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第一章
6 勘違い?
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彼に先導されてベンチへと向かった三月は、優太と一人分の距離を空け腰を下ろす。
今日は四月にしては汗ばむような気温だ。そう言えば、身だしなみは大丈夫だろうか。ちゃんと毎日ケアはしているはず。
三月は焦って、着ていた若葉色のブラウスに視線を巡らせる。
袖口に皺ができている以外は問題なさそうで、彼女はこっそり安堵のため息を吐いた。
改まって話をしようとすると、やはり緊張してしまう。
会話の間を埋めるように、三月は自分から話を切り出した。
「せ、先輩は音楽がお好きなんですか?」
「うん、何でも聞くよ。僕、音楽をかけながらじゃないと眠れなくてさ」
「そうなんですね。そういう意味でも、マツノミクさんの曲って良いですよね。落ち着いた感じの曲が多いですし、よく眠れそうな気がします」
「はは、分かってくれる? そう、だから最近は、毎晩寝る時に聞いてるんだ。特に気に入っているのが、えっと」
柔らかく微笑んで、優太が手元の音楽プレイヤーを操作する。すぐに目当ての曲を見つけたらしく、彼は音楽プレイヤーの小さな液晶画面を差し出してきた。
「この曲、知ってるかな? ミニアルバムに入ってる曲なんだけど。これが最近のお気に入りなんだ」
三月は液晶画面をのぞき込み、そこに表示されている曲名を目で追った。
「あ……すみません、ちょっと覚えがなくて。結構マツノさんの曲は聴いているはずなので、もしかしたら、聴けば思い出すかもしれません」
「そっか。じゃあ、中山さんが自分のイヤホンとか持ってるなら、今聴いてみる?」
他人のイヤホンだとあんまり気持ちが良くないでしょう。優太は気を遣ってくれたようで、そう言った。
三月も空き時間や大学に行く道中、音楽を聴くのが日課である。
聴いてみて知っていた曲ならば優太と話ができるし、知らない曲ならばそれはそれでとても気になる。
「持ってます! では、その、聴いてみたいです!」
言葉に甘えて、三月はトートバッグの中から自前のイヤホンを取り出した。プレイヤーにプラグを挿し込んだところで、優太がすかさず再生ボタンを押す。
イントロで流れてきたのは、柔らかいピアノの音色。やがてそこに少し掠れた女性の声が寄り添う。どこか哀愁の漂うハスキーボイス、マツノミクの歌声だ。
彼女自ら演奏するヴァイオリンの音も聞こえてくる。歌詞で歌われているのは、春風がふわりと吹いて桜の花びらが舞う光景だ。
そこで一月前の記憶がよみがえり、三月は大きく息をのむ。
「これ……」
「あ、やっぱり聴いたことがある曲だった?」
あの夢で聴いた曲だ。
亡くなったミーコが会いに来てくれた、悲しいけれど温かい不思議な夢。
しかしここで、正直に『夢で聴いた曲です』と口に出すのは憚られた。なんだか空想家というか、浮世離れした感じがする。
変に思われてしまうのではないだろうか。
三月は口をまごつかせ、声にならない声を発する。そこでふと思い出した。
この歌は、商店街で優太が歌っていたのではなかっただろうか。
「ええ、その、あの時、先輩が歌っていた曲ですよね。早朝、商店街の広場で。とってもいい曲だなって思ってたんです」
優太は目を軽く見開き、何度か瞬きをしている。やがて少し頬を赤らめ、目を伏せた。
「そうか、そうだったっけ。ああ、そんなこともあったよねぇ。……改めて思い出すと、かなり恥ずかしいな。いつも外で歌ってるわけじゃないんだよ? あの時は、誰もいないと思ってたから」
「いえ、あんな時間に出歩いてる方がおかしいですから」
赤面する優太に釣られて、三月も頬が熱くなっていく。耳からイヤホンを外し、膝の上に置いた。
よく考えてみれば、この曲を夢で聴いただなんて、それすらも怪しいのではないだろうか。
何せ、夢なのだ。
おぼろげな部分があってもおかしくはないし、夢の中で聴いたのは別の曲かもしれない。
それを都合よく、勘違いしたかもしれないのだ。三月は自分を納得させるように、軽く頷いた。
「『桜の散った坂道』」
「え……?」
顔を上げると、優太が柔らかい表情で三月の顔を覗き込んでいる。
目が合うと、彼は花開くように笑みをこぼした。
「この曲名だよ。少し悲しい感じのする名前だけど、春にぴったりだよね。中山さんとこの曲が出会うきっかけになれたんだったら、あそこで歌ってたこともよかったのかもしれないね」
「そうですね。今度また改めて聴いてみます」
釣られて、三月は笑みを浮かべる。少しだけぎこちない笑みになってしまったのは、心臓がうるさくて体が熱くなってしまっていたからだ。
彼の笑顔は心臓に悪い。誰にでもこうなのだろうか。
それとも、自分にだけ。
一瞬妙な考えが頭に浮かんでしまい、三月は軽く首を振った。
「そうしてくれると僕も嬉しいな。そうだ、中山さんの好きな曲は何? よかったら教えてよ」
「は、はい! ええっと、私が好きなのは――」
それからは三月の好きな曲を彼に教えたり、他のおすすめ曲を彼から聞いたり。
また、別のアーティストの話で盛り上がったりと、気づいた時にはかなりの時間が経過していた。
「あ、ごめん。そろそろ時間なんだ」
携帯電話のサブディスプレイを覗く優太に釣られて、三月は左手首の時計を確認した。
「もうこんな時間……⁉ すみません、長々とお話ししてしまって」
「いや、僕の方こそ付き合ってくれてありがとう。楽しかったよ」
楽しかったと笑う彼の表情が晴れやかで、それが本心からの言葉だと分かる。
三月もとても楽しい時間を過ごした。終わってしまうことを寂しく思いながらも、三月はにこやかに私もです、と返す。
優太は携帯電話をシャツの胸ポケットに仕舞い、立ち上がった。
寝起きのように伸びをすると、三月を見下ろして微笑む。
「それじゃあ」
「ええ、先輩。またお話ししてください」
三月の言葉に、優太は少しだけ目を丸くして、力を抜いたように笑う。
「そうだね、また話そうね」
ひらりと手を振って歩き出す彼に、三月も手を振り返した。
彼の姿が小さくなってしまった後で、はっと息を呑む。また話をしようなんて、自ら続きを示唆するようなことを言ってしまった。
どうしよう、差し出がましかっただろうか。
自覚した途端、三月の頬は桜色に染まった。
しかし、優太と話をするのが楽しかったのも事実で。
頷いてくれた優太を思い出し、三月の心は綿菓子のように甘くふわふわと浮かんでいた。
今日は四月にしては汗ばむような気温だ。そう言えば、身だしなみは大丈夫だろうか。ちゃんと毎日ケアはしているはず。
三月は焦って、着ていた若葉色のブラウスに視線を巡らせる。
袖口に皺ができている以外は問題なさそうで、彼女はこっそり安堵のため息を吐いた。
改まって話をしようとすると、やはり緊張してしまう。
会話の間を埋めるように、三月は自分から話を切り出した。
「せ、先輩は音楽がお好きなんですか?」
「うん、何でも聞くよ。僕、音楽をかけながらじゃないと眠れなくてさ」
「そうなんですね。そういう意味でも、マツノミクさんの曲って良いですよね。落ち着いた感じの曲が多いですし、よく眠れそうな気がします」
「はは、分かってくれる? そう、だから最近は、毎晩寝る時に聞いてるんだ。特に気に入っているのが、えっと」
柔らかく微笑んで、優太が手元の音楽プレイヤーを操作する。すぐに目当ての曲を見つけたらしく、彼は音楽プレイヤーの小さな液晶画面を差し出してきた。
「この曲、知ってるかな? ミニアルバムに入ってる曲なんだけど。これが最近のお気に入りなんだ」
三月は液晶画面をのぞき込み、そこに表示されている曲名を目で追った。
「あ……すみません、ちょっと覚えがなくて。結構マツノさんの曲は聴いているはずなので、もしかしたら、聴けば思い出すかもしれません」
「そっか。じゃあ、中山さんが自分のイヤホンとか持ってるなら、今聴いてみる?」
他人のイヤホンだとあんまり気持ちが良くないでしょう。優太は気を遣ってくれたようで、そう言った。
三月も空き時間や大学に行く道中、音楽を聴くのが日課である。
聴いてみて知っていた曲ならば優太と話ができるし、知らない曲ならばそれはそれでとても気になる。
「持ってます! では、その、聴いてみたいです!」
言葉に甘えて、三月はトートバッグの中から自前のイヤホンを取り出した。プレイヤーにプラグを挿し込んだところで、優太がすかさず再生ボタンを押す。
イントロで流れてきたのは、柔らかいピアノの音色。やがてそこに少し掠れた女性の声が寄り添う。どこか哀愁の漂うハスキーボイス、マツノミクの歌声だ。
彼女自ら演奏するヴァイオリンの音も聞こえてくる。歌詞で歌われているのは、春風がふわりと吹いて桜の花びらが舞う光景だ。
そこで一月前の記憶がよみがえり、三月は大きく息をのむ。
「これ……」
「あ、やっぱり聴いたことがある曲だった?」
あの夢で聴いた曲だ。
亡くなったミーコが会いに来てくれた、悲しいけれど温かい不思議な夢。
しかしここで、正直に『夢で聴いた曲です』と口に出すのは憚られた。なんだか空想家というか、浮世離れした感じがする。
変に思われてしまうのではないだろうか。
三月は口をまごつかせ、声にならない声を発する。そこでふと思い出した。
この歌は、商店街で優太が歌っていたのではなかっただろうか。
「ええ、その、あの時、先輩が歌っていた曲ですよね。早朝、商店街の広場で。とってもいい曲だなって思ってたんです」
優太は目を軽く見開き、何度か瞬きをしている。やがて少し頬を赤らめ、目を伏せた。
「そうか、そうだったっけ。ああ、そんなこともあったよねぇ。……改めて思い出すと、かなり恥ずかしいな。いつも外で歌ってるわけじゃないんだよ? あの時は、誰もいないと思ってたから」
「いえ、あんな時間に出歩いてる方がおかしいですから」
赤面する優太に釣られて、三月も頬が熱くなっていく。耳からイヤホンを外し、膝の上に置いた。
よく考えてみれば、この曲を夢で聴いただなんて、それすらも怪しいのではないだろうか。
何せ、夢なのだ。
おぼろげな部分があってもおかしくはないし、夢の中で聴いたのは別の曲かもしれない。
それを都合よく、勘違いしたかもしれないのだ。三月は自分を納得させるように、軽く頷いた。
「『桜の散った坂道』」
「え……?」
顔を上げると、優太が柔らかい表情で三月の顔を覗き込んでいる。
目が合うと、彼は花開くように笑みをこぼした。
「この曲名だよ。少し悲しい感じのする名前だけど、春にぴったりだよね。中山さんとこの曲が出会うきっかけになれたんだったら、あそこで歌ってたこともよかったのかもしれないね」
「そうですね。今度また改めて聴いてみます」
釣られて、三月は笑みを浮かべる。少しだけぎこちない笑みになってしまったのは、心臓がうるさくて体が熱くなってしまっていたからだ。
彼の笑顔は心臓に悪い。誰にでもこうなのだろうか。
それとも、自分にだけ。
一瞬妙な考えが頭に浮かんでしまい、三月は軽く首を振った。
「そうしてくれると僕も嬉しいな。そうだ、中山さんの好きな曲は何? よかったら教えてよ」
「は、はい! ええっと、私が好きなのは――」
それからは三月の好きな曲を彼に教えたり、他のおすすめ曲を彼から聞いたり。
また、別のアーティストの話で盛り上がったりと、気づいた時にはかなりの時間が経過していた。
「あ、ごめん。そろそろ時間なんだ」
携帯電話のサブディスプレイを覗く優太に釣られて、三月は左手首の時計を確認した。
「もうこんな時間……⁉ すみません、長々とお話ししてしまって」
「いや、僕の方こそ付き合ってくれてありがとう。楽しかったよ」
楽しかったと笑う彼の表情が晴れやかで、それが本心からの言葉だと分かる。
三月もとても楽しい時間を過ごした。終わってしまうことを寂しく思いながらも、三月はにこやかに私もです、と返す。
優太は携帯電話をシャツの胸ポケットに仕舞い、立ち上がった。
寝起きのように伸びをすると、三月を見下ろして微笑む。
「それじゃあ」
「ええ、先輩。またお話ししてください」
三月の言葉に、優太は少しだけ目を丸くして、力を抜いたように笑う。
「そうだね、また話そうね」
ひらりと手を振って歩き出す彼に、三月も手を振り返した。
彼の姿が小さくなってしまった後で、はっと息を呑む。また話をしようなんて、自ら続きを示唆するようなことを言ってしまった。
どうしよう、差し出がましかっただろうか。
自覚した途端、三月の頬は桜色に染まった。
しかし、優太と話をするのが楽しかったのも事実で。
頷いてくれた優太を思い出し、三月の心は綿菓子のように甘くふわふわと浮かんでいた。
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