愛しくて悲しい僕ら

寺音

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第四章

28 似たもの同士

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 三月は机の引き出しを開けて、空色のレターセットを取り出す。その澄んだ色合いが気に入って、思わず買ってしまった物だったが、使う機会には恵まれず未開封のままだった。

 教科書が積み上がり雑然とした机の上を片付け、そこに便箋を一枚置く。何も書かれていない便箋は、正に雲一つない青空のようだった。
 ここに今から、自分の言葉を描いていく。不安と緊張でボールペンを持つ手が震えて、一度手を離して深呼吸をした。

 真志に言われた通り、三月は優太に手紙を書くことにしたのである。

 本当は、面と向かって想いを伝えたかった。けれど真志に言われた言葉がきっかけで、別の選択肢もあるのではないかと気づいたのだ。
 だったら、電話でもメールでもなく手紙で伝えようと思った。
 自分の言葉を自分の書く文字で。その方が、ちゃんと自分の気持ちを伝えられる気がしたのである。

 自分の気持ちを文章にまとめることは、案外難しい。優太への想いは、言葉にできないほど曖昧で、掴みどころがない。
 それでも胸の中に秘められたこの想いを言葉に表して、少しずつ便箋の上に記していく。

 一枚目は宛名で失敗した。二枚目は、文章が支離滅裂になって、途中で止めた。三枚目からは、シャープペンシルで下書きをしてからと思ったが、消しゴムで擦りすぎて便箋自体をぐしゃぐしゃにしてしまった。
 何度も書き直し、便箋を何枚も無駄にして、ようやく優太への手紙が書き上がった。

 最後の一文字を書き終わり、三月はボールペンを机の上に置く。そしてもう一度、始めから文章に目を通し始めた。

 『神崎優太様』
 緊張で少し震えた、ぎこちない文字から始まる手紙。
 高校時代こっそり授業中に回した、メモ書きの手紙とは違う。きちんと便箋に書いた手紙なんて何年ぶりだろうか。

 手紙を読み終え、三月は軽く頷いた。便箋を丁寧に折り、封筒に入れて封をする。
 伝えられるだろうか、この手紙で自分の想いを。

 三月は手紙を鞄に入れ時計を見上げた。正午を少し回ったところだ。
 彼女は机の上の携帯電話を手に取ると、最近連絡先を交換したばかりのにメールを打った。
 すぐに帰ってきた短い返事を確認すると、ギンガムチェックのマフラーを首に巻き、部屋を出て行った。





 大学の図書館前の中庭。三月は、いつも優太が座っていたベンチを目指して歩いた。
 今はお昼休みの時間帯だが、寒いためか中庭は静かだ。皆、温かい室内で昼食をとっているのだろう。

 そのベンチには優太ではなく、宮本真志が缶コーヒーを片手に腰を下ろしていた。真っ白な息を吐き、彼の鼻も頬も指先も真っ赤だ。いつからここにいたのだろうか。
 彼は三月が来たことに気づくと、少しだけ目を見開いた。

 真志の視線を受けながら、三月は軽く深呼吸する。そして、鞄の中から空色の封筒を取り出すと、両手でしっかりと持って彼に差し出した。

「これを、神崎先輩に渡していただけますか?」
 彼は空色の封筒と三月の顔へ、交互に視線を送る。そして、ふっと力を抜くように笑った。

「……本当に書いたんだな」
「先輩が書けって言ったんですよ」
 真志は呆れたような笑みを浮かべ、缶コーヒーをベンチに置いて立ち上がる。
 三月にゆっくりとした足取りで近づくと、腕を伸ばし手紙を受け取った。
 封筒を眺める彼の視線は、とても穏やかだ。

「宮本先輩に、一つお聞きしても良いですか?」
 彼が軽く首を傾げ、三月を見下ろす。

「先輩は、どうして私に協力して下さったんですか?」
 何故、突然自分を手助けしようと思ったのだろう。一度は彼に近づくなと警告までしておいて。それなのに彼は、優太の特異体質のことを話してくれ、想いを伝えろと助言までしてくれた。
 出会った頃の真志とは、まるで別人のようだ。

 真志はしばらく三月の顔を凝視して、再び手元の手紙に視線を落とす。

「そうだな」
 彼がふっと、短く息を吐く。細めた目元は、何かを思い出すように遠い目をしていた。

「俺が言えなかったことを、お前は言ってくれたからじゃねえかな」
「え……?」
 思わず聞き返すと、真志はひとりごとのように言葉を続ける。

「そうだよな、やっぱり不公平だよな。……前からそうなんだよ。人のことばっかり気にして、それなのに心配されると『辛い想いさせたくない』とか上手いこと言って逃げる。でもそれは、フェアじゃないよな」
 首を傾げる三月をよそに、真志は軽く声を出して笑う。

「俺は優太に、こう言ってやるべきだったんだ。『俺にもお前の心配させろ、不公平だ』ってな」
 顔を上げた真志が、はにかむように笑っている。どことなく優太を思わせるような、温かくてふんわりとした微笑みだ。
 彼女はようやく分かった。
 本当の真志は、優太と同じくらい優しい人なのだと。

「宮本先輩、そうやって笑うと可愛いですよ」
「はぁ?」
 今まで意地悪なことを言われた仕返しだ。
 ポカンと口を開ける真志がおかしくて、三月はくすくすと笑う。

「そうですよね。神崎先輩はずるい人です。ちょっと優しすぎなんですよね。でも私は――納得してませんから」
 彼女自身が思っていたよりも、その言葉は力強かった。
「夢の中の誰かは、神崎先輩がいてくれるから悲しい時に一人で泣かなくて済むんです。でも神崎先輩自身が悲しい時は? いつも一人でいる先輩は、辛い時、一体誰に頼れば良いんだろうって、私、そう思うんです」
 真志はまるで彼女に同意するかのように、強く頷いた。

「勝手にこんなこと言うのは、図々しいかもしれません。でも、私は先輩に助けてもらったから、先輩が悲しい時に少しでも力になれたらって思うんです。お返し、ですから」
「――まあ、お前の場合、それに恋愛感情も絡んでるだろうからな」
「な、ちょっと先輩!?」

 真志は三月が嫌いなからかうような笑みを浮かべていた。一瞬でも優しい人だと思ってしまったことが、少し悔しい。でもやはり、こちらの笑顔も彼らしくて良いのかもしれない。
 三月は熱っぽい頬を手で仰ぎながら、そんなことを思う。

「分かってるだろうけど、アイツの心配するのは当たり前として、それでもたまにはアイツのこと頼ってやれよ。お前ってアイツと同じで、人のことばっかで自分のことは後回しってタイプに思えるからな」
 そう言われればそうかもしれないと、三月は思わず苦笑した。
 しかし、それを真志に言われるとは。

「それって、たぶんですけど、先輩もなんじゃないですか?」
「……さあ、どうだろうな」
 真志は気まずげに視線を逸らしている。ひょっとしたら、少しは自覚があるのだろうか。
 三月はそんな彼を安心させるように笑って言った。
「大丈夫です。ちゃんと分かってますから」

 昼休み終了を告げる鐘が鳴る。三月は真志の正面に向き直り、深々と頭を下げた。
「手紙のこと、お願いします」
 彼ならきっと、自分の想いを届けてくれる。
 自分に出来ることは、自分の想いが優太に伝わることを信じて待つことだけだ。

 顔を上げた三月に、真志は真剣な眼差しを向けて頷いてくれた。
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