愛しくて悲しい僕ら

寺音

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第四章

29 友達(S side)

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 優太の部屋のインターフォンを押す。たったそれだけなのに、酷く緊張した。心臓が喉から飛び出してきそうだ。
 中からあった返事に、真志は必死でいつも通りを装い名乗る。あまり間を空けることなく、扉が開いた。

「ああ、真志。今日はどうしたの? 確か、バイトがあるんじゃなかったっけ?」
 家から出てきた優太の顔色は悪くない。だいぶ普段の調子を取り戻しているように見えた。
 だがきっと、見えるだけなのだろう。
 コートのポケットに入れた封筒を意識しながら、真志はこっそり深呼吸をして、はっきりとした口調で告げる。

「残念。今日の俺の用事は、郵便配達だ」
「郵便配達って……なんだよ突然。新しいアルバイト?」
 そうクスクスと笑う優太の後に続いて、真志は彼の部屋へ足を踏み入れる。

 以前は、カーテンも開かずに暗いままだった部屋が、明るさを取り戻していた。それがなんだか、全てを振り切って無理矢理前へ進もうとしているようにも見えて、真志は無意識に拳を握り締めた。
 緊張で渇いた喉を鳴らして、ポケットの中から手紙を取り出す。

「お前に手紙だ」
「……へえ、誰から?」
 優太はキッチンに入ってマグカップを二つ、食器棚から取り出している。その後ろ姿を眺めながら、真志はその名を告げた。

「中山三月から」
 優太の動きが不自然に止まった。カップを両手に持ったまま、彼が振り返る。
 その薄く唇を開けた表情は、驚いているというより怒っているように見える。

「なんで――今さら? 中山さんには、もう僕には近づかない方が良いって、言ったよね」
「そう言わず読むだけ読んでやれって。読まなきゃどんな内容かも分かんねえだろ?」
「悪いけど、読まないよ。真志から謝っておいてくれるかな」

 優太は冷淡な口調で言って、再び真志に背を向けてしまう。そした、取り出したマグカップを戸棚に仕舞い始めた。まるで、帰れと言わんばかりの態度だ。
 カッと怒りが熱となって、真志の身体を瞬時に駆け抜ける。手紙を握りつぶしそうになるのを必死で堪え、真志は叫んだ。

「そうやって、いい加減自分の気持ちを誤魔化すの止めろ! 何にびびってんだよ!? 本当はアイツに会いたいくせに、何変な意地張ってんだ!?」
 突然声を荒らげた真志に、優太は驚いたようだ。肩を震わせたその姿は、幼い子どものように見える。
 しかし、真志はもう我慢しない。ずっと言えなかった言葉を言うチャンスなのだから。

「俺も読んでもらわねえと困るんだよ! この手紙には――俺がお前に、ずっと言いたかったことも書いてあるはずなんだからな!」
「真志が僕に、ずっと言いたかったこと……?」
「ああ、そうだよ」

 ずっと悩んでいた。
 友達なのに、どこかその言葉が引っかかってしまう優太との奇妙な関係に。
 真志はずっと、優太に言うべき言葉や言いたかった言葉があったはずなのに、それが何か分からなかった。分からなくてずっと苛立っていた。
 今なら分かる。
 それはとても単純で、簡単な一言だったのだ。

「俺、お前に『ヒーローみたいですごいな』って言ったことあったよな? あれも確かに俺の本心だ。でも、本当に言いたかったのは、そんな言葉じゃなかった」
 真志は強く拳を握り、喘ぐように告げた。

「本当はお前に――『無理に笑おうとするな』って、言いたかったんだ」

 中山三月、彼女は優太の話を聞いてこう言った。
 優太はずるい、と。
 それを聞いた瞬間、真志の中で驚くほどあっさり答えは出た。
 同じだったのだ。彼女と自分の想いは。
 だから辛そうな優太を見て、ほっとした。あの時の彼は、自分の感情を無理に隠していなかったから。

「だってお前は、一人だった俺に声かけてくれたのに、お前が辛い時に俺は何もしないって、そんなんフェアじゃないだろ?」
 今なら分かる。優太が言った『即かず離れず』という言葉。
 あれはきっと、必要以上深く踏み込まれたくない、心配をかけたくないという、優太の気持ちを表した言葉だ。

「でもそれを言ったらお前は、絶対に俺から逃げるから。だから俺もそれが恐くて、今まで言えなかったんだよ」
 優太のことを心配すれば、彼は自分から離れていってしまう。
 心のどこかでそれを察していたから、今まで自分の本心に気づかないふりをしていたのかもしれない。結局自分も、臆病だっただけだ。
 真志は奥歯を強く噛みしめる。

「人の心配するくらいなら、俺にもお前の心配をさせろ! 『友達』だろうが!?」
 真志は肩で大きく息をする。全力疾走した後のようだ。恥ずかしいことを言ったかもしれないと、今さらながら真志は羞恥心を覚える。

 しかし心は驚くほどスッキリしていた。ずっと胸にあった、重荷をやっと下ろすことができたのだ。
 彼は真っ直ぐ、優太と目を合わせた。

 優太は目を大きく見開き、呆然と立ちつくしている。やがて戸惑うように視線を泳がせた。
 迷っているのだろうか。
 真志は祈るような気持ちで、彼の一挙一投足を見守った。

 時計の秒針の音が、十回ほど鳴っただろうか。優太は一歩ずつ足を踏み出し、真志の下へと近づいてくる。そして、恐る恐る手紙に手を伸ばした。
 真志が見守る中、優太は三月の手紙をそっと両手で掴んだ。




 便箋から顔を上げ、優太は短く息を吐く。読み終わったのだろう。
 彼は何も言わず、もう一度便箋へと視線を落とした。椅子に座っている横顔は、呆れたような困ったような笑みを浮かべている。

「本当はさ」
 優太がため息と共に呟く。
「分かってたんだ。全部、ただの我儘だってこと」
 部屋のベッドに腰掛けたまま、真志は無言で優太の言葉を聞いていた。決して大きくない声が、静かな部屋に響く。

「皆に笑っていてほしいっていうのも、僕の夢のせいで誰かに辛い想いさせたくないっていうのも、その人の為っていうのを言い訳にした、僕のただの我儘」
 泣いているかのように、酷く震えた声だった。優太は何かを否定するように、首を何度か横に振る。

「でもさ、僕が辛い想いをしている分、誰かが笑顔になれてるんだって、そう自分に言い聞かせないといけなかったんだ。そうしないと僕は、自分のこの力を嫌いになっちゃうから。母さんや父さんが『恐くなんかない、ただちょっと変わった体質だよ』、『他人の役に立てる、素敵なものだよ』って、言ってくれた言葉も否定しちゃいそうだったから。僕はこの力を誇りに思っていたのも確かだし、母さんやずっと前の世代の人たちが受け継いできた力や僕自身を、否定だけはしたくなかったんだ」

 それきり優太は黙り込み、再び沈黙が訪れた。

「――お前さ、どうしてお前の夢が傍にいる人にうつるのか、考えたことあるか?」
 真志は口を開く。それはずっと彼が、そうであって欲しい、と思っていたことだ。

「アレって、頑張ってるお前への、ちょっとしたご褒美みたいなもんじゃないか」
「ご褒美?」
 優太が不思議そうな表情で、こちらを向く。真志は少し口元を緩めながら、話を続けた。

「そう、ご褒美。お前はいつも、他人と夢を共有して悲しみを受け取ってるんだろ。でもいつもお前ばっかり押しつけられてたんじゃ、そんなのやっぱり不公平だ。だから時々くらい、お前が押しつける側に回れるようにって、あれはそういうことじゃないか?」
「……どうだろう? 今までそんなこと、考えたこともなかった」

 彼は真志から逃げるように視線を外す。
 おそらく、優太はもう気づいている。でもまだ、迷っているのだ。

「どうしてお前は、夢がうつっちまったらそこで終わりだと思ってるんだ」
「え……?」

「泣いたってな、またすぐ笑うことくらいできる。何だったらお前が笑わせてやれ。簡単だろ? いつもやってんだろ夢の中で」
 優太はいい加減、覚悟を決めるべきなのだ。彼自身が幸せになる為に。
 それは、真志の願いでもあったから。

「いい加減、腹くくれ。アイツはもう決めてるんだろ」

 さっきよりも長い沈黙が訪れる。優太が机の上の手紙にそっと触れた。

「この手紙で、中山さんから同じようなこと言われたよ」
 そうだよね、と優太は小さく、何度も呟く。その表情から花が綻ぶような笑みがこぼれた。

「お言葉に甘えて、迷惑かけちゃおうかな」
 見ているこっちまで嬉しくなるような笑顔。真志は思わず深く息を吐く。

「迷惑くらいどんどんかけろ。人から頼りにされないと拗ねるトコ、そう言う所お前とアイツそっくりだよ。少しくらい甘えてるくらいの方が喜ぶ、大丈夫だ」
 いや、それはきっと自分もだ。結局三人とも、大切な人には遠慮せず頼って欲しいと思っているから。
 だから大丈夫、きっと上手くいく。

「なんの根拠があって、言ってるんだよ? まあ、その通りかもしれないんだけど」
 優太は柔らかく苦笑している。三月からの手紙を持って、机の隅に置いてあった携帯電話に手を伸ばす。迷わずつかんで、彼は立ち上がった。

「それじゃあ僕――行ってくる」
「ああ」
「そうだ、真志」
 玄関に向かう途中、優太が立ち止まる。
 少し間を空けて、彼は口を開く。

「ごめんね。真志が『優しくない』なんて、そんな訳ないのにね。ずっと君の優しさに甘えてたんだ」
 振り返ったその目はとても穏やかで、やがて優太が照れ臭そうに笑う。

「本当にありがとう」
 こっちが何も返せないでいるうちに、彼は扉を開け家を飛び出して行く。

 開いた扉から差し込む光は真っ白で、きっと空は澄んだ色をしている。
 彼女の手紙のような、スカイブルーだ。

「おいおい……、鍵くらいかけていけよ。留守番してろってことか?」
 優太の姿が見えなくなってからしばらく経って、ようやく真志はそう呟いた。
 彼がどんな表情をして帰ってくるか。

「アイツ驚くだろうな、実は俺にも夢がうつってたって知ったら」
 今度はこっちも我慢しなくていいのだ。今まで足りなかったことも含めて、もっといろいろな話をしよう。

 真志はこれからを思い、頬を緩めた。
 それは、その場に三月がいたらまた、可愛いと言われてしまいそうな笑顔だった。
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