愛しくて悲しい僕ら

寺音

文字の大きさ
上 下
11 / 32
第一章

11 久しぶりの実家

しおりを挟む
 黒々とした門の取っ手を持ち上げ、鍵を開ける。きしむような音を立てて門が開くと、長年親しんだ焦げ茶色の扉が出迎えてくれた。庭に生える柿の木も青々とした葉を伸ばしている。以前はよくここで、ミーコと遊んだものだった。

 三月が家の敷地へ足を踏み入れると、待ち構えていたように玄関ドアの鍵が外れる音がした。

「おかえり三月。よく帰ってきたわね」
 扉を開け、顔を出したのは三月の母親だ。
「ただいま、お母さん」
 目じりに少し皺のできた柔らかな笑みを見ていると、懐かしさにも似た感情が、じんわりと三月の心を満たしていく。
 一人暮らしも良いが、誰かが出迎えてくれる温かさは、胸にくるものがあった。

「父さんはまだ帰ってないんだけどね。光雪みつゆきは部屋にいるよ。今日の夕飯が三月の好きなコロッケだから、お姉ちゃんのご相伴に預かれてうれしいみたい」
「コロッケって作るの手間がかかるもんね。わざわざ作ってくれてありがとう」
 玄関に入りながらそういうと、母は目を丸くして口元に手を当てた。
「あらあら、そんなことを言うなんて。一人暮らしさせたかいがあるわね」
「一体、どこに『かい』を見出してるの、お母さん」
 靴を脱いで家に上がり、母の後を追って左手にあるリビングへと入る。

 四人がけのダイニングテーブルの上には、四人分の食器といくつかできあがった食事が置かれていた。レタスときゅうり、トマトが乗ったサラダに、大根とわかめの味噌汁。空の大皿にはこれからコロッケが乗っていくのだろう。和食なのか洋食なのか分からないちぐはぐな献立も、どこかを思わせる。
 対面式のキッチンでは忙しなく動く母の姿が見え、そこから揚げたてのコロッケの良い匂いが漂ってきていた。

「何か手伝おうか?」
「良いわよ、今日くらいはゆっくりしてて。あと、手を洗ってきてね」
「そうだった。行ってくるね」
 洗面所に行こうと振り返ると、写真立てと小さな花瓶に生けられた花が目に入る。壁際の棚の上に置かれた写真立ての中には、ミーコの写真が入れられていた。以前と変わらないつぶらな瞳で彼女を見つめている。
 三月は表情を和らげると、写真の中の愛猫に声をかけた。

「ただいま、ミーコ」
「――良かった」
 母の声に三月は振り返って首をかしげる。瞳を少し潤ませて、母が感慨深そうにため息を吐いた。

「三月、随分と落ち込んでいたでしょう? その写真を見たら、また気持ちが沈んでしまうんじゃないかって。直前までその写真、片づけるか迷ってたのよ」
 そう言えば、ミーコが亡くなってすぐに一人暮らしを始めたのだった。
 実は、あの夢のおかげですぐに立ち直ることができたのだが、母はそんなことを知る由もない。定期的にとっていた連絡でも、ミーコの話題が出てくることはなかったが、あれは母が気を遣ってくれていたのだ。

「心配してくれてありがとう。うん、もう大丈夫だから」
 そう笑って見せると、母は三月の表情をじっと見つめ、力を抜くように微笑んだ。

「何か、良いことがあったのかしら? またこの後ゆっくり聞かせてね」
「ええ!?」
 思わず声が裏返り、三月は大声をあげてしまう。
 すると母はクスクスと笑い声を上げる。何もかもお見通しだと言わんばかりの母に、三月は顔を赤くして両手を顔の前で振った。

「ち、違うの! 先輩とは別にそんなんじゃ」
 三月の言葉を遮って、バタバタと階段をかけ下りる音がして、勢いよく坊主頭の弟が顔を出した。

「おお! ねぇちゃんお帰り! 久しぶり! 良いなぁ、一人暮らしって自由で。あー、コロッケできてる⁉︎ うまそー!」
「光雪、騒がしいわよ! 階段や廊下はちゃんと歩きなさい!」
 相変わらず賑やかな弟である。だが正直、助かった。あのままだと、意外と乙女な母が暴走して、先輩のことを根掘り葉掘り聞き出されるところだった。
 コロッケをつまみ食いしようとする弟を横目に、三月はこっそり安堵のため息を吐いた。





 相変わらず、母の料理は美味しかった。うっかり食べすぎてしまったかもしれない。
 三月は軽く胃の辺りをさする。

 あの後、父も仕事から帰り、数ヶ月ぶりに家族揃っての夕飯となった。元気そうな三月の姿に父も喜んでくれたようで、今日は一段とビールが進んでいたようだ。
 三月がお酒に付き合ってくれるのは、一年後だなぁなんてことを言いながら。
 ここまで賑やかな食卓は久しぶりで、彼女は足取り軽く、二階の自室へと向かう。

 扉を開き、壁のスイッチを押すと、電灯に照らされた自室は数ヶ月から時を止めたようだった。ベッドも勉強机も、その隣にある本棚やCDラックもそのままだ。掃除だけはしてくれていたらしく、机の上には埃一つない。
 そう言えば、下宿先に持っていかなかったCDがたくさんある。いくつか持っていけば、先輩との話のネタになるかもしれない。

 そんなことを考えながら、三月はベッドに飛び乗った。布団も干してくれたのか、温かい匂いがする。このまま眠ってしまいそうだ。

 そこで三月は、ずっと携帯電話を確認していなかったことを思い出した。鞄に仕舞ったままなのだ。
 彼女は机の上に置いたトートバッグを漁り、携帯電話を取り出す。横のボタンを押してサブディスプレイを点灯させると、封筒のマークがついている。
 メールが来ている、もしかして。
 心臓を高鳴らせ、三月は携帯電話を開いて届いたメールを確認する。
 宛名には『神崎先輩』と記されていた。

『また、ゆっくり話そうね。楽しみにしてるよ』
 電車に乗る前、そう言って優太と交換した彼のメールアドレス。彼は早速、メールを送ってくれたのだ。
 緊張して震える指を動かして、メールの本文を開く。

『今日はありがとう。いい夏休みを過ごしてね』
 件名も顔文字も絵文字もない、シンプルなメールだが、どこか彼らしい優しさがにじみ出ていた。
 たったそれだけの言葉なのに、三月の胸はじんわりと温かくなる。

 叫びたいような衝動にも駆られて、三月は手の中の携帯電話を胸に抱き、うつ伏せにベッドへ飛び込んだ。
 
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)

青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。 だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。 けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。 「なぜですか?」 「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」 イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの? これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない) 因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

処理中です...