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第9章 訓練兵と神隠し
明かされる真実 ②
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「なんだ、かようなことまで疑っていたのか? 儂らの過去の背景に加え、あの状況では致し方なしかもしれんがな」
井芹くんはあっけらかんと答え、平然と煮物に箸を伸ばしています。
困りましたね。それが嘘にしろ誠にしろ、井芹くんに否定された今となっては、真相を知る術がありません。
「それでは、別の質問をさせてください。井芹くんは、シロンさんから助力を求められたら応じると即答しましたよね。そのせいで、大勢の犠牲者が出るとしても構わないと。では、次は直接、人間に手を下してほしいと頼まれたら……私たちと敵対することになるとしたら……どうしますか?」
煮物の生姜を挟んだまま、井芹くんの箸が止まります。
井芹くんには答えづらい、踏み込んだ質問であることは理解しています。
井芹くんには井芹くんの立ち位置があり、信条なり正道があります。
その上で、確認しておかねばなりません。
問題はこれまでではなく、これからなのです。
私だって、井芹くんを信じたい。これからも、信じていきたい。
だからこそ、最低限でもそこははっきりさせないといけません。
「儂には恩義に報いる覚悟がある。そのための犠牲も厭わんつもりだ。だが……斉木と死合う、か……そのような局面を迎えることになったら……」
井芹くんは箸を置いてわずかに瞑目してから――真っ直ぐに私を見ました。
瞬間、移ろいだ表情は、なんとも形容しがたく――はじめて井芹くんの心の内が垣間見えた気分でした。
「……ふっ、どうするのだろうな? 本音で語ると、儂自身にもいざそのときにならんとわからんよ」
「そうですか……そうですよね」
曖昧な回答でしたが、その場凌ぎに取り繕うのではなく、率直に答えてもらったことは、むしろありがたいことでした。
井芹くんとシロンさんの過去は、余人が立ち入れるものではないでしょう。
それを踏まえて、私とシロンさんを同じ天秤の上に乗せてくれていることを、喜ぶべきかもしれません。
「ただ、言っておいてなんだが、現実にそんな事態はまず起こるまい」
「……どうしてです?」
「あやつが儂に、そのようなことを求めることがないからだ。あやつは己が事情に、儂を巻き込むのを極力避けたがっておってな。あやつはああなってしまっても、儂に累が及ばぬようにと気遣ってくれている。難儀なことに、あやつにとって、今でも儂は守るべき小さな童なのだろうよ……」
そう告げる井芹くんは、どこか淋しげでした。
物静かに、箸休めのらっきょうを齧っています。
「儂と違い……あやつの時間は、この世界に対する憎しみに染まったままで止まってしまっている。今のあやつは、己を害した者を断罪することに躊躇はない。対象の善悪問わずな。斉木もあやつと再び対峙することもあろう。願わくば――むっ!?」
井芹くんの吸い物を啜る手が止まります。
「隠し味に柑橘果汁を用いるとは……また腕を上げたな、主人。悪くない、ふふっ」
表情は真剣なままなのですが、なにかいろいろと台無しです。
結構、真面目な会話をしているはずなのに、ずっと食事の手を休めてくれない井芹くんが悪いのか、食事時にこんな話をしている私が悪いのか、どちらなのでしょうね。
ですが、現段階で、井芹くんに敵対の意思がないこと、少なくとも望んでもいないことを知れたのは収穫でした。
これで光明も見えましたね。
戦力としての実利的なこともですが、なにより私の心情的にも。
シロンさんとの関係性で不安は残りますが、解決できない問題でもないように思えます。
いっそ、シロンさんを元の人間に戻す手段を探るのも、アリかもしれませんね。
こういうときの私の勘は、よく当たりますから。
そうそう、そういえば井芹くんには最後にもうひとつ、肝心な質問があったのを忘れていましたね。
先ほどの廃墟では、井芹くんのことで気が動転していたせいで、頭もまともに回転していませんでしたし。
「<森羅万象>で視たのですが……都が滅ぶあの日、井芹くんたちの前に現われ、シロンさんをあのように変貌させてしまった青年の正体とはなんだったのか、知っていますか?」
定食をきれいに平らげた井芹くんは、食後のお茶を飲んでいました。
湯呑を口から離さないまま、ちらりと視線だけがこちらに動きました。
「奴はあのとき自らを『神』と称した。だが今は……『魔王』と名乗っている」
「なるほど」
ずずっと、井芹くんが静かにお茶を啜る音が聞こえます。
私もお茶を急須から注ぎ足しまして、井芹くんに倣います。
「あいよっ、よくばり定食お待ち!」
「さっき頼んだ分、まだっすかー?」
「おばちゃん、ご飯お代わりで!」
「おかーさん、おにーちゃんがわたしのおかず取ったー!」
「取ってねーって!」
「へい、新規おふたりさん、いらっしゃーい!」
ここは地域でも有名店みたいですね。
さもありなん、これだけ美味しい食事を安価で提供しているのですから納得です。
昼の時間は過ぎてもお客さんはひっきりなしで、田舎の古民家を思わせる年季の入った店内は、騒がしいほどに混み合っています。
料亭が伝統と静けさを売りとするなら、この定食屋は懐かしさと賑やかさを売りとしているのでしょうね。
どちらもそれぞれの良さがあり、甲乙つけがたいことです。
「…………」
ま、それはさておき。
……今、さらっととんでもない驚愕の真実が明かされませんでしたかね?
それって、こんな場所で食事のついでみたいに話していい内容なのでしょうか?
井芹くんはあっけらかんと答え、平然と煮物に箸を伸ばしています。
困りましたね。それが嘘にしろ誠にしろ、井芹くんに否定された今となっては、真相を知る術がありません。
「それでは、別の質問をさせてください。井芹くんは、シロンさんから助力を求められたら応じると即答しましたよね。そのせいで、大勢の犠牲者が出るとしても構わないと。では、次は直接、人間に手を下してほしいと頼まれたら……私たちと敵対することになるとしたら……どうしますか?」
煮物の生姜を挟んだまま、井芹くんの箸が止まります。
井芹くんには答えづらい、踏み込んだ質問であることは理解しています。
井芹くんには井芹くんの立ち位置があり、信条なり正道があります。
その上で、確認しておかねばなりません。
問題はこれまでではなく、これからなのです。
私だって、井芹くんを信じたい。これからも、信じていきたい。
だからこそ、最低限でもそこははっきりさせないといけません。
「儂には恩義に報いる覚悟がある。そのための犠牲も厭わんつもりだ。だが……斉木と死合う、か……そのような局面を迎えることになったら……」
井芹くんは箸を置いてわずかに瞑目してから――真っ直ぐに私を見ました。
瞬間、移ろいだ表情は、なんとも形容しがたく――はじめて井芹くんの心の内が垣間見えた気分でした。
「……ふっ、どうするのだろうな? 本音で語ると、儂自身にもいざそのときにならんとわからんよ」
「そうですか……そうですよね」
曖昧な回答でしたが、その場凌ぎに取り繕うのではなく、率直に答えてもらったことは、むしろありがたいことでした。
井芹くんとシロンさんの過去は、余人が立ち入れるものではないでしょう。
それを踏まえて、私とシロンさんを同じ天秤の上に乗せてくれていることを、喜ぶべきかもしれません。
「ただ、言っておいてなんだが、現実にそんな事態はまず起こるまい」
「……どうしてです?」
「あやつが儂に、そのようなことを求めることがないからだ。あやつは己が事情に、儂を巻き込むのを極力避けたがっておってな。あやつはああなってしまっても、儂に累が及ばぬようにと気遣ってくれている。難儀なことに、あやつにとって、今でも儂は守るべき小さな童なのだろうよ……」
そう告げる井芹くんは、どこか淋しげでした。
物静かに、箸休めのらっきょうを齧っています。
「儂と違い……あやつの時間は、この世界に対する憎しみに染まったままで止まってしまっている。今のあやつは、己を害した者を断罪することに躊躇はない。対象の善悪問わずな。斉木もあやつと再び対峙することもあろう。願わくば――むっ!?」
井芹くんの吸い物を啜る手が止まります。
「隠し味に柑橘果汁を用いるとは……また腕を上げたな、主人。悪くない、ふふっ」
表情は真剣なままなのですが、なにかいろいろと台無しです。
結構、真面目な会話をしているはずなのに、ずっと食事の手を休めてくれない井芹くんが悪いのか、食事時にこんな話をしている私が悪いのか、どちらなのでしょうね。
ですが、現段階で、井芹くんに敵対の意思がないこと、少なくとも望んでもいないことを知れたのは収穫でした。
これで光明も見えましたね。
戦力としての実利的なこともですが、なにより私の心情的にも。
シロンさんとの関係性で不安は残りますが、解決できない問題でもないように思えます。
いっそ、シロンさんを元の人間に戻す手段を探るのも、アリかもしれませんね。
こういうときの私の勘は、よく当たりますから。
そうそう、そういえば井芹くんには最後にもうひとつ、肝心な質問があったのを忘れていましたね。
先ほどの廃墟では、井芹くんのことで気が動転していたせいで、頭もまともに回転していませんでしたし。
「<森羅万象>で視たのですが……都が滅ぶあの日、井芹くんたちの前に現われ、シロンさんをあのように変貌させてしまった青年の正体とはなんだったのか、知っていますか?」
定食をきれいに平らげた井芹くんは、食後のお茶を飲んでいました。
湯呑を口から離さないまま、ちらりと視線だけがこちらに動きました。
「奴はあのとき自らを『神』と称した。だが今は……『魔王』と名乗っている」
「なるほど」
ずずっと、井芹くんが静かにお茶を啜る音が聞こえます。
私もお茶を急須から注ぎ足しまして、井芹くんに倣います。
「あいよっ、よくばり定食お待ち!」
「さっき頼んだ分、まだっすかー?」
「おばちゃん、ご飯お代わりで!」
「おかーさん、おにーちゃんがわたしのおかず取ったー!」
「取ってねーって!」
「へい、新規おふたりさん、いらっしゃーい!」
ここは地域でも有名店みたいですね。
さもありなん、これだけ美味しい食事を安価で提供しているのですから納得です。
昼の時間は過ぎてもお客さんはひっきりなしで、田舎の古民家を思わせる年季の入った店内は、騒がしいほどに混み合っています。
料亭が伝統と静けさを売りとするなら、この定食屋は懐かしさと賑やかさを売りとしているのでしょうね。
どちらもそれぞれの良さがあり、甲乙つけがたいことです。
「…………」
ま、それはさておき。
……今、さらっととんでもない驚愕の真実が明かされませんでしたかね?
それって、こんな場所で食事のついでみたいに話していい内容なのでしょうか?
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