愛しくて悲しい僕ら

寺音

文字の大きさ
上 下
27 / 32
第四章

27 まるでヒーローだ(S side)

しおりを挟む
 弾かれたように、勢いよく顔を上げる。心臓が早鐘のように鳴り、額にはびっしりと汗をかいていた。肩で息をしながら、真志はゆっくりと周囲を眺める。

 見覚えのない部屋に一瞬戸惑うが、次第に記憶が繋がってきて、自分は優太の家を訪れていたのだと思い出す。
 開きっ放しのカーテンから差し込む光で、部屋は橙色に染まっていた。訪問したのは確か、昼過ぎだ。随分と長い時間が経ってしまったようである。
 真志は大きく息を吐き、胸を押さえた。

「夢、か……?」
 どうやら優太に釣られ、ソファーでうたたねをしてしまったらしい。それにしても、酷い夢を見た。
 目を閉じると、その生々しい光景が思い出される。

 見知らぬ少年の目の前で、彼の両親が交通事故に遭った。
 そして、その少年を慰めていた
 ただの悪夢というよりはリアリティがあって、こちらまで少年の悲しみが伝わってくるようだった。

 小さいうめき声がして、真志は隣へ視線を移す。優太がソファーに背を預け、寝息を立てている。苦し気に眉を寄せ、その目尻には涙が光っていた。
 顔色を変えて、真志は焦って優太を揺り起こす。

「おい、優太!」
 何度か呼びかけると、彼は思ったよりも早く目を開けた。
 ぼんやりとした眼で真志を見つめている。やがてその瞳が大きく見開かれると、表情を歪ませ小さく頼りない声で呟いた。

「もう、嫌だ……」
「は?」
 堰を切ったように、優太の瞳から大粒の涙が零れ落ちてくる。真志は呆然として、それを眺めることしかできなかった。

「なんで、父さんと母さんが死んだ後に限って、こんなの人の夢なんか、見なきゃいけないんだよ……?」
 ひゅっと真志の喉が鳴る。心臓が締めつけられて、背筋に嫌な汗が流れた。

「父さんと母さんが、死んだ……?」
 思わず優太の言葉を繰り返すと、彼がほんの僅かに頷いた。まさか『今は一人暮らし』というのは、そう言うことなのか。
 真志はハッと息を呑む。
 もしかして、ここ一週間ほど彼が学校を休んでいたのも、そのせいなのだろうか。
 
「なんで僕はこんな夢を見なくちゃいけないんだろう。こんなこと思っちゃいけないのに、どうして、こんな力なんか……」
 うわ言のように言って、優太はぼろぼろと涙を流している。彼を見つめたまま、真志は指先一つ動かせずにいた。

 真志にとって、親という存在は正直、苦痛でしかない。彼の両親の仲は悪く、顔を合わせば怒鳴りあい、憎みあっていた。外に出る時だけ、普通の家族のように取り繕って。
 そして、別れたいのに別れられない理由を真志のせいにして、その不満を彼にぶつけていたのである。

 だから、優太の気持ちに共感はできない。けれど、泣きじゃくっている彼の姿をみていると、真志の胸も強く痛んで締めつけられるようだった。
 何がいつも通りだ。
 何故自分は、優太が無理をして笑っていることに気づけなかったのだろう。
 真志は思いきり、自分を殴ってやりたいと思った。

「父さんと母さんが死んでからずっと、ずっと、選ぶみたいに同じ境遇の人が夢に出てくる。思い出すだけでも辛いのに、なんで、その人の悲しみまで僕が受け取らなきゃいけないんだよ……!」
 ふと優太の言葉に疑問を覚え始める。
 夢や力、悲しみを受け取る。彼は何を言っているのだ。
 そこで真志が思い出したのは、先程見た夢のことだった。

「落ちつけ! お前さっきから何言ってるんだ? 同じ境遇とか夢に出てくるとか、悲しみを、受け取るとか」
 真志は優太の肩を乱暴に掴んで、無理矢理自分と視線を合わせる。

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった優太の顔。同一人物だと思えないほど、悲痛で頼りない表情だった。

 数秒ほどだっただろう。優太がゆっくりと息を吸いこんで吐き出す。
 真志もそれに合わせて、彼の肩を掴んでいた手の力を抜いた。

「――ごめん」
 優太は消え入りそうな声で呟いて、両手で涙を拭う。
「急に泣き出したりして、何が何だか分からないよね。ごめん」
 彼は少し笑った。
 真志にはその笑みが、仕方がないとでも言うような何かを諦めたような表情に見えた。

「真志も僕の噂、知ってるんだろ? いきなりで、信じられないかもしれないけど――僕には普通の人とはちょっと違う、特殊能力、いや、特異体質があるんだ」
 そして優太は静かに語り始めた。

 死んだ母親から受け継いだ能力、夢を共有し他人の悲しみを癒すという特殊な力のことを。
 まるで他人事のように淡々と語った。

「たまに、傍にいる人に僕の見ている夢がうつっちゃうことも、あるんだって。僕が気をつけていれば大丈夫だと思うんだけど」
 そうか、あれは彼の見ていた夢だったのか。両親が交通事故に遭う悲惨な夢、
 唇を引き結んで、真志は眉を寄せた。優太が自嘲気味に笑う。

「こんな体質だから、他人に気味悪がられたり避けられたりするのも分かるよ。だって、僕の側にいたら、辛い目に遭っちゃうんだから。だから、僕を避けてる人は正しいと思う」
 そう言って優太は微笑む。完璧な笑みで。

 突拍子もない話で、真志の頭は混乱していた。しかし、実際にその夢を見たからだろうか。
 優太の話を嘘だとは思わなかった。

 そして、こんなに頑張っている優太が、何故一人で苦しまなければならないのかと、怒りにも似た感情が押し寄せてきた。

 真志が周囲を拒絶するようになったのは、間違いなく彼の家庭環境が原因だ。
 両親の不満のはけ口にされて、蓄積された感情を上手く消化することもできない。
 かと言って両親のように、それを他の誰かにぶつけることもできない。
 彼は敢えて周囲と距離を取り、いつも一人でいるようになっていた。

 そんな自分に唯一声をかけてくれたのが、神崎優太だった。
 優太は自分を、救ってくれた。

 とにかく真志は、優太に何か言わなければと思った。何か彼の支えになるような言葉を、かけなければと。

「お前って、すごいよな。よく分かんねえけど、夢で人を救えるんだろ? まるでヒーローみたいだ」

 違う。自分が優太にかけたかった言葉は、そんなことじゃない。
 しかし口から滑り出てしまった言葉を、取り消せるわけもない。

 優太は奇妙なものでも見るように、真志の顔を凝視している。
 やがて、力を抜いて安心したように微笑んだ。
 本当に、心からほっとした表情だった。







 本当はあの時、他にかけるべき言葉や、言いたかった言葉があったはずだった。
 しかし、すごいなと声をかけたら、優太がほっとしたように笑うものだから。
 それ以上、何も言えなくなってしまった。

「『友達』……か」
 あれからずっと、優太との付き合いはぎこちないものだった。友達であるはずなのに。
 友達ならあの時もっと、どうにかするべきじゃなかったのだろうか。

 本当に言いたかったのはあんなことではなくて、もっと他の、別の言葉だったはずなのだ。
 それが分からず、自分に夢がうつったことさえ優太に告げられぬまま、真志は優太とであり続けてきた。

 不意に、中山三月のことが頭をよぎった。
 もしも彼女が自分のように優太の事情を知ったら、どうするのだろうか。
 彼女なら彼の力のことを知って何を思い、彼に何と声をかけるのだろう。

 そう思ったら居ても立っても居られなくなって、彼女がよく通りかかるというバス停まで足を運んでいた。

 バス停の前を年配の女性が二人通りすぎていく。かなり大声のお喋りが気にならないほど、真志は緊張で思考を止めていた。
 木枯らしが吹いて、寒さで体を震わせる。すると視界の端に、目的の人物の姿が映った。
 中山三月だ。

「よお……」
 声をかけると、彼女は軽く会釈をする。彼女も緊張しているようだった。無理もない、自分の印象は最悪だっただろうから。
 強ばった体を動かし、彼はゆっくりと立ち上がる。

 そして三月に向かって、一歩ずつ近づいていった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】 僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。 ※他サイトでも投稿中

夫は私を愛してくれない

はくまいキャベツ
恋愛
「今までお世話になりました」 「…ああ。ご苦労様」 彼はまるで長年勤めて退職する部下を労うかのように、妻である私にそう言った。いや、妻で“あった”私に。 二十数年間すれ違い続けた夫婦が別れを決めて、もう一度向き合う話。

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

処理中です...