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6巻
6-1
しおりを挟む第一章 真と偽と、表と裏と
こんにちは。
私の名は斉木拓未、年は還暦を迎えての六十歳、定年後を日本でのんびりと暮らす平凡な一市民です。正確には、〝でした〟と過去形なわけですが。
ひょんなことから異世界とやらに召喚され、十万もの魔王軍との戦争を皮切りに、まあ起こるわ起こるわ非日常のオンパレードです。以前の日常とは隔絶した生活を送る羽目になりました。
王様暗殺未遂容疑やそれによる逃亡生活。魔物の軍勢に魔窟に巨大イカと、相次ぐ戦闘。エルフという異種族との邂逅と共闘。国教〝教会〟総本山でのお家騒動……もう、お腹いっぱいですね。
それこそ、なぜこんな目に遭うのかと神様に問い質したいところですが、どんな因果か、私がその『神』でした。なんの冗談なのでしょうかね、まったく。
とはいえ、異世界の生活自体はわりと捨てたものでもありません。知人も増えまして、それなりに楽しくやっているつもりです。
国家反逆罪で護送されたときも出会いや再会がありましたし、魔王軍による王都陥落のときでも新たな戦友を得ました。……不穏な事態ばかりな気がしますが、そこは置いておきましょう。
その後、ついに私も冒険者デビューしました。ちょっとした理由から、サブ的なサポートメンバーではありますが。
SSランク冒険者パーティ『青狼のたてがみ』に加えてもらい、女王様直々の指名依頼を受けることになりました。依頼内容は人捜し。同じ日本からの召喚者にして三英雄のひとりである、行方不明の『勇者』の捜索です。
目的地は国土の約三割を占めるというトランデュートの樹海。
ここでも、色々と事件が起こりました。なにか、行く先々でトラブルが巻き起こっているのは、気のせいでしょうかね。
そして、今――場所を移り、ここは王都カレドサニア。『青狼のたてがみ』の皆さんに先行しまして、一足先に戻ってまいりました。
皆さんと別れて、早二日。行きの馬車旅では半月くらいかかりましたが、帰りは〈万物創生〉を駆使して急いだだけに、思いのほか早く帰り着きましたね。『勇者』のエイキに『剣聖』の井芹くんと、身体的に頑丈な方ばかりでしたので、多少の無理も利いてなによりです。
まずは戻った足で登城し、女王様に事の経緯を報告しました。
そのときには、もう『青狼のたてがみ』に同行しているフウカさんからの〈共感〉スキルによる報告が届いており、面会自体はすんなりと終わりました。
そして、肝心のエイキの処遇についてですが……
人の魔物化――つまりは魔人化。『勇者』だけに『勇魔』ですか。これについては、意外に重要視されまして。要は危険視なわけですが、今後の経過を見るためにも、エイキは王城内に留め置くことになるらしいです。
あれ以降、エイキに例の兆候はありませんでしたが、実態が解明できない以上、いつまた正気を失わないとも限りません。いざというときに対処できる監視役が必要となり――そこは大いに悩みどころでした。なにせ、相手は『勇者』です。並みの者では防波堤になることすら難しいでしょう。
そこに立候補したのは、なんと『剣聖』の井芹くんでした。正直なところ、他に最適な人材は思いつきませんでしたので、渡りに船です。
一時は敵対したとはいえ、お互いに剣を交えた間柄ですから、友情でも芽生えたのかと喜ばしく思ったのですが――
「あやつの軟弱で捻じ曲がった性根を鍛え直してやろう」
との、にべもないお答えでした、はい。
まあ、三人で一緒に過ごしたこの二日間、エイキの態度に幾度となく憤慨していた井芹くんですから、なんだかごもっともな気がします。
ちなみに、エイキは青い顔をしていました。通常の腕っぷしでは敵わないのを理解しているみたいです。あと、冗談や軽口が通じない性格も。
さんざん嫌だとごねていましたが、「では仕方ない。念のために両腕を落としておくか。なに、安全と判断したらくっつけてやろう……斉木が」という真顔の脅迫に、さすがの『勇者』の心も折れました。結果的に承諾を得られてよかったのですが、さりげなく責任だけをこちらに投げる無茶振りはやめていただきたいものです。
嘆いているエイキの裏で、井芹くんがこっそり「あやつには才能がある」と教えてくれましたので、ただいたぶるのではなく、心身ともに鍛えてあげるつもりのようですね。どちらにせよ、スパルタにはなりそうですが、自身のためにもエイキには頑張ってもらいたいところです。
そんなこんながありまして、私はまた気ままな独り暮らしに戻ってしまいました。
もともと王都に知人も少なく、暇を持てあました私は、冒険者ギルドに顔を出すことにしました。
冒険者ギルドのカレドサニア支部では、職業斡旋業務も行なっておりますから、王都復興作業がいち段落したとはいえ、私にもできる仕事がなにかあるかもしれません。
『スカルマスク、クリエイトします』
冒険者ギルドといいますと、やはりこれでしょう。特になぜかこの王都支部では、〝タクミ〟という素性に過剰反応されてしまいますから、変装すべきですよね。
「……ごめんくださーい」
久しぶりに訪問した冒険者ギルドは、さすがの熱気と混み具合です。繁盛しているようですね。
人波を躱しながら(といっても、勝手に道を譲ってくれるのですが)奥に進みますと、受付カウンターの傍に気難しい顔をした背の高い女性の姿が見えました。
大柄な人が多い冒険者さんたちの中でも、頭ひとつ分突き出た鮮やかな赤毛の女性は、こちらのギルドマスターのサルリーシェさんですね。
「おお、黄金の髑髏仮面ではないか! 久しいな!」
挨拶でもと思った矢先、こちらに気づいたサルリーシェさんのほうから足早に歩み寄ってきました。迎え入れるように両腕を広げたまま、満面の笑みですね。
嫌な予感に首を傾けますと、たった今まで私の頭部があった位置を、豪腕が唸りを上げて通りすぎました。
「よし、見事な反応だ! 腕は鈍ってないようで結構結構!」
サルリーシェさんはご機嫌のあまり気にされていなそうですが、私の背後にいた数名が拳の余波を受けて弾き飛ばされていったのですが……大丈夫でしょうかね?
「聞いたよ、北の都カランドーレで、また派手に活躍したそうだね? そろそろギルドに加入する気になってくれたかな? ん?」
がっちりと肩を組まれました。本当にサルリーシェさんはノリが体育会系ですよね。
「いえいえ、気が早いです。それはまだ先の話ですよ」
「そうか、今回は残念だが諦めよう。しかし、いつまでも待っているぞ?」
両手を固く握り締められ、熱い眼差しを向けられました。
実際には、私は〝タクミ〟なわけですから、そちらで登録してしまうと〝スカルマスク〟としては登録できないわけで……話す機会を逸してしまっている分、熱烈さには困ってしまいますね。
「登録でないというなら、今回はなんの用かな? もちろん、どんな瑣末な用件でも歓迎するが」
周囲から注目も浴びていますし、ちょっとした仕事探しに……とはいい出しにくい雰囲気になってしまいましたね。それによくよく考えれば、スカルマスクとして仕事を受けてしまいますと、仮に土木作業に従事するとしても、この仮面姿でやるわけですよね。日中では篭った熱と息苦しさで倒れそうな気もします。失敗しました。ここは出直したほうがよいでしょう。
「……特に理由はなく、ふらっと……ですかね? まあ、私のことはいいではありませんか。そちらこそ、なにか難しい顔をされていたようですが?」
とりあえず、誤魔化しておきましょう。
「いやなに、無効依頼が溜まってきたから取捨してほしいと、受付から苦情があってね。本来はわたしの仕事ではないのだが、立ち寄ったついでに見にきたのだよ。それでキミと会えたのだから、無駄ではなかったかな? ははっ」
「はあ、無効依頼ですか……」
サルリーシェさんが指し示すデスクの上には、紙束が重ねられていました。一見しただけでも、相当な量ですね。
「そう。大半は依頼人名や報酬、依頼事項の記入ミスだね。いったんは受理されたものの、不備があった場合はこうして集められる。なにせこの支部には、各支所から送られてくる分もあるのでね。定期的に処理しないとこの有様というわけだ」
ぽんぽんと叩く依頼書の束は、数百枚に及びそうです。冒険者ギルドの支部ともなりますと、このような職務もあるのですね。
この量を手作業で確認するのでは、数人がかりでも一日仕事でしょう。担当者のうんざり顔が目に浮かぶようです。こちらの世界の事務方も大変そうで、ご苦労様ですね。
「そうでしたか。では、仕事のお邪魔になりそうですので、私はこの辺でそろそろ……」
上手いこと話も逸らせたようですし、そそくさと帰ろうとしたのですが。
(……ん?)
なんでしょう。ふと後ろ髪を引かれるような思いに駆られました。
「どうしたのかね?」
「いえ、その……なんでしょうね?」
具体的にそれがなんなのかは説明できませんが、このまま帰ってはいけないような気がします。
無造作にデスクに重ねられた依頼書の束――気づいたときには、そこから飛び出た一枚の紙の端を、無意識に引き抜いていました。
「おおっと、悪いが無効依頼でも守秘義務があってね」
中身を目にする前に、即座にサルリーシェさんにもぎ取られてしまいました。
「……うん? これは酷い」
依頼書に目を落としたサルリーシェさんが、不意に顔をしかめました。
「見るかね?」
「いいのですか?」
「これなら構わんよ。どうせ子供の悪戯だろう。これまでも、無垢な子供からのペットや失せ物捜しといった他愛のない依頼はあったが、これはあんまりだ。報酬や内容が曖昧などと、それ以前の問題だな。送り先は……ケルサ支所か。東の城砦の先、南東にある小さな村だったかな。なにを思ってこのようなものを受理したのか……職務怠慢で査察対象だな」
サルリーシェさんが拳を打ち鳴らしながら、にやりとサディスティックに微笑みました。処分されるのがこの依頼書だけで済むといいのですが……どなたか知りませんが、ご愁傷様です。
「お言葉に甘えまして……どれ。なるほど、これはたしかに」
サルリーシェさんが憤るのも当然で、この紙はそもそも依頼書としての体を成していませんでした。通常、依頼書には専用の用紙があるのですが、これは単なる折り畳まれたそこいらの紙切れです。紙の下の部分には、依頼人でしょうか、名前が記されていました。その名は――
「……アンジー?」
って、あのアンジーくんじゃありませんよね? 〝アンジー〟とはあくまで愛称で、本名は〝アンジェリーナ・アルクイン〟ですから、こうした正式な書類にまで愛称を書かないでしょう。
「ふむぅ?」
仮に私の知るアンジーくんだとしましても、侯爵令嬢が、わざわざこうして冒険者ギルドに依頼を出す意味がわかりませんよね。やはりこれは、単なる偶然の一致なのでしょう。
などと、呑気に構えていたのですが、紙の残りの部分を広げて依頼内容を目にした途端に、そんな気分は吹き飛びました。そこにあったのは、子供の稚拙な字での大きな殴り書き――
『たくみにいちゃんたすけて』の一文だったのですから。
◇
隙間風の吹き抜ける朽ちかけた小屋の中に、男と少年の姿があった。
頬に傷を持つ壮年の男は、申し訳程度のシーツ代わりの枯草に身を横たえており、顔は血色を失い青白く、それと対照的に胴体に巻かれた包帯が鮮血で染まっていた。一見すると死体と見紛う状態だが、わずかに残された生を主張するかのように胸元がかすかに上下し、ひび割れた唇からは弱々しい吐息が漏れている。
そして、オーバーオールを着た少年――の格好をした少女は、傍らで膝に顔を埋めて座っていた。表情は窺えないが、丸めた小さな身体が小刻みに震え、嗚咽が隠しきれずに漏れている。
目深に被った少女の大きな帽子から零れている銀色の長い髪の束が、男――ダンフィルには、ぼやけた視界の中で、彼女の流す涙のように見えていた。
「お、お嬢……?」
「ダンフ!? 気がついたのか!」
咄嗟に顔を上げた少女――アンジェリーナが、目元を拭って這い寄ってきた。
どうもまた、しばらく気を失ってしまっていたらしい――ダンフィルはそのことを悟り、不甲斐なさに自嘲する。
「……なんですかい、俺が死んだとでも思いましたか? 勝手に殺さないでもらいたいもんです」
自嘲ついでにいつもの軽口を叩くが、己の声のあまりのか細さにダンフィル自身が驚いた。主たる少女にこれ以上の心配をかけさせまいと、意識して声を張り上げないといけなかった。
「…………あ」
その軽口に、アンジェリーナの肩が震えたのが見て取れた。
どうも、本気でそう思われるくらいには酷い状況らしい。失言に気づき、安心させたくて手を伸ばそうとしたが、意識に反してダンフィルの腕はぴくりとも動かなかった。
(けっ。元Aランク冒険者、『紅い雷光』の〝雷火〟ダンフィル様ともあろう者が、情けねえ……)
冒険者時代を含め、悪運でなんとか生き永らえてきたが、どうやらここまでのようだった。アンジェリーナを庇って、先日負った傷は悪化の一途を辿っている。ろくに手当てもできずに、戦闘に次ぐ戦闘、昼も夜もなく逃げ回り続けたのだから、回復する見込みがないのも道理だろう。
「ダンフ……ダンフ……」
声が聞こえ、ダンフィルは重い瞼を持ち上げた。
また一瞬、意識が飛んでしまっていたらしい。こちらを覗き込みながら、不安げに眉をハの字にするアンジェリーナの顔が至近距離にある。
ダンフィルのおぼろげな意識の中で、アンジェリーナが先代――彼女の祖父と重なった。アンジェリーナは隔世遺伝の気が強く、見事な銀髪は先代と同じもので、顔立ちは美人と評判だった先代の奥方から受け継いでいる。
幼子の時分は妖精のような可憐さで、将来は清楚で美麗な令嬢になるだろうと誰もが疑わなかったが、先代の交友関係の影響で、中身と言動はだいぶ男勝りになってしまった。侯爵家にはそれを惜しむ声もあったが、ダンフィルにとってはまるで先代を見ているようで、失望も退屈もしなかった。むしろ、好ましくすら感じていた。
先代には、冒険者時代に命を救ってもらった大恩がある。そのときの怪我が原因で、結局は冒険者を引退せざるを得なかったが、ダンフィルは逆にそれが恩返しをする機会だと、かなり無茶をして先代のもとに転がり込んだ。そして、わずかながらも恩に報いている実感を得られはじめた矢先――先代は急死してしまった。
だからこそ先代が亡くなるとき、孫娘のアンジェリーナを託されたことは、ダンフィルにとっての新たな生きがいとなった。この娘の成長を見守り続けよう、それが先代への恩返しとなると。
(それも、どうやらここまでか……わかっちゃいたが、こんなちんけな俺の願いを叶えてくれる酔狂な神様はいねえようだ)
ダンフィルはすでに覚悟を決めている。
冒険者稼業が長かっただけに、人の生き死にに何度も立ち会い、どんな傷を負えばどれだけ生きられるかなど、容易に判断できた。そして、客観的にそれに当てはめると――この傷では、まず自分は助からない。明日が知れないどころか、数秒先を生きていられる保証もないだろう。
「ダンフ、しっかりしろよ! もうしばらくの辛抱だからさ! きっとタクミ兄ちゃんが助けにきてくれるから!」
(タクミ、か……)
ダンフィルの脳裏にぼんやりと像が浮かぶ。サランドヒルの街で出会った不思議な青年。
結果的に冤罪ではあったようだが、国家反逆罪の疑いをかけられていた男。罪人扱いの身でありながら、それをまったく感じさせないくらい飄々としており、雲のように掴みどころがなく、そして底が見えないほどに強い。それは、在りし日の先代を彷彿させた。
あの男勝りだったアンジェリーナが、港町アダラスタから帰ってきてから、恋する乙女になっていた。ダンフィルは、それ自体は驚きだったが、そんな年頃の少女らしい心境の変化に、嬉しさも覚えていた。毎日、タクミのことを楽しそうに語るアンジェリーナを目の当たりにし、穏やかな幸せすら感じていたほどだ。
あの男が来れば、アンジェリーナを窮地から救い出してくれるかもしれない。そんな根拠のない予感はある。だが、あくまで〝本当に来れば〟だ。
アンジェリーナが制止を振り切り、単身でケルサ村の冒険者ギルドに駆け込んだのが十日前のこと。独立組織の冒険者ギルドとはいえ、連中の息がかかっている恐れがある以上――職員の目を盗み、王都支部行きの書類の中に、その場で急いで綴った手紙を紛れ込ませるのが精いっぱいだったと聞いている。
それ以来、アンジェリーナはあの男が助けに現われるのを疑いもせずに一途に待ち続けているが……ダンフィルは重ねた齢の分だけ、世間がもっとろくでもなくできていることを知っている。
運よく手紙が処分されず、運よく王都に届き、運よくタクミが目にして、運よくこの場を割り出し、運よく助けにきてくれる――呆れるほどに都合のいい運頼り。
問題はそれだけではない。ケルサ村から王都までの距離は軽く二百キロ以上。手紙が王都に届くまでに要する日数として十日前後。つまり、最低でも移動に同じ日数を要することになる。これまで十日間逃げ続けただけでもこのざまなのに、さらに倍の日数を持ち堪えろなど無謀にもほどがある。これからは、もう自分もいなくなるというのに。
どれだけの奇跡、どれだけの幸運を積み重ねれば、それが成し得るというのだろう。それこそ、まさに神の御業の領域だ。現実的に考えて、あるわけがない。ただそれでも、この愛らしい幼い主が生き延びるためには、その蜘蛛の糸よりも細い希望に縋るしかないのだ。
「……! ……!」
ダンフィルの霞みがかった視界の中では、アンジェリーナが自分の手を握り締めながら口をぱくぱくさせていた。もう耳も聞こえなくなってしまったらしい。手を握られているという感触もない。次第に、残る視覚も暗い闇に閉ざされようとしていた。
……ついに、時間切れらしい。願わくは、神の恩寵がわずかなりともこの娘のもとに――腕を頼りに生きてきた無頼漢が神頼みなど、柄ではないことは自覚していたが、そう祈らずにはいられない。
ダンフィルが己の最期を悟ったそのとき――
咽び泣くアンジェリーナの背後で、小屋の扉が開いたのが見えた気がした。
◇
「ぎゃああああああ――!! ががががが、骸骨! お化け出た~~~~~!」
扉を開けた私を、どこかで聞いたことのある金切り声での絶叫が出迎えました。
古びた小屋の中で硬直しているのは、大きな帽子にオーバーオール、初めて出会った頃の格好そのままの、捜し求めたアンジーくんです。ようやく会えました。
「……やっと見つけましたよ。私ですよ、アンジーくん」
スカルマスクを脱ぎ、アンジーくんに笑いかけました。
大口を開けたままびっくりしていたアンジーくんですが、次第にその双眸に涙が溢れ――怒涛の勢いで腰に体当たりしてきました。うん、ナイスタックルです。
「兄ちゃん兄ちゃん兄ちゃん兄ちゃん兄ちゃーん! う゛あ゛あ゛~! 兄゛ち゛ゃ゛~ん゛!」
アンジーくんが私のお腹に顔面をぐりぐりと擦りつけてきました。ついでに右の脇腹に、どすどすと左拳で連打されています。
うん、ナイスレバーブローです。相変わらず、過激な感情表現ですね。
「よかった、元気そうですね。安心しました」
帽子の上から頭を撫でますと、はっとしたようにアンジーくんが顔を上げました。
「あ! 全然、元気じゃないんだよ!」
「え? そうなんですか?」
どこをどう見ても、力がありあまっていそうですが。
「違うよ、ダンフが! ほら、ダンフ! タクミ兄ちゃんが来てくれたよ! もう大丈夫だから!!」
急ぎ足で小屋に戻るアンジーくんに続いて、私も中に足を一歩踏み入れますと――むせるほどの濃厚な血の臭いがしました。これは、死臭といってもいいかもしれません。
朽ちかけた小屋の中で仰向けに倒れているのは、アンジーくんの護衛のダンフィルさんでした。久しぶりにお会いしましたが、あれだけ生気に満ちていた精悍な面立ちはそこになく、重篤患者どころか、まるで死人が横たわっているようです。
臭いの原因は彼でした。胴体に巻かれた包帯が、白い部分がないほどに血でどす黒く染まっています。一見しただけでも、かなりの大怪我をしているとわかりました。
「ダンフィルさん!」
即座に駆け寄って抱き起こしますと、辛うじて意識はあるようで、焦点が定まらない視線が宙を泳ぎました。身体を揺らして声をかけますが、反応は痙攣にも見える微々たるもので、こちらの声が届いているのかもわかりません。
「う、あ……あんた、か……」
ほとんど聞き取れないようなか細い声が、血を滲ませた唇の隙間から漏れました。
「……ああ……よかっ……お嬢、を……頼……」
途切れ途切れの微かな声――それでも残った渾身の力を振り絞っての言葉だったのでしょう。ダンフィルさんはいい終えますと、満足げに目を細めました。笑おうとしたのでしょうか。
そして、なにかを求めて掲げようとした手が、あえなく空振り……力を失くして下に落ち――
「ダンフ!? や、やだ――!」
おっとこれはいけませんね。
「ヒーリング」
――落ちかけた手が、途中でぴたりと止まります。
アンジーくんもまた、ダンフィルさんに手を伸ばした状態で固まっていました。
「…………」
「…………」
危ないところでした。間一髪でしたね。
ダンフィルさんは私に抱えられながら、アンジーくんと一緒に目をぱちくりとしていました。
「ふう。で、ご気分はいかがでしょう? 念のためにもう一回、ヒーリング。おまけにヒーリングッと――あ」
どごすっ。
「~~~~!」
ダンフィルさんは、あまりに勢いよく上体を起こしたので、私の顎に頭突きをする羽目になりました。私は痛くないですが、ダンフィルさんは物凄く痛そうです。すごい音がしましたしね。頭を抱えて悶絶しています。
「大丈夫ですか? 気をつけてくださいね。ということで、ヒーリング。どうですか?」
「…………痛くない」
「それはよかった」
頭のことかと思ったのですが、ダンフィルさんはいきなり上半身をはだけた上、巻いてあった包帯すらも剥ぎ取って、自身の身体をつぶさに観察していました。うーん、ワイルドですね。
「傷が……治って、る……?」
「まあ、回復魔法をかけましたからね。治らないと困りますよ」
「は、ははは……」
ため息を吐くように息を漏らしたかと思いますと、ダンフィルさんは脱力して、下を向いたまま力なく笑いはじめました。どうしたというのでしょうね。
「やった……やった、やったー! やっぱすごいや、兄ちゃんは!」
対して、アンジーくんは狭い小屋の中を跳んだりはねたりの大騒ぎでした。元気いっぱい、喜びいっぱいな姿を見ていますと、こちらまで嬉しくなりますね。記憶通りのアンジーくんです。
(どうやら間に合ったようですね)
急いで王都を出発して以降――一時はどうなることかと心配しましたが、おふたりとも、無事でなによりです。
「ははは…………はあ。あの悲愴な思いはなんだったんだ……こっ恥ずかしくなってきた。なんかもう、どっと疲れたぜ。ってか、まさに生き返った気分だな」
ダンフィルさんはひとりそんなことを呟いていました。
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