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5巻
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しおりを挟む第一章 女王からの指名依頼
こんにちは。
私は名前を斉木拓未と申します。私事ではありますが、私もついに還暦を迎えることになりました。
平々凡々と暮らしてきて早六十年、こうして定年という人生の大きな節目のひとつに差しかかりまして。定年後は、勝手気ままにのんびり暮らしていこうなどと気楽に考えていたのですが……
不測の事態とは、こういう気を抜いたときにこそ得てして起こりやすいのかもしれません。なんの因果か若返り、今では異世界なる未知の地で、驚きの体験の日々を送ることになってしまいました。
魔王軍と呼ばれる十万もの大軍との戦いを皮切りに、魔物に魔窟に魔将と相次ぐ戦闘。さらに王都では王様暗殺未遂で指名手配され、国教の総本山ではお家騒動に巻き込まれ、果ては国家反逆罪の冤罪で投獄もされました。
急遽二部構成になった続編映画ではないのですから、いくら第二の人生とはいえ、あまりに第一部と変わりすぎるのもいかがなものかと思うのですが。
小市民を自負していた私にとりまして、あまりにあまりな仕打ちです。なんという神の悪戯――と思いきや、私がその『神』でした。
これでもかと我が身に降り注ぐ特異な物事の数々は、この『神』という立場に由来しているのでしょう。最近の〝神の試練〟とは、『神』が与える方ではなく、受ける方になっているのですね。寡聞にして知りませんでした。
しかし、意図せずに得た身に余る力ではありますが、それで助けられる者がいるのでしたら、差し伸べない手はありません。
つい先日などは、大勢の皆さんの協力により、魔王軍の手に落ちた王都を奪還することもできました。国内で敬遠し合っていた国軍・教会・冒険者ギルドの三者が互いに手を取り合ったのは、実に素晴らしいことかと思います。ついでに私利私欲に満ちた王様を廃し、清廉潔白な女王様が復位されたことで、この国も良い方向へと進むでしょう。
世情が一段落したところで、私はかねてからの約束通り、冒険者パーティ『青狼のたてがみ』の皆さんと行動をともにすることになりました。
リーダーのカレッツさん、メンバーのレーネさんにフェレリナさん、新規メンバーのアイシャさん、皆さんいい人ばかりです。そこに、ちょっとした裏事情はあるものの、『剣聖』井芹くんをサポートに加えた、私を含む総勢六人が、新生『青狼のたてがみ』のメンバーとなります。
こんな中身老年の私が若人に交じって活動するのは気恥ずかしくもありますが、同時にとても嬉しく思います。気のいい仲間たちに囲まれていますと、なにか心まで若返ってくる気がしますね。
そして、今から語る新たな出来事が起こったのは、私が彼らに合流し、しばらく経ってからのことでした――
◇◇◇
地道に訓練といくつかの依頼を重ね、冒険者パーティとしてどうにか形になってきたかと思えた頃――いつも通り、冒険者ギルドで次に受ける依頼を吟味しているところに、受付嬢のキャサリーさんからとある案件がもたらされました。
「指名依頼……ですか? 俺たちに?」
「ええ、そうよ。これね」
受付カウンター越しに差し出されたのは、真新しい一枚の依頼書でした。
カレッツさんが代表して依頼書を受け取り、訝しそうに眺めています。その両隣では、フェレリナさんとアイシャさんが覗き込み、背の低いレーネさんはカレッツさんの脇の下から首を突っ込んで興味深げな様子ですね。
「……して、〝指名依頼〟とはなんなのです?」
皆さんから数歩離れた位置で、私は隣の井芹くんを肘で突きました。
「一般の依頼は、冒険者ギルドという組織に対してなされるものだ。実際に依頼を受けるのは、ギルドに登録している不特定多数の冒険者のいずれかだな。対して指名依頼は、特定の冒険者に対してなされる。多くは馴染みの冒険者を使いたいという依頼主の意向だが、不用意に依頼内容を公示したくない場合にも用いられるな」
井芹くんが、〝壁〟のほうを親指でちょいちょいと示しながら、小声で教えてくれました。
ギルドに寄せられる依頼を書面にして貼り出す掲示板――通称、壁。たしかに、こっそりと解決してもらいたいような依頼でしたら、あそこに貼り出された時点で秘密もなにもあったものではありませんからね。
それにしても、わざわざ『青狼のたてがみ』を指名してくるとは、いったいどのような人なのでしょうか。
特定のお得意さまがいると聞いたことはありませんし、『青狼のたてがみ』がSSランクパーティといいましても、その事実は冒険者ギルドの一部と、冒険者のほんの一部にしか明かされていないはずです。対外的に『青狼のたてがみ』は平凡なEランク扱いなので、指名されるほどの重要な依頼はなさそうなものですが。
「ええっ!? これって女お――ふがもが!」
なにやら、皆さんが騒がしいですね。
カレッツさんがレーネさんの口元を押さえ、フェレリナさんとアイシャさんが彼女の上半身と下半身をそれぞれ抱えて、私たちの前をダッシュで通りすぎていきました。
井芹くんと揃って、ぽっか~んとして眺めていますと――
「ふたりもこっちに!」
カレッツさんからお呼びがかかりましたので、とりあえず隅のテーブル席に移動することにしました。
今日は他に数組の冒険者パーティがギルド内におり、私たちは彼らの注目を集めてしまっているのですが、カレッツさんたちはそれどころではないようです。どうしたのでしょうね。
総勢六名で丸テーブルを取り囲み、その中央に厳かに依頼書が置かれました。
依頼主の名は――ベアトリー・オブ・カレドサニア。
「……女王様ではないですか」
このカレドサニア王国が国主、その人でした。
「そーなの! なんで女お――ほがむがっ!」
カレッツさんが咄嗟にレーネさんの口を手で塞ぎます。
「し~! だから、大声出すなって! ってか、噛むな!」
ああ、先ほどの流れは、これでしたか。
「気持ちは理解できるけど……騒ぎすぎなのよ、レーネは。周囲に喧伝することはないでしょう?」
「あ痛たた……そうだぞ、レーネ。指名依頼は守秘が前提。冒険者のイロハだろ」
呆れたようにフェレリナさんが嘆息し、カレッツさんは歯型のくっきり残った右手を擦っています。
「そんくらい、あたいでもわかってるって! でもさ、あたいらに女王からの指名依頼だよ? 驚くなという方が無理でしょ!」
「レーネちゃんのいうことも、もっともですね。アタシはまだこのパーティに入って日が浅いのですが……こんな依頼が舞い込むとは、どなたか王家に所縁のある方でも?」
普段は物事に動じないアイシャさんでも、戸惑っておられるようですね。
「んなの、ないない! だって、指名依頼自体、初めてなんだから」
「そうね。わたしはエルフだし、リーダーは平民の出、レーネは商家の娘よね……」
「フェレリナのいう通りだよなあ。王都にはまともに行ったこともなければ、王家の人間と関わりがある者なんて――」
首を傾げたカレッツさんと、ふと目が合いました。
「あ」
続けて、フェレリナさんとレーネさんの視線もこちらに流れます。
「「――あ。ああっ!」」
「いたー!」
指を差さないでください、レーネさん。
我関せずの井芹くんを除いた三人がざわつく中を、アイシャさんだけがきょとんとしています。
「あの……タクミさんがなにか……?」
そうでした。この中で、アイシャさんだけは私の事情をまったく知らなかったのでしたね。
不意に皆さんが押し黙り、視線だけが私に向けられています。
この件はプライベート――というよりも、内容が内容だけに、私本人に無断で教えることはしないと、暗黙の了解がなされてきたことは知っていました。
私としましても、必要に迫られない限りは黙っていようと思っていたのですが……その迫られているのが今なのかもしれませんね。
ただ、井芹くんからは、初日に〝アイシャさんに注意しておくように〟との忠告も受けています。
(さて、どうすべきでしょうか……)
ちらりと井芹くんを窺いますと、またもや我関せずといったふうにお茶を啜っていました。判断は任せる、といったところでしょうか。
(そうですね……)
まだ半月程度といいましても、アイシャさんとは同じ冒険者パーティの仲間として過ごしてきた間柄です。
他のメンバーが知っていることを、いつまでも内緒にしておくこともないでしょう。私としましても、黙っているのを心苦しく感じはじめていましたから、いい機会なのかもしれませんね。
「……驚かないでくださいね?」
一応、前置きだけはしてから、アイシャさんに打ち明けることにしました。
私があの救国の三英雄、『勇者』『賢者』『聖女』と時を同じくしてこの世界に召喚された者であること――いわゆる異世界人であることを。
まあ、実際のところ、当時その召喚の儀に女王様はまったく関与していなかったわけですから、厳密には召喚されたことと今回の指名依頼に因果関係はないのですが。
さすがに、女王様と既知になった本当の理由――先の王都奪還における〝神の使徒〟のことを明かすわけにはいきませんからね。
ただそれでも、私が召喚された事実だけで王家に所縁があるのは明白ですし、今回の指名依頼の件についても納得はしてもらえるでしょう。
魔王軍との戦闘の詳細はぼかしましたが、召喚を経て『青狼のたてがみ』の皆さんと出会い、仲間となる約束をするにいたった一連の出来事までを話し終えたところで――
「あ! アイシャさん!」
カレッツさんの制止も虚しく、顔色を変えたアイシャさんは冒険者ギルドを飛び出していってしまいました。
仲間に得体のしれない異世界人が交じっていたことによるものか、それともパーティ内でひとり知らなかったという事実からか……どうやら、並々ならぬ衝撃を与えてしまったようですね。アイシャさんには悪いことをしました。
「黙ってたのは皆、共犯なんだからさ。タクミんもあんま気にしなくていいよ。んじゃ、あとはあたいらの出番かな」
「どんな信頼の篤いパーティでも、人数が集まったらこの程度の諍いはままあることよ。ちょっと行ってくるわね」
フォローのためでしょう、レーネさんとフェレリナさんが、アイシャさんを追いかけていきました。
「ありがとうございます。アイシャさんのこと、お願いしますね」
情けないですが、女性陣のことは同性である彼女たちにお任せしましょう。
こんなときに仲間がいるというのは、本当にありがたいものですね。
「で、残る問題はこちらというわけか」
ずっと黙していた井芹くんが、私にだけ聞こえるような小声で囁いてきました。
皆さんが慌ただしく席を立った際にテーブルから落ちた依頼書を拾い、手渡されます。
「……ええ、そうなりますね。こちらも心配です」
受け取った依頼書には……
――行方不明となった『勇者』を捜索してほしい――
簡潔に、そんな文面が綴られていました。
◇◇◇
冒険者ギルドのラレント支所を飛び出したアイシャ――イリシャは、そのまま近所の〝雄牛の角亭〟の二階へと駆け上がり、借りている一室のベッドに飛び込んだ。
枕に顔を埋めて声を殺しながら、幾度も拳をベッドに叩きつける。
(くっそ、ぬかった! なんてこった!)
それほどまでに、つい今しがた聞かされた事実は、イリシャにとって衝撃的だった。憤怒に焦燥、憎悪や絶望が混ざり合った感情で、思考がめちゃくちゃになりかける。
(――駄目だ、落ち着け。己は『影』。孤絶した暗殺者。自らの感情を殺し、心を鎮めよ)
暗示スキルの効能に近い自己暗示により、どうにか平静を取り戻す。
危うく、ギルド内で暴れ出してしまいそうだったと、今さらながらに肝を冷やした。そうなれば、これまでの苦労も、これからの目論見もすべて水泡に帰してしまう。
(まさか、召喚された第四の英雄がいたとはね……)
イリシャはベッドでごろんと仰向けになり、くすんだ宿屋の天井を見るとはなしに見つめた。
誤算ではあったが、逆に納得できる内容であったことは否めない。正体不明だった獲物の正体が判明したというだけだ。おかげで、これまで疑問や仮定に過ぎなかった事柄が、一本の線に繋がったともいえる。
事の発端として、王家は王都の危機にあたり、公示通りに召喚の儀を用いて異界より英雄を召喚し、これを退けることに成功した。
しかし、人数は三人ではなく、実は四人目がいた。それが、あの〝タクミ〟なる人物だ。
なぜ、四人目が秘匿されたのか……それはもちろん、目的があってのはず。
注目すべきは、その後に起こった教会の大神官の失脚劇。年々権力を増す教会の――大神官の増長に、王家が手を焼いていたのは公然の秘密として周知の事実。あえて三人だけを英雄と祭り上げることで国民の目を逸らし、裏で四人目を体のいい刺客として仕立てあげていたとしてもおかしくはない。
なにせ、十万もの魔物で構成された魔王軍と相対できるだけの実力に加え、あの暗躍に向く複製スキルだ。
それに、奴が教会の総本山、ファルティマの都を目指していたのも事実。あらゆる点が符合する。
これまで見聞きした情報を精査すると、推測の域は出ないにしろ、おそらく高い確率で王家の筋書きはこうだったはずだ。
魔王軍の王都侵攻を撃退した後、奴はほとぼりが冷めるまで、田舎村のペナントに身を潜めることを命じられた。後々、ファルティマの都で大神官を暗殺、もしくはそれに相当することを行なう予定だった。
しかし、ここで予想外の事態が起こってしまう。
『青狼のたてがみ』という冒険者パーティとの接触だ。これにより、〝タクミ〟という正体不明の強者の存在が冒険者ギルドに発覚してしまう。
追うギルドと、隠したい王家。
王家により秘密裏に王都へ呼び戻されたタクミを待っていたのは、予期せぬ冒険者ギルドの捜索網。秘匿していたつもりだった王家はさぞ焦っただろうが、国の組織立った綿密な手引きのもと、ギルドの執拗な包囲からタクミを無事に逃亡させることに成功した。
一方、ギルド側は相手が第四の英雄などということは露知らず、その脅威を知るところとなり怖気づき、勧誘のみならず追っ手まで差し向けてしまう。
遺憾ながら、白羽の矢が立ったのが、Sランク冒険者――この『影』というわけだ。
相手のバックに王家がいるとなれば、あの夜の刺客どもは悪名高い『鴉』に違いない。教会での大仕事の前に、近づいてきた怪しい人物を排除しようとした、といったところか。
裏の業界では、王家の汚れ役として有名な連中だ。あれだけの統率の取れた腕利き集団だったことにも説明がつく。
王家が女王の新体制になり、『鴉』も今では解体されたという噂だが、事実はあの夜の戦闘による死傷者で、壊滅状態になったと考える方が順当だろう。
予定外の邪魔は入ったものの、刺客である〝タクミ〟は結果、任務を成し遂げ、大神官は失脚した。
そして、王家が次に目をつけたのが、冒険者ギルドだと睨んでいる。
ギルドの組織力は国家を上回る。しかも、民衆からの支持は、王家を凌駕するほどだ。
表面上は王家とギルドは協力体制にあり、表立った諍いこそないが、国の頂点に座する者に並ぶ組織など排除したいと考えるのは、為政者として当然だろう。
そこで、王家は先の失態を逆に活かす一計を案じた。
それこそが、この冒険者パーティ『青狼のたてがみ』だ。
嘘は真実を混ぜることで真実味が増すという。偶然の出会いとその後のランク騒動、パーティに入ることを約束したのは真実だろうが、実際に承諾した理由と目的には裏がある。
相手が困っているからなどと、そんなつまらない理由で他人に力を貸す奇特な奴はいない。ただでさえ王家をバックに持ち、生活にも遊ぶ金にも困らない身の上だ。
真意のほどは知れないが、おそらく奴の目的は冒険者ギルドの中枢に入り込み、なんらかの事を起こすこと。今は、その準備段階といったところだろう。
『剣聖』が送り込まれてきたことからも、冒険者ギルド側も薄々はその正体に勘づいている。虎の子の『剣聖』の手札をこうも立て続けに切るとは、連中もよほど必死と見える。
しかし、仮にも冒険者ギルド側から奴にギルド加入を申し出た手前、獅子身中の虫となり得ようとも、今さら追い出すことはできない。信用第一を掲げるギルドだけに、上層部がそう判断を下すのも、馬鹿らしいが頷ける。
そこで、お目付け役としての『剣聖』だ。これなら、あのプライド高い『剣聖』が、こんな取るに足らない弱小パーティに与する理由に足る。
(経緯が判明したとしても、それはまあ、どうでもいいとして……)
そこで、現状に立ち返る。
あくまでも第一の目的は、奴の始末。それは変わらない。
ただし、バックに王家がついているのはどうにもいただけない。
王の交代というアクシデントがあったにせよ、今回の指名依頼が示すように、奴の飼い主が王から女王に移っただけで、王家が依然としてバックにいるという証明にはなった。
奴を殺せば、王家の有する組織力なら必ず足がつく。英雄を殺すのは暗殺者だが、暗殺者を殺すのは組織だ。それが国家規模となれば、いかな強者とて逃げきれるわけがない。
相手は憎い。恨んでも恨みきれない。これまで培った誇りと自信と尊厳を打ち砕き、あまつさえ生死の境の旅路を贈ってくれた返礼としては、万死でもまだ足りない。
しかし、そのために自らの命を捧げるなど、ごめん被る事態だった。
あくまで、骨の髄まで悔恨を与えて恨みを晴らしたのちに、足蹴にしたまま生きて高笑いをするのが目的だ。自分まで死んではただの心中、元も子もない。
(どうする……諦めるべきか……?)
諦観しかけたことに反吐が込み上げる。
(いや、駄目だ。殺る。絶対に。それは決定事項だったはず……!)
ここで諦めてしまっては、以前の孤高の『影』に戻ることなどできやしない。相手を殺せないどころか、自分を殺してしまう行為に等しい。
イリシャは自身を奮い立たせ、拳を固く握り締めた。
だが、もうひとつ気弱になる原因に、暗殺の算段すらいまだつかない状況がある。
パーティの連中――特に『剣聖』の目を盗んで何度か仕掛けてみたものの、依然として効果がなかった。
やりすぎて、『剣聖』に正体が露見してもまずい。なにせ、過去に一度、廃屋で命を狙ったことで、明確に敵対してしまっている。ここで、奴まで同時に敵に回すわけにはいかない。
やはり、〝タクミ〟が厄介なのは、様々な攻撃を無効化する効果を有した古代遺物――それすら複製できる驚愕のスキルか。
口惜しいが、さすがは召喚英雄といったところか。逆をいうと、それさえどうにか攻略してしまえば、あの素人じみた動きだけに、あっさりと片がつくに違いない。
常にあらゆる攻撃を無効化しているところからすれば、その効果がある古代遺物は、形状としては身につけるのが容易な小型の装飾品型なのだろう。
よほど用心深いのか、風呂に入っている最中でも決して外すことはないようだ。まあ、冒険者にとって命にも等しい希少な古代遺物を湯に浸ける行為自体は桁外れの蛮行だが、そもそもスキルでいくらでも複製できるとあっては、使い捨て感覚なのだろう。当然ながら、四六時中、身から離すこともないはず。
こうなると、残る手立てはひとつしかない。むしろ、当初の手段に立ち戻ったというべきか。
閨で着飾る男はいない。仮に用心深くとも、睦言で女が無粋と甘く囁けば、いうことを聞かない男はいない。
固有スキルの〈完全魅了〉が使えると楽だったが、今のアイシャという仮の姿では、正体を晒すという使用条件に見合わないため発動しない。初手で通じなかった以上、この自慢のスキルは完全に封じられたも同然だ。
前回の手痛い失敗からも、安い女では疑われる。舐めてかかると、再び反撃を食らうのはこちらだ。またしても返り討ちなど、それだけは冗談ではない。
ただでさえ『剣聖』やパーティの連中の目もある。面倒だが、しばらくは本物の仲間という心根で行動し、混じりけのない真の信頼関係を築き上げ、その上で気を惹き惚れさせて心酔させるくらいの入念な段取りが必要だろう。
色香で奴を籠絡し、王家すら裏切らせる。逃避行の末に死んだとあれば、王家もそれ以上は追及しまい。
(やってやる……やってみせる……)
要は、いつもの潜入調査の依頼となんら変わりない。
敵に交じりて油断させ、虚を衝き益を得る――『影』の最も得意とする分野である。
室外からドアをノックする音がした。おおかた、あの甘っちょろく温いパーティの連中だろう。
飛び出したメンバーを心配して慰めにでも来た、そんなところか。
まったくもって下らない理由すぎて、胸糞悪くて反吐が出る……のではあるが、これからしばらくはその同類を装い、仲良くお友達ごっこをして過ごさねばならない。
(さて、言い訳はどうしよう? ひとりだけ除け者にされていたことにショックを受けたとでもするかな。そして、最後にこう加えとくか、「だけど、そんな大事なことを話してくれて嬉しかった。これからも仲間として仲良くしてくださいね」なんてな。けけっ!)
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