薪割りむすめと氷霜の狩人~夫婦で最強の魔法具職人目指します~

寺音

文字の大きさ
上 下
35 / 47
最終章 二頭の龍と春

第6話 故郷

しおりを挟む
 ぷっくりと膨らんできた蕾を、ライサは注意深く見つめた。薄鱗蒼紅樹はくりんそうくじゅの葉や茎は無色透明で、氷で作られた彫刻のようだった。しかし、蕾には薄っすらと色が透けて見える。炎のような紅と澄んだ蒼。名前通りの色をした花が、もう少しで咲くのだろう。

「大きくなったなー。花が咲くのはもうすぐか。楽しみだな」
 狩りから帰ってきたザックは、蕾にのんびりと声をかけている。慈しむような優しい眼差しは、まるで久しぶりに会った親戚の子を見つめるお兄さんみたいだ。
 沈んだ気持ちが少しだけ浮上して、ライサは口元を緩めて笑う。

「そうね。私も楽しみ」
 ザックがこちらを向く。気づかわしげに眉を顰めて、彼はライサの名を呼んだ。
「ライサ、大丈夫か? また、よく眠れてないんじゃないか?」
「平気よ。ちょっと寝つきが悪い程度だから」
 あんな非常事態が起きなければ、今頃穏やかな気持ちで薄鱗蒼紅樹の成長を見守っていられたのに。
 ライサは寝不足で重い頭を誤魔化すように、自らの銀色の髪の毛を撫でた。

 素材を求めて狩りに行っていたザックも、目立った収穫はなかったのだという。彼もライサと祭りの後夜祭の準備を進めるように言われ、後処理もそこそこに家へ帰ってきたのだ。
 なんだか、のけ者にされちゃったみたい。ライサはついそんなことを思ってしまい、寂しげに目を伏せた。まだまだ『職人見習い』である自分たちには、仕方のないことだと、思うのだけど。

 荒い風がガタガタと窓ガラスを揺らして、彼女は顔を上げる。もう春が近いというのに、窓の外は吹雪で荒れていた。やはり、シャトゥカナルの結界が弱まっているのだろうか。完全に魔核が効力を失うまで、後どのくらいの猶予が残されているのだろう。
 
 ふと、シャトゥカナルにいる従妹たちやタチアナたちのことが思い浮かぶ。特にナターリアは体が弱いのだ。急に寒くなって、体調を崩したりしていないだろうか。
「――なぁ、ライサ。ライサにとって、シャトゥカナルってどんな場所なんだ?」
「え……?」
 何故、今そんなことを。そういう思いで見上げたザックの眼差しは、真剣そのものだった。

「その、言いづらいけど、あそこでは色々あったんだろ? でもシャトゥカナルはライサの故郷、そうだよな? おれは生まれ故郷がないから、どんな感じなのかと思って」
 ザックの生い立ちを思い出し、ライサはハッと息を呑む。ザックは赤ん坊の頃に、ニーナたち夫婦に拾われたのだと聞いていた。彼女はぐっと胸の前で拳を握りしめる。

『待て! 突然預けられても困る! こちらも余裕があるわけではないんだ!』
『この人の足が動かなくなって、ブラトも生まれたばかりなのよ⁉ その上、この子まで……⁉ 無理よ!』
 とても辛く苦しい記憶がよみがえりそうになって、ライサは大きく首を振る。
 思い出しちゃ駄目だ。喉に何かつっかえて、息ができなくなってしまう。
 その記憶を頭の片隅にぎゅっと押し込んで、ライサは口を開いた。

「――そうね。確かにシャトゥカナルには、辛くて苦しい思い出もたくさんあったわ。私が住んでいたのは最下層でとても寒かったし、都市の恩恵を受けていると言われても正直実感はなかった。けど」
 ナターリアやブラト、叔父家族との暮らし、そしてシャトゥカナルでの日々を少しずつ思い出していく。
 意外にも胸は痛むことなく、むしろほんのり温かくて懐かしい気持ちで満たされた。
 さらに、最近できた賑やかな友人の顔を思い出すと、ライサの唇には自然と柔らかな笑みが浮かんでいた。

「大切な人たちもいるし、あそこは私が生まれて育った場所だもの。この先もずっと嫌いになんてなれない。かけがえのない場所よ」
 自信をもってそう言えるようになったのは、きっとザックがライサの気持ちを受け止めてくれたからだ。
 ライサは笑みを浮かべ、ザックに一歩近づいた。

「私は例え、結界の効力が失われることが、この村に一切関係のないことだったとしても、シャトゥカナルを助けたい、守りたいって思うわ。私の生まれ故郷はあそこだけだもの」
「そうか。そうだよな……」
 ザックの呟きが儚げで、ライサはハッとする。生まれ故郷のないザックにとって、自分の話は残酷だったのではないだろうか。
 ライサは息を呑み、口元を両手で覆った。

「ごめんなさい。私ったら」
「え? ああ、良いんだよ。聞いたのはおれの方だし」
 気にするなと歯を見せて笑うザックに、思わずライサは勢い良く抱き着いた。腕の力を込めて、ぎゅっと温かい彼の胸に頬を寄せる。

「――ライサ? どうしたんだよ」
「ごめんなさい。つい……」
 ザックは力を抜くように笑って、ライサの髪を撫で始める。なんだか、ライサの方が慰められているみたいだ。
 その心地よさにライサが思わず目を閉じると、思いの外すぐに彼の手が止まり、体を離されてしまう。

「もう、今日は休もうぜ。薄鱗蒼紅樹の花もまだ咲かないだろ? 今はまだやれることもないしさ」
「ええ、そうね」
 ザックはライサの方を向いたまま、数歩後ろに下がっていった。そしていつものように朗らかな笑みで、おやすみと手を振ってくれる。

「おやすみなさい」
 手を振り返したライサは、自室へと向かった。自分から抱き着いてしまった羞恥心が今更のように襲い、ライサは両手で頬を押さえる。
 しかし同時に、胸の中には分厚い灰色の雲のような、例えようもない感情が渦を巻いていた。
 この不安は、シャトゥカナルの危機が影響しているのだろうかそれとも――。

 自室に入る前、ライサはふと立ち止まって振り返る。ザックはまだ自分を見つめていて、こちらが振り返ると嬉しげに手を振ってくれた。温かな笑顔には曇り一つなく、いつも通りだ。何の心配もない。それなのに。

「どうしてかしら」
 何故か、ライサはあの時、ザックをこの場に強く、繋ぎ止めなければならないと感じたのだ。




 
「ライサ、朝早くごめんな」
 次の日の朝、ライサはザックの声とノックで目を覚ました。また寝つきが悪かったようで、ひどく頭が重い。
 なんとか上半身を持ち上げて、返事をする。寝間着のままではいけないと、ベッドの上の毛布をブランケット代わりに羽織って扉を開けた。
 そこにはすっかり身支度を整えたザックが、微笑みながら立っていた。

「ザック、どうしたの?」
 ああ、実はさ。ザックがにっこりと笑みを浮かべて、口を開く。

「シャトゥカナルを救うのに、良い方法を思いついたんだ。一緒に、ばあちゃ――村長のところに行ってくれないかな?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

ちーとにゃんこの異世界日記

譚音アルン
ファンタジー
「吾輩は猫である」 神様の手違いで事故死してしまった元女子大生の主人公は異世界へと転生した。しかし、お詫びとして神より授かったのは絶大な力と二足歩行の猫の外見。喋れば神の呪いかもしれない自動変換されてしまう『にゃ〜語』に嘆きつつも、愛苦しいケット・シーとして生まれ変わったニャンコ=コネコの笑いあり、涙あり? ふるもっふあり!! の冒険活劇が今始まる――。 ※2014-08-06より小説家になろうで掲載済。

処理中です...