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3巻
3-2
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「……ふむ? よく理解できんが、時代の流れというものか? あちらの常識も変わったのだな」
「さて……どうなのでしょうね? 私はつい先日までその日本に住んでいたはずなのですが、そこらへんはとんと」
還暦ふたりで悩みますが、答えは出ません。悩むだけ無駄な気はします。
「とにもかくにも、ようやく斉木も己の立ち位置を理解してくれたようでなによりだ。前置きが長くなりすぎたな。斉木がもう少し面倒臭くなければ、これほど手間はかからなかったのだがな」
〝ようやく〟の部分に、やたら熱がこもっています。耳が痛いですね。
とはいえ、私としましても、これまでいろいろと謎として放置していた疑問に解答を得ましたので、ありがたいことではあります。ただし、必ずしも手放しで喜べる結果ではありませんでしたが。
(まだ信じられません……私が神様。……もしや、ドッキリとかではないですよね?)
ちらりと井芹くんを見遣りますと、すんごい目で睨み返されました。しつこいといわんばかりです。
「さて、これでやっと本題に入れる」
「本題、ですか……?」
「まずはおさらいだ。斉木は肉体強度は金剛石以上、逆に力は金剛石をも砕く。さらには、あらゆる無効化スキルで、この世の一切の物理攻撃は通じない。剣や矢でも斬られず刺さらず、いかな高位魔法であろうとも、髪の毛一本すら灼くことができない。そして、どんな猛毒や薬物も効果がないとくる」
もはや、化物か怪物の類にしか聞こえませんね。
「……なんだか逆に不安を煽ろうとしてませんか?」
「偏屈な斉木は、これくらい過分にいい聞かせておかないと、受け入れようとしないだろう?」
井芹くんは揶揄するように薄ら笑いを浮かべていますが、その瞳にはどこか真摯なる意志が宿っているようにも見受けられます。
「そこで質問だ。なに、身構えなくていい。単なる私的な好奇心の延長のようなものだ。さて、そんな存在となった斉木は、これからどうするつもりだ?」
これから……ですか。
ラレントの町へ行って冒険者に――というのは、井芹くんが求めている答えとは違うのですよね、きっと。
そういえば、神様って冒険者になれるのでしょうか……ああ、いけませんね。また思考が脱線を。悪い癖です。
井芹くんが問いたいのは、〝神様として〟今後どうするか、ということなのでしょう。
(どう答えるべきですかね……?)
しばらく悩んでから、思い浮かんだ答えを率直に伝えることにしました。
「特にはなにも」
「なにも……とは?」
井芹くんの目が細められます。
「捻りはありませんよ。そのままの意味ですね。神様として誰かから指示でもあれば別なのですが、今のところそういったものはないようですし……なにをどうこう変えるつもりはありません。今まで通り、気ままに過ごすつもりです。そんなところでしょうか」
「何者にも屈せぬ力と、不滅の肉体を手にして、世のすべてが思いのままだというのに? 今の斉木なら、素手で火山を掘り進んで、全裸で地下のマグマ溜まりを風呂代わりに泳いでも、ダメージひとつ負わないような人外っぷりだというのに?」
なんですか、そのたとえ。
すごいというニュアンスは伝わりますが、そのようなことをしては、神様というよりただの変態ではないですか。
「う~ん、興味ありませんね。人間、平凡に生きていくのが一番ですから。便利かなーくらいは思いますけど」
「なんでもできるのだぞ? その力を使ってやろうと思うことが、ひとつくらいはないのか?」
困りましたね。そんなことを急に迫られましても思いつきません。
「あ、強いていうのでしたら……」
「やはりあるか、それは?」
「ジャムの蓋を開けるときに便利そうですよね」
「…………はあ?」
井芹くんの肩がかくんとこけました。
「いえ、ジャムの蓋ですよ。あれって憎らしいくらいに固いことがあるじゃないですか。タオルを使っても、叩いても、温めても全然駄目で。あげく手首を痛めたりもしますので、あっさり開けられるのは便利ですよね」
「いや、解説はいらない」
あれっ? 現状で思いついた利便性を素直に話したつもりだったのですが。これ、駄目ですか? 駄目なんですか? 固い蓋がすぱんっと開いたら、気持ちよくないですか?
「って、こちらの異世界にも、ジャムの瓶ってありましたっけ」
「ふふっ、ふくく……はぁーっはっはっはっ!」
突然、堪え切れないとばかりに、井芹くんが大笑いを始めました。
「いや、すまんすまん。あまりに予想外でな、意表を突かれた。そこで出てくるのがジャムの蓋とは……本来ならふざけるなと憤るべきところだが、本心からいっていそうなあたり、お主らしいというべきか」
なんでしょう。貶されているのでしょうか。
「真面目な話もしますと、もし私が今の見た目くらいの年齢でしたら、もしかすると野望なり野心なりを持ったかもしれませんね。ですが、私もこの歳になるまで……人生の酸いも甘いも味わってきました。己の人としての身の丈というものも心得ています。孤高を気取っただけの孤独より、人の輪に交じって一緒に仲良く暮らしたほうが、楽しいに決まっているじゃないですか」
だからこそ、特になにをする気もありません。
もちろんこれまで通り、周りで助けを求めている人がいたら助けますし、困っている人がいたら手助けもしましょう。悪い人がいたら憤るでしょうし、害となる生物がいたら退治することもあるかもしれません。
ただ、それは〝私〟の判断基準であり、〝神〟の判断基準ではありません。なにかの手違いか、私は神様になったようですが、進んで神様になるつもりはありません。
そもそも本当に全知全能の神様でしたら、万物に等しく公平な裁きなりを行なうこともできるでしょうが、生憎と私にはそういった知識も力もありません。なにせ、私は固有の感情を持つただの個人なのですから。
間違いだらけの権力者など、他にとっては害悪でしかないでしょう。
「ですので、私はこれまで同様、喜怒哀楽を持つ一個人〝斉木拓未〟として、暮らそうと思っています」
「……斉木の考えはよくわかった。であればこそ、儂はお主に手向けを渡しておこう。身構えよ」
「井芹くん……?」
後ろ向きに歩き出した井芹くんが、十歩ほど離れた距離で止まります。両手をだらんと下げてリラックスした状態ですが、尋常ではない闘志が噴き出しているように感じます。
帯刀した柄に手は触れられていません。しかしながら、先ほどの居合抜きを仕掛けてきたときと似通った気配があります。
気圧されるように、全身に身震いが走りました。
「歯を食いしばっておけ、斉木。これはいかなお主でも避けられん」
井芹くんの無手が、すっと上段に掲げられました。
これは――
「――必中必滅、秘の太刀〈神殺し〉――!」
なにが起こったのかわかりませんでした。
気がついたときには、井芹くんが背後にいて……身体を真っ二つにされたような激痛が全神経を支配していました。
あまりの衝撃に、苦痛の呻きを発することもできずに、私は地面に両手を突いて蹲ってしまいます。
井芹くんは刀を抜いていませんでしたが、なにかに斬られたのは確実です。しかも、その斬られた瞬間をまったく認識できませんでした。
井芹くんが手を掲げた直後、事は既に完了していました。まるで過程を飛び越して、結果だけを与えられた気分です。
吐き気がします。悪寒と冷や汗が止まりません。たしかに直感したのは、〝死〟の気配でした。
「ふむ。やはり死には至らぬか。だがまあ、上出来といったところか」
「……くっ、井芹くん……今のは……?」
ようやく、動けるようにはなってきました。
膝に手を突き、どうにか上体を起こしたところで、井芹くんが手を差し伸べてきます。
「ステータスを見てみろ」
レベル2
HP 8952037
MP 9999999
ATK 999999
DEF 999999
INT 999999
AGL 999999
職業 神
HPは体力でしたよね。生命力とも言い換えられるとか。それががっつり減ってしまっています。
「ほう……実際に与えるダメージは百万ほどだったか。これまで対峙した、どんな魔物も一撃必殺だったが……それだけのHPを有する敵がいなかったということか。ふむ、勉強になる」
なにか、物凄く物騒なことを告げられている気がするのですが。
「スキル〈神殺し〉――不可視の刃による、射程無効、防御力無視、回避不可の必殺技だ。技名は名前負けだと、たった今判明したがな」
いえあの、これ私がレベル1のときでしたら、数値的に普通に死んでいた気がするのですが。
「これが手向けですか? なんとも手荒いですね」
「ああ、そうだ。今の斉木の心根には感心する。だが、人とは心変わりする生き物だ。おそらく斉木はいまだ真なる神として覚醒してはいまい。これは人間以上、神未満の〝斉木拓未〟への贈り物だ」
なるほどですね。
つまりは驕るべからず、という訓示なのでしょう。もっとはっきりと、警告や脅迫とでも表わすべきでしょうか。
いかな神様とはいえ、処断できる者はいる。道を踏み外した末路は覚悟しろ――そういうことでしょう。あの大神官様のように。
「儂はお主を存外気に入った。叶うなら、同郷の同級生を手にかけるような真似をさせてくれるなよ、斉木」
「ええ。肝に銘じておきましょう、井芹くん」
死ぬほど痛かったですが、これがこの生死の移ろいやすい世界で半世紀も生き抜いてきた井芹くんなりの、激励であり優しさというものなのでしょうね。
――本当に痛かったですが。ものすっっっごく、痛かったですが。涙がちょちょぎれてしまいましたが。はふぅ。
「さて。これで儂の用事も終わりだ。手間を取らせたな」
「いいえ、私にとっても有益な時間でした。とんだサプライズもありましたが。井芹くんはこのために、わざわざファルティマの都まで?」
「もとは冒険者ギルドからの依頼でな。正体不明のお主を……ギルドまで連れてこいとの依頼だった」
その間が少し気になりますが、なんでしょうね。
「だが、斉木はあの若手の冒険者パーティに加入するのだろう? 待っていればラレントのギルドに自ら赴くというのなら、依頼自体に意味がなくなった。ならば、後は儂の個人的な用件を済まそうと、そう思い立ったまでよ」
よくご存知でしたね。と思ったら、さり気なくあの喫茶店で話の輪に加わっていましたね。
思い返しますと、なんとも豪胆な盗み聞きでした。さすがは『剣聖』。職業が関係あるかはわかりませんが。
……おや? ラレント?
「あ~~!? 定期馬車の出発の時間がぁ!」
どうしましょう。すっかり忘却の彼方でした。
あれから、どれくらい時間が経ちましたっけ。三十分? 四十分?
神様待遇で待ってもらえるとかないのでしょうか。ないですよね、やっぱり。
「落ち着け、斉木。これから冒険者となろうという者が、そんな無様な姿を晒してどうする。冒険者心得その一、焦ったときこそ慌てるな」
井芹くんが落ち着き払った様子で、外壁沿いの道の一点を指さします。
「仮にも冒険者志望なら、周囲の状況確認を怠らないことだ。心得その二だな。そこからなら停留所まで近道になる。十分もかかるまい」
「おおっ、助かります!」
さすがは冒険者としての大先輩(まだ未加入ですが)だけはありますね。
「それでも、結構ギリギリっぽいですね。では、またお会いしましょう。今度は時間制限なしに、もっとゆっくりと話したいものです」
「どうせお互いに時間とは無縁の身だ。気長に待っておるよ」
思わぬ場所での思わぬ相手との出会いでしたが、同い年の友達というものはいいものですね。
これからは同じ冒険者。またどこかで会うこともあるでしょう。長い付き合いになりそうですね。
◇◇◇
私は今、かねてよりの冒険者となる約束を果たすべく、ラレントへの旅路の真っ最中です。
神様と自認してのこれからに、心配の種は尽きません。
――などと思っていた矢先。
「……どうしてこうなったのでしょうね?」
目の前には分厚い鉄格子。周囲を囲むのは、冷たい石壁に石畳。つまり、昔ながらの牢獄というやつです。
なぜか捕縛され、投獄されてしまいました。はい。
思い起こせば三日前。ファルティマの都からの定期馬車に飛び乗り、その後は乗合馬車を乗り継いで、ラレントの町へ向けての順風満帆な旅路――のはずだったのですが。
途中で立ち寄ったノラードという町で逗留手続きをする際に、突然詰めかけた役人さんたちに御用となってしまい、あえなくこのざまです。
さらに、告げられた罪状は『国家反逆罪』ときたものです。こちらの世情にいまだ詳しくない私でも、文字面で大それた罪であろうことは推察できます。
どうも数日前から、私は賞金首として指名手配されていたようですね。なんでも宿場町マディスカで、秘匿任務に当たっていた、王家に仕える専属人員を大量虐殺せしめたとかなんとか、そういう理由のようです。
当然ながら、身に覚えは一切ありません。
たしかにマディスカの町には、ファルティマ行きの馬車を待つために、数日ほどご厄介になっていましたが……それだけです。別段、特筆すべきこともなく、平穏無事な毎日でした。
殺傷事件が起こっていたなどとは、ついぞ耳にしませんでしたから、そこら辺に行き違いがあるのでしょう。
冤罪には違いないでしょうが、ご丁寧に私の顔写真付きの手配書です。現場の役人さんたちに訴えかけても、上からの指令は絶対とのことでして、現状ではどうしようもなさそうです。近日中には王都に移送されて、公開処刑されるとか。
なんでしょうね。これも神の試練というやつでしょうか。
ですが、神の試練とは神様が与えるもので、神様は試練を受ける側ではなかったような気がしますが。
指名手配したのは、あのメタボな王様らしいですので、いっそ大人しく王都まで連れていってもらい、直談判して冤罪を晴らすのが手っ取り早そうですね。
ただ、これでまた、カレッツさんたち『青狼のたてがみ』のみなさんと合流するのが遅くなってしまいそうです。
申し訳ないですから、連絡など取れるとありがたいのですが……難しそうですよね。
まあ、指名手配犯がお仲間というのも問題でしょう。すべては容疑が晴れてから、といったところでしょうか。
牢屋とはいえ雨露は凌げますし、食事もきちんと出るようです。正直、路銀も心許なかったですし、これはこれでありかもしれません。大人しく待つことにしましょうか。
◇◇◇
時を遡ること一週間ほど前――王都カレドサニアの王城に、密かに一通の便りがもたらされた。
便りは数多の複雑な手順を経て、とある貴人の私室へと届けられる。
「はあ!? 『鴉』が全滅!? しかも、その事件が表沙汰にだと! なんだそれは!?」
私室を揺るがすように、男性の甲高い怒声が響き渡った。
私室の主にして王城の主である、国王メタボーニが声を荒らげるのも無理はない。
『鴉』といえば、王直属の秘密部隊。表には出せないような王国内部での裏事情の処理を担う、いわば掃除屋。性質上、本来、存在自体が秘匿されるべきものである。
任務遂行のために構成員が死ぬのは珍しくもない。替えはいくらでも利くので、それはいい。だが、その痕跡が残されたまま表沙汰になったのは、由々しき事態だった。
「全滅と申しましても、マディスカに居合わせた三十人のみです」
「何人死んだかなど問題ではない! そのような些事を問題にしているのではないわ!」
宮廷魔術師長アーガスタの報告に、メタボーニ王は飲みかけだった酒の杯を投げつけた。
杯はあらぬ方向に飛んでいき、高価な絨毯を敷き詰めた床に中身がぶちまけられ、赤い染みを作っている。
くるくると転がる杯を一瞥してから、アーガスタは頭を下げた。
「叱責は甘んじてお受けいたします。マディスカは、かの教会の影響下にありまして、隠蔽工作が及びませんでした。しかしながら、連中の身元はあらゆる書類上からも抹消されておりまする。連中の亡骸から、こちらとの繋がりを悟られる心配はございません。また此度の件は、物取り集団の返り討ちとして処理いたします。その点につきましては、ご安心ください」
「……ちっ、ならばよかろう」
やや落ち着いたメタボーニは、酒を注ぎ直そうとして、杯が失われていたことに気づき――テーブルに置いていた酒のボトルを無造作にラッパ飲みした。
平民では一年働いても手が届かないほどの高級な酒を、王は味わう余韻もなく喉奥に流し込んでいく。
盛大なげっぷを吐いてから、王は空になったボトルをテーブルに叩きつけるように置いた。
「して、『鴉』どもを皆殺しにしたというのは彼奴めか?」
『鴉』の構成員は、もとは裏社会に属していたならず者や荒くれ者、重犯罪者上がりばかり。もはや追い詰められ、後がなくなった人間から選りすぐられている。
国の庇護から見離されると、連中の行く末に待つのは惨めな死しかない。ゆえに、彼らにとって『鴉』は最後の拠り所となっている――ひいては飼い主のメタボーニとアーガスタに、絶対の忠誠を誓うことになっているのだ。
連中より腕の立つ輩など、いくらでもいるだろう。しかし、こと荒事や謀略の類にかけては――手段を選ばないという一点で、連中は一流の暗殺者にも引けを取らない。
むしろ、集団として機能する限りは他の者を凌駕するだろう。だからこそ任務遂行率は百パーセント。裏の汚れ仕事を任せるに足る組織であったはずなのだ。
敵の大軍団を打破するのは偉大な英雄かもしれない。が、その英雄を弑するのは、いつの世も名もなき暗殺者だ。どのような傑物であろうとも、四六時中注意を怠らず、外敵を排するのは人の身には不可能といっていい。
しかも今回の標的は、英雄でもなんでもない凡人。任務遂行に忠実な『鴉』どもだけに、手を抜いたとは考えづらい。任務に失敗した者の末路は、かつての仲間の最期で嫌というほど身に染みているはず。
となれば、入念な計画を練った上で、この散々たる結果だったことになる。三十人が返り討ちなどと、どうにも現実味がない。
「運よく生き残った者の話ですと――」
「……生き残った?」
「失礼しました。もちろん、当時生き残っていた者、という意味でございます」
「であろうな。任務失敗して生き恥を晒すなどあり得ぬ」
「はっ。その者の話によりますと、標的の寝込みを襲ったはずが、逆に待ち伏せされていたと……単身なれど、とてつもない強さを持った者であったとのことです」
「ふがいない! たったひとりにこのざまか!? 躾が弛んでおるのではないか、アーガスタ!?」
「お叱りはごもっともにございます。不徳の致すところです。ですが、連中が及ばなかったのは、その者もまた同業者であったからかと」
「同業……暗殺者ということか?」
「はい。同じ暗殺技能持ちなれば、お互いに手の内も読めるゆえ、単純な技量比べになりましょう。多人数で狭い個室を狙ったのが、仇となったのやもしれませんな。もしや、そこからして罠の範疇であったのかもしれません。超一流と呼ばれる真の暗殺者なれば、状況を利して数の不利など覆せましょう」
「ま、待て待て待て待て――! であれば、彼奴めはそれほどの暗殺技能を有しているということか!? 冗談ではないぞ! 彼奴が逆恨みでもして、わしの命を狙ってこようものならどうするつもりだ!? どどど、どうする、アーガスタ! おぬしの失策だぞ!? こうなれば、警備の兵を倍――いや、三倍にして――」
「お待ちください、王よ。おそらく、そこにいたのは、別人かと思われまする」
「な、なに! 本当か!?」
「仮面をつけ、黒ずくめではありましたが、体格は小柄で似ておらず、肢体からも、ともすれば女ではないかと。それに深手を負わせており、まだ満足には動けない状態のはずです」
「そ、そうか……驚かせおって」
メタボーニは体裁を整えるように、わざとらしく咳払いをする。
「つまり、彼奴めは襲撃を察知し、凄腕の日陰者を雇うなりして、罠を張っていたということか……危険だな」
「御意。裏にそのような伝手を持つ者なれば、単なる凡人とも思えません。もともと、目的も知れぬ不穏な輩。既にファルティマの『聖女』とも面会を果たしたことでしょう。このまま放置しておけば、反旗を翻してくるやもしれません」
「うむむ……」
「この私めに、妙案がございます」
「なにっ!? 真か?」
「はい。此度のことを、逆に利用するのです。『鴉』らは、ご存じのように身元不明の集団。ならば、王の勅命を受けて行動していたことを明かすのです。もちろん、真っ当な正規の部隊と称して。さすれば、任務の妨害どころか、虐殺した罪は国家への反逆にも相当しましょう」
「おお、なんとっ! でかしたぞ、アーガスタ! まっこと妙案であるな!?」
英雄を殺すのは、暗殺者。しかし、その暗殺者を罰するのは組織である。
いかな腕の立つ暗殺者も、個人では集団には敵わない。ましてやそれが国家ともなれば、誰も太刀打ちできるわけがない。正義という大義名分を得た時点で、国家は最強の暴力装置と化す。
「さて……どうなのでしょうね? 私はつい先日までその日本に住んでいたはずなのですが、そこらへんはとんと」
還暦ふたりで悩みますが、答えは出ません。悩むだけ無駄な気はします。
「とにもかくにも、ようやく斉木も己の立ち位置を理解してくれたようでなによりだ。前置きが長くなりすぎたな。斉木がもう少し面倒臭くなければ、これほど手間はかからなかったのだがな」
〝ようやく〟の部分に、やたら熱がこもっています。耳が痛いですね。
とはいえ、私としましても、これまでいろいろと謎として放置していた疑問に解答を得ましたので、ありがたいことではあります。ただし、必ずしも手放しで喜べる結果ではありませんでしたが。
(まだ信じられません……私が神様。……もしや、ドッキリとかではないですよね?)
ちらりと井芹くんを見遣りますと、すんごい目で睨み返されました。しつこいといわんばかりです。
「さて、これでやっと本題に入れる」
「本題、ですか……?」
「まずはおさらいだ。斉木は肉体強度は金剛石以上、逆に力は金剛石をも砕く。さらには、あらゆる無効化スキルで、この世の一切の物理攻撃は通じない。剣や矢でも斬られず刺さらず、いかな高位魔法であろうとも、髪の毛一本すら灼くことができない。そして、どんな猛毒や薬物も効果がないとくる」
もはや、化物か怪物の類にしか聞こえませんね。
「……なんだか逆に不安を煽ろうとしてませんか?」
「偏屈な斉木は、これくらい過分にいい聞かせておかないと、受け入れようとしないだろう?」
井芹くんは揶揄するように薄ら笑いを浮かべていますが、その瞳にはどこか真摯なる意志が宿っているようにも見受けられます。
「そこで質問だ。なに、身構えなくていい。単なる私的な好奇心の延長のようなものだ。さて、そんな存在となった斉木は、これからどうするつもりだ?」
これから……ですか。
ラレントの町へ行って冒険者に――というのは、井芹くんが求めている答えとは違うのですよね、きっと。
そういえば、神様って冒険者になれるのでしょうか……ああ、いけませんね。また思考が脱線を。悪い癖です。
井芹くんが問いたいのは、〝神様として〟今後どうするか、ということなのでしょう。
(どう答えるべきですかね……?)
しばらく悩んでから、思い浮かんだ答えを率直に伝えることにしました。
「特にはなにも」
「なにも……とは?」
井芹くんの目が細められます。
「捻りはありませんよ。そのままの意味ですね。神様として誰かから指示でもあれば別なのですが、今のところそういったものはないようですし……なにをどうこう変えるつもりはありません。今まで通り、気ままに過ごすつもりです。そんなところでしょうか」
「何者にも屈せぬ力と、不滅の肉体を手にして、世のすべてが思いのままだというのに? 今の斉木なら、素手で火山を掘り進んで、全裸で地下のマグマ溜まりを風呂代わりに泳いでも、ダメージひとつ負わないような人外っぷりだというのに?」
なんですか、そのたとえ。
すごいというニュアンスは伝わりますが、そのようなことをしては、神様というよりただの変態ではないですか。
「う~ん、興味ありませんね。人間、平凡に生きていくのが一番ですから。便利かなーくらいは思いますけど」
「なんでもできるのだぞ? その力を使ってやろうと思うことが、ひとつくらいはないのか?」
困りましたね。そんなことを急に迫られましても思いつきません。
「あ、強いていうのでしたら……」
「やはりあるか、それは?」
「ジャムの蓋を開けるときに便利そうですよね」
「…………はあ?」
井芹くんの肩がかくんとこけました。
「いえ、ジャムの蓋ですよ。あれって憎らしいくらいに固いことがあるじゃないですか。タオルを使っても、叩いても、温めても全然駄目で。あげく手首を痛めたりもしますので、あっさり開けられるのは便利ですよね」
「いや、解説はいらない」
あれっ? 現状で思いついた利便性を素直に話したつもりだったのですが。これ、駄目ですか? 駄目なんですか? 固い蓋がすぱんっと開いたら、気持ちよくないですか?
「って、こちらの異世界にも、ジャムの瓶ってありましたっけ」
「ふふっ、ふくく……はぁーっはっはっはっ!」
突然、堪え切れないとばかりに、井芹くんが大笑いを始めました。
「いや、すまんすまん。あまりに予想外でな、意表を突かれた。そこで出てくるのがジャムの蓋とは……本来ならふざけるなと憤るべきところだが、本心からいっていそうなあたり、お主らしいというべきか」
なんでしょう。貶されているのでしょうか。
「真面目な話もしますと、もし私が今の見た目くらいの年齢でしたら、もしかすると野望なり野心なりを持ったかもしれませんね。ですが、私もこの歳になるまで……人生の酸いも甘いも味わってきました。己の人としての身の丈というものも心得ています。孤高を気取っただけの孤独より、人の輪に交じって一緒に仲良く暮らしたほうが、楽しいに決まっているじゃないですか」
だからこそ、特になにをする気もありません。
もちろんこれまで通り、周りで助けを求めている人がいたら助けますし、困っている人がいたら手助けもしましょう。悪い人がいたら憤るでしょうし、害となる生物がいたら退治することもあるかもしれません。
ただ、それは〝私〟の判断基準であり、〝神〟の判断基準ではありません。なにかの手違いか、私は神様になったようですが、進んで神様になるつもりはありません。
そもそも本当に全知全能の神様でしたら、万物に等しく公平な裁きなりを行なうこともできるでしょうが、生憎と私にはそういった知識も力もありません。なにせ、私は固有の感情を持つただの個人なのですから。
間違いだらけの権力者など、他にとっては害悪でしかないでしょう。
「ですので、私はこれまで同様、喜怒哀楽を持つ一個人〝斉木拓未〟として、暮らそうと思っています」
「……斉木の考えはよくわかった。であればこそ、儂はお主に手向けを渡しておこう。身構えよ」
「井芹くん……?」
後ろ向きに歩き出した井芹くんが、十歩ほど離れた距離で止まります。両手をだらんと下げてリラックスした状態ですが、尋常ではない闘志が噴き出しているように感じます。
帯刀した柄に手は触れられていません。しかしながら、先ほどの居合抜きを仕掛けてきたときと似通った気配があります。
気圧されるように、全身に身震いが走りました。
「歯を食いしばっておけ、斉木。これはいかなお主でも避けられん」
井芹くんの無手が、すっと上段に掲げられました。
これは――
「――必中必滅、秘の太刀〈神殺し〉――!」
なにが起こったのかわかりませんでした。
気がついたときには、井芹くんが背後にいて……身体を真っ二つにされたような激痛が全神経を支配していました。
あまりの衝撃に、苦痛の呻きを発することもできずに、私は地面に両手を突いて蹲ってしまいます。
井芹くんは刀を抜いていませんでしたが、なにかに斬られたのは確実です。しかも、その斬られた瞬間をまったく認識できませんでした。
井芹くんが手を掲げた直後、事は既に完了していました。まるで過程を飛び越して、結果だけを与えられた気分です。
吐き気がします。悪寒と冷や汗が止まりません。たしかに直感したのは、〝死〟の気配でした。
「ふむ。やはり死には至らぬか。だがまあ、上出来といったところか」
「……くっ、井芹くん……今のは……?」
ようやく、動けるようにはなってきました。
膝に手を突き、どうにか上体を起こしたところで、井芹くんが手を差し伸べてきます。
「ステータスを見てみろ」
レベル2
HP 8952037
MP 9999999
ATK 999999
DEF 999999
INT 999999
AGL 999999
職業 神
HPは体力でしたよね。生命力とも言い換えられるとか。それががっつり減ってしまっています。
「ほう……実際に与えるダメージは百万ほどだったか。これまで対峙した、どんな魔物も一撃必殺だったが……それだけのHPを有する敵がいなかったということか。ふむ、勉強になる」
なにか、物凄く物騒なことを告げられている気がするのですが。
「スキル〈神殺し〉――不可視の刃による、射程無効、防御力無視、回避不可の必殺技だ。技名は名前負けだと、たった今判明したがな」
いえあの、これ私がレベル1のときでしたら、数値的に普通に死んでいた気がするのですが。
「これが手向けですか? なんとも手荒いですね」
「ああ、そうだ。今の斉木の心根には感心する。だが、人とは心変わりする生き物だ。おそらく斉木はいまだ真なる神として覚醒してはいまい。これは人間以上、神未満の〝斉木拓未〟への贈り物だ」
なるほどですね。
つまりは驕るべからず、という訓示なのでしょう。もっとはっきりと、警告や脅迫とでも表わすべきでしょうか。
いかな神様とはいえ、処断できる者はいる。道を踏み外した末路は覚悟しろ――そういうことでしょう。あの大神官様のように。
「儂はお主を存外気に入った。叶うなら、同郷の同級生を手にかけるような真似をさせてくれるなよ、斉木」
「ええ。肝に銘じておきましょう、井芹くん」
死ぬほど痛かったですが、これがこの生死の移ろいやすい世界で半世紀も生き抜いてきた井芹くんなりの、激励であり優しさというものなのでしょうね。
――本当に痛かったですが。ものすっっっごく、痛かったですが。涙がちょちょぎれてしまいましたが。はふぅ。
「さて。これで儂の用事も終わりだ。手間を取らせたな」
「いいえ、私にとっても有益な時間でした。とんだサプライズもありましたが。井芹くんはこのために、わざわざファルティマの都まで?」
「もとは冒険者ギルドからの依頼でな。正体不明のお主を……ギルドまで連れてこいとの依頼だった」
その間が少し気になりますが、なんでしょうね。
「だが、斉木はあの若手の冒険者パーティに加入するのだろう? 待っていればラレントのギルドに自ら赴くというのなら、依頼自体に意味がなくなった。ならば、後は儂の個人的な用件を済まそうと、そう思い立ったまでよ」
よくご存知でしたね。と思ったら、さり気なくあの喫茶店で話の輪に加わっていましたね。
思い返しますと、なんとも豪胆な盗み聞きでした。さすがは『剣聖』。職業が関係あるかはわかりませんが。
……おや? ラレント?
「あ~~!? 定期馬車の出発の時間がぁ!」
どうしましょう。すっかり忘却の彼方でした。
あれから、どれくらい時間が経ちましたっけ。三十分? 四十分?
神様待遇で待ってもらえるとかないのでしょうか。ないですよね、やっぱり。
「落ち着け、斉木。これから冒険者となろうという者が、そんな無様な姿を晒してどうする。冒険者心得その一、焦ったときこそ慌てるな」
井芹くんが落ち着き払った様子で、外壁沿いの道の一点を指さします。
「仮にも冒険者志望なら、周囲の状況確認を怠らないことだ。心得その二だな。そこからなら停留所まで近道になる。十分もかかるまい」
「おおっ、助かります!」
さすがは冒険者としての大先輩(まだ未加入ですが)だけはありますね。
「それでも、結構ギリギリっぽいですね。では、またお会いしましょう。今度は時間制限なしに、もっとゆっくりと話したいものです」
「どうせお互いに時間とは無縁の身だ。気長に待っておるよ」
思わぬ場所での思わぬ相手との出会いでしたが、同い年の友達というものはいいものですね。
これからは同じ冒険者。またどこかで会うこともあるでしょう。長い付き合いになりそうですね。
◇◇◇
私は今、かねてよりの冒険者となる約束を果たすべく、ラレントへの旅路の真っ最中です。
神様と自認してのこれからに、心配の種は尽きません。
――などと思っていた矢先。
「……どうしてこうなったのでしょうね?」
目の前には分厚い鉄格子。周囲を囲むのは、冷たい石壁に石畳。つまり、昔ながらの牢獄というやつです。
なぜか捕縛され、投獄されてしまいました。はい。
思い起こせば三日前。ファルティマの都からの定期馬車に飛び乗り、その後は乗合馬車を乗り継いで、ラレントの町へ向けての順風満帆な旅路――のはずだったのですが。
途中で立ち寄ったノラードという町で逗留手続きをする際に、突然詰めかけた役人さんたちに御用となってしまい、あえなくこのざまです。
さらに、告げられた罪状は『国家反逆罪』ときたものです。こちらの世情にいまだ詳しくない私でも、文字面で大それた罪であろうことは推察できます。
どうも数日前から、私は賞金首として指名手配されていたようですね。なんでも宿場町マディスカで、秘匿任務に当たっていた、王家に仕える専属人員を大量虐殺せしめたとかなんとか、そういう理由のようです。
当然ながら、身に覚えは一切ありません。
たしかにマディスカの町には、ファルティマ行きの馬車を待つために、数日ほどご厄介になっていましたが……それだけです。別段、特筆すべきこともなく、平穏無事な毎日でした。
殺傷事件が起こっていたなどとは、ついぞ耳にしませんでしたから、そこら辺に行き違いがあるのでしょう。
冤罪には違いないでしょうが、ご丁寧に私の顔写真付きの手配書です。現場の役人さんたちに訴えかけても、上からの指令は絶対とのことでして、現状ではどうしようもなさそうです。近日中には王都に移送されて、公開処刑されるとか。
なんでしょうね。これも神の試練というやつでしょうか。
ですが、神の試練とは神様が与えるもので、神様は試練を受ける側ではなかったような気がしますが。
指名手配したのは、あのメタボな王様らしいですので、いっそ大人しく王都まで連れていってもらい、直談判して冤罪を晴らすのが手っ取り早そうですね。
ただ、これでまた、カレッツさんたち『青狼のたてがみ』のみなさんと合流するのが遅くなってしまいそうです。
申し訳ないですから、連絡など取れるとありがたいのですが……難しそうですよね。
まあ、指名手配犯がお仲間というのも問題でしょう。すべては容疑が晴れてから、といったところでしょうか。
牢屋とはいえ雨露は凌げますし、食事もきちんと出るようです。正直、路銀も心許なかったですし、これはこれでありかもしれません。大人しく待つことにしましょうか。
◇◇◇
時を遡ること一週間ほど前――王都カレドサニアの王城に、密かに一通の便りがもたらされた。
便りは数多の複雑な手順を経て、とある貴人の私室へと届けられる。
「はあ!? 『鴉』が全滅!? しかも、その事件が表沙汰にだと! なんだそれは!?」
私室を揺るがすように、男性の甲高い怒声が響き渡った。
私室の主にして王城の主である、国王メタボーニが声を荒らげるのも無理はない。
『鴉』といえば、王直属の秘密部隊。表には出せないような王国内部での裏事情の処理を担う、いわば掃除屋。性質上、本来、存在自体が秘匿されるべきものである。
任務遂行のために構成員が死ぬのは珍しくもない。替えはいくらでも利くので、それはいい。だが、その痕跡が残されたまま表沙汰になったのは、由々しき事態だった。
「全滅と申しましても、マディスカに居合わせた三十人のみです」
「何人死んだかなど問題ではない! そのような些事を問題にしているのではないわ!」
宮廷魔術師長アーガスタの報告に、メタボーニ王は飲みかけだった酒の杯を投げつけた。
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くるくると転がる杯を一瞥してから、アーガスタは頭を下げた。
「叱責は甘んじてお受けいたします。マディスカは、かの教会の影響下にありまして、隠蔽工作が及びませんでした。しかしながら、連中の身元はあらゆる書類上からも抹消されておりまする。連中の亡骸から、こちらとの繋がりを悟られる心配はございません。また此度の件は、物取り集団の返り討ちとして処理いたします。その点につきましては、ご安心ください」
「……ちっ、ならばよかろう」
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「ま、待て待て待て待て――! であれば、彼奴めはそれほどの暗殺技能を有しているということか!? 冗談ではないぞ! 彼奴が逆恨みでもして、わしの命を狙ってこようものならどうするつもりだ!? どどど、どうする、アーガスタ! おぬしの失策だぞ!? こうなれば、警備の兵を倍――いや、三倍にして――」
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「な、なに! 本当か!?」
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「そ、そうか……驚かせおって」
メタボーニは体裁を整えるように、わざとらしく咳払いをする。
「つまり、彼奴めは襲撃を察知し、凄腕の日陰者を雇うなりして、罠を張っていたということか……危険だな」
「御意。裏にそのような伝手を持つ者なれば、単なる凡人とも思えません。もともと、目的も知れぬ不穏な輩。既にファルティマの『聖女』とも面会を果たしたことでしょう。このまま放置しておけば、反旗を翻してくるやもしれません」
「うむむ……」
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「はい。此度のことを、逆に利用するのです。『鴉』らは、ご存じのように身元不明の集団。ならば、王の勅命を受けて行動していたことを明かすのです。もちろん、真っ当な正規の部隊と称して。さすれば、任務の妨害どころか、虐殺した罪は国家への反逆にも相当しましょう」
「おお、なんとっ! でかしたぞ、アーガスタ! まっこと妙案であるな!?」
英雄を殺すのは、暗殺者。しかし、その暗殺者を罰するのは組織である。
いかな腕の立つ暗殺者も、個人では集団には敵わない。ましてやそれが国家ともなれば、誰も太刀打ちできるわけがない。正義という大義名分を得た時点で、国家は最強の暴力装置と化す。
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