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第三章 ◆ 蛇道
第四節 ◇ 時計 ②
しおりを挟むしばらく上り続けると、ぼんやりとした時計のシルエットは、色も形もハッキリ分かるものへと変わった。やはり、そら豆の時計だ。文字盤はコンクリートの階段で見たものと同じようだけれど、フレームは少し錆びているように見える。
ここにもあるということは、木の階段にもあるのだろう。もしかしたら、それぞれの階段の特徴を、何か一つ、持っているのかもしれない。
「おい、君。」
トキワがボクの肩に止まり、ボクの耳にくちばしを寄せた。
「時計の近くに、誰かいるぞ。」
驚いて顔を上げると、誰かの影が生命を宿して勝手に歩き回っているような人間の影が二人、時計を見上げて立っていた。その人たちは時計を指差して何か話しているように見えて、ボクはそっと近づいた。
――あと十分だね。
どうやら二人は、時間の話をしているらしい。
「ねぇ、トキワ? あの人たち、あの時計が理解できるのかな。」
「――関わらないほうがいい。」
ボクの質問に答えないだけでなく、冷たく言い放ったトキワに、ボクはムッとした。
「関わらないほうがいいなんて、ヒドイよ。あの人たちだって、この世界から出たいと思ってるはずでしょ。ボクたちとおんなじだよ。」
勢いで言ってしまってから、ボクはようやくトキワの顔を見た。エメラルドグリーンの瞳はどす黒い光を放ち、怒りとも憎しみともつかない表情で、影人間たちをギリギリと睨んでいる。
「――違う。」
嫌悪という言葉がぴったり当てはまる、凍り付くような響きの声。ボクは、息をのんだ。
ボクの肩から降りたトキワは、ボクと真正面から向き合った。
「いいか、彼らはこの世界で暮らすことを選んだ人たちだ。」
そんなの嘘だ。
そう言いたかったけれど、トキワはボクに嘘をついたりしない。それに、こんなに真剣に話しているんだ。きっと、何か真実が隠れているはず。
「こんな世界、さっさと出たいに決まってるって思ってた。」
トキワは、首をそっと横に振った。
「……私自身、影人間を見たのは初めてだ。」
トキワは、二人の影人間に目を向けた。
「この世界には三種類の『存在』がある。この世界を拒絶し脱出を試みる者、この世界に対する興味を失った者、そしてそのどちらでもない者だ。拒絶する者とどちらでもない者には色のある何かしらの姿が与えられ、興味を失った者には影人間の姿が与えられる。我々がこの姿でいる間は、この世界を当たり前としない存在だということなんだ。」
トキワは、目を閉じた。
「これは、私に与えられた知識の中でも、ずっと奥にあったものだ。正直なところ、正しい知識なのかどうかよく分からなかった。実際に彼らを見るまでは。」
もしかしたら影人間は、この世界での役割を失った者なのかもしれない。だから、光がなくなれば消えてしまう『影』なのかもしれない。
「私たちの姿や色にも意味があるらしい。私は、案内役だから『カラス』なのだそうだ。同じように、君が人間の女の子で、心の成長とともに体も成長するのにも、何かの意味があるのかもしれない。残念ながら、これについては自分で導くしかないようだが。」
ボクたちが存在する理由……。
「さて、そろそろ先に進もう。」
ボクは、小さくうなずいて時計の先を見すえた。
「いいか、絶対に関わってはいけない。一気に通り過ぎるぞ。」
結局のところ、どうして関わってはいけないのか理解できないままだけど、ボクたちと仲良くできそうな人たちじゃないことは理解できたから、これはきっと必要なことなんだと、ボクは自分に言い聞かせた。
ボクの体調を心配したトキワは、まずは影の近くまで歩き、トキワが飛び立つのを合図にダッシュをしようと言った。
ザリ……、ザリ……、と、一段ずつ慎重に階段を上る。そして、手を伸ばせば届きそうなくらいの距離まで近づいたところで、トキワがバッと飛び立ち、ボクも勢いよく駆け出した。
ダッシュで影人間たち横を通りぬけたときだった。
――あと十分だね。
ドキンと心臓が不吉に跳ねた。階段から落ちないように気をつけながらスピードを落として立ち止まり、影人間たちから少し離れたところで振り返った。
「どうした。」
予定より早く立ち止まったボクが心配になったのか、トキワがボクの肩にふわりと降りた。
「ボクは大丈夫だよ。でもね、あの影さん、さっきと同じことを言ったんだ。『あと十分だね』って。時計、動いてないのかな。」
トキワにそう言って、ボクは急に怖くなった。
この世界に時間は存在していないかもしれない。それでもこの世界の時計は、左回りとはいえ規則正しいリズムで時を刻み、針は回っている。だから、『あと十分』から変化しないなんて絶対おかしい。それなのに、あの影さんたちは平然としている。
やっと、トキワの言葉の意味が理解できた。ボクの顔を見て、トキワはうなずいている。
「そういうことだ。あの影人間たちは、このヘンテコな世界に慣れる、という道を選んだ存在なのだ。それどころか、自分たちで自分たちの世界をカスタマイズしている。慣れるを通り越して、適合する道を選んだんだ。」
ボクは、ゆっくりうなずいた。
「トキワの言う通りだ。せっかくボクたち以外の人に出会えたのに残念だね。トキワ、先に進もう。」
「ああ、そうだな。」
ボクは、鉄錆の階段に浮かぶ時計が楽しみだった。コンクリートの道の時計とどこが違うのかなと、胸をはずませていた。だけど、今はあきらめて先に進もう。ヘビのところに戻るときに、もう一度ここを通るはずだから、そのときにじっくり見ればいい。
そう思って、前を向いた。
ドサドサッ、と、重いモノが落ちたような音が背後から聞こえ、ボクは驚いて振り向いた。そして、もっと驚いた。時計のそばで、折り重なるように影人間たちが倒れている。
「おい、どうした!」
トキワはボクの肩からバッと飛び立ち、倒れた二人のそばに降りた。そして、心配そうに二人の真っ黒な顔をのぞきこんでいる。
「ねえ、二人は大丈夫?」
いくら仲良くできそうにない人たちとはいえ、放っておくことはできない。
ボクもトキワと一緒に何かしようと駆け出したときだった。
「トキワ! その人たち……、」
足が竦んだ。
倒れた影人間たちのカタチがぼんやりとしている。
気のせいかな。それとも、目眩がしているのかな。
……いや、違う!
「トキワ! その人たち……、く……、崩れてる!」
トキワは、ハッとしてボクを見た。
「こっちを見るな!」
もう、遅かった。
ボクの足はがくがく震えて動かない。
ボクの目は、今そこで起きていることをしっかりとらえていて、ボクを自由にしてくれない。
倒れている二人が、少しずつ崩れていく。腕……、脚……、胸……、そして、最後に残った顔がバラバラと崩れ、黒い砂のようなものだけが残った。
砂になってしまった影人間たちを、爽やかに吹き抜ける風が、空間のどこかへと連れていった。
影人間たちが存在した証を少しでも残したくて手を伸ばしたけれど、ボクの手は、何事もなかったように元の姿を取り戻した空間をさまよっただけだった。
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