逆さまの迷宮

福子

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第二章 ◆ 本道

第四節 ◇ 時計

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 『急ぎ過ぎた愛の象徴シンボル』を後にして、ボクとトキワは再びのんびりとコンクリートの道を進んだ。トキワは、ボクの周りをくるくると円を描いている。

「この道は、本道路なのかもしれないな。」

「本道路? それって、この道が正解の道だってことだよね。どうして、そう思ったの?」

「『始まりのベル』の存在だ。」

 大きく旋回してふわりとボクの前に降りたトキワは、右の翼の先端をボクに向けた。まるで、ここがポイントだと人差し指を突き出すかのように。

「どんなことにも、必ず始まりがあって終わりがある。君の話によれば、この世界には三種類の道があるようだが、君と出会ってからこのコンクリートの道以外の道は見ていない。手紙が出現したのもこの道だったし、手紙には『全ては、ここから始まる』と書かれていた。その言葉を真に受けていいのか不安なところはあるが、道行く先々に手紙が出現し、それが示すものについて私たちは考えを巡らせてきた。そこにこの世界の意図があるのかもしれないが、私たち自身が成長しているのも事実だ。そう考えると、この道が今のところ正しいルートなのではないかと思ったのだ。」

 ボクは、あの大音量のベルを思い出して苦笑いした。
 確かに、トキワの言うとおりだ。この世界の線路に乗せられるのはちょっと腹立たしいけれど、実際、ボクたちは成長している。それに、この世界から脱出するヒントも何もない中で、唯一の手掛かりになるのが『象徴シンボル』だ。今は、それに乗るしかない。

 トキワは、またボクの周りをくるくる飛んだ。

「スタート地点もゴール地点も、それぞれひとつずつあればいい。」

 それについても、トキワの言う通りだ。思い返せば、ボクらの出口探しも『始まりのベル』から始まったんだ。

「ねぇ、トキワ。出口ってどこだろうね。」

 トキワは、ぱっと翼を広げてスピードを落とすと、ボクより少し離れた道の真ん中に降りた。

「その前に、この世界の入口はどこなのだろうか。私たちは、どこから入ってきたのだろうか。」

 トキワの言葉にハッとした。

「ボクは木の階段にいたの。気づいたら、そこにいたんだ。何をしていたのか、どうしてそこにいるのか、どこから来たのか、まったく分からないし覚えていない。ボクが気がついたあの場所が入り口だとは思っていないけれど、だからといって、どこが入口なのかなんてもっと分からない。」

 ボクは、目の前で翼の手入れをしている真っ白のカラスに、そっと言葉を投げてみた。
 ふいに言いようのない不安と寂しさに襲われた。腰の力が抜けて、ボクはその場にペタッと座った。

「私も同じだ。」

 トキワは、座っているボクに顔を近づけて優しく力強い言葉をぶつけた。そして、そっと背を向けた。

「気がついたら空間を飛んでいた。知っての通り、何もない真っ白の空間だ。気分転換くらいしたいと思っても翼を休められる場所などどこにもなかった。しばらくすると、ポツリポツリと『象徴シンボル』が姿を現わし始めたよ。それからは、現れた『象徴シンボル』で翼を休めながら他に誰かいないか探し回ったんだ。」

 忘れていた。トキワも孤独だったんだ。それに、ボクと同じように不安なんだ。ボクは、手をギュッ握って立ち上がった。

「出られるよね。この世界にどこから入ったのか分からないけど、ボクたち、絶対に出られるよね。」

 トキワは、振り返って微笑んだ。

「ああ、もちろん。必ず二人で出られるさ。」

 そして照れくさそうにふわりと舞い上がった。
 こんなに訳の分からない世界にいるんだ。これからも、何度も不安になって迷うと思う。でもその不安をぶつけ合って前に進んで、ふたりでここから出るんだ。

「トキワ、行こう。」

 ボクとトキワは、先へと急いだ。

 しばらく進むと、五枚目の封筒が道に落ちているのを見つけた。

「私が行こう。」

 封筒を取りに行こうと足を踏み出したとき、トキワがスッと封筒に向かって飛んだ。
 やっぱり変だ。牛乳の『象徴シンボル』を過ぎたあたりから、トキワの様子がおかしい。定位置だった肩に止まらなくなったし、遠いところに手紙が落ちていたわけでもないのに、わざわざ取りに行く。ボクを歩かせないようにしているみたいだ。気づかっている、というよりは、気をつかっている感じがする。

「開けてくれ。」

 戻ってきたトキワの嘴には、すっかり見慣れた封筒があった。ボクは、目の前のトキワから封筒を受け取ると、慎重に開けて中の紙切れを読んだ。


 ┏━━━━━━━━━━━━━┓

     『出会いの種』

    全ての道が交錯する
  出会いまでのカウントダウン

 ┗━━━━━━━━━━━━━┛


「全ての道が交錯する?」

 トキワが首を傾げている。でもボクには心当たりがある。全ての道が交錯するといえば、もちろんアレだ。

「たぶん階段が近くにあるよ。」

 ボクは小走りで辺りを探した。

「あ、あった。トキワ! こっち、こっち!」

 思った通り、トキワに出会う前にひたすら上ったり下りたりしていた長い長い階段が足元にあった。下へ下へと続く階段の先に、アレがあるはずだ。

「これが、君の言っていた階段なのか?」

 トキワは、どこまでも続く階段をのぞきこんだ。
 そうだよ、と短く答えてトキワの背中をそっとなでると、ボクは迷わず階段を降りはじた。

「降りるのか? 『象徴シンボル』はこの階段にあるのか?」

 ボクはにっこり笑って、うん、とうなずいた。

「だって『象徴シンボル』は、もう少し下にあるから。」

 人差し指を下に向けると、一歩一歩階段を下りた。

 今回のトキワは、いつものように『象徴シンボル』の案内ができないらしい。今回は、ボクがアレの案内人ということなのだろうか。トキワは、この世界には一定のルールがあると言っていた。それはつまり、ボクたちにもそれぞれ何かの役割があるということでもあると思う。

 情報が頭の中にあると言っていたから、トキワは案内人の役割で間違いないと思う。だからいつも、トキワに導いてもらっていた。でも、今回は違う。ということは、アレは他の『象徴シンボル』と何か大きく違うということなのだろうか。

 ボクから少し離れて飛ぶトキワを目で追った。階段を下り始めてから会話をしていない。やはり、トキワはボクを避けている。

 どうして? ボクが何をしたっていうの?

 ボクのいらだちは頂点だった。きっと、お湯が沸かせそうなくらい頭から湯気を出していたに違いない。ボクは、ギュッと拳を握った。力を込めた握りこぶしは、プルプルと震えている。

「トキワ! どうしてボクを――、」
「あれが『象徴シンボル』なのか……。」

 トキワは、ボクより五段ほど上でたたずみ、少し先に見える『時計』を見つめていた。
 ボクは振り返ってトキワを見上げた。

「そうだよ、トキワ。あれが『象徴シンボル』なんだ。」

 ボクは急いで階段を下り、時計の正面に立った。

「やっと、ここまで戻ってきたんだね。」

 ボクを追って飛んできたトキワは、ふわりとボクの肩に降りて翼を休めた。ボクの頬にトキワの胸のやわらかい羽毛が触れる。ボクは、全身がどきどきした。空豆の時計なんて目に入らない。胸のあたりがギューッと締めつけられて苦しいのに、同時に舞い上がるほど嬉しい。ボクは一体、どうしてしまったのだろう。
 ボクの様子が変だと、きっとトキワは心配してしまう。だからいつも通りのふりをして、トキワを肩に乗せたまま文字盤に近づいた。

「これが、例の『そら豆の時計』なのか……。」

「そうだよ、トキワ。文字盤はガラスでできていて、上下左右、書かれている数字もすべて逆さま。文字盤の裏側から見ても何も変わらない、当たり前なんて何一つない時計だ。」

 ボクは、ガラスの文字盤に視線を動かした。この文字盤で、ボクは初めて自分が子どもだと知った。今はもう少し成長した姿が映るはずだ。ボクは、文字盤の中の自分の姿に焦点を合わせた。そしてすごく驚いた。

「ボク、女の子だったんだ……。」

 文字盤には、髪型はショートカット、少し大きめのTシャツを着てキュロットスカートをはいた、十三歳くらいの女の子が映っていた。
 トキワとこの世界から脱出すると決め、旅をしてきた。驚くことも切ないこともあったけれど、今まで受けた中で一番の衝撃だ。それと同時に、トキワの様子が変だった理由も分かった。

「トキワ、知ってたんでしょ?」

 肩から降りて文字盤を眺めていたトキワは、ばつが悪そうに下を向き、申し訳なさそうにつぶやいた。

「『牛乳の象徴シンボル』を後にした辺りから、君はぐんぐん成長した。自分の成長に気付いていないようだったから伝えるべきではないかと思ったんだが、成長していることも女の子であることも、どのタイミングでどのうように伝えればいいのか分からなくて、どうしたものかと思案しているうちに時間が経ってしまった。」

 トキワは、話しながらボクの顔をちらちら見ている。

「君は君だから、男性でも女性でも構わないのだが、ほんの少しの時間で、幼い子どもから美しい少女に変わるさまを目の当たりにして、どうしていいのか分からなくなってしまって……。やはり、女性には優しくするべきだろうか、とか、今までと同じように接していいのだろうか、とか、すっかり動揺してしまったのだ。私も、まだまだだな。」

 トキワは、今度はボクを真っ直ぐ見ると頭を下げた。

「君は君なのに、意識をしたことでよそよそしい態度をとってしまった。君を傷つけて申し訳なかった。」

 真剣に謝るトキワを見て、ボクは怒るのをやめた。もしボクの目の前で、トキワが突然真っ黒になったら動揺する。きっと、ボクもトキワのように不自然な態度になってしまうと思う。

「もういいよ。でも次は教えてね。いつ成長するのか、ボクも知りたいから。」

「わかった、約束しよう。」

 トキワがふっと顔を上げ、ゆっくりうなずいた。ボクもにっこり笑って、トキワの背中をなでた。

「それはそうと、この時計が出会いの種の『象徴シンボル』なのか? 確かに空豆は種だし、全ての道というか階段が交錯しているようだが、どういうことだ?」

 ボクはそら豆の時計を見上げた。

「ボクはね、この『象徴シンボル』が解明されるのは、もう少しあとなんじゃないかなって思うんだ。」

 トキワは、驚いた目でボクを見た。

「どうしてそう思うんだ?」

「きっと他の道も歩くことになると思うんだ。そうしないと、他の道の役割を知ることはできないと思うから。他の道を歩けば、『全ての道が交錯する場所』を必ず通る。全ての道にそら豆の時計があるのかどうかは分からないけど、少なくとも他の道の役割が分かれば、この時計の意味も分かるんじゃないかな。」

 トキワは、背中をなでるボクの手の動きに合わせて目を細めている。

「ねぇ、トキワ。ボクたちが立っているこの道が本道だとしたら、他の二種類の道も何か役割がある可能性があるってことになるよね。」

「それについては、私はそう思っている。」

 トキワも、存在を忘れてしまうほど透明なガラスでできた文字盤を眺めている。何から何まで逆さまで、文字と針が宙に浮いているように見えるその時計は、常識が通用しないこの世界を表すかのような存在だ。

「なるほどな。多分私たちは、全ての道が交錯する場所で何かと出会うのだろう。この時計は、その『カウントダウン』ということか。」

 ボクは、うん、とうなずいて時計に目を向けた。

「あのときは、時計を見ればこの世界の秘密が分かるんじゃないかって期待したのに、実際にここに来て時計を見ても何も分からなかった。ボクの声も吸収しちゃうような世界。当たり前なんて一つもない世界。この時計はこの世界を表してると思ったら愕然がくぜんとしちゃったんだ。こんなに幻想的な時計なのに、あの時はちゃんと見てなかった。」 

 ボクは、階段に腰を下ろしてあぐらを組み、その中に大好きなトキワをすっぽり収めて背中を撫でた。
 ボクたちは、ほんの少しの間だけ、出口のことは忘れ、空豆の時計と三つの階段が交錯する幻想的な景色をのんびりと楽しんだ。

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