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第四章 ◆ 木道
第五節 ◇ 対決 ①
しおりを挟む直角に曲がるだけの角があらわれた。ボクは、道から落ちないように慎重に角を曲がって、また走った。その先には下り階段があった。『象徴』の手紙がないから、ボクが最初にいた階段とは違うものだろう。実際、短い気がする。
ボクは、階段を一段ずつ、ゆっくりと下りていった。
「あら? 何かあるわね。」
階段の真ん中あたりで、ヒマワリが耳がぴくぴく動かした。ヒマワリの視線をたどってみると、小さな家のようなシルエットがぼんやりと見えた。
「行ってみましょう。」
「大丈夫かな。危ないんじゃないの?」
ヒマワリは、大丈夫よ、と笑った。
「たぶん、道が勝手に作ったものよ。」
そんなことってあるのかな、とボクは思ったけれど、木の道を作ったのはヒマワリだ。きっと、そういうこともあるのだろうと信じて、木の道のわきにポツンと建っている、三角屋根の小さな家に近づいた。
「山小屋かな。」
「木でできているから、ログハウス、なんでしょうけど……、ずいぶんこじんまりとしているわね。」
ボクとヒマワリは、小屋をじっくり観察した。
屋根の一番高いところでも、今のボクなら、本気でジャンプをすれば手が届くくらいだ。一番低いところだと、ちょうど目の高さ。小屋の幅は両手を大きく広げたよりも少し大きいくらい。
足元を見ると、左に直角に分かれた木の道が、一枚板のまま、小屋の壁を作り屋根を作っている。ドアは壁と木目がピッタリ合うから、壁としてできあがったものがドアに変化したと考えるのが自然だ。
木の道が勝手に作るなんて信じられなかったけれど、疑いようもなかった。
「今回は、ずいぶん作りこんだわね。さあ、中に入ってみましょう。」
ヒマワリの木の道が勝手に作ったのなら、心配する必要はない。むしろ、小屋の中はどうなっているのか気になるくらいだ。
ボクは、やはり木でできたドアノブに手をかけた。
ドアを開けると、木の爽やかな香りがブワッとボクを包んだ。
「さすがね。いい香り。」
ヒマワリは、ボクの腕から降りるとトコトコと中へ入っていった。
「この道は、ヒバでできているの。ヒバはね、ゆっくりじっくり育つの。きめ細やかな木目ひとつひとつに、歴史が詰まっているのよ。防虫防カビ耐水性に優れた木なの。」
ヒマワリのあとに続いて小屋の中に入った。爽やかな香りが鼻の奥をツンと刺激する。まるで森の中のような錯覚を覚え、ボクは大きく深呼吸した。
「ねえ、ヒマワリ。そんな優れた木材だから、道をつくるのにヒバを選んだの?」
ヒマワリは、目を大きく見開くと、ぱちぱちと瞬いた。そして、うーんと首をひねった。
「そう言われれば、なぜかしら。木なんて、いろんな種類があるのに……。」
「もしかしたら、前の世界の記憶じゃないかな。トキワも良くあるんだ。」
「前の世界の記憶……。」
考え込んでいるヒマワリをよそに、ボクは小屋の中を楽しんだ。
小屋の広さは、ボク一人が大の字で寝転がってちょうどいいくらいだ。奥にはピンクのカーテンがかけられた小さな窓が一つあって、窓辺にはボク一人分座るのにちょうどいいサイズのテーブルと椅子が置いてある。窓の横の壁には木の額縁に入った小さな絵が飾られていた。
その絵が気になって近づいて見ると、幹の太い立派なイチョウの木だった。パステルで描かれていて、とても優しくやわらかい絵だ。
「ああ、この木は、あの子がボクを待っている木だ。」
自分の口からそんな言葉が飛び出して、ボクは自分自身に驚いた。あの子って誰だろう。待っているって、どういうことだろう。でも、ボクはあの木のことも、あの子のことも知っている。
「ねえ、ヒマワリ。この絵なんだけど──、」
ヒマワリにも聞いてみようと思って振り向くと、ヒマワリは、開けっ放しのドアの向こうに立ってボクを見ていた。
「……ここで待っていなさい。」
ひとりでトキワを助けに行くつもりだ!
ヒマワリが遠くに行ってしまうような気がして、ボクはあわてて小屋から出た。
「ダメよ。これ以上、あなたを危険な目にあわせたくないの。トキワと、この世界から出るんでしょ?」
ヒマワリの赤い瞳がゆらめいている。
「ヒマワリもいっしょに……、」
「いいから、お願い。わたしの言うことを聞いて。」
「……分かった、ここで待ってる。ぜったい、ぜったい、戻ってきてね。待ってるから。」
ヒマワリは、にっこり笑ってうなずいた。そして、たったひとりで入道のところへ走った。
ヒマワリを見送り、小屋の中に戻ろうとドアに手をかけたときだった。
ヒ マ ワ リ
入道の声が聞こえて、ボクは中に入るのをやめた。そして木の道まで出ると入道の姿を探した。
まっすぐのびる木の道は、小屋の少し先あたりから上り坂になっている。その先に、オレンジ色に輝く点が見えた。
ヒマワリだ。
よく見るとヒマワリの正面に、山のように巨大な何かがある。
……あれが入道なのかな。
すぐにでもヒマワリのところに行きたかったけれど、ヒマワリの言葉を思い出し、グッと我慢した。
カ ク ゴ シ ロ
また入道の声が聞こえた。ヒマワリの声もうっすらと聞こえる。耳をすましてみたけれど、何を言っているかまでは分からなかった。
なんとか聞き取ろうと、ヒマワリの声に意識を集中させていると、水滴がボクの鼻でぴちょんと弾けた。
「えっ……、雨?」
真っ白な空間がどこまでも広がる世界。天気なんて今まで存在しなかったのに、突然、雨が降り出した。雨はどんどん勢いを増して、いよいよ土砂降りになった。さらに、ピカッとイナズマも空間に走った。あの入道は、こんなこともできるのだろうか。それとも、ハサミと同じように雨雲を仲間にしたのだろうか。
もう考えてる場合じゃないな。さすがに小屋に入ろう。入道とヒマワリのことは気になるけど、雨がひどくて息ができないよ。
小屋に体を向けた瞬間、バリバリバリッという音とともに、目がくらむほどの青白くて強い光が小屋につきささり、小屋の屋根に火をつけた。
「イチョウ!」
あれは、ボクにとって大切なものなんだ!
ボクは、大急ぎで小屋のドアを開け、カベにかかっているイチョウの絵を取り、小屋の外に出た。その直後に、小屋は炎に包まれた。
「ヒマワリ?」
ヒマワリの悲鳴が聞こえた気がして、ボクは、小屋の近くの階段をのぼった。そのほうが遠くまで見えるはずだ。
「あれが、入道……?」
階段から見えたのは、つるつる頭の山のように大きい巨人だった。トキワを連れ去った手と同じ黒に近い灰色で、水まんじゅうのようにプルプルしている。皿のように大きく見開いた目は、今にも飛び出そうなほどせり出している。口はだらしなく開き、ベーコンのような舌がだらりと垂れて、ねばり気のあるヨダレが、ぴちょん、ぴちょん、と、この空間のどこかにある『底』に落ちて音を立てている。その手には、ぐったりとしたトキワが握られていた。
「トキワ! ヒマワリ!」
ふたりは無事だろうか。ふたりは、無事だろうか。
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