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第1章
第01話 ピンクの鮫
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#01: ピンクの鮫
昆虫の完全変態に関する最新研究によると、昆虫はイモムシだった頃の記憶がないらしい。
蛹になった時に脳も溶けてニューロンが再配置されると云うことだ。
この成長形態は3.5億万年前に始まったと考えられる。又これは、昆虫が成虫と幼虫で異なる餌を食べる為の戦略だとも推測されている。
【 March 3, 18:00 】
ピンクシャーク号の豪華で巨大なラウンジの一角は、あらゆる調度品を含めて色彩が爆発していた。
熱帯の密林の花々が、もし一斉に咲き乱れたらこんな風になるだろう。
但し、それらの素材は圧倒的にプラスティックやビニール等の化学製品が多い。
ここにいる"人間達"も、そうだった。
SAIGONは、小柄で胸がとても大きくきれいで、男とはどう見ても思えない色白の「オカマ」だつた。
でも裸になったSAIGONには、やっぱり小さいけれどサオがあり、僕は今「女性」に恋をしかけているのか、「オカマ」に肉欲を覚えているのか……一瞬、贅沢な悩みに陥りかけていた。
でもハッパに「きまり始めた」今となっては、そんなことよりも、その綺麗な肌と胸、かわいい顔だけで、もう自分はSAIGONを大好きで、それは「やりたくて仕方ない」という欲望を掻き立てる衝動とイコールでしかないのだ。
春先だというのに、僕は緩いトランクスのようなパンツ一枚。だが寒くはない、船内ラウンジは相変わらず完璧な空調を効かせているからだ。
「ちょっと待ってくれないか。」
支配人のカオスが暴走寸前の僕の肩を掴んで、僕をSAIGONから引き離し、僕の裸の胸にどっしりとした肌色のゴム製の衣服を押しつけて来た。
そして目尻の垂れた大きな目でウインクしながら「ここからが今日のスペシャルパーティなんだよ。」と言った。
カオスはツルツルに剃り上げたスキンヘッドがよく似合う男だった。
「スペシャルパーティ?それにこれはいったい何なんだ?」
胸元に押し付けられたグンニャリとした物体は意外な重さがある。
僕がそう問い直している間、カオス以外の「オカマ」達は、SAIGONも含めてクローゼットコーナーの前で、はしゃぎながらお互いの身体に何かのスプレーをかけ合っていた。
「ミズキ。君は、我々の仲間になる素質があるよ。でも身体は弄れないんだろ。だからそれを、ミズキが少しの間だけオンナになれる服を、プレゼントするよ。この国はこんなのを造らせると世界一だからな。まあ浮島のディープコアに行けばコレなんかは子供の玩具だけどね。」
仲間?仲間って何だ?仲間になる素質?この男は、僕の隠された性癖の事を云っているのか?でも、あれはそんなに大層な事じゃないはずだ。
同性愛だって公には広く認められているし、ましてやこの船で行われている事の異常性を考えれば、女装癖なんて子供の手遊びのようなものでなんの奇異性もない。
ぼんやりする頭で、僕は胸に押し当てられたゴムの服をだらんと自分の身体の前に垂らして見た。
それは人体を模して良くは出来ているが、まるで空気を抜いたダッチワイフだった。
「冗談じゃない。こんなものを着たら、外見はオンナみたいになるかも知れないが、ちっとも楽しめないじゃないか。」
……楽しむ?変態の巣窟で?この目立たない僕が?一体何を楽しむと云うんだ。
僕はハッパの為におかしくもないのに、笑いながらカオスに"偽り"の抗議をした。
「SAIGONたちが使ってるスプレーに秘密があるんだよ。あれはこれらのラバーを着やすくするだけの潤滑剤じゃないんだ。催淫効果があるんだよ、あれを身体に塗ってラバーを付けてヤルと凄く感じるんだ。あのスプレー自体がそんなに簡単に手に入るものじゃないんだ。それにSAIGONは君とプレィをしたがってる。どうなんだ?やめるかい?」
SAIGONの方を見ると、彼女は小さな顔に、天辺に馬の尻尾のような金髪の房がついた黒いラバーキャップフードを、もう一人の「オカマ」の手で被せて貰っている所だった。
そしてSAIGONの形のいい長い足は、既に黒のラバーストッキングで覆われていた。
人形みたいだった。
旧日本では見たことがない、不思議で官能的な人形。
でも問題はSAIGONのペニスだった。
さっきはちいさかったものが、今は猛然とそそり立っている。
僕はそれをみてごくりと唾を飲み込んだ。
その姿は、僕の中にいる聖女に対する"僕という淫乱女"のイコンの眷属に近い。
聖女の名前は刈谷宝子。
イコンの名前はタマキ…。
母親と真逆の性格の女、清純からは程遠い女。
刈谷タマキは淫乱だ。男とでも女とでも寝る。
そして今はSAIGONの姿に共鳴して男を欲しがっている。
口の中にむっちりと収まった熱い肉棒の重量感、そして血の脈動。
舌の先で相手の「肉」をコントロールする喜び。
僕の中のタマキは「あれ」をしゃぶりたい、お尻に受けたい、そう思っている。
「やるよ。」
カオスは僕の顔の前に彼の手を翳し、僕の目に液が入らないようにしてから、そのスプレーを僕の裸体に吹きかけ始めた。
吃驚した。速効性だった。
先にやっていたハッパとの相乗効果もあるのかも知れない。
肌がどんな感触にも反応するのだ。
カオスが僕の身体のサイズにはきつすぎるラバー製のフィメールスーツを無理矢理着せようとする皮膚への接触だけで、それが引き起こすあまりの快感に嘔吐しそうになるぐらいなのだ。
その癖、おチンチンは熱くあの噴出前の「疼く期待感」を維持するだけで、一向にそのレベルを上げようとも下げようともしない。
腰まで引き上げたフィメールスーツの股間は、ちょうどデルタ地帯にあたる部分がくりぬいてあり、僕のおチンチンはそこから凶暴に飛び出ている。
確かにそれだけをみると僕の身体は「竿付きのオカマ」に変貌していた。
そしてスーツは僕の首元まで巻き上げられるようにして装着された。
圧迫感が一番強いのは胸骨の下辺りから腹部にかけてで、恐らくコルセットのような矯正力も加味してあるのだろう。
上からのぞき込んでも僕の下腹部はウエストが絞り込まれ、腰はしっかり張り出して女性そのものだ。
スーツの装着感の中で一番驚いたのは乳首だった。
カオスに上から触ってごらんといわれて、このゴムのオンナ型スーツにある乳首を弄ってみたのだが、なんとその刺激が倍増されて僕の乳首に伝わってくる。
これなら交合の為に剥き出しになっているアヌスの部分も、このラバーで覆われていれば良かったのにと、僕は一瞬欲張りな事を考えた。
「それがこのスーツの一番の工夫なんだよ。テクニシャンのガジェットなんだ。こんなものが遊びで出来る程、この国は余裕があるのさ。上流層の人間たちなんて、これらを支えている先進医療テクノロジーによって、病気さえしない。底辺の人間は餓死寸前なのにね。」とカオスが笑って説明する。
皮肉なのか肯定なのか判然としない乾いた笑いだつた。
「最後はこれだ。人によっては危険な代物だよ。魂を奪い取られるからね。SAIGON。あれを持ってきて。ミズキ、これはSAIGONに被せてもらうといいよ。」
黒いラバーフードキャップで覆われて顔面をハート型に残したままのキュートなSAIGONが僕に近づいて来て、後ろ手で隠したものを僕の眼前に突きだした。
それはスキーの目だし帽のような袋状のもので、SAIGONと同じ脱色した金髪まで植え込まれてあり、まるで人の頭から頭蓋骨だけを綺麗に抜き取った皮のようにも見えた。
でも、もっと驚いたのはその顔が目の前のSAIGONそっくりの顔だった事だ。
すこし小振りでつんと上を向いた鼻、野生の猫科の動物を連想させる大きな目。
小さな顎。
下唇が少し分厚いいかにも淫乱そうなやや大きめの唇。それらが形のよい、やや縦に縮んだ卵形の顔に収まっている。
SAIGON自身がこのマスクのモデルなんだろう。
いやひょっとして自分の目の前にいるSAIGONもマスクを被っているだけで、その下にはもっと別の少年じみた顔が隠されているのかも知れない、、。
浅黒い肌をして頬骨が高く眼の大きな少年、そしてそれは遠い日の僕自身であるのだろうか。
僕は奇妙に倒錯した思いに駆られた。
とにかく僕はこの全頭マスクを付けて「オカマのSAIGON」になれるんだ。
その途方もない思いつきが快楽の波に晒され続ける僕の意識にこびり付き始めた。
つまり僕はこの奇妙なマスクに魅入られてしまったわけなのだ。カオスが言った魂を抜き取られるとはそう云う意味だった。
僕はSAIGONの前に自ら跪きマスクの洗礼を受け入れ始めた。
そして、目の前にそそり立つSAIGONのペニスを女の姿になって口に含む自分を想像しながら目をつむった。
マスクはSMグッズなどにあるレザーマスクのように後頭部に切れ目があって、そこを編み上げたりジップアップする構造ではなかった。
正にSAIGONの「首の切れ目」から、自分の頭頂部を潜り込ませていくのだ。
母親の胎内に成人した自分が無理矢理に戻っていく。そんな、酷く突飛なメタファーを連想した。
ラバーの圧倒的な密着する圧迫感が僕の顔面を下降して行く。
もし僕の頭の大きさを受け入れてくれるようなアナルがあり、その直腸へ顔を潜り込ませたなら、今にも窒息死しそうになるこんな強烈な密着感が得られた事だろう。
そして完全なる顔面への装着が完了した。それを助けたのは、僕の顔にも吹きかけられたあの潤滑剤だった。
僕は、、、僕の顔さえも性器になってしまっている事に気づいた、、。
SAIGONが手鏡を持ってきてくれる。
その中には、すこし面長の「SAIGONの双子の姉」といっても通りそうな「生きたダッチワイフ」がトんだ眼をして映っていた。
僕は今、一つのルールのもとに人体を完全な性的オブジェに変身させられているのだ。
まるでポリエステルとファイバーグラスで型を取って固め、その上に精巧な塗料で多彩色をほどこしたような、ブロンドのかつらをぶり、ゴムでできた女の顔をしたマスクをつけ、皮膚に似たラバー・スーツを頭からすっぽり身につけて、、。
それが、もう一人の僕、"タマキ"の受肉と誕生の瞬間だった。
【 March 4, 18:25 】
ラウンジの一角で叫び声が上がった。
左舷の方向だ。
ミズキの身体に緊張が走る。
SAIGONはその方向に顔を向けるもキョトンとしている。徐々に騒動の渦は大きくなっていく。
『おかしい』とミズキは思った。
ピンクシャークはあらゆる所に警備員が埋設されている。給仕の制服に身を包んだりしているが彼らが相当な武術の鍛錬を済ませている事がミズキには気配で分かる。
そんな彼らがいるのなら、この騒動は直ぐに収まる筈だった。
それが収まるどころか、騒乱の血腥い黒い渦が、こちらに向かって進んで来るのだ。
ミズキはSAIGONを背中に庇う。
渦の中心が見えた。
歯をむき出し口から泡を吹いている半裸の金髪男だ。既に血だらけの身体の筋肉の張りが異常だった。
『何かの薬物をやっている』と直ぐにわかった。
この時だけは、ミズキは自分をこのような危機察知能力に優れた人間に鍛えてくれた祖父の存在に感謝した。
身体が自然に戦闘モードに入っている。
「みんな、もっと後ろに下がれ!」
「後ろに行っても出口がないョ!」
「大丈夫だ、俺がなんとかする。それに応援だって来るはずだ!兎に角、奴から距離をとれ。」
しかしSAIGON達はモゾモゾと動くだけで一向に後ろに大きく下がろうとしない。
ミズキが自分達を守ってくれるとでも思っているのか…常に愛玩され庇護される側だから、動物的な反応さえ出来無いのか…。
自分の技量では、他人を守りながら攻撃してくる相手には勝てない。それは分かっていた。
このまま守りに回っていては危ない。SAIGON達が邪魔になるのだ。
「クソっ!」
ミズキは次の瞬間、黒い渦に向かって走りだしていた。
横薙ぎに払われたナイフがミズキの眼の前を通過していく。
身体が自然にスウェイバックする、同時に左足が跳ね上がる。
・・・
…こんな事など大した事はない、いつも爺に仕掛けられ、それを躱す為にやっていた事だ。
爺だって僕を殺す気でやっていた。
今と大差ない。
その手にナイフが握られているか、いないかだけの差だ。
でももしこれが例のフィメールスーツを着た後の攻撃だったら、ピンクに溶けた僕の脳味噌では対処できなかっただろう。
チンコ付き全裸少女の戦闘ゲーム。
そう思ったら何だか妙に笑えて来た。
実際、数秒後、金髪男を蹴りでノックダウンさせた後の僕はにんまりと笑っていたらしい。
・・・
「人助けかい、ミズキはお人好しだな?」
カオスが、乗務員から肩の手当てを受けているミズキへ面白そうに言った。
「お人好し?父親に似てるんだろう…馬鹿みたいに真面目な男だったから。そんな事より、ここの警備体制はどうなっているんだ?よくこんなので世界一のプレジャーボートだとか言えるよな…。」
「お客様は神様だからね。ついつい上客についてはチェックが甘くなる。それに彼は巧妙に薬物を持ち込んで来ていたようだ。何かの理由で人生に破綻して、端から自殺する積もりでこの船に乗り込んだんだろう。浮島で倒産でもしたんだろう。巻き込み自殺と快楽殺人の複合型だな、厄介な時代になったもんだ。」
「あんた、ここの支配人だろ?よくそんな無責任な感想がいえるな…。」
「無責任?他の顧客に怪我人はいないよ。寧ろエキサイティングな体験をして喜んでる。ああ君は別だよ。なにせ密航者だからね。君がここで遊んでられるのは私の、はからいだと云う事を忘れないないように。しかしミズキの蹴りは最高だったらしいね。SAIGONたちが絶賛してた。ミズキはまるで脚を腕みたいに自由自在に扱うって。それで最後は自分より背の高い相手の頭を踵で砕いたって。流石は香久家裂開の孫だ。」
香久家は裂開の旧姓だ。
今は訳あって、刈谷裂開と名乗っている。
そんなカオスの物言いにミズキは苛立って来た。
「あんなクソ爺は関係ない。それより何であんたはそんなに僕の事に詳しいんだ?」
「君は大事な積荷なんだ。裏の仕事の場合は、クライアントからの情報以外の事であっても、知れる事なら何でも調べあげる。積荷の中身が爆発物だったらどうする?ソレを知らずに迂闊には運べんだろ。」
「…………。」
信じられなかった。
普通の情報収集程度だと、僕の祖父の詳しいプロフィールは判らない筈だった。
あの爺は闇の世界の住人だ。
しかも緑でもないクズ人間だ。ヤツのやって来た悪辣な所業は本人がその事を漏らさない限りは誰にも知られる所ではない筈だった…。
爺の息子である父でさえ、その過去の実態について詳しく知らなかったのだから。
で、その香久家裂開の秘密を、何故僕が知っているかって?
それはあの爺が、僕を"自分の闇"に取り込みたかったからだ。誰が、自分の親族が殺人者だったなんて事を知りたがる?そう思う?
あの爺は、自分の息子にすら秘密にしていた事実を、僕を閉じ込める為に、僕だけに漏らしたのだ。
【 March 5, 11:00 】
……さすがに甲板に上がると早春の海は寒い。
海面にピンクシャーク号と並走するように泳ぐ鯖イルカの群れが見えた。
鯖イルカの背中はその名の通り青いから海中を泳いでいる時には余り目立たない。
しかし鯖イルカは、何度も己の存在を誇示するかのように空中にジャンプするから、その時に見せる彼らの銀色に輝く腹が驚く程に眩いのが判る。
水平線上を見回しても島影はない。
旧日本を離れたのだと云う実感が少し湧いて来た。
同時にこの密航の際に僕を見送ってくれた両親の姿を思い出す。
『このまま旧日本に居ては自分たちの息子の可能性は限られている』そう思って両親は僕を浮島に送り出したのだ。
「どうするかね?次の寄港で乗り換えないなら、この船は予定通り出港地のメガマウスに戻る。戻ったなら、君のこの先の人生は決まりだ。君は、大企業が動かしている完全なる機械部品の一つになる、ただそれだけだ。」
浮島に在住する母方・任堂家の補充要員になる、それが僕の密航の理由だった。その詳しい経緯は聞かされていない。カオスのクライアントは任堂家か、その周辺だと思えた。
「あんたは、その入り口に入る事を請け負った密航屋じゃないのか?そこから外れるような事を何故、僕にそそのかす?目的が分からない。それに依頼者側に僕の事をどう説明するんだ?」
「なに簡単だろ?ミズキは航行途中で不可避の事故にあった。…その結果の死亡でも、あるいは投身自殺でもいい。その辺までは契約事項には入っていないからね。金は取れる。払い戻しもしない。船には乗ったんだ。それを証明する人間は沢山いるし、逆に私の企みを告発するような勇気のある人間は何処にもいない。」
カオスは自信たっぷりに言った。
すべてを揉み消す力が自分にはあるという表情が自然に浮かび上がっている。
「あんたの目的は?」
「前に、我々の仲間にならないか?と誘った筈だが?」
「僕に売春チームの一員になれと?」
カオスが乾いた笑い声を上げる。
「まあ君なら、ロラパルーザな人造美女に成れそうだが、、だがね、そんな事ではわざわざこんなリスクを犯さないよ。、、君はMSLのネオベトコンの名を知っているかい?」
カオスはこの時初めて、浮島の事を、MSL・Megamouth Shark Land と呼んだ。
昆虫の完全変態に関する最新研究によると、昆虫はイモムシだった頃の記憶がないらしい。
蛹になった時に脳も溶けてニューロンが再配置されると云うことだ。
この成長形態は3.5億万年前に始まったと考えられる。又これは、昆虫が成虫と幼虫で異なる餌を食べる為の戦略だとも推測されている。
【 March 3, 18:00 】
ピンクシャーク号の豪華で巨大なラウンジの一角は、あらゆる調度品を含めて色彩が爆発していた。
熱帯の密林の花々が、もし一斉に咲き乱れたらこんな風になるだろう。
但し、それらの素材は圧倒的にプラスティックやビニール等の化学製品が多い。
ここにいる"人間達"も、そうだった。
SAIGONは、小柄で胸がとても大きくきれいで、男とはどう見ても思えない色白の「オカマ」だつた。
でも裸になったSAIGONには、やっぱり小さいけれどサオがあり、僕は今「女性」に恋をしかけているのか、「オカマ」に肉欲を覚えているのか……一瞬、贅沢な悩みに陥りかけていた。
でもハッパに「きまり始めた」今となっては、そんなことよりも、その綺麗な肌と胸、かわいい顔だけで、もう自分はSAIGONを大好きで、それは「やりたくて仕方ない」という欲望を掻き立てる衝動とイコールでしかないのだ。
春先だというのに、僕は緩いトランクスのようなパンツ一枚。だが寒くはない、船内ラウンジは相変わらず完璧な空調を効かせているからだ。
「ちょっと待ってくれないか。」
支配人のカオスが暴走寸前の僕の肩を掴んで、僕をSAIGONから引き離し、僕の裸の胸にどっしりとした肌色のゴム製の衣服を押しつけて来た。
そして目尻の垂れた大きな目でウインクしながら「ここからが今日のスペシャルパーティなんだよ。」と言った。
カオスはツルツルに剃り上げたスキンヘッドがよく似合う男だった。
「スペシャルパーティ?それにこれはいったい何なんだ?」
胸元に押し付けられたグンニャリとした物体は意外な重さがある。
僕がそう問い直している間、カオス以外の「オカマ」達は、SAIGONも含めてクローゼットコーナーの前で、はしゃぎながらお互いの身体に何かのスプレーをかけ合っていた。
「ミズキ。君は、我々の仲間になる素質があるよ。でも身体は弄れないんだろ。だからそれを、ミズキが少しの間だけオンナになれる服を、プレゼントするよ。この国はこんなのを造らせると世界一だからな。まあ浮島のディープコアに行けばコレなんかは子供の玩具だけどね。」
仲間?仲間って何だ?仲間になる素質?この男は、僕の隠された性癖の事を云っているのか?でも、あれはそんなに大層な事じゃないはずだ。
同性愛だって公には広く認められているし、ましてやこの船で行われている事の異常性を考えれば、女装癖なんて子供の手遊びのようなものでなんの奇異性もない。
ぼんやりする頭で、僕は胸に押し当てられたゴムの服をだらんと自分の身体の前に垂らして見た。
それは人体を模して良くは出来ているが、まるで空気を抜いたダッチワイフだった。
「冗談じゃない。こんなものを着たら、外見はオンナみたいになるかも知れないが、ちっとも楽しめないじゃないか。」
……楽しむ?変態の巣窟で?この目立たない僕が?一体何を楽しむと云うんだ。
僕はハッパの為におかしくもないのに、笑いながらカオスに"偽り"の抗議をした。
「SAIGONたちが使ってるスプレーに秘密があるんだよ。あれはこれらのラバーを着やすくするだけの潤滑剤じゃないんだ。催淫効果があるんだよ、あれを身体に塗ってラバーを付けてヤルと凄く感じるんだ。あのスプレー自体がそんなに簡単に手に入るものじゃないんだ。それにSAIGONは君とプレィをしたがってる。どうなんだ?やめるかい?」
SAIGONの方を見ると、彼女は小さな顔に、天辺に馬の尻尾のような金髪の房がついた黒いラバーキャップフードを、もう一人の「オカマ」の手で被せて貰っている所だった。
そしてSAIGONの形のいい長い足は、既に黒のラバーストッキングで覆われていた。
人形みたいだった。
旧日本では見たことがない、不思議で官能的な人形。
でも問題はSAIGONのペニスだった。
さっきはちいさかったものが、今は猛然とそそり立っている。
僕はそれをみてごくりと唾を飲み込んだ。
その姿は、僕の中にいる聖女に対する"僕という淫乱女"のイコンの眷属に近い。
聖女の名前は刈谷宝子。
イコンの名前はタマキ…。
母親と真逆の性格の女、清純からは程遠い女。
刈谷タマキは淫乱だ。男とでも女とでも寝る。
そして今はSAIGONの姿に共鳴して男を欲しがっている。
口の中にむっちりと収まった熱い肉棒の重量感、そして血の脈動。
舌の先で相手の「肉」をコントロールする喜び。
僕の中のタマキは「あれ」をしゃぶりたい、お尻に受けたい、そう思っている。
「やるよ。」
カオスは僕の顔の前に彼の手を翳し、僕の目に液が入らないようにしてから、そのスプレーを僕の裸体に吹きかけ始めた。
吃驚した。速効性だった。
先にやっていたハッパとの相乗効果もあるのかも知れない。
肌がどんな感触にも反応するのだ。
カオスが僕の身体のサイズにはきつすぎるラバー製のフィメールスーツを無理矢理着せようとする皮膚への接触だけで、それが引き起こすあまりの快感に嘔吐しそうになるぐらいなのだ。
その癖、おチンチンは熱くあの噴出前の「疼く期待感」を維持するだけで、一向にそのレベルを上げようとも下げようともしない。
腰まで引き上げたフィメールスーツの股間は、ちょうどデルタ地帯にあたる部分がくりぬいてあり、僕のおチンチンはそこから凶暴に飛び出ている。
確かにそれだけをみると僕の身体は「竿付きのオカマ」に変貌していた。
そしてスーツは僕の首元まで巻き上げられるようにして装着された。
圧迫感が一番強いのは胸骨の下辺りから腹部にかけてで、恐らくコルセットのような矯正力も加味してあるのだろう。
上からのぞき込んでも僕の下腹部はウエストが絞り込まれ、腰はしっかり張り出して女性そのものだ。
スーツの装着感の中で一番驚いたのは乳首だった。
カオスに上から触ってごらんといわれて、このゴムのオンナ型スーツにある乳首を弄ってみたのだが、なんとその刺激が倍増されて僕の乳首に伝わってくる。
これなら交合の為に剥き出しになっているアヌスの部分も、このラバーで覆われていれば良かったのにと、僕は一瞬欲張りな事を考えた。
「それがこのスーツの一番の工夫なんだよ。テクニシャンのガジェットなんだ。こんなものが遊びで出来る程、この国は余裕があるのさ。上流層の人間たちなんて、これらを支えている先進医療テクノロジーによって、病気さえしない。底辺の人間は餓死寸前なのにね。」とカオスが笑って説明する。
皮肉なのか肯定なのか判然としない乾いた笑いだつた。
「最後はこれだ。人によっては危険な代物だよ。魂を奪い取られるからね。SAIGON。あれを持ってきて。ミズキ、これはSAIGONに被せてもらうといいよ。」
黒いラバーフードキャップで覆われて顔面をハート型に残したままのキュートなSAIGONが僕に近づいて来て、後ろ手で隠したものを僕の眼前に突きだした。
それはスキーの目だし帽のような袋状のもので、SAIGONと同じ脱色した金髪まで植え込まれてあり、まるで人の頭から頭蓋骨だけを綺麗に抜き取った皮のようにも見えた。
でも、もっと驚いたのはその顔が目の前のSAIGONそっくりの顔だった事だ。
すこし小振りでつんと上を向いた鼻、野生の猫科の動物を連想させる大きな目。
小さな顎。
下唇が少し分厚いいかにも淫乱そうなやや大きめの唇。それらが形のよい、やや縦に縮んだ卵形の顔に収まっている。
SAIGON自身がこのマスクのモデルなんだろう。
いやひょっとして自分の目の前にいるSAIGONもマスクを被っているだけで、その下にはもっと別の少年じみた顔が隠されているのかも知れない、、。
浅黒い肌をして頬骨が高く眼の大きな少年、そしてそれは遠い日の僕自身であるのだろうか。
僕は奇妙に倒錯した思いに駆られた。
とにかく僕はこの全頭マスクを付けて「オカマのSAIGON」になれるんだ。
その途方もない思いつきが快楽の波に晒され続ける僕の意識にこびり付き始めた。
つまり僕はこの奇妙なマスクに魅入られてしまったわけなのだ。カオスが言った魂を抜き取られるとはそう云う意味だった。
僕はSAIGONの前に自ら跪きマスクの洗礼を受け入れ始めた。
そして、目の前にそそり立つSAIGONのペニスを女の姿になって口に含む自分を想像しながら目をつむった。
マスクはSMグッズなどにあるレザーマスクのように後頭部に切れ目があって、そこを編み上げたりジップアップする構造ではなかった。
正にSAIGONの「首の切れ目」から、自分の頭頂部を潜り込ませていくのだ。
母親の胎内に成人した自分が無理矢理に戻っていく。そんな、酷く突飛なメタファーを連想した。
ラバーの圧倒的な密着する圧迫感が僕の顔面を下降して行く。
もし僕の頭の大きさを受け入れてくれるようなアナルがあり、その直腸へ顔を潜り込ませたなら、今にも窒息死しそうになるこんな強烈な密着感が得られた事だろう。
そして完全なる顔面への装着が完了した。それを助けたのは、僕の顔にも吹きかけられたあの潤滑剤だった。
僕は、、、僕の顔さえも性器になってしまっている事に気づいた、、。
SAIGONが手鏡を持ってきてくれる。
その中には、すこし面長の「SAIGONの双子の姉」といっても通りそうな「生きたダッチワイフ」がトんだ眼をして映っていた。
僕は今、一つのルールのもとに人体を完全な性的オブジェに変身させられているのだ。
まるでポリエステルとファイバーグラスで型を取って固め、その上に精巧な塗料で多彩色をほどこしたような、ブロンドのかつらをぶり、ゴムでできた女の顔をしたマスクをつけ、皮膚に似たラバー・スーツを頭からすっぽり身につけて、、。
それが、もう一人の僕、"タマキ"の受肉と誕生の瞬間だった。
【 March 4, 18:25 】
ラウンジの一角で叫び声が上がった。
左舷の方向だ。
ミズキの身体に緊張が走る。
SAIGONはその方向に顔を向けるもキョトンとしている。徐々に騒動の渦は大きくなっていく。
『おかしい』とミズキは思った。
ピンクシャークはあらゆる所に警備員が埋設されている。給仕の制服に身を包んだりしているが彼らが相当な武術の鍛錬を済ませている事がミズキには気配で分かる。
そんな彼らがいるのなら、この騒動は直ぐに収まる筈だった。
それが収まるどころか、騒乱の血腥い黒い渦が、こちらに向かって進んで来るのだ。
ミズキはSAIGONを背中に庇う。
渦の中心が見えた。
歯をむき出し口から泡を吹いている半裸の金髪男だ。既に血だらけの身体の筋肉の張りが異常だった。
『何かの薬物をやっている』と直ぐにわかった。
この時だけは、ミズキは自分をこのような危機察知能力に優れた人間に鍛えてくれた祖父の存在に感謝した。
身体が自然に戦闘モードに入っている。
「みんな、もっと後ろに下がれ!」
「後ろに行っても出口がないョ!」
「大丈夫だ、俺がなんとかする。それに応援だって来るはずだ!兎に角、奴から距離をとれ。」
しかしSAIGON達はモゾモゾと動くだけで一向に後ろに大きく下がろうとしない。
ミズキが自分達を守ってくれるとでも思っているのか…常に愛玩され庇護される側だから、動物的な反応さえ出来無いのか…。
自分の技量では、他人を守りながら攻撃してくる相手には勝てない。それは分かっていた。
このまま守りに回っていては危ない。SAIGON達が邪魔になるのだ。
「クソっ!」
ミズキは次の瞬間、黒い渦に向かって走りだしていた。
横薙ぎに払われたナイフがミズキの眼の前を通過していく。
身体が自然にスウェイバックする、同時に左足が跳ね上がる。
・・・
…こんな事など大した事はない、いつも爺に仕掛けられ、それを躱す為にやっていた事だ。
爺だって僕を殺す気でやっていた。
今と大差ない。
その手にナイフが握られているか、いないかだけの差だ。
でももしこれが例のフィメールスーツを着た後の攻撃だったら、ピンクに溶けた僕の脳味噌では対処できなかっただろう。
チンコ付き全裸少女の戦闘ゲーム。
そう思ったら何だか妙に笑えて来た。
実際、数秒後、金髪男を蹴りでノックダウンさせた後の僕はにんまりと笑っていたらしい。
・・・
「人助けかい、ミズキはお人好しだな?」
カオスが、乗務員から肩の手当てを受けているミズキへ面白そうに言った。
「お人好し?父親に似てるんだろう…馬鹿みたいに真面目な男だったから。そんな事より、ここの警備体制はどうなっているんだ?よくこんなので世界一のプレジャーボートだとか言えるよな…。」
「お客様は神様だからね。ついつい上客についてはチェックが甘くなる。それに彼は巧妙に薬物を持ち込んで来ていたようだ。何かの理由で人生に破綻して、端から自殺する積もりでこの船に乗り込んだんだろう。浮島で倒産でもしたんだろう。巻き込み自殺と快楽殺人の複合型だな、厄介な時代になったもんだ。」
「あんた、ここの支配人だろ?よくそんな無責任な感想がいえるな…。」
「無責任?他の顧客に怪我人はいないよ。寧ろエキサイティングな体験をして喜んでる。ああ君は別だよ。なにせ密航者だからね。君がここで遊んでられるのは私の、はからいだと云う事を忘れないないように。しかしミズキの蹴りは最高だったらしいね。SAIGONたちが絶賛してた。ミズキはまるで脚を腕みたいに自由自在に扱うって。それで最後は自分より背の高い相手の頭を踵で砕いたって。流石は香久家裂開の孫だ。」
香久家は裂開の旧姓だ。
今は訳あって、刈谷裂開と名乗っている。
そんなカオスの物言いにミズキは苛立って来た。
「あんなクソ爺は関係ない。それより何であんたはそんなに僕の事に詳しいんだ?」
「君は大事な積荷なんだ。裏の仕事の場合は、クライアントからの情報以外の事であっても、知れる事なら何でも調べあげる。積荷の中身が爆発物だったらどうする?ソレを知らずに迂闊には運べんだろ。」
「…………。」
信じられなかった。
普通の情報収集程度だと、僕の祖父の詳しいプロフィールは判らない筈だった。
あの爺は闇の世界の住人だ。
しかも緑でもないクズ人間だ。ヤツのやって来た悪辣な所業は本人がその事を漏らさない限りは誰にも知られる所ではない筈だった…。
爺の息子である父でさえ、その過去の実態について詳しく知らなかったのだから。
で、その香久家裂開の秘密を、何故僕が知っているかって?
それはあの爺が、僕を"自分の闇"に取り込みたかったからだ。誰が、自分の親族が殺人者だったなんて事を知りたがる?そう思う?
あの爺は、自分の息子にすら秘密にしていた事実を、僕を閉じ込める為に、僕だけに漏らしたのだ。
【 March 5, 11:00 】
……さすがに甲板に上がると早春の海は寒い。
海面にピンクシャーク号と並走するように泳ぐ鯖イルカの群れが見えた。
鯖イルカの背中はその名の通り青いから海中を泳いでいる時には余り目立たない。
しかし鯖イルカは、何度も己の存在を誇示するかのように空中にジャンプするから、その時に見せる彼らの銀色に輝く腹が驚く程に眩いのが判る。
水平線上を見回しても島影はない。
旧日本を離れたのだと云う実感が少し湧いて来た。
同時にこの密航の際に僕を見送ってくれた両親の姿を思い出す。
『このまま旧日本に居ては自分たちの息子の可能性は限られている』そう思って両親は僕を浮島に送り出したのだ。
「どうするかね?次の寄港で乗り換えないなら、この船は予定通り出港地のメガマウスに戻る。戻ったなら、君のこの先の人生は決まりだ。君は、大企業が動かしている完全なる機械部品の一つになる、ただそれだけだ。」
浮島に在住する母方・任堂家の補充要員になる、それが僕の密航の理由だった。その詳しい経緯は聞かされていない。カオスのクライアントは任堂家か、その周辺だと思えた。
「あんたは、その入り口に入る事を請け負った密航屋じゃないのか?そこから外れるような事を何故、僕にそそのかす?目的が分からない。それに依頼者側に僕の事をどう説明するんだ?」
「なに簡単だろ?ミズキは航行途中で不可避の事故にあった。…その結果の死亡でも、あるいは投身自殺でもいい。その辺までは契約事項には入っていないからね。金は取れる。払い戻しもしない。船には乗ったんだ。それを証明する人間は沢山いるし、逆に私の企みを告発するような勇気のある人間は何処にもいない。」
カオスは自信たっぷりに言った。
すべてを揉み消す力が自分にはあるという表情が自然に浮かび上がっている。
「あんたの目的は?」
「前に、我々の仲間にならないか?と誘った筈だが?」
「僕に売春チームの一員になれと?」
カオスが乾いた笑い声を上げる。
「まあ君なら、ロラパルーザな人造美女に成れそうだが、、だがね、そんな事ではわざわざこんなリスクを犯さないよ。、、君はMSLのネオベトコンの名を知っているかい?」
カオスはこの時初めて、浮島の事を、MSL・Megamouth Shark Land と呼んだ。
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