですか!?俺ら骸骨の相撲なんかきっぱり、大嫌いです!」
「それにもぉ、少々夜が更けて丑満つといぅ頃になりますとな、ご本尊の真ぁ後ろに、新仏の墓がございます。これは。上の村のお庄屋さんの娘さんが、よそへ縁付かはって間なしに亡くなってでおましたが、お腹に稚児(ややこ)ができてるのを、そのまま土に埋ずめたところが、土の温気(うんき)で、どぉやら赤子が産まれたよぉな具合で。」
そういう庵主の切れ長な目が、やけに熱っぽい。
「そこの廊下にポ~ッと明かりが差しますと、庄屋の嬢(いと)さんが、こぉ赤ん坊を抱いて、『ねんねん、よぉ~~、おねやれ、やぁ~~』とあやして歩かはります。そらもぉホン情があって……」
「何の情が!そんな話聞いて、俺らとてもじゃないが留守番なんか出来ません。その夜伽(よとぎ)、日延べするというわけには?」
「夜伽は日延べにはでけしません。いやいや、そういぅ魔性のものも、あのご本尊の阿弥陀さんの前のお灯明、あのおみ明かしさえ消えなんだら、そういぅもんは出てまいりません。あの灯にさえ気を付けててもらいましたら大丈夫でございます。ほんなら、ちょっと行てまいりますで、お二人さん。どぉぞお留守番あんじょ~お願いいたします。」
「ちょっと、待ったぁ、待ったぁ~。お~~い……」
この時になって、事の重大さが判ってきたのか、切羽詰まったように花紅が尼僧の背中に声をかけた。
「行ちゃったよ、りゅうり、どうしょう~。」
「どうもこうもないだろ、もうこうなったらこっちに来て座れ。度胸据えなきゃ、仕方がない。そうそう、あの灯が頼りだ。かこう、油の具合、ちょっと見てこい。あれが消えたら大変だ……」
「えぇ~ッ、りゅうり、これもぉ、油がいくらも入ってないよ」
阿弥陀の前の灯明あたりから花紅の声が聞こえた。
「それヤバイ、継ぎ足さないと。」
「油徳利ってのは~、どこにあるのかなぁ~。あった、あった。」
「どれ、どこだ。こういう時は実体がないと頼りないな。結局、俺がやる事になる。」
柳緑は花紅が見つけた油徳利で灯明に油を注いだ。
ジュジュジュ、パチ。ジュ~パチ、ジュ~パチ……
「あれ? あ、油差したら、灯が点いたり消えたりする?」
「かこう、お前見つけたの本当に油か?」
そう言われた花紅は、柳緑が床に置いた油徳利を見た。
「これは……、醤油」
「馬鹿、油と醤油と間違えるやつがあるか!」
「入れたのは りゅうりだろ。確認しないのが悪い。あんな崩した文字、僕には読めないよ。あぁ~、消えた、点いた、またパチパチしてる、点いた、消えた……。消えちゃったよー……。」
「『ねんねん、よぉ~』」
「りゅうりっっ!幽霊出たぁ~!」
「、、今のは俺だ。」
「アホ、こら、りゅうり!僕、寿命が縮んだぞ!」
花紅が涙目で言った。
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