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6巻
6-3
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◇
気候は穏やかで、緩やかな丘陵と森林が占めるこの地方。かつては酪農や農作で生計を立てる方々が細々と暮らす地域だったそうですが、土地柄や景観が避暑地として向いていることもあり、現在では大部分が貴族たちの所有地となってしまったそうです。
多くの村々が土地を追われて廃村になる中、ケルサ村は土地の委託管理で生き残った村落のひとつでした。かの大貴族アルクイン侯爵家の保護下にあるため、生活水準はそこらの小さな町以上に高いかもしれません。村内には、宿や商店などの外来者を迎える施設まで用意されており、加えて冒険者ギルドの支所もあり、かなり発展しているといえるでしょうね。
午前中の初来訪では、村のいたる箇所でアルクイン家の私兵らしき集団を見かけたものですが、今ではまったく見受けられません。きっと、先ほど私が起こした騒動により緊急招集がかけられたのでしょうから、目論見としては成功したわけですね。
こうして私がこのケルサ村を再び訪れたのは、アンジーくんたちとの合流が目的でした。これ以上、あの狭苦しい小屋に皆さんを押し込めておくのは、衛生面でもあんまりですからね。本格的な脱出を前に、まずは隠れ家を移そうということになりました。
侯爵家の勢力圏内という意味では、このケルサ村も含まれてしまうのですが――これまでの十日間、シレストンさんが秘密裏に駆けずり回って得た情報によると、少なくとも冒険者ギルドは侯爵家の勢力下にないと判明したそうです。
シレストンさんの〝執事の嗜み〟には、巧みな変装技術も含まれているそうで、スキルとあわせても隠密行動に向いているのでしょう。情報の収集に加えて撹乱、食料などの物資の調達役まで担っていたそうですから、まったくもって執事さんという職業は多才なのですね。
アンジーくんを守るため、矢面に立っていたダンフィルさんもご立派ですが、裏方としておふたりを支えていたシレストンさんも大したものです。両者一丸となっての素晴らしいコンビですね。心から尊敬してしまいます。
「だからこそ……いえ、今はやめておきましょう」
念のために、例の井芹くん直伝の――といいますか、要は無断拝借なのですが、〝姿なき亡霊〟を羽織り、皆さんとの集合場所である冒険者ギルドへ向かうことにしました。
ギルドの二階部分は冒険者専用の簡易宿泊施設になっているそうで、冒険者に扮したシレストンさんが事前に活動拠点として押さえていた部屋をそのまま利用させてもらうことにしました。別れ際にアンジーくんたちの分のコートも創生して渡しておきましたので、すでに誰にも悟られることなく集合していることでしょう。
冒険者ギルド内は、場所柄のせいか他の冒険者さんたちの姿はなく、閑散としていました。受付では、椅子に座った中老の私と同じくらいの年齢の男性が、だらしなくカウンターに両足を投げ出して寝こけています。
「お邪魔しま~す。ちょっと通らせてもらいますね……」
コートの効果で相手に認識されることはありませんが、一応声をかけてから、カウンター横をすり抜けて奥の階段へと進みました。
指定された部屋番号の前で足を止め、軽くノックします。
「私ですよ。開けてください」
……しばらく待ちましたが、返事がありません。と思いましたら、コートを着たままでしたね。
廊下に誰もいないことを確認してからコートを消し、あらためて小声で名乗りながらノックします。
今度はすぐにバタバタと慌ただしい反応がありました。が――
「合言葉!」
「……はて? 合言葉ですか?」
扉の向こうから聞こえてきたのは思い切りアンジーくんの声なのですが、合言葉を決めていた覚えはありません。これいかに。
「愛しの人は?」
しばし悩んでから、閃きます。
「…………アンジーくん、ですか?」
「正解! お帰り、兄ちゃん!」
勢いよく扉が開き、満面の笑みと体当たりで出迎えられました。
見上げるアンジーくんの顔が真っ赤です。いかにも女の子らしい可愛い遊戯なのですが、恥ずかしいのでしたら無理してやらなければよかったのでは――とも思わないでもありません。ですが、それもまたアンジーくんの愛らしさでしょう。思わず、頭を撫でてしまいますね。
「よう、兄ちゃん。首尾は上々だったようだな?」
借りている部屋はかなりの広さがある、団体用の大部屋でした。
ダンフィルさんは部屋に備えつけのソファーの肘かけ部分に、どっかりと腰かけていました。
「その口ぶりでは……もうご存じで?」
「ああ、執事殿が心配して後をつけていてな。先にある程度は掻い摘んで聞いておいた」
そのシレストンさんは、部屋の片隅の壁際に寄り添い、直立不動の姿勢を崩しません。
「そうだったのですか。まったく気づきませんでしたね。ご心配をおかけし……まし、た?」
私が近づこうとしますと、歩み寄った歩数だけ、シレストンさんが壁伝いに離れていきました。きっかりと五メートルの距離を保ち、それ以上は近寄らせてもらえません。
……どことなく緊迫した空気を感じるのはなぜでしょうかね。
「いえいえ、とんでもありません! 差し出がましい真似をいたしたことを、果てしなく後悔しているところです。あの、恐縮ではありますが、あまり距離を縮めないようにしていただけると――わたくしとしては、とてもありがたいのですが! ええ、はい!」
「……? それは構いませんが……」
どうしたのでしょうね。
「タクミ兄ちゃんは、こっちこっち!」
アンジーくんに手を引かれるままに、複数並んだベッドの内のひとつに座らされました。そして当然のように、アンジーくんが私の膝の上を定位置として落ち着きます。
それにしても、あの場にシレストンさんがいたとは、思いも寄りませんでした。
(……さて、ダンフィルさんが聞いたという〝ある程度〟とは、〝どの程度〟までなのでしょうね)
「なんでも、とんでもない暴れっぷりだったってな。どういうわけか、執事殿は思い出したくないとかいって、頑なに詳細を語ってくれなかったがな。兄ちゃん、なにかしたのか?」
なにかと思えば、そのことでしたか。
「暴れっぷりなどと、とんでもない。私は平和主義ですよ。大げさにいわれているだけでしょう。ね、シレストンさん?」
なにせ、私は歩いていただけですしね。攻撃にもいっさい無抵抗でしたし、相手が諦めるのを待つ作戦は大成功だったといえるでしょう。
同意を得ようとシレストンさんに向き直りますと、びくっと肩を震わせて壁に張りつかれてしまいました。おや?
「なんか、シレストンがおかしくなってるぞ! あははは! おっかしー」
上機嫌で足をぱたぱたさせているアンジーくんを見下ろしながら、あらためてシレストンさんに問いかけます。
「……それで、シレストンさんは別荘の中までついてこられていたのですか?」
「誰があんな死地に――ではなく、こほんっ! 失礼いたしました。あの状況下では、いくらわたくしが隠密行動に長けているとはいえ、存在が露見する恐れがございましたので……建物の外から様子を窺うに留めさせていただきました」
なるほど。中にまでは入られていないというわけですね、それは重畳。あれはとてもお見せできませんでしたから、ちょっと安心しましたね。
「それでもタクミ様の移動には爆音に悲鳴や怒声、阿鼻叫喚をともなっておりましたから、屋敷のどの辺りを進んでいるのかは外からでも手に取るように判別できました」
「……耳が痛いですね」
なにせ別荘に入りましたら、私兵団の方々のみならず、使用人の執事さんにメイドさん、果てはコックさんや庭師さんにいたるまで、屋敷中の方々が猛然と襲いかかってきましたからね。椅子に帚に鋏に鍋に花瓶に包丁と、手にできそうなものは片っ端から飛んできましたので、それはもう驚きましたよ。
しかも皆さん戦闘のプロではない分、慣れない行動で焦って滑って転んだり、勢いあまって壁に突っ込み無用な傷をこしらえたりと散々な有様で、怪我をした方には回復魔法をかけておきましたが、あれには参りました。
やはり、別荘に入る際に玄関で呼び鈴を押しても反応がなかったので、ノブを回したら施錠してある鍵ごと捻じ切ってしまい、ついでに扉も外れて壊してしまったのがまずかったのでしょうか。家人のアンジーくんに許しを得ているとはいいましても、事情を知らない方からしますと、あれでは押し込み強盗に他なりませんし。
「で、旦那には会えたのかい?」
「……残念ながら。不在のようでした」
「ま、そりゃあそうか。仮に在宅していたとしても、それだけの騒動の中で呑気に部屋に留まっているわけがないわな。それで、『本物のお嬢』とやらは見つけたか?」
アンジーくんの寝室での情景が思い起こされます。
「……いましたね。アンジーくんを模った精巧な人形が……ベッドに寝かされていました」
「はああ、なんだそりゃ? じゃあ、皆はそいつを本物のお嬢と信じ込んでしまっているというわけか?」
「ええ。ベッドに近づこうとしましたら、お付きと思しき侍女さんたちに、決死の覚悟で身を挺し防がれましたよ」
あれらはあまり思い出して気持ちのいいものではありません。生気のない姿を晒したアンジーくんがベッドに横たわるさまも、周りの方々の私に対する反応も。
あの方々にとって、侵入者である私はどれだけ恐怖の的だったのでしょう。腰を抜かしながらも、仕える主のために必死に食い下がろうとする方々の信念といいますか――執念をまざまざと見せつけられたような気がしました。良識ある方から敵意を向けられる悪者役は、とても気分が悪いものでした。本物の悪人は、よくこんな気持ちに耐えられますね。
「なら、人形はそのままか? いっそ、破壊すればよかったのにな」
「とんでもない、アンジーくんですよ!?」
「むむ……タクミ兄ちゃんの愛を感じる」
膝の上のアンジーくんが、頬を押さえて身を捩っていました。
アンジーくんを破壊するだのしないだのと、本人には結構物騒な話に聞こえると思うのですが。
「見た目は、だろ? もしかしたら、それで暗示なり幻術が解けたかもしれないしな。ただ、いっておいてなんだが、見た目お嬢っぽいものにそういう扱いは、俺もごめん蒙りたいところだがよ」
「でしたら、無茶いわないでくださいよ……」
私にだって、できるわけないじゃないですか。想像したくもありません。
「結局は、収穫なし――でもないか。人形の件で、旦那を含む全員が何者かの術中にいることが判明した。ということは、その術者を潰せば万事解決ってこったな。漠然と逃げ回るより、目標が定まってやる気も湧くってもんだ!」
ダンフィルさんが獰猛に牙を剥いて、拳を打ち鳴らしました。
これまで敵対していたとはいえ、もとは同じ家に仕える仲間同士です。きっと、意味もわからずに傷つけ合うことへのフラストレーションも溜まっていたのでしょうね。
「では、ダンフィル殿。ここは脱出よりも攻勢に出るおつもりですか?」
シレストンさんの質問に、ダンフィルさんは鷹揚に頷いていました。
「おうよ、執事殿。これはチャンスだ。魔法にしろスキルにしろ、効果が継続しているからには術者が近くにいるはず。うちの連中には、俺たちがこの騒動で領外へ逃げたと外に目を向けさせる。さらに別荘への侵入を許したばかりとあっちゃあ、今以上に旦那の守りを固める必要もあるだろう。そうなりゃ、他はスカスカだ。術者を探るだけの猶予もあるってこったろ。執事殿は反対か?」
「お嬢様の身の安全を考慮しますと当然反対です! ――と、普段でしたら主張するところですが……あれだけ理不尽な暴力装置を拝見したからには、お嬢様の防備の面は万全でしょう。今後の憂いを取り除くためにも、ここは賛成させていただきましょう」
シレストンさんに、眼鏡越しにちらりと意味ありげな視線を向けられました。きっかりと距離五メートルの安全基準も保持されています。
理不尽な暴力装置とか、ずいぶんな物言いですね。直接的に私が壊したのは、玄関のノブと鍵とドアくらいですよ。多分。
「そこでわたくしからも提案なのですが、術者の所在に加えまして、術者の目的も調べたほうがよろしいかと。第三者の介在が証明されたからこそ、わたくしには相手の意図が量れません。無礼を承知で申しますと、侯爵の地位にある旦那様でしたらまだしも、お嬢様は侯爵家令嬢という父君ありきの立場でしかございません。その父君と家人がすでに術中にある中、さらにお嬢様を欲する真意とはなんだというのでしょう?」
「たしかにな。であるなら……口封じか? 口外されてはまずい秘密を見たとか」
おふたりの視線が私――といいますか、その膝の上のアンジーくんに集まりました。
普通に十歳の女の子でしたら、こんな物騒な話題の中心にあっては泣き出しでもしそうなものですが、アンジーくんは物怖じせずにケロッとしていて余裕のよっちゃんです。さすがは元海賊の荒くれ者に紛れて育った、男の子顔負けの行動派のアンジーくんといったところでしょうか。実に頼もしい。
おふたりもそれを心得ているのか、歯に衣を着せぬ物言いをしていますね。
「う~ん。どうだろ? 逃げ出す直前、別荘でなにか見た……気がしないでもないけど。よく思い出せないや。へへっ」
「……頼みますよ、お嬢。そこははっきりさせておかないと」
「覚えてないものは仕方ないだろ! 気づいたときには、ダンフに抱えられて逃げるとこだったんだから! ダンフの意地悪!」
アンジーくんは両手を振り回してプンスカしていました。怒っていても愛らしいですが、今ちょっとばかり気になることを聞きましたね。
「ダンフィルさんは、どうしてアンジーくんを抱えて逃げる事態になったのです?」
「ん、いってなかったっけか? 別荘には地下室があってよ。俺が階段下の入り口で倒れているお嬢を見つけたのが事の発端でな。大慌てで助け起こしてみりゃあ、旦那がいきなり地下室から飛び出してくるわ、血相変えてお嬢を渡すように命令されるわで……とにかく嫌な予感がしたんで、なにはともあれお嬢を担いで逃げ出したってわけだ」
当時の状況を思い出しながら、ダンフィルさんが説明してくれました。
地下室などあったのですか。割と満遍なく別荘内をうろついたつもりでしたが、地下には気づきませんでしたね。
「当然、そこでなにかあったと考えるのが妥当ですよね。調査対象にしておくべきでしょう」
「でもオレ、なんで地下室なんか行ったんだろ? いつもは近づかない場所なんだけど……」
「お嬢は昔っから暗いところが怖いですもんね」
「ち、違う――苦手なだけだから! ダンフ、兄ちゃんの前でカッコ悪いじゃんか!」
「はははっ」
アンジーくんを過度に緊張させないよう適度に場を和ませるあたり、いつものダンフィルさんらしいですね。
方向性も定まったことですし、ダンフィルさんが空気を変えたということは、これでいったん話し合いを区切るつもりなのでしょう。
でしたら私はその前に、ひとつだけ確認しておかないといけないことがあります。あまり気は進まないのですが……そうもいっていられません。
「頼みますね、〈森羅万象〉――」
アンジーくんを膝に乗せたまま、その小さな背中にそっと触れました。
「な、なに? タクミ兄ちゃん?」
「――くっ!?」
途端に襲う視界を揺るがす強烈な頭痛に、思わずそのままアンジーくんにもたれかかってしまいました。
「っ~~~~~~!」
やはり――
「どしたの、兄ちゃん! 大丈夫!?」
上半身を捻じって心配そうに抱きついてくるアンジーくんに、なんとか頭を撫でて応えるだけの余裕はありました。笑顔は口元が引きつるくらいで、ちょっと無理でしたが。
「おいおい、本気で大丈夫か? 顔、真っ青だぞ!?」
慌てた様子でダンフィルさんも駆け寄ってきました。
シレストンさんは、五メートルの距離が四メートルに縮まっていました。
皆さんに心配をかけてしまい、申し訳ない上に情けないですね。
「……ご心配なさらず。ただの、アンジーくんに鑑定のスキルを使った反動ですから、すぐに治まります。アンジーくん、無断で盗み見るような真似をしてしまい……すみませんでした」
「別にオレのことはいいよ! そんなことよりも、兄ちゃんは本当に大丈夫なの?」
「ええ、なんとか。だいぶ落ち着いてきました」
「鑑定だって? お嬢を鑑定しても、当時の原因なんかわからなかっただろ? 鑑定系スキルで得られるのは、対象に関する付加情報だけだぞ」
「……そうですね。やはり、地下室でなにがあったのかはわかりませんでしたよ。痛み損ですね、ははは」
「ダメもとでもやってみたい気持ちはわからんでもないがな。それにしても、そんな代償があるとは、兄ちゃんは難儀な鑑定スキルを持っているな」
「ええ、まったくですよ」
難儀なのはスキルだけではありませんけれどね。こちらもまた頭が痛いところです。
今回の事態が解決を見るまでには、まだ問題がひと山もふた山もありそうです。予想はしていましたが、一筋縄ではいかないようですね。
――こんこんっ。
扉がノックされたのは、皆さんと今後の打ち合わせを始めて小一時間ほど経った頃でした。
室内には、アンジーくんにダンフィルさん、シレストンさんと全員が揃っています。この地では、私たち以外に味方といえる人物もいないはずですから、全員に緊張が走りました。
『姿なき亡霊、クリエイトします』
即座に創生したコートをアンジーくんとダンフィルさん、私とで纏いまして、なるたけ入口から距離を取れるように三人一緒に部屋の隅に移動しました。この部屋を借りているシレストンさんはそのままです。在室中の部屋の主まで消えてしまうわけにはいきませんからね。
「ここは、わたくしめにお任せを」
小声で告げてから、シレストンさんが扉に行きつくまでに完了させた変装技能には目を見張りました。
手早い所作で顔面を弄りはじめますと、相貌は白髪交じりの髭を蓄えた厳つい中年男性へ――着ていた燕尾服も、脱いだ瞬間には麻のラフな服装へと変貌していました。わずか十秒にも満たない短時間で、いかにも熟練の冒険者といった出で立ちの完成です。
「……誰だ? なにか用か?」
扉越しに応答する声まで、低音が利いたダンディさを加えるとは、芸が細かい。
「あんたにお客様じゃよ」
扉の向こうの声の主は、喋り方からしてもかなりのご年配のようでした。わざわざノックしてきたことからも、おそらくは一階の冒険者ギルドの受付の方でしょう。
シレストンさんには声に聞き覚えがあるようで、右手でドアノブを握りながら、残った左手でこちらに「待て」と合図してきました。
半開きにされた扉の隙間から見える廊下には、やや腰の曲がった男性が立っていました。やはり、先ほど見かけた受付カウンターで寝こけていた方で間違いないようですね。
「あ、タクミ兄ちゃん。シレストン、行っちゃうよ?」
いくつかやり取りをしたのち、ふたりは連れ立って退室してしまいました。
「どうすんの、タクミ兄ちゃん? オレたちも行ってみる? これ着てるとわかんないんだよね?」
「……やめておきます。ここはシレストンさんにお任せしましょう」
ここにお客が訪ねてくること自体不可解ではありますが、こちらに説明がないということは、シレストンさんにもなにかしらの意図があってのことなのでしょう。
それから十分ほど経過したでしょうか。
皆でやきもきして待っていますと、複数人の足音が近づいてきました。廊下の床板が軋むような、ずいぶんと大きな足音も交ざっていますね。
「ただ今、戻りました」
ノックの後に入室してきたのは、冒険者に変装したシレストンさんひとりだけでした。他の方は部屋の外に待機しているようで、その姿は視認できません。
念のためにコートで存在を隠蔽したままなりゆきを窺うことにしましたが、シレストンさんは別段気にした様子もなく続けます。
「実はわたくし、今回の事態打開の手助けになるかと思いまして、あらかじめ冒険者ギルドに依頼を行ない、助っ人を手配いたしておりました! その助っ人がようやく到着したのです!」
シレストンさんの表情が珍しく得意げでした。興奮しているといい換えてもいいかもしれません。
(……助っ人、ですか?)
ダンフィルさんに視線を向けますと、怪訝そうに手を横に振っていました。
今度はふたりしてアンジーくんを見つめますと、アンジーくんは上半身ごとぶんぶんと左右に振っていました。
ふたりとも初耳どころか寝耳に水とは、どうやら完全にシレストンさんの独断みたいですね。
「では、ご紹介いたします! 生ける伝説として世に名高き『剣聖』様です! ――どうぞ!」
意気揚々とシレストンさんが扉を開け放ちました。
「ええっ!? まさか、こんなところに井芹くんが――…………って、誰です?」
扉の向こうには、見上げんばかりの巨体の大男が突っ立っていました。縦も横も大きすぎ、完全にドアの枠からはみ出ていますね。顔など顎しか見えていませんし、身体の半分が枠外です。
……見たこともない方ですよね。どう考えても、井芹くんとは明らかに別人なのですが。
ダンフィルさんが息を呑む音が聞こえます。
「これが……あの『剣聖』か。聞きしに勝る威圧感だな……」
いえ、違いますよ、ダンフィルさん? 確かに井芹くんは威圧的ではありますが、こんなにごつくありませんよ?
お隣ではアンジーくんが大口を開けています。
「ふええ~、でっかいね~。強そうだ……」
井芹くんはでっかくなくて、ちっこいけれど強いんですよ、アンジーくん。
「いえいえ、待ってください、ふたりとも! 人違い――といいますか、この人、偽者ですよ?」
見た目もそうですが、そもそも井芹くんと別れたのは今朝の王都――こんな場所に来ているはずがありませんでしたね。
のっそりと身を捻じ込むようにして、『剣聖(仮)』さんが部屋に入ってきました。
恰幅のよすぎる酒樽体形に、顔には凹凸のないのっぺらとしたお面のようなものをつけています。身長は軽く二メートルはあるでしょうか、身を屈めてなお頭が天井を擦ってしまっていますね。
『剣聖(仮)』さんは、無言のまま不気味に戸口に佇み、入室以降は微動だにしません。口も鼻もなく、目の部分だけが丸くぽっかりと開いたお面では、どこを見ているのかも、その心情すらいっさい判断できません。なにか、昔映画で見た猟奇殺人鬼的な気配がしますね。
「ちょっとおー、そこ退いてくだせーよ、『剣聖』様!」
新たな第三者の声がして、出入口を完全に塞いでいる『剣聖(仮)』さんの背後から、窮屈そうに押し入ってきた人影がありました。
今度は随分と小柄な人物で、先の『剣聖(仮)』さんとの対比で、ますます小さく見えますね。痩せた身体に長布を巻きつけただけの独特な身軽な軽装。日に焼けた赤ら顔に赤茶けたざんばら髪。小柄で人懐こそうな印象の女の子――だと思うのですが、なんといいますか……表現しにくい違和感がありますね。
(……ん~? なにか、縮尺が……?)
隣に巨漢が並んでいますから、遠近感がおかしくなってしまったのでしょうかね?
「ほう、珍しい。ありゃあ、小人族だな」
「……小人族、ですか?」
首を傾げる私に、ダンフィルさんが教えてくれました。
「兄ちゃんは見るの初めてか? ま、平たくいえば小人だな。ぱっと見で子供と見間違えそうになるが、人族の子供とでは等身が違うだろ? 俺が以前に会ったやつは、身長が腰までくらいしかなかったからな。あれでも種族の中では背が高いほうじゃねえかな」
「そういうことでしたか。なるほど」
また新たなこちらの異世界特有の亜人さんでしたか。どうりで単体での見た目は普通なのに、周囲と見比べたときに違和感を覚えたわけです。大人の等身そのままに、全体的なサイズが子供並みに小さいのが原因でしたか。この異世界では、本当に色々な種族の方々が暮らしているのですね。
「今回はご用命、ありがとーごぜーます! あちしはマネージメントを担当してるチシェルともーします! そして、こちらが――かの世に知らぬ者なしとされたSSランクの大冒険者ー! 『剣聖』イセリュート様にごぜーます!」
身軽に部屋の中央に躍り出て、チシェルなる小人さんが声を張り上げて大仰に頭を下げて――
「って、誰もいないやーん! どーゆーこと!?」
と、ひとり地団太を踏んでいました。
(さもありなん。あちら側からは見えないはずですしね)
「少々お待ちくださいませ。皆様方、どうぞご安心なされて、姿をお見せくださいませ」
シレストンさんが室内へ向けて優雅にお辞儀をされますが、だからといってどこの誰かもわからない相手に、おいそれと正体を晒すわけにもいきませんよね。
しばし、沈黙の時間が流れます。
気候は穏やかで、緩やかな丘陵と森林が占めるこの地方。かつては酪農や農作で生計を立てる方々が細々と暮らす地域だったそうですが、土地柄や景観が避暑地として向いていることもあり、現在では大部分が貴族たちの所有地となってしまったそうです。
多くの村々が土地を追われて廃村になる中、ケルサ村は土地の委託管理で生き残った村落のひとつでした。かの大貴族アルクイン侯爵家の保護下にあるため、生活水準はそこらの小さな町以上に高いかもしれません。村内には、宿や商店などの外来者を迎える施設まで用意されており、加えて冒険者ギルドの支所もあり、かなり発展しているといえるでしょうね。
午前中の初来訪では、村のいたる箇所でアルクイン家の私兵らしき集団を見かけたものですが、今ではまったく見受けられません。きっと、先ほど私が起こした騒動により緊急招集がかけられたのでしょうから、目論見としては成功したわけですね。
こうして私がこのケルサ村を再び訪れたのは、アンジーくんたちとの合流が目的でした。これ以上、あの狭苦しい小屋に皆さんを押し込めておくのは、衛生面でもあんまりですからね。本格的な脱出を前に、まずは隠れ家を移そうということになりました。
侯爵家の勢力圏内という意味では、このケルサ村も含まれてしまうのですが――これまでの十日間、シレストンさんが秘密裏に駆けずり回って得た情報によると、少なくとも冒険者ギルドは侯爵家の勢力下にないと判明したそうです。
シレストンさんの〝執事の嗜み〟には、巧みな変装技術も含まれているそうで、スキルとあわせても隠密行動に向いているのでしょう。情報の収集に加えて撹乱、食料などの物資の調達役まで担っていたそうですから、まったくもって執事さんという職業は多才なのですね。
アンジーくんを守るため、矢面に立っていたダンフィルさんもご立派ですが、裏方としておふたりを支えていたシレストンさんも大したものです。両者一丸となっての素晴らしいコンビですね。心から尊敬してしまいます。
「だからこそ……いえ、今はやめておきましょう」
念のために、例の井芹くん直伝の――といいますか、要は無断拝借なのですが、〝姿なき亡霊〟を羽織り、皆さんとの集合場所である冒険者ギルドへ向かうことにしました。
ギルドの二階部分は冒険者専用の簡易宿泊施設になっているそうで、冒険者に扮したシレストンさんが事前に活動拠点として押さえていた部屋をそのまま利用させてもらうことにしました。別れ際にアンジーくんたちの分のコートも創生して渡しておきましたので、すでに誰にも悟られることなく集合していることでしょう。
冒険者ギルド内は、場所柄のせいか他の冒険者さんたちの姿はなく、閑散としていました。受付では、椅子に座った中老の私と同じくらいの年齢の男性が、だらしなくカウンターに両足を投げ出して寝こけています。
「お邪魔しま~す。ちょっと通らせてもらいますね……」
コートの効果で相手に認識されることはありませんが、一応声をかけてから、カウンター横をすり抜けて奥の階段へと進みました。
指定された部屋番号の前で足を止め、軽くノックします。
「私ですよ。開けてください」
……しばらく待ちましたが、返事がありません。と思いましたら、コートを着たままでしたね。
廊下に誰もいないことを確認してからコートを消し、あらためて小声で名乗りながらノックします。
今度はすぐにバタバタと慌ただしい反応がありました。が――
「合言葉!」
「……はて? 合言葉ですか?」
扉の向こうから聞こえてきたのは思い切りアンジーくんの声なのですが、合言葉を決めていた覚えはありません。これいかに。
「愛しの人は?」
しばし悩んでから、閃きます。
「…………アンジーくん、ですか?」
「正解! お帰り、兄ちゃん!」
勢いよく扉が開き、満面の笑みと体当たりで出迎えられました。
見上げるアンジーくんの顔が真っ赤です。いかにも女の子らしい可愛い遊戯なのですが、恥ずかしいのでしたら無理してやらなければよかったのでは――とも思わないでもありません。ですが、それもまたアンジーくんの愛らしさでしょう。思わず、頭を撫でてしまいますね。
「よう、兄ちゃん。首尾は上々だったようだな?」
借りている部屋はかなりの広さがある、団体用の大部屋でした。
ダンフィルさんは部屋に備えつけのソファーの肘かけ部分に、どっかりと腰かけていました。
「その口ぶりでは……もうご存じで?」
「ああ、執事殿が心配して後をつけていてな。先にある程度は掻い摘んで聞いておいた」
そのシレストンさんは、部屋の片隅の壁際に寄り添い、直立不動の姿勢を崩しません。
「そうだったのですか。まったく気づきませんでしたね。ご心配をおかけし……まし、た?」
私が近づこうとしますと、歩み寄った歩数だけ、シレストンさんが壁伝いに離れていきました。きっかりと五メートルの距離を保ち、それ以上は近寄らせてもらえません。
……どことなく緊迫した空気を感じるのはなぜでしょうかね。
「いえいえ、とんでもありません! 差し出がましい真似をいたしたことを、果てしなく後悔しているところです。あの、恐縮ではありますが、あまり距離を縮めないようにしていただけると――わたくしとしては、とてもありがたいのですが! ええ、はい!」
「……? それは構いませんが……」
どうしたのでしょうね。
「タクミ兄ちゃんは、こっちこっち!」
アンジーくんに手を引かれるままに、複数並んだベッドの内のひとつに座らされました。そして当然のように、アンジーくんが私の膝の上を定位置として落ち着きます。
それにしても、あの場にシレストンさんがいたとは、思いも寄りませんでした。
(……さて、ダンフィルさんが聞いたという〝ある程度〟とは、〝どの程度〟までなのでしょうね)
「なんでも、とんでもない暴れっぷりだったってな。どういうわけか、執事殿は思い出したくないとかいって、頑なに詳細を語ってくれなかったがな。兄ちゃん、なにかしたのか?」
なにかと思えば、そのことでしたか。
「暴れっぷりなどと、とんでもない。私は平和主義ですよ。大げさにいわれているだけでしょう。ね、シレストンさん?」
なにせ、私は歩いていただけですしね。攻撃にもいっさい無抵抗でしたし、相手が諦めるのを待つ作戦は大成功だったといえるでしょう。
同意を得ようとシレストンさんに向き直りますと、びくっと肩を震わせて壁に張りつかれてしまいました。おや?
「なんか、シレストンがおかしくなってるぞ! あははは! おっかしー」
上機嫌で足をぱたぱたさせているアンジーくんを見下ろしながら、あらためてシレストンさんに問いかけます。
「……それで、シレストンさんは別荘の中までついてこられていたのですか?」
「誰があんな死地に――ではなく、こほんっ! 失礼いたしました。あの状況下では、いくらわたくしが隠密行動に長けているとはいえ、存在が露見する恐れがございましたので……建物の外から様子を窺うに留めさせていただきました」
なるほど。中にまでは入られていないというわけですね、それは重畳。あれはとてもお見せできませんでしたから、ちょっと安心しましたね。
「それでもタクミ様の移動には爆音に悲鳴や怒声、阿鼻叫喚をともなっておりましたから、屋敷のどの辺りを進んでいるのかは外からでも手に取るように判別できました」
「……耳が痛いですね」
なにせ別荘に入りましたら、私兵団の方々のみならず、使用人の執事さんにメイドさん、果てはコックさんや庭師さんにいたるまで、屋敷中の方々が猛然と襲いかかってきましたからね。椅子に帚に鋏に鍋に花瓶に包丁と、手にできそうなものは片っ端から飛んできましたので、それはもう驚きましたよ。
しかも皆さん戦闘のプロではない分、慣れない行動で焦って滑って転んだり、勢いあまって壁に突っ込み無用な傷をこしらえたりと散々な有様で、怪我をした方には回復魔法をかけておきましたが、あれには参りました。
やはり、別荘に入る際に玄関で呼び鈴を押しても反応がなかったので、ノブを回したら施錠してある鍵ごと捻じ切ってしまい、ついでに扉も外れて壊してしまったのがまずかったのでしょうか。家人のアンジーくんに許しを得ているとはいいましても、事情を知らない方からしますと、あれでは押し込み強盗に他なりませんし。
「で、旦那には会えたのかい?」
「……残念ながら。不在のようでした」
「ま、そりゃあそうか。仮に在宅していたとしても、それだけの騒動の中で呑気に部屋に留まっているわけがないわな。それで、『本物のお嬢』とやらは見つけたか?」
アンジーくんの寝室での情景が思い起こされます。
「……いましたね。アンジーくんを模った精巧な人形が……ベッドに寝かされていました」
「はああ、なんだそりゃ? じゃあ、皆はそいつを本物のお嬢と信じ込んでしまっているというわけか?」
「ええ。ベッドに近づこうとしましたら、お付きと思しき侍女さんたちに、決死の覚悟で身を挺し防がれましたよ」
あれらはあまり思い出して気持ちのいいものではありません。生気のない姿を晒したアンジーくんがベッドに横たわるさまも、周りの方々の私に対する反応も。
あの方々にとって、侵入者である私はどれだけ恐怖の的だったのでしょう。腰を抜かしながらも、仕える主のために必死に食い下がろうとする方々の信念といいますか――執念をまざまざと見せつけられたような気がしました。良識ある方から敵意を向けられる悪者役は、とても気分が悪いものでした。本物の悪人は、よくこんな気持ちに耐えられますね。
「なら、人形はそのままか? いっそ、破壊すればよかったのにな」
「とんでもない、アンジーくんですよ!?」
「むむ……タクミ兄ちゃんの愛を感じる」
膝の上のアンジーくんが、頬を押さえて身を捩っていました。
アンジーくんを破壊するだのしないだのと、本人には結構物騒な話に聞こえると思うのですが。
「見た目は、だろ? もしかしたら、それで暗示なり幻術が解けたかもしれないしな。ただ、いっておいてなんだが、見た目お嬢っぽいものにそういう扱いは、俺もごめん蒙りたいところだがよ」
「でしたら、無茶いわないでくださいよ……」
私にだって、できるわけないじゃないですか。想像したくもありません。
「結局は、収穫なし――でもないか。人形の件で、旦那を含む全員が何者かの術中にいることが判明した。ということは、その術者を潰せば万事解決ってこったな。漠然と逃げ回るより、目標が定まってやる気も湧くってもんだ!」
ダンフィルさんが獰猛に牙を剥いて、拳を打ち鳴らしました。
これまで敵対していたとはいえ、もとは同じ家に仕える仲間同士です。きっと、意味もわからずに傷つけ合うことへのフラストレーションも溜まっていたのでしょうね。
「では、ダンフィル殿。ここは脱出よりも攻勢に出るおつもりですか?」
シレストンさんの質問に、ダンフィルさんは鷹揚に頷いていました。
「おうよ、執事殿。これはチャンスだ。魔法にしろスキルにしろ、効果が継続しているからには術者が近くにいるはず。うちの連中には、俺たちがこの騒動で領外へ逃げたと外に目を向けさせる。さらに別荘への侵入を許したばかりとあっちゃあ、今以上に旦那の守りを固める必要もあるだろう。そうなりゃ、他はスカスカだ。術者を探るだけの猶予もあるってこったろ。執事殿は反対か?」
「お嬢様の身の安全を考慮しますと当然反対です! ――と、普段でしたら主張するところですが……あれだけ理不尽な暴力装置を拝見したからには、お嬢様の防備の面は万全でしょう。今後の憂いを取り除くためにも、ここは賛成させていただきましょう」
シレストンさんに、眼鏡越しにちらりと意味ありげな視線を向けられました。きっかりと距離五メートルの安全基準も保持されています。
理不尽な暴力装置とか、ずいぶんな物言いですね。直接的に私が壊したのは、玄関のノブと鍵とドアくらいですよ。多分。
「そこでわたくしからも提案なのですが、術者の所在に加えまして、術者の目的も調べたほうがよろしいかと。第三者の介在が証明されたからこそ、わたくしには相手の意図が量れません。無礼を承知で申しますと、侯爵の地位にある旦那様でしたらまだしも、お嬢様は侯爵家令嬢という父君ありきの立場でしかございません。その父君と家人がすでに術中にある中、さらにお嬢様を欲する真意とはなんだというのでしょう?」
「たしかにな。であるなら……口封じか? 口外されてはまずい秘密を見たとか」
おふたりの視線が私――といいますか、その膝の上のアンジーくんに集まりました。
普通に十歳の女の子でしたら、こんな物騒な話題の中心にあっては泣き出しでもしそうなものですが、アンジーくんは物怖じせずにケロッとしていて余裕のよっちゃんです。さすがは元海賊の荒くれ者に紛れて育った、男の子顔負けの行動派のアンジーくんといったところでしょうか。実に頼もしい。
おふたりもそれを心得ているのか、歯に衣を着せぬ物言いをしていますね。
「う~ん。どうだろ? 逃げ出す直前、別荘でなにか見た……気がしないでもないけど。よく思い出せないや。へへっ」
「……頼みますよ、お嬢。そこははっきりさせておかないと」
「覚えてないものは仕方ないだろ! 気づいたときには、ダンフに抱えられて逃げるとこだったんだから! ダンフの意地悪!」
アンジーくんは両手を振り回してプンスカしていました。怒っていても愛らしいですが、今ちょっとばかり気になることを聞きましたね。
「ダンフィルさんは、どうしてアンジーくんを抱えて逃げる事態になったのです?」
「ん、いってなかったっけか? 別荘には地下室があってよ。俺が階段下の入り口で倒れているお嬢を見つけたのが事の発端でな。大慌てで助け起こしてみりゃあ、旦那がいきなり地下室から飛び出してくるわ、血相変えてお嬢を渡すように命令されるわで……とにかく嫌な予感がしたんで、なにはともあれお嬢を担いで逃げ出したってわけだ」
当時の状況を思い出しながら、ダンフィルさんが説明してくれました。
地下室などあったのですか。割と満遍なく別荘内をうろついたつもりでしたが、地下には気づきませんでしたね。
「当然、そこでなにかあったと考えるのが妥当ですよね。調査対象にしておくべきでしょう」
「でもオレ、なんで地下室なんか行ったんだろ? いつもは近づかない場所なんだけど……」
「お嬢は昔っから暗いところが怖いですもんね」
「ち、違う――苦手なだけだから! ダンフ、兄ちゃんの前でカッコ悪いじゃんか!」
「はははっ」
アンジーくんを過度に緊張させないよう適度に場を和ませるあたり、いつものダンフィルさんらしいですね。
方向性も定まったことですし、ダンフィルさんが空気を変えたということは、これでいったん話し合いを区切るつもりなのでしょう。
でしたら私はその前に、ひとつだけ確認しておかないといけないことがあります。あまり気は進まないのですが……そうもいっていられません。
「頼みますね、〈森羅万象〉――」
アンジーくんを膝に乗せたまま、その小さな背中にそっと触れました。
「な、なに? タクミ兄ちゃん?」
「――くっ!?」
途端に襲う視界を揺るがす強烈な頭痛に、思わずそのままアンジーくんにもたれかかってしまいました。
「っ~~~~~~!」
やはり――
「どしたの、兄ちゃん! 大丈夫!?」
上半身を捻じって心配そうに抱きついてくるアンジーくんに、なんとか頭を撫でて応えるだけの余裕はありました。笑顔は口元が引きつるくらいで、ちょっと無理でしたが。
「おいおい、本気で大丈夫か? 顔、真っ青だぞ!?」
慌てた様子でダンフィルさんも駆け寄ってきました。
シレストンさんは、五メートルの距離が四メートルに縮まっていました。
皆さんに心配をかけてしまい、申し訳ない上に情けないですね。
「……ご心配なさらず。ただの、アンジーくんに鑑定のスキルを使った反動ですから、すぐに治まります。アンジーくん、無断で盗み見るような真似をしてしまい……すみませんでした」
「別にオレのことはいいよ! そんなことよりも、兄ちゃんは本当に大丈夫なの?」
「ええ、なんとか。だいぶ落ち着いてきました」
「鑑定だって? お嬢を鑑定しても、当時の原因なんかわからなかっただろ? 鑑定系スキルで得られるのは、対象に関する付加情報だけだぞ」
「……そうですね。やはり、地下室でなにがあったのかはわかりませんでしたよ。痛み損ですね、ははは」
「ダメもとでもやってみたい気持ちはわからんでもないがな。それにしても、そんな代償があるとは、兄ちゃんは難儀な鑑定スキルを持っているな」
「ええ、まったくですよ」
難儀なのはスキルだけではありませんけれどね。こちらもまた頭が痛いところです。
今回の事態が解決を見るまでには、まだ問題がひと山もふた山もありそうです。予想はしていましたが、一筋縄ではいかないようですね。
――こんこんっ。
扉がノックされたのは、皆さんと今後の打ち合わせを始めて小一時間ほど経った頃でした。
室内には、アンジーくんにダンフィルさん、シレストンさんと全員が揃っています。この地では、私たち以外に味方といえる人物もいないはずですから、全員に緊張が走りました。
『姿なき亡霊、クリエイトします』
即座に創生したコートをアンジーくんとダンフィルさん、私とで纏いまして、なるたけ入口から距離を取れるように三人一緒に部屋の隅に移動しました。この部屋を借りているシレストンさんはそのままです。在室中の部屋の主まで消えてしまうわけにはいきませんからね。
「ここは、わたくしめにお任せを」
小声で告げてから、シレストンさんが扉に行きつくまでに完了させた変装技能には目を見張りました。
手早い所作で顔面を弄りはじめますと、相貌は白髪交じりの髭を蓄えた厳つい中年男性へ――着ていた燕尾服も、脱いだ瞬間には麻のラフな服装へと変貌していました。わずか十秒にも満たない短時間で、いかにも熟練の冒険者といった出で立ちの完成です。
「……誰だ? なにか用か?」
扉越しに応答する声まで、低音が利いたダンディさを加えるとは、芸が細かい。
「あんたにお客様じゃよ」
扉の向こうの声の主は、喋り方からしてもかなりのご年配のようでした。わざわざノックしてきたことからも、おそらくは一階の冒険者ギルドの受付の方でしょう。
シレストンさんには声に聞き覚えがあるようで、右手でドアノブを握りながら、残った左手でこちらに「待て」と合図してきました。
半開きにされた扉の隙間から見える廊下には、やや腰の曲がった男性が立っていました。やはり、先ほど見かけた受付カウンターで寝こけていた方で間違いないようですね。
「あ、タクミ兄ちゃん。シレストン、行っちゃうよ?」
いくつかやり取りをしたのち、ふたりは連れ立って退室してしまいました。
「どうすんの、タクミ兄ちゃん? オレたちも行ってみる? これ着てるとわかんないんだよね?」
「……やめておきます。ここはシレストンさんにお任せしましょう」
ここにお客が訪ねてくること自体不可解ではありますが、こちらに説明がないということは、シレストンさんにもなにかしらの意図があってのことなのでしょう。
それから十分ほど経過したでしょうか。
皆でやきもきして待っていますと、複数人の足音が近づいてきました。廊下の床板が軋むような、ずいぶんと大きな足音も交ざっていますね。
「ただ今、戻りました」
ノックの後に入室してきたのは、冒険者に変装したシレストンさんひとりだけでした。他の方は部屋の外に待機しているようで、その姿は視認できません。
念のためにコートで存在を隠蔽したままなりゆきを窺うことにしましたが、シレストンさんは別段気にした様子もなく続けます。
「実はわたくし、今回の事態打開の手助けになるかと思いまして、あらかじめ冒険者ギルドに依頼を行ない、助っ人を手配いたしておりました! その助っ人がようやく到着したのです!」
シレストンさんの表情が珍しく得意げでした。興奮しているといい換えてもいいかもしれません。
(……助っ人、ですか?)
ダンフィルさんに視線を向けますと、怪訝そうに手を横に振っていました。
今度はふたりしてアンジーくんを見つめますと、アンジーくんは上半身ごとぶんぶんと左右に振っていました。
ふたりとも初耳どころか寝耳に水とは、どうやら完全にシレストンさんの独断みたいですね。
「では、ご紹介いたします! 生ける伝説として世に名高き『剣聖』様です! ――どうぞ!」
意気揚々とシレストンさんが扉を開け放ちました。
「ええっ!? まさか、こんなところに井芹くんが――…………って、誰です?」
扉の向こうには、見上げんばかりの巨体の大男が突っ立っていました。縦も横も大きすぎ、完全にドアの枠からはみ出ていますね。顔など顎しか見えていませんし、身体の半分が枠外です。
……見たこともない方ですよね。どう考えても、井芹くんとは明らかに別人なのですが。
ダンフィルさんが息を呑む音が聞こえます。
「これが……あの『剣聖』か。聞きしに勝る威圧感だな……」
いえ、違いますよ、ダンフィルさん? 確かに井芹くんは威圧的ではありますが、こんなにごつくありませんよ?
お隣ではアンジーくんが大口を開けています。
「ふええ~、でっかいね~。強そうだ……」
井芹くんはでっかくなくて、ちっこいけれど強いんですよ、アンジーくん。
「いえいえ、待ってください、ふたりとも! 人違い――といいますか、この人、偽者ですよ?」
見た目もそうですが、そもそも井芹くんと別れたのは今朝の王都――こんな場所に来ているはずがありませんでしたね。
のっそりと身を捻じ込むようにして、『剣聖(仮)』さんが部屋に入ってきました。
恰幅のよすぎる酒樽体形に、顔には凹凸のないのっぺらとしたお面のようなものをつけています。身長は軽く二メートルはあるでしょうか、身を屈めてなお頭が天井を擦ってしまっていますね。
『剣聖(仮)』さんは、無言のまま不気味に戸口に佇み、入室以降は微動だにしません。口も鼻もなく、目の部分だけが丸くぽっかりと開いたお面では、どこを見ているのかも、その心情すらいっさい判断できません。なにか、昔映画で見た猟奇殺人鬼的な気配がしますね。
「ちょっとおー、そこ退いてくだせーよ、『剣聖』様!」
新たな第三者の声がして、出入口を完全に塞いでいる『剣聖(仮)』さんの背後から、窮屈そうに押し入ってきた人影がありました。
今度は随分と小柄な人物で、先の『剣聖(仮)』さんとの対比で、ますます小さく見えますね。痩せた身体に長布を巻きつけただけの独特な身軽な軽装。日に焼けた赤ら顔に赤茶けたざんばら髪。小柄で人懐こそうな印象の女の子――だと思うのですが、なんといいますか……表現しにくい違和感がありますね。
(……ん~? なにか、縮尺が……?)
隣に巨漢が並んでいますから、遠近感がおかしくなってしまったのでしょうかね?
「ほう、珍しい。ありゃあ、小人族だな」
「……小人族、ですか?」
首を傾げる私に、ダンフィルさんが教えてくれました。
「兄ちゃんは見るの初めてか? ま、平たくいえば小人だな。ぱっと見で子供と見間違えそうになるが、人族の子供とでは等身が違うだろ? 俺が以前に会ったやつは、身長が腰までくらいしかなかったからな。あれでも種族の中では背が高いほうじゃねえかな」
「そういうことでしたか。なるほど」
また新たなこちらの異世界特有の亜人さんでしたか。どうりで単体での見た目は普通なのに、周囲と見比べたときに違和感を覚えたわけです。大人の等身そのままに、全体的なサイズが子供並みに小さいのが原因でしたか。この異世界では、本当に色々な種族の方々が暮らしているのですね。
「今回はご用命、ありがとーごぜーます! あちしはマネージメントを担当してるチシェルともーします! そして、こちらが――かの世に知らぬ者なしとされたSSランクの大冒険者ー! 『剣聖』イセリュート様にごぜーます!」
身軽に部屋の中央に躍り出て、チシェルなる小人さんが声を張り上げて大仰に頭を下げて――
「って、誰もいないやーん! どーゆーこと!?」
と、ひとり地団太を踏んでいました。
(さもありなん。あちら側からは見えないはずですしね)
「少々お待ちくださいませ。皆様方、どうぞご安心なされて、姿をお見せくださいませ」
シレストンさんが室内へ向けて優雅にお辞儀をされますが、だからといってどこの誰かもわからない相手に、おいそれと正体を晒すわけにもいきませんよね。
しばし、沈黙の時間が流れます。
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