愛しくて悲しい僕ら

寺音

文字の大きさ
上 下
7 / 32
第一章

7 警告

しおりを挟む
 講義が終わると、三月は足早にいつもの場所へ向かった。
 図書館前の中庭のベンチ。優太は大抵そこにいる。今日もいるだろうか、そうしたら、また話ができるだろうか。
 約束をしている訳ではないのに、彼女はついそんなことを考えてしまう。

 好きな音楽の話をしたあの日から、三月は時々優太と話をするようになっていた。軽く挨拶を交わすだけの時もあれば、数十分ほどベンチに座り話をする時もある。ささやかな交流だ。

 中庭に到着して、三月は優太の姿を探す。いつも彼が座っている場所で、今日は見知らぬ男子学生たちが談笑していた。周囲を見回すも、優太の姿はどこにもない。

「まあ、いつもそこにいるわけじゃないもんね」
 よく考えたら、彼の携帯メールアドレスも電話番号も知らない。なぜ聞いておかなかったのかと、三月は少し後悔した。
 女友達なら気軽にそう言うことができるのだが、どうも男性に対する距離感が分からない。優太も聞いてこなかったし、と考えに至って、ふと思う。
 毎回彼の時間をもらって、ひょっとして迷惑だっただろうかと。
 暗い考えに支配されそうになって、三月は思わず首を横に振る。

 すると、見覚えのある青年が目に入った。黒い半そでのTシャツに細身のジーンズ。ジーンズのポケットに両手を突っ込み、何かを睨むような眼差しで歩く男性。その艶のない金髪はもはや軽いトラウマだ。
 優太の知り合いだという、宮本真志みやもとしんじである。

 三月は慌ててその場から立ち去ろうとつま先を浮かす。しかし、先に彼の切れ長の瞳が彼女へと向いた。
 見つかってしまったらしい。

「あれ? お前、ちょくちょく優太と一緒にいるヤツじゃねえか」
 一瞬意外そうに目を丸くした彼は、すぐ口元に意地の悪そうな笑みを浮かべた。
 そして三月の方へ近寄ってくる。
 あの鼻につくワックスの香りを思い出し、三月は不快感が表情に表れないよう奥歯を噛みしめた。

「何、アイツのこと探してんのか? 優太、いつもこの辺にいるもんなぁ」
 放っておいてくれれば良いのに、真志は愉快そうに話しかけてくる。
 気圧されそうになりながらも、三月は負けじと目に力を込めて、真志の顔を睨むように見上げた。

「探してたってわけではなくて。それに、それがそうだとしても……宮本先輩には関係ないじゃないですか! 神崎先輩って、よくこの辺りにいらっしゃるから、その」
「やっぱり探してたんじゃねぇか。へぇ……アイツが女子とねぇ」
 片眉を上げて、真志は口元の笑みを絶やさない。三月の感情が高ぶって、少しだけ目頭が熱くなる。

「そう、です! 本当は、探してました! 宮本先輩は、神崎先輩の居場所をご存知なんですか?」
「残念ながらご存じねぇよ。そんな、いつも一緒にいるわけじゃねぇしな」
 むしろお前の方が仲良かったんじゃねえのか、そう言って軽く笑うのはからかわれているのだろうか。

「とにかく、知らないならそれはそれで良いんです。ありがとうございました!」
 言葉をぶつけるように発して、三月は大袈裟に頭を下げた。その瞬間、肩まである髪が頬にぶつかって少し痛む。

「ふぅん……」
 顔を上げると、真志はどこか冷ややかな眼差しで彼女を見下ろしていた。
 大きく足を踏み出すと、強引に顔を近づけてくる。狼狽えた三月が後退りをする前に、声を潜めて彼は言った。

「別に邪魔する気はねぇけどさ。アイツにはあんまり、近寄らない方が良いかもな」

 三月の心臓が、飛び出してきそうなほど大きく跳ねる。息を止めて目を大きく見開いた。
 次第に、怒りにも似た感情がふつふつと湧き上がり、彼女は真志を振り払うように背を向ける。
「な、何を言ってるんですか!?」
 乾いた短い笑いが、背中越しに聞こえた。

「だってアイツ大抵一人でいるし、つきあい良くねえし。あんな奴と一緒にいても楽しくないぜ」
 確かに、優太はいつも一人だ。彼の隣に誰かがいる光景を見たことがない。
 温かく人当たりの良い人なのに意外だなと、思っていたのも事実だ。
 だけど、それが何だと言うのだろう。

「楽しいか楽しくないかは、その人が決めることだと思います! 私にそんなことを言ってますけど、だったら先輩はどうして、楽しくない人と一緒にいるんですか? 先輩は神崎先輩となんでしょう」

 言い返してはみたが、きっとまた、あの意地悪そうな笑みで何か言われるのだろう。
 三月はそう思いながらも振り返り、睨むようにして真志の顔を見上げた。

 彼は笑っていなかった。その表情からは全ての感情が抜け落ちて、冷めた視線を三月の方へ注いでいる。彼の瞳はどこか焦点が合っておらず、別の誰かを見ているようにも思えた。
 真志は興味をなくしたように、三月から視線を逸らせて呟く。

「さあ、どうなんだろうな」
「え……」

「おい宮本。そろそろどっか行かないか?」
 ベンチに座っていた二人の男子学生が、真志に手を振っている。どうやら彼の友人だったようだ。
 おう、とその声に嬉しそうに応え、真志は三月に何も言わずに去って行く。先程の冷たい雰囲気など感じさせない明るさだった。


 彼が立ち去った後も、しばらく三月はその場から動けずにいた。心臓は痛いほど鳴って、胸が苦しい。真志が怖かったというよりも、予想外の出来事に見舞われて理解が追いついていなかった。

 近寄らない方が良い。何故、そんなことを。
 三月は首を大きく振って、彼の言葉を頭から追い出す。
 優太の柔らかい笑みが、無性に恋しくなった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

サイキック・ガール!

スズキアカネ
恋愛
『──あなたは、超能力者なんです』 そこは、不思議な能力を持つ人間が集う不思議な研究都市。ユニークな能力者に囲まれた、ハチャメチャな私の学園ライフがはじまる。 どんな場所に置かれようと、私はなにものにも縛られない! 車を再起不能にする程度の超能力を持つ少女・藤が織りなすサイキックラブコメディ! ※ 無断転載転用禁止 Do not repost.

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】 僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。 ※他サイトでも投稿中

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

処理中です...