愛しくて悲しい僕ら

寺音

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第一章

3 再会

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 桜の花びらがはらりと落ちて、三月の右肩にくっついた。
 頭上で揺れる枝には、鮮やかな若緑色の葉。地面の赤茶色のタイルには、薄紅色の絨毯が敷かれている。桜の時期は思っているよりもずっと短い。


 新入生を対象としたオリエンテーションの後、三月は久々に会った友人と大学を歩いていた。
 地元の隣県に在るこの大学は見知った顔も多く、安心感を覚える。

 この大学のキャンパスは正直狭い。テニスコートやグラウンド、三つの棟に、図書館と食堂などが入った学生会館、それらがぎゅっと一ヶ所に詰め込まれている。最寄駅からバスで山道を登った先にあり、周囲を自然で囲まれた閑静な場所にあった。
 しかし、実家も似たような所にあるため、三月にとっては親近感が湧く土地でもある。

 今三月たちが歩いているのは、図書館前の中庭だ。等間隔で立ち並ぶ桜の木と、その下に置かれた木製のベンチ。春風が柔らかく吹き抜け、彼女たちの頬を撫でていく。
 とても気持ちの良い場所だ。天気の良い日にここでランチを食べたら最高だろう。
 そこは一目ひとめで、三月お気に入りの場所となってしまった。

「ねえ、これからどうする?」
 そう問いかけてきたのは、高校からの同級生佐藤明美さとうあけみだ。大学入学を期に染めたのだという栗色の髪は、正直まだ見慣れない。しかし、高校の頃からショートカットで活発な印象を受ける明美に、その色はとても似合っていると感じた。
 三月は髪を染めることなく、黒っぽい地毛を肩まで伸ばしている。なんとなく自分に明るい色は似合わないと思っていたからである。

「確か、B棟の一階にコンビニが入ってたよね。そこで何か買って、お昼にしようか」
 三月は覚えたての地図を思い浮かべると、明美にそう答える。
「そうね。今日は天気も良いし、外で食べるのも楽しいかも! あ、でも今は人がいるね」
 明美の声に釣られて、三月は視線を移動させる。
 二つ並んだベンチ、彼女が指差した方に男性が一人腰掛けていた。

 途端、三月の頭に数日前の光景が蘇ってくる。
 早朝の冷たい空気に溶ける柔らかな歌声と、風になびく茶色の髪。

 あの歌の青年が、目の前のベンチに腰かけていた。

「あ……」
 視線を感じたのか、青年が顔を上げる。彼は目を見開き、やがて苦笑しこちらに向かって会釈した。
 三月も慌てて頭を下げる。

「え、え? 三月、あの人と知り合い?」
「う、ん。知り合いって言うか……」
 そう言えばあの時、逃げるように去ってしまった。人からじろじろ見られるなんてあまり気持ちの良いものじゃない。
 もう少しきちんと謝った方が、良いかもしれない。

「ごめん、明美! 先にコンビニ行っててくれる? すぐ済むから」
「え? うん分かった」
 友人に断ってから、三月は青年へ走り寄った。
 彼は組んだ両手を膝の上に乗せ、前かがみになってベンチに腰をかけている。
 近づいてきた三月に、彼は笑みを浮かべた。

「元気、みたいだね。良かった」
 不意に告げられた言葉に、三月はかけるはずだった言葉を飲み込んだ。

「あ、あの、その、この前は」
「とりあえず、座る?」
 彼が座っている場所をずらして、一人分の座るスペースを作ってくれる。
 このままでは彼を見下ろすことになってしまうので、三月は大人しく腰かけた。
 スカートの裾が青年の指にかかり、慌ててさりげなく距離をとる。

「えっと、この前は、どうも。じろじろ見てしまって、すみませんでした」
 結局気のきいた言葉は何も想い浮かばず、しどろもどろに言葉を紡ぐ。

「いや。こちらこそ、なんかごめん。朝からあんなところで歌ってたら、驚くよね」
「いえ、驚いたことは驚いたんですけど、そういう意味じゃなくて」

 慌てて否定したものの、あなたの歌っていた歌が夢の中で聞いた歌と同じだったから驚いた、なんて言えるはずもない。
 隣の青年は不思議そうに首を傾げている。年上、だろうと思うのだが、その仕草はまるで小さな子供のようだった。

 異性と二人きりで話した経験などなく、緊張も相まって言葉が出てこない。
 三月がしばらく黙っていると、彼がにっこり微笑んで口を開く。

「あっ、名乗り忘れてた。僕、神崎優太かんざきゆうた。いちおう文学部の二年生なんだけど……君、一年生?」
「そ、そうです。今年入学しました、中山三月なかやまみつきと申します。よろしくお願いします。あ、私も同じ文学部です」
 青年、神崎優太は自分に気を遣い、先に自己紹介をしてくれたようだ。申し訳なさを感じながらも安堵して、三月も自分の名前を告げた。

「同じ学部なんだね。こちらこそ、よろしく」
 そう言って、優太はまた微笑んだ。春の日差しにも似た柔らかな雰囲気に、自然と肩の力が抜けていく。
「さっき言ったことは、あまり気にしないで下さい。とにかく、ちゃんと謝りたかっただけなので」
 三月がそう言うと、彼は目を丸くして頭をかいた。

「え、わざわざ? なんだか気を遣わせたみたい」
「いいえ! 私も気にしすぎだって言われるんで、気にしないで下さい」
 優太は力を抜くように笑うと、視線を上げた。
 釣られて三月も空を見上げる。空の青色と雲の白色が綺麗なコントラストをつくっていた。
 本当に、良い天気だ。

「僕、たまに早く目が覚めたりすると、ああやって出かけて、適当な場所でぼーっとしてるんだ。おじいさんみたいな趣味だって、いつも言われるんだけどね」
「でも、こんな天気の良い日だと、ぼーっとしたくなるのも分かります」
 日差しも柔らかで、桜の木もどこか嬉しそうに見える。風で葉が擦れる音が耳を優しくくすぐった。
 こうやって日中のんびりと過ごすことなんて、なかった。

 こういう日もいいな。
 三月がふと隣を見ると、嬉しそうに微笑む優太と目があった。瞳はやはり、綺麗な色をしている。

「そう言ってくれると嬉しいよ。僕の周り、口が悪い奴しかいないんだから」
「そう、なんですか?」
 意外です、と三月が呟いたタイミングで、勢いよく肩に手が乗った。
 驚いた優太と三月は、軽く悲鳴を上げる。
 嘲笑うような笑い声が聞こえ、優太と三月の間を割るように誰かの顔が入ってきた。

「そんなに驚くことねぇだろ。つーか、『口が悪い奴』ってのは俺のことか、優太?」
 三月の目に、明らかに染めたと分かる金髪が飛び込んでくる。ワックスか何か、整髪料独特の香りが鼻をついた。

「お前以外に誰がいるんだよ、真志しんじ
「自覚してないわけじゃねぇけど。で、お前は珍しく女子にちょっかい出してんの?」
 真志と呼ばれた男性が、こちらに顔を向けた。

 顔が近い。顔立ちは整っているが、鋭い目つきと明るい髪色、左耳のピアスなどが、どうも近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
 優太の柔らかい雰囲気とは大違いだ。優太がふわふわなら、こちらはギラギラだ。
 思わず三月は身体を強張らせる。

「真志。中山さんが嫌がってるから、離れろよ」
「あー……いかにも男慣れしてなさそうだもんなぁ」
 優太は三月の表情の変化から察してくれたのだろう。しかし、真志は三月を呆れたような眼差しで眺めたまま、肩に乗せた手も離そうとしない。
 なんとなく馬鹿にされているような気がして、三月は両膝の上でぐっと拳を握り、彼を睨みつけた。

「そっ、それが何か悪いんですか……っ!?」
「いや、別にぃ。まあ枯れてる優太の隣だったらお似合いかもね」
 再び彼は歯を見せて笑う。やはりこれはからかわれている。早く帰りたい。
 先程と違って、三月はそんなことを考え始めた。

「おーい、宮本! 飯食いに行くんじゃなかったのか?」
「真志。向こうで呼んでるの、お前の友達じゃないのか?」
 優太が指差すと、真志と同じような雰囲気の男子が何人かいて、彼に向かって手を振っている。

「おっと、人気者は辛いよな。じゃあな、優太」
 自分が呼ばれていると分かると、真志はパッと三月から手を離し、友人の元へ行ってしまう。
 あんなに絡んでいたくせに、三月のことなどどうでも良いというような態度だ。


「なんなんですか、あの人」
 つい口調が刺々しいものになってしまう。
「えっと、ごめんね。アイツ、経済学部の宮本真志みやもとしんじって言うんだけど……」
 優太は苦笑しながら、友人と馬鹿笑いをしている真志を眺めている。
 彼は表情を少し曇らせながら呟く。

「優しくないけど、良い奴だよ」
「どういう、意味ですか?」
 三月がそう問いかけても、優太は何も答えず無言で微笑んでいた。
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