愛しくて悲しい僕ら

寺音

文字の大きさ
上 下
6 / 32
第一章

6 勘違い?

しおりを挟む
 彼に先導されてベンチへと向かった三月は、優太と一人分の距離を空け腰を下ろす。
 今日は四月にしては汗ばむような気温だ。そう言えば、身だしなみは大丈夫だろうか。ちゃんと毎日ケアはしているはず。
 三月は焦って、着ていた若葉色のブラウスに視線を巡らせる。
 袖口に皺ができている以外は問題なさそうで、彼女はこっそり安堵のため息を吐いた。

 改まって話をしようとすると、やはり緊張してしまう。
 会話の間を埋めるように、三月は自分から話を切り出した。

「せ、先輩は音楽がお好きなんですか?」
「うん、何でも聞くよ。僕、音楽をかけながらじゃないと眠れなくてさ」
「そうなんですね。そういう意味でも、マツノミクさんの曲って良いですよね。落ち着いた感じの曲が多いですし、よく眠れそうな気がします」
「はは、分かってくれる? そう、だから最近は、毎晩寝る時に聞いてるんだ。特に気に入っているのが、えっと」

 柔らかく微笑んで、優太が手元の音楽プレイヤーを操作する。すぐに目当ての曲を見つけたらしく、彼は音楽プレイヤーの小さな液晶画面を差し出してきた。

「この曲、知ってるかな? ミニアルバムに入ってる曲なんだけど。これが最近のお気に入りなんだ」
 三月は液晶画面をのぞき込み、そこに表示されている曲名を目で追った。

「あ……すみません、ちょっと覚えがなくて。結構マツノさんの曲は聴いているはずなので、もしかしたら、聴けば思い出すかもしれません」
「そっか。じゃあ、中山さんが自分のイヤホンとか持ってるなら、今聴いてみる?」
 他人のイヤホンだとあんまり気持ちが良くないでしょう。優太は気を遣ってくれたようで、そう言った。

 三月も空き時間や大学に行く道中、音楽を聴くのが日課である。
 聴いてみて知っていた曲ならば優太と話ができるし、知らない曲ならばそれはそれでとても気になる。

「持ってます! では、その、聴いてみたいです!」
 言葉に甘えて、三月はトートバッグの中から自前のイヤホンを取り出した。プレイヤーにプラグを挿し込んだところで、優太がすかさず再生ボタンを押す。

 イントロで流れてきたのは、柔らかいピアノの音色。やがてそこに少し掠れた女性の声が寄り添う。どこか哀愁の漂うハスキーボイス、マツノミクの歌声だ。
 彼女自ら演奏するヴァイオリンの音も聞こえてくる。歌詞で歌われているのは、春風がふわりと吹いて桜の花びらが舞う光景だ。
 そこで一月前の記憶がよみがえり、三月は大きく息をのむ。

「これ……」
「あ、やっぱり聴いたことがある曲だった?」
 あの夢で聴いた曲だ。
 亡くなったミーコが会いに来てくれた、悲しいけれど温かい不思議な夢。

 しかしここで、正直に『夢で聴いた曲です』と口に出すのは憚られた。なんだか空想家というか、浮世離れした感じがする。
 変に思われてしまうのではないだろうか。

 三月は口をまごつかせ、声にならない声を発する。そこでふと思い出した。
 この歌は、商店街で優太が歌っていたのではなかっただろうか。

「ええ、その、あの時、先輩が歌っていた曲ですよね。早朝、商店街の広場で。とってもいい曲だなって思ってたんです」
 優太は目を軽く見開き、何度か瞬きをしている。やがて少し頬を赤らめ、目を伏せた。

「そうか、そうだったっけ。ああ、そんなこともあったよねぇ。……改めて思い出すと、かなり恥ずかしいな。いつも外で歌ってるわけじゃないんだよ? あの時は、誰もいないと思ってたから」
「いえ、あんな時間に出歩いてる方がおかしいですから」

 赤面する優太に釣られて、三月も頬が熱くなっていく。耳からイヤホンを外し、膝の上に置いた。
 よく考えてみれば、この曲を夢で聴いただなんて、それすらも怪しいのではないだろうか。
 何せ、なのだ。

 おぼろげな部分があってもおかしくはないし、夢の中で聴いたのは別の曲かもしれない。
 それを都合よく、勘違いしたかもしれないのだ。三月は自分を納得させるように、軽く頷いた。

「『桜の散った坂道』」
「え……?」
 顔を上げると、優太が柔らかい表情で三月の顔を覗き込んでいる。
 目が合うと、彼は花開くように笑みをこぼした。

「この曲名だよ。少し悲しい感じのする名前だけど、春にぴったりだよね。中山さんとこの曲が出会うきっかけになれたんだったら、あそこで歌ってたこともよかったのかもしれないね」
「そうですね。今度また改めて聴いてみます」

 釣られて、三月は笑みを浮かべる。少しだけぎこちない笑みになってしまったのは、心臓がうるさくて体が熱くなってしまっていたからだ。
 彼の笑顔は心臓に悪い。誰にでもこうなのだろうか。
 それとも、自分にだけ。
 一瞬妙な考えが頭に浮かんでしまい、三月は軽く首を振った。

「そうしてくれると僕も嬉しいな。そうだ、中山さんの好きな曲は何? よかったら教えてよ」
「は、はい! ええっと、私が好きなのは――」

 それからは三月の好きな曲を彼に教えたり、他のおすすめ曲を彼から聞いたり。
 また、別のアーティストの話で盛り上がったりと、気づいた時にはかなりの時間が経過していた。

「あ、ごめん。そろそろ時間なんだ」
 携帯電話のサブディスプレイを覗く優太に釣られて、三月は左手首の時計を確認した。
「もうこんな時間……⁉ すみません、長々とお話ししてしまって」
「いや、僕の方こそ付き合ってくれてありがとう。楽しかったよ」

 楽しかったと笑う彼の表情が晴れやかで、それが本心からの言葉だと分かる。
 三月もとても楽しい時間を過ごした。終わってしまうことを寂しく思いながらも、三月はにこやかに私もです、と返す。

 優太は携帯電話をシャツの胸ポケットに仕舞い、立ち上がった。
 寝起きのように伸びをすると、三月を見下ろして微笑む。

「それじゃあ」
「ええ、先輩。またお話ししてください」
 三月の言葉に、優太は少しだけ目を丸くして、力を抜いたように笑う。
「そうだね、また話そうね」

 ひらりと手を振って歩き出す彼に、三月も手を振り返した。
 彼の姿が小さくなってしまった後で、はっと息を呑む。また話をしようなんて、自ら続きを示唆するようなことを言ってしまった。
 どうしよう、差し出がましかっただろうか。
 自覚した途端、三月の頬は桜色に染まった。

 しかし、優太と話をするのが楽しかったのも事実で。
 頷いてくれた優太を思い出し、三月の心は綿菓子のように甘くふわふわと浮かんでいた。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

私の入る余地なんてないことはわかってる。だけど……。

さくしゃ
恋愛
キャロルは知っていた。 許嫁であるリオンと、親友のサンが互いを想い合っていることを。 幼い頃からずっと想ってきたリオン、失いたくない大切な親友であるサン。キャロルは苦悩の末に、リオンへの想いを封じ、身を引くと決めていた——はずだった。 (ああ、もう、) やり過ごせると思ってた。でも、そんなことを言われたら。 (ずるいよ……) リオンはサンのことだけを見ていると思っていた。けれど——違った。 こんな私なんかのことを。 友情と恋情の狭間で揺れ動くキャロル、リオン、サンの想い。 彼らが最後に選ぶ答えとは——?

涙の味に変わるまで【完結】

真名川正志
ライト文芸
28歳の山上正道(やまがみまさみち)は、片思いの初恋の相手である朝日奈明日奈(あさひなあすな)と10年ぶりに再会した。しかし、核シェルターの取材に来ていた明日奈は、正道のことを憶えていなかった。やがて核戦争が勃発したことがニュースで報道され、明日奈と正道は核シェルターの中に閉じ込められてしまい――。 (おかげ様で完結しました。応援ありがとうございました)

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

処理中です...