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第10章 消えた賢者

船上での日々 ③

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「痛たた……ちぃーとばかしお茶目な冗談言っただけなのに、この扱いは酷くねえ……?」

 ちょうど復活したリックさんが、顎と顔面を擦りながら、こちらにやってきました。

「非道いのはリックさんのほうではないのですか? 折り入ってお話しがあるのですが」

 船縁に正座しまして、対面の床をぽんぽんと叩いて促します。

「どうぞ、こちらに」

「あ、どうも……?」

 リックさんは不可解そうな顔をしながらも、素直に床にちょこんと座ってくれました。

「クゥさんのことです。私も、こちらでは十四歳で成人ということは心得ています。郷に入れば郷に従えという諺もありますし、そこに異を唱えるつもりはありません。しかしながら、成人したからといって強引に連れ回してもよいかといいますと、そこはいかがなものかと思うのです。彼女がいくらしっかりしていても、まだ巣立ちして間もない雛のようなもの、親元が恋しいこともあるでしょう。その辺りを含めて、ここは一度親御さん交えてしっかりと話し合うべきではないでしょうか?」

 説教など柄ではありませんが、健全な青少年を守るのも私たち先達の努めです。

 もし、クゥさん本人が望まずにこの場にいるようでしたら、差し出がましくとも手を差し伸べるべきでしょう。
 彼女はまだ若く、人生いくらでも取り返しはつきます。
 私のような他人には話せないことでも、親御さんには話せるはずです。

 あとは、リックさんが大人しく受け入れてくれるとよいのですが…… 

「う~ん」

 リックさんは難しそうな顔で、しばし腕組みをして考え込んでから――不意に頭上を仰ぎ見ました。

「おーい、カイリ! ちょっと!」

「…………はいにゃ~?」

 少し遅れて返事が聞こえたかと思いますと、メインマストの頂上から飛び降りたカイリさんが、空中でくるりと回転してから、音もなく眼前に着地しました。

「いい気持ちで寝てたのに……なにかにゃ?」

「いやな、俺様もよーわからんが……兄弟が真面目な顔して、皆で話し合えっていうからよ、一応な」

「うにゃあ? なにそれ?」

「なんでも、クゥが親元が恋しいんだっけか?」

「そんなわけない」

 頭に伸ばされたリックさんの手を、クゥさんが払い除けました。

 ……なにか、妙な雰囲気ですね。
 当のリックさんは悪気どころかまったく自覚していないといいますか、なにを言われたのか本当に理解していなさそうです。
 とりあえず、クゥさんに的外れなことを訊ねたりしています。

 そして、そのクゥさんはどこか気まずそうで……しかもそれが、リックさんたちに対してではなく、私に対してのような。これはいったい?

「なにをされてるのです?」

「なにって……家族で話し合えっつったのは兄弟だろ?」

 家族ではなく親御さんと、といったのですが――ん? 家族? 誰が誰とでしょう?

「言ってなかったっけか?」

 リックさんが、自分とカイリさんとクゥさんと順繰りに指差しました。

「俺様と嫁、んでその子供。愛の結晶ってやつだな! がっはっはっ!」

「愛の結晶って……人様の前で恥ずかしいにゃ~」

 その言葉に、カイリさんがリックさんの顔面を引っ掻いて応えていました。
 ばりっ!っと、あまり洒落にならなさそうな凄惨な音が響きました。

「うぎゃあああ~~!? 血、血、血がぁ~~!」

 リックさんが旦那さんで、カイリさんが奥さん。つまり、お三方はご家族。
 確かに、これでしたら親御さん交えての話し合いになるわけです。

 騒動するおふたりを眺めてから、ちらりとクゥさんに視線を移しますと――

「……不本意ながら」

 クゥさんは呟いてから、恥ずかしそうに身を縮めました。

 なるほど、私のとんだ勘違いだったわけですね。
 言い出しにくかった理由は……まあなんとなくわかります。

「早とちりしてしまい、すみませんでした……大変そうですよね、クゥさんも。」

「うん。察してくれるなら助かる」

 パーティ内で一番のしっかり者が、実は娘さんだったとは……まだ若い身空で、ご苦労されてそうです。

 どうりでリックさんたちおふたりに比べて、クゥさんだけやたらと年齢が離れていたわけですね。
 家族で冒険者パーティを営まれていましたか。そういうパターンもあるのですね。

 リックさんは三十代そこそこか二十代後半くらいかと勝手に思っていましたが、十四歳の娘さんがいるということはもっと年上なのでしょうかね。
 ただ、奥さんのカイリさんは、獣人でもあり容貌から年齢が判断しにくいですが、三十歳には届かないように見えました。年の差夫婦でしょうか……
 どちらにせよ、一子もうけたにしてはずいぶんとお若いご夫婦ですよね。
 クゥさんは、いったいおいくつのときのお子さんなのでしょうか。

「ちなみに、こいつは俺様とカイリが十四のときにデキた子でよ。まだ冒険者も駆け出しも駆け出しで、子作りは控えようってことだったんだが……若気の至りってやつ? 迸る情熱は抑えられないってね」

 ばりっ!っと、また危ない音が聞こえました。

「うおおおお~――照れ隠しに引っ掻くなよ、カイリ! 第一、あんときはおめーのほうから誘――」

「にゃはははは~!(怒)」

 カイリさんの楽しげな笑い声とは裏腹に、ちょっと目を背けたくなるような壮絶な情景が繰り広げられているのですが……痴話喧嘩はなんとやら、ご夫婦の仲に割り込むのもなんでしょうから、ここは静観することにしましょう。

 これくらいはいつものことなのか、呆れた様子で眺めているクゥさんと、ふと目が合いました。
 思わず、お互いに苦笑いになってしまいます。

「……あ」

 思わず、クゥさんの頭を撫でてしまっていました。

「おっと、これは失礼しました。嫌でしたよね、つい」

 いくら年若い子だとはいえ、特に女の子、気安く頭を撫でるものではありませんでしたね。
 先ほども、リックさんの手を避けていましたし。

 すぐさま、手を引こうとしたのですが――

「嫌とは言ってない」

 逃げるどころか、引いた手に頭を押し当てられました。

 これはもっと撫でるようにとの催促でしょうか……?

 ここで振り払うのもどうかと思いますので、そのまま頭を撫で続けることにしました。
 眼前で繰り広げられる阿鼻叫喚を眺めながら、少女の頭を撫でまくる図――ちょっと周りからどう思われているか不安にならなくもありません。

 ですが、気持ちよさそうに目を細めているクゥさんを見ていますと、心が和みます。
 まるで本物の猫さんのようですね。
 最近は癒しが足りませんでしたから、これはこれで堪能しておきましょう。

(ん……?)

 あらためて気づきましたが、リックさんは人間、カイリさんは猫の獣人です。
 そのおふたりのお子さんであるクゥさんは、ハーフになるわけですよね。
 その割には、クゥさんは見た目からして、普通の人間となんら変わらないように見えるのですが……ハーフとは、そういったものなのでしょうかね。

 何気に頭の撫でる範囲を広げてみますと、つんつんとした癖っ毛の手触りの中に僅かな違和感がありました。
 これはもしかして……耳の感触なのでしょうか。

 これでも日本にいた頃は、日がな一日縁側で近所の猫さんを撫でながら過ごしていたこともあります。
 毛並みマイスターの異名(自称)を持つ私は誤魔化されませんよ?

 などと、ひとり思いに耽っていますと、いつの間にかクゥさんがこちらを不思議そうに見上げていました。

「……タクミくん、耳が気になる? うう~~ん!」

 クゥさんが小さく息んだと思いますと、頭髪に埋もれていた小さな獣耳がぴょこんと顔を出しました。

 母親のカイリさんはぴんっと真上に立った耳ですが、クゥさんはフサフサの毛に覆われた垂れ耳なのですね。
 完全に髪と一体化していて、ぱっと見では気づきませんでした。
 意識的に頑張って耳を立てているようで、その姿がとても愛らしいものです。

「不本意だけど、外見ではリック寄りで体毛も少ないの。耳も尻尾も目立たないから、獣人だって他の人にはだいたい気づかれない。驚いた?」

 父親に似たことに”不本意”付けを忘れない辺り、哀れリックさん、年頃の娘さんが対する世のお父さん方の世知辛いところですね。 

「どちらかといいますと、クゥさんがあのおふたりのお子さんであることに驚きましたね」

「それは言わないで……恥ずかしいから」

「ははっ、冗談はさておき、全然気づきませんでしたよ。尻尾もあるんですよね」

 こちらも全然わかりません。
 ズボンを履いた上からということもあるでしょうが、おそらく耳と同様、服に収まる程度に小さいということなのでしょう。
 母親であるカイリさんほど長く立派でしたら、外に出してあげないと窮屈で仕方ないでしょうし。

「うん、そう。カイリと違って短いの」

 秘密――というのも大げさかもしれませんが、クゥさんも黙っていたわだかまりがなくなってほっとしたのか、年相応の朗らかな笑顔を見せてくれます。

「そうそう! これがまた、ちっちゃくって可愛いのにゃ~。ほら!」

 突如、割って入ったカイリさんが、ぺろんとクゥさんのズボンを引き下ろしてしまいました。

 剥き出しになったお尻の割れ目の上には、子鹿のような小さな尻尾がちょこんと覗いています。

 やあ、確かに可愛らしい尻尾ですね。
 これくらいでしたら、ズボンの中に収めていても、邪魔にはならないでしょう。
 ――ではなく。

 笑顔のまま凍っていたクゥさんが、羞恥からか途端に真っ赤っ赤に染まりました。
 顔どころかお尻まで満遍なく真っ赤です。

 まあ、甲板の隅っことはいえ、公衆の面前で臀部を披露されたわけですから、気持ちはわからなくもありません。
 さり気なく目を背けたのは、私に残されたできるだけの優しさです。

「そ、そそ、そそそそ――」

「……そ?」

「そういうとこー! そういう無頓着なとこが嫌なのー!」

 羞恥から憤怒の赤に移行したクゥさんが、半泣きでズボンを引き上げながら、カイリさんたちに襲いかかりました。

「ちょ、待――俺様は関係ない――」

「問答無用ー!」

「にゃはははー! クゥちゃんが怒った~」

 甲板の上に、盛大な怒声が響き渡りました。

 騒々しくも、仲のいいご一家ですね。
 ほのぼの……というには、少々バイオレンスではありますが。はい。
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