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第1章 嫁入りは突然に。そして新生活。

第3話 狩人と職人の村

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 どこもかしこも真っ白だ。
 ライサは時が止まったような純白の森を一人歩いていた。霧氷むひょうというのだろうか。木の枝の周りに雪や氷が貼り付き、まるで森の全てが氷でできた彫刻のようである。

「綺麗……」
 息と共に吐き出した言葉が、ふわりと舞って消えていく。ここは街道だと聞いていたが、滅多に通る者がいないのだろう。穢れなき新雪が遥か先まで敷かれていて、自分の足跡をつけることを躊躇するほどである。
 ブーツの爪先が埋まるほどの積雪で済んでいるのは、この道自体に魔核を利用した結界が張られているからだという。

 シャトゥカナルを出る前、城の使いに託された『導きのランタン』。ランタンの持ち手についた指針の指し示す道を外れてしまえば、たちまち吹雪に視界を奪われ遭難してしまい、最悪魔物の餌食となってしまうらしい。
 都市を出てから、どのくらい経っただろうか。頬にかかる髪の毛を一房指ですくうと、随分とマシになったプラチナブロンドが視界の端で輝いていた。



「どうして、どうして自分が身代わりになるなんて言ったの!? ライサ姉さんはいつも自分のことは後回しじゃない……。父さんも母さんも、どうして冷静でいられるのよ! 姉さんだって、『家族』なのに」
 宰相たちが帰った後、ぼろぼろと大粒の涙を流しながら、ナターリアはそう言った。ライサは身を屈めて彼女いとこと視線を合わせ、苦手なりに笑顔を作って見せる。

「大丈夫よ、ナターリア。野蛮な狩人なんて、ただの決めつけ。意外と良い人たちかもしれないわ」
「嫁入りを条件に『脅し』をかけるような人たちが、良い人なわけないじゃない!?」
 ナターリアは声が裏返らせ、体を折り曲げて激しく咳き込んだ。異常な雰囲気を感じ取ったのか、ブラトも激しく泣き出してしまう。
 叔母がブラトを抱き上げながらナターリアに近づき、そっと肩に手を置いた。

「ライサ、その……」
「良いんです、叔母さん。叔父さんも、少し早いですが、今までお世話になりました」
 ライサはなんでもないような顔をしたまま、深く頭を下げた。



 不意にランタンの灯りが強くなる。ライサの呼吸に合わせて点滅しているさまは、目的地スノダールが近い印だ。
 緊張で喉が酷く乾いている。出発前、ナターリアが手入れしてくれた髪の毛をもう一度撫でた。
「大丈夫。雑用でもなんでもして、必ず嫁として認めてもらうんだから」

 そうすれば、ナターリアたちは平穏を手にすることができる。それに、ひょっとしたら、自分にもができるかもしれない。
『幸せになるから。絶対に』
 ライサはその言葉で、ナターリアを説得してここまで来たのだから。
 自らを鼓舞するように頬を軽く叩くと、ライサは睨むように目に力を込めた。

『おや、こんな辺鄙な村にお客様とは珍しいねぇ』
 突然聞こえてきた声に、ライサは肩を震わせる。森全体に響き渡っているような、大きな声だ。
『お客様なわけないだろう。迷子だよなぁ? お嬢さん』
 新たな声が聞こえて、弾かれたように振り返った。後ろにも誰もいない。
 片方の拳を胸の前で握りしめ、視線をさ迷わせるが、人どころか生き物の姿などどこにもない。
 どういうことなのだろうか。

『馬鹿だねぇ。導きのランタンを持っているだろう? つまり、この子はここに用があってきたのさ』
 歳を重ねた女性と男性の声が一人ずつ。ランタンのことを話題にしたという事は、あちらからはライサの姿が見えているのだろう。
 こちらは見えないのに見られている。ライサの肌の上を不気味な悪寒が這った。

「私は迷子じゃないわ」
『ああー、驚かせてすまないねぇ。この村はちょっとな村でね。一応こちらも、警戒しているのさ』
 声色だけは平静を装えたはずなのに、女性はライサの怯えを感じ取ったようだった。気のせいだろうか、声は次第にこちらへ近づいているようである。

『もう一度聞くが、お嬢さん。都市の結界から遠く離れた辺鄙な村まで、一体何の御用だい?』
 何の御用とは言うものだ。そちらが呼びつけたくせに。
 少々頭にきたライサは、毅然として言い返した。

「あなたたちスノダールの人なんでしょう? そちらが嫁が欲しいと言ったくせに、『何の御用』だなんて、ちょっと失礼じゃないかしら」
『……なん、だって……!?』
 その言葉を言い放った瞬間、空気がガラリと変わった。
 緊張の糸が切れたと言うか、緩んだとでも表現すれば良いだろうか。ライサは拍子抜けして、自分の怒りの熱が一気に霧散していったのが分かった。
 嘘だろう、と男性の震えた声がする。

『い、今、『嫁』って言ったか……?』
『――ああ、この子は確かにそう言ったよ』
 どうしたのだろう。何か変なことを言っただろうか。ライサは途端に弱気になって、視線を泳がせる。
『聞き間違いじゃなきゃ、ええっと、何だ。つまりお嬢さんは、この狩人の村スノダールに嫁入りしたいってことかい……?』
 なんだか相手の様子がおかしいが、ライサの目的は変わらない。
 深く頷いて、彼女は口を開いた。

「ええ。そうよ」
 ピタリと全ての音が止まる。
 さっきまで聞こえていた声は幻だったのだろうか。そんなことを考え始めたライサに、雪崩のような歓声が押し寄せた。

「ついに、ついにこの村に嫁が来たぞおおおお――っ⁉︎」
「え?」
 突然、目の前が真っ白な光に包まれる。思わず閉じた瞳を恐る恐る見開くと、ライサはいつの間にか大勢の人に取り囲まれていた。
 彼女を取り囲んだ人々は、皆明るい表情をしていて、こちらへキラキラした瞳を向けている。そして口々に喜びの声を上げていた。

「嘘だろう⁉︎ 本当に、こんな辺鄙なところに嫁に来てくれる子がいたのか⁉︎」
「若い娘さんがくるなんて、何十年ぶりだ⁉︎ もう諦めていたのに……!」
「わしが生きている間に、こんなめでたい瞬間に立ち会えるとは……、長生きはするもんじゃのー」 
「まぁ、あの子を見て!? スラリと長い手足にちょっぴり野生的な白銀の髪、細くて切長の瞳がまた素敵だわー! 『雪森狐スノモリギツネ』みたい!」

 それ、死んだような目をしていることで有名な小型の魔物では。
 ライサは少しだけ悔しくなって、精一杯両目を大きく見開いて見せる。

 皆、叔父や叔母と同じくらいかそれより上くらいの年齢だ。暖かそうな毛皮のコートを着込み、皮でできた長靴を履いている。頭には何も被っておらず、マフラーも巻いていない。
 都市の外にいるにしては随分と軽装だった。

「さっきは悪かったね。驚かせただろう」
 ライサが振り返ると、目尻と頬に皺が刻まれた女性が背後に立っていた。色素の薄くなった金糸のような髪を、頭の後ろで丁寧に編み込んでまとめている。豪快そうだが、どこか柔らかい雰囲気も併せ持つ女性だ。
 淡く金色に輝く布を肩に担いで、得意気に笑っている。

「これは姿を隠す『幻影金鷲ゲンエイコガネワシ』の羽で作った魔法具でね。被った人の姿を隠すことができるんだ。何かと特殊な村だし住民は老人ばかりだからさ。ちょいと私たちも村も姿を隠させてもらったのさ」
 そう言って、女性が口の端を持ち上げると、突風がライサの横を吹き抜けていった。少し冷たいけれど、頬に触れても痛みは感じない、むしろ心地良ささえ覚える風である。

 風が止み、ライサはハッと目を見開く。いつの間にか真っ白な森は姿を消し、民家の立ち並ぶ村の中に立っていたのである。
 丸太を組んで作られた小屋が、低く積もった雪にポツポツと立ち並び、鉄製の煙突からはモクモクと煙が立ち上っている。嗅いだことのない、芳しい香りがライサの鼻腔をくすぐった。

「さて。狩人と魔法具職人の村スノダールへようこそ、お嬢さん」
 女性がライサの顔を見上げ、悪戯っぽく微笑んだ。
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