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第二章
13 バス停で
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「でも、実はバスに乗りたかった訳じゃないんだ。僕、この近くに住んでるから。買い物の途中にちょっと休憩するつもりで座ったんだけど、つい眠気に負けて」
三月が隣に腰を下ろすと、優太はまるで言い訳のような言葉を口にした。
「そうだったんですか。私は駅前の方に部屋を借りているので、これから帰るところなんです。便利ですよね、スーパーの近くって」
「そうだね、実際に便利だよ。あと家賃が安いことが利点かな。中山さん、僕の住んでる場所を見たら、あまりの狭さと汚さにびっくりすると思うよ」
優太は一呼吸置いて、おかしそうに笑う。
「この前も真志が泊まりにきて、散々言われたからね。全く、アイツだってどんな部屋に住んでるか分かったもんじゃないのに」
「あ……」
また、宮本先輩だ。三月は自分の表情が曇ったのを感じていた。
自分と優太の交流が続いているのと同時に、彼と真志の交流も相変わらず続いているようだ。それも、かなり近い距離感で。
どうして、あの人と一緒にいるのだろう。
疑問には思うが、人のつき合いに首を突っ込むのは失礼だし、何よりも優太を傷つけてしまうのが嫌だった。
彼は以前、真志のことを良い人だと言っていた。何か自分の知らない、特別な関係があるのかもしれない。それよりも、財布の中に入っている食券の方が大切だ。
「せ、先輩は今度の学園祭、どうなさるんですか?」
学園祭、と呟き、優太は数秒空を見つめる。そして、思い出したように頷いた。
「ああ、そう言えばもうすぐだっけ」
「そう言えば、って……」
「ごめん、僕学園祭って出たことないから、すっかり忘れてて。サークルにも入ってないし、することないから去年はずっと部屋で寝てた」
のんびりと笑う優太に、三月は思わず脱力した。この分だと、一緒に回るのは絶望的かもしれない。
「その、実は私の所属している文芸部でクッキーを作って売るんです。それで、神崎先輩も良かったら、と思って」
「へえ、クッキー? 良いね」
肯定的な言葉にほっとして、三月は財布から食券を一枚取り出す。
「良かったです。だったら、ぜひどうぞ。当日買うより安いですから」
「んー、買ってあげたいのは山々なんだけど」
ところが優太は、申し訳なさそうに眉を顰めて、食券を受け取ろうとはしなかった。
何か余計なことを言ってしまっただろうか、三月は思わず差し出した手を少し引く。
「何か予定でもあるんですか? お忙しかったら別に」
「いや、そう言う訳じゃないんだけど。僕、買っても無駄にしちゃうかもしれない。ちょっとその……ああいう人が多い場所って苦手なんだ」
だからごめんね、と優太は控えめに笑う。
その笑みに、遠慮とは別の有無を言わせない雰囲気を感じて、三月は隠すように食券をしまった。
「そ、そうですか、すみません。なんだか無理に押し付けようとしてしまったみたいで……。気にしないで下さい! まだ、押し付ける人なら別にいますから」
ワザと明るい調子で、三月は声を出して笑う。
ちょうど、乗る予定だったバスが来たようだ。気まずさから逃げるように、彼女は勢いよく立ち上がる。
「その、バスが来たので失礼します!」
「あ、中山さん!」
まさに背を向けようとしていた所を、優太に呼び止められ、三月は再び振り返る。
「その……当日、約束はできないけど、何も用事がなければ遊びに行くよ。それでも、良いかな?」
少し、はにかむように俯いて、優太はふわりと微笑んだ。彼の笑みに釣られ、三月も顔を綻ばせる。
途端に心も、宙に浮かんだように軽くなった。
「あ、はい! お暇ならぜひ来てください。待ってます」
三月が軽く一礼すると、優太はその代わりに片手を振った。
停車したバスに乗り込み、車窓から優太を見下ろす。三月が自分を見ていることに気がつくと、彼はもう一度手を振ってくれた。先程よりも少し大きく。
三月も自然に大袈裟な動作で手を振り返し、扉が音を立てて閉まったところで我に返る。
あんなに大きく手を振るなんて、どれだけ舞い上がっているのだろう、私は。
思わず頬を赤らめて、三月はバスの座席に隠れるように背中を丸めた。
「中山さん。こうなったらもう、移動販売よ! 売り子さんやってきて!」
「は、はい、分かりました!」
学園祭も残り二時間と少し。売れ残りを心配した部長直々の命令で、三月はクッキーの入った段ボールを持って、学内へ繰り出すこととなった。
元々、あまり大量に作っていたわけではなかったのだが、やはり焼きそばだとかうどんだとか、食事にもなる定番メニューに比べると売れない。
おまけに学園祭が行われたこの二日間は、まるで真冬のように冷え込んだ。
温かい食べ物が人気なのも当然だ。
「三月。アンタのとこも大変ね」
同じように、林檎飴を持って歩いている友人と出くわす。向こうも苦労しているようだ。
大変だからということで、三月たちはお互いが売っている物を買い合う。
「そう言えば、演劇部の劇観た? 私、すごく感動しちゃった」
「あーごめん。観に行けてないんだ。意外に当番が忙しくて……屋外ステージは近くにあったから、ちょっとは観られたんだけど」
正直言うと当番はあまり忙しくはなかった。
自分がその場を離れている間に、優太が来るのではないか。そう思うと、なかなかその場を離れることができなかったのだ。
おかげであまり、学園祭を堪能したとは言えないかもしれない。
「そっか、じゃあまたゆっくりと――あれ? ねえ、あそこにいるのって」
友人に服の裾を引かれる。
彼女が指さす方向へ視線を向ければ、ずっと心待ちにしていた人物の姿が見えた。
ただし、彼は芝生の上に座り込み、こくりこくりと船を漕いでいた。
「神崎先輩……」
「そ、それじゃあ三月。私もう行くね」
気を使っているのかいないのか、友人はそそくさと逃げるように去っていった。
近づいて確認してみると、優太は確かに眠っているようだった。学園祭のお客さんが、ちらちらと彼に視線を送っている。
まるで自分のことのように恥ずかしくなり、三月は少し乱暴に彼を揺すった。
「神崎先輩、起きて下さい!」
眠りが浅かったのか、優太は思ったよりもすぐ目を開く。
ぼんやりとした目つきで、彼は三月を眺めた。
「中山さん、あれ? ……僕もしかして、またやっちゃった?」
三月が大きく頷いて見せると、優太は顔を少し赤くして頭をかく。
まさか、こんな人の往来が激しいところでも眠れるとは思わなかった。相当眠たかったのか、単なるマイペースなのか。
何を言うべきか分からず、三月は苦笑しながら優太の仕草を見守った。
三月が隣に腰を下ろすと、優太はまるで言い訳のような言葉を口にした。
「そうだったんですか。私は駅前の方に部屋を借りているので、これから帰るところなんです。便利ですよね、スーパーの近くって」
「そうだね、実際に便利だよ。あと家賃が安いことが利点かな。中山さん、僕の住んでる場所を見たら、あまりの狭さと汚さにびっくりすると思うよ」
優太は一呼吸置いて、おかしそうに笑う。
「この前も真志が泊まりにきて、散々言われたからね。全く、アイツだってどんな部屋に住んでるか分かったもんじゃないのに」
「あ……」
また、宮本先輩だ。三月は自分の表情が曇ったのを感じていた。
自分と優太の交流が続いているのと同時に、彼と真志の交流も相変わらず続いているようだ。それも、かなり近い距離感で。
どうして、あの人と一緒にいるのだろう。
疑問には思うが、人のつき合いに首を突っ込むのは失礼だし、何よりも優太を傷つけてしまうのが嫌だった。
彼は以前、真志のことを良い人だと言っていた。何か自分の知らない、特別な関係があるのかもしれない。それよりも、財布の中に入っている食券の方が大切だ。
「せ、先輩は今度の学園祭、どうなさるんですか?」
学園祭、と呟き、優太は数秒空を見つめる。そして、思い出したように頷いた。
「ああ、そう言えばもうすぐだっけ」
「そう言えば、って……」
「ごめん、僕学園祭って出たことないから、すっかり忘れてて。サークルにも入ってないし、することないから去年はずっと部屋で寝てた」
のんびりと笑う優太に、三月は思わず脱力した。この分だと、一緒に回るのは絶望的かもしれない。
「その、実は私の所属している文芸部でクッキーを作って売るんです。それで、神崎先輩も良かったら、と思って」
「へえ、クッキー? 良いね」
肯定的な言葉にほっとして、三月は財布から食券を一枚取り出す。
「良かったです。だったら、ぜひどうぞ。当日買うより安いですから」
「んー、買ってあげたいのは山々なんだけど」
ところが優太は、申し訳なさそうに眉を顰めて、食券を受け取ろうとはしなかった。
何か余計なことを言ってしまっただろうか、三月は思わず差し出した手を少し引く。
「何か予定でもあるんですか? お忙しかったら別に」
「いや、そう言う訳じゃないんだけど。僕、買っても無駄にしちゃうかもしれない。ちょっとその……ああいう人が多い場所って苦手なんだ」
だからごめんね、と優太は控えめに笑う。
その笑みに、遠慮とは別の有無を言わせない雰囲気を感じて、三月は隠すように食券をしまった。
「そ、そうですか、すみません。なんだか無理に押し付けようとしてしまったみたいで……。気にしないで下さい! まだ、押し付ける人なら別にいますから」
ワザと明るい調子で、三月は声を出して笑う。
ちょうど、乗る予定だったバスが来たようだ。気まずさから逃げるように、彼女は勢いよく立ち上がる。
「その、バスが来たので失礼します!」
「あ、中山さん!」
まさに背を向けようとしていた所を、優太に呼び止められ、三月は再び振り返る。
「その……当日、約束はできないけど、何も用事がなければ遊びに行くよ。それでも、良いかな?」
少し、はにかむように俯いて、優太はふわりと微笑んだ。彼の笑みに釣られ、三月も顔を綻ばせる。
途端に心も、宙に浮かんだように軽くなった。
「あ、はい! お暇ならぜひ来てください。待ってます」
三月が軽く一礼すると、優太はその代わりに片手を振った。
停車したバスに乗り込み、車窓から優太を見下ろす。三月が自分を見ていることに気がつくと、彼はもう一度手を振ってくれた。先程よりも少し大きく。
三月も自然に大袈裟な動作で手を振り返し、扉が音を立てて閉まったところで我に返る。
あんなに大きく手を振るなんて、どれだけ舞い上がっているのだろう、私は。
思わず頬を赤らめて、三月はバスの座席に隠れるように背中を丸めた。
「中山さん。こうなったらもう、移動販売よ! 売り子さんやってきて!」
「は、はい、分かりました!」
学園祭も残り二時間と少し。売れ残りを心配した部長直々の命令で、三月はクッキーの入った段ボールを持って、学内へ繰り出すこととなった。
元々、あまり大量に作っていたわけではなかったのだが、やはり焼きそばだとかうどんだとか、食事にもなる定番メニューに比べると売れない。
おまけに学園祭が行われたこの二日間は、まるで真冬のように冷え込んだ。
温かい食べ物が人気なのも当然だ。
「三月。アンタのとこも大変ね」
同じように、林檎飴を持って歩いている友人と出くわす。向こうも苦労しているようだ。
大変だからということで、三月たちはお互いが売っている物を買い合う。
「そう言えば、演劇部の劇観た? 私、すごく感動しちゃった」
「あーごめん。観に行けてないんだ。意外に当番が忙しくて……屋外ステージは近くにあったから、ちょっとは観られたんだけど」
正直言うと当番はあまり忙しくはなかった。
自分がその場を離れている間に、優太が来るのではないか。そう思うと、なかなかその場を離れることができなかったのだ。
おかげであまり、学園祭を堪能したとは言えないかもしれない。
「そっか、じゃあまたゆっくりと――あれ? ねえ、あそこにいるのって」
友人に服の裾を引かれる。
彼女が指さす方向へ視線を向ければ、ずっと心待ちにしていた人物の姿が見えた。
ただし、彼は芝生の上に座り込み、こくりこくりと船を漕いでいた。
「神崎先輩……」
「そ、それじゃあ三月。私もう行くね」
気を使っているのかいないのか、友人はそそくさと逃げるように去っていった。
近づいて確認してみると、優太は確かに眠っているようだった。学園祭のお客さんが、ちらちらと彼に視線を送っている。
まるで自分のことのように恥ずかしくなり、三月は少し乱暴に彼を揺すった。
「神崎先輩、起きて下さい!」
眠りが浅かったのか、優太は思ったよりもすぐ目を開く。
ぼんやりとした目つきで、彼は三月を眺めた。
「中山さん、あれ? ……僕もしかして、またやっちゃった?」
三月が大きく頷いて見せると、優太は顔を少し赤くして頭をかく。
まさか、こんな人の往来が激しいところでも眠れるとは思わなかった。相当眠たかったのか、単なるマイペースなのか。
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