愛しくて悲しい僕ら

寺音

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第一章

4 深夜の訪問 (S side)

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 時刻は二十三時、深夜だと言うのに、その部屋からは煌々こうこうと灯りがもれていた。
 二階建ての小さなアパート。周囲には泥を被った空き缶が転がり、伸びきった雑草に紛れて潰れたサッカーボールが放置されている。

 宮本真志みやもとしんじはそんな光景を横目に、灯りの漏れる部屋の前に向かう。
 近くには国道が通っていていつも騒がしいのだが、さすがに深夜ともなれば静かだ。たまに大型バイクが、騒音を撒き散らしながら駆け抜けていくくらいである。

 排気ガスで汚れた扉の前には、小さな羽虫がたかっていた。玄関先の明かりに引き寄せられてきたのだろう。どことなく荒んだ気分になって、真志はその虫を手で乱暴に追い払う。
 乱れた虫の群れが元に戻る前に、彼は古びたインターホンを押した。部屋の中で、意外に大きなその音が響いているのが分かる。
 ここの主はまだ、起きているだろうか。

『――はい』
 返事があった。その間から察するに、起きていたようだ。
「俺だよ俺、宮本真志! 元気か優太?」
 真志は、わざとはしゃいだ声を出す。扉の向こう側から呆れたような声が聞こえ、続けて鍵を開ける音が響いた。

「真志、お前な……」
 開け放たれた扉の向こうに、困ったように微笑する優太が立っていた。
 風呂上がりなのか、白い頬には赤みが差しており、頭に張りついた髪は湿っているように見える。

「どうしたんだよ、こんな時間に?」
「悪い、ちょっと飲みすぎちゃってさ。今夜泊めてくれねえ?」
 優太の返事も聞かず、真志は強引に部屋へと上がり込む。
 酒を飲んだのは本当だった。
 優太は一瞬文句を言いかけるが、すぐに諦めたようなため息をついて扉を閉める。


 台所やトイレの前を横切って、真志は迷わずベッドの置いてある部屋へと向かった。
 メインの蛍光灯に加え、ベッドの側とパソコンが置かれた机の上、その二つのスタンドライトにも明かりが灯されていた。
 それらの光が白い壁に反射し、部屋全体が発光しているようで眩しいくらいである。

「おいおい、相変わらずだな。これだけつけたら電気代結構かかるんじゃねえの? お前金持ちだな」
 我ながらどうでも良いことを口走り、ごろんとカーペットの上に寝転がる。ゴミだらけの自分の部屋とは違い、転がるスペースがあるのはすごいと思う。

「いや、ほら。僕、暗いの苦手だから。ここまで明るかったらまるで、昼みたいじゃない?」
 タオルで髪を乾かしながらなので、優太の声は途切れ途切れでくぐもっている。その表情も見えなかった。

「泊めるのはいいけど、ベッドで寝るのは僕だから」
「なんだよ、俺は客だぞ? 譲れ」
「真志はその部屋のすみにでも行っててよ。寝ている僕の足が飛んできても困るだろ?」
 優太はタオルを首にかけ、押入から予備の毛布を取り出しながら言う。こうして頻繁に押しかけているので、もう手慣れたものだ。

「そりゃ、確かに面倒だな」
 それを受け取りつつ言うと、優太はどこか安心したように笑う。
 真志はそれに応えるように、意地悪そうに笑って見せた。
 毛布を渡した優太は、部屋の隅からベッドの側にCDプレイヤーを持ってきて、すぐに再生ボタンを押す。
 スピーカーから優しく伸びやかな女性の声が聞こえてきた。優太は眠る時、いつも音楽をかけている。

「今夜のBGMはそれか?」
「そう。アーティストさんがメジャーじゃないから、真志は知らないかもしれないね」
 
 優太の言うように、真志はその曲を知らなかった。
 ピアノの音色が彼女の声を支えるように流れ、それにバイオリンの演奏が重なっていく。歌詞にも出てくるように、春風がふわりと吹いて桜の花びらが舞う、柔らかい曲だ。
 真志には少し切ない曲にも聞こえる。

「どうも、すっきりしない曲だな」
「あはは。まあ、真志の好みじゃなさそうだよね」
 優太がやけに早口で、はしゃいだ声を出す。

「この人の声がさ、なんだか安心するんだ。温かく包み込まれるって言うか。辛いことがあっても元気になれる気がする。――あ、例えばの話だけどね」
「ふーん、俺はもっと盛り上がる曲の方が好きだけどな。音楽なんだし、お前ももっと楽しめよ」

 そうは言っても真志は、優太にとっての音楽は、ただ楽しむためのものではないのだと思う。
 心の支えだったり、安眠のためだったり。彼にとってなくてはならないものなのだ。

「俺、眠いからもう寝るわ」
 借りた毛布を適当に被り、真志はカーペットの上に寝ころんだ。優太に背を向け、毛布を顎まで被る。洗濯したばかりなのだろうか。ふわりと鼻孔をくすぐったのは、所謂いわゆる、おひさまの香りだった。

「お休み」
「うん、お休み真志」
 照明は眩しく、音楽は途切れることなく鳴り続けている。
 『お休み』と言われたが、今夜もなかなか眠れそうにない。優太はちゃんと眠れるのだろうか。

 眠ったふりをしながら、真志はずっと後ろの優太を気にしていた。
 
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