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2巻

2-3

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         ◇◇◇


「や~。このようになっていたんですねえ……」

 ガルロさんの案内のもと、私が連れてこられたのは、彼らのアジト――もとい、拠点でした。
 港町アダラスタの外れ、死角となった湾岸の洞穴ほらあなが秘密の入り口となっていまして、入り組んだ水路を抜けますと――そこはちょっとした規模の地下空洞となっていました。
 天然の船着き場には十隻近い船が停泊しており、その向こうの陸地には建築物群が望めます。
 いかにも〝秘密のアジト〟といったおもむきで、彼らが以前は本当に海賊稼業を営んでいたことがうかがえますね。以前といいましても、すでに三十年は昔のことで、ガルロさんが今のアンジーくんくらいの年齢だった頃のことらしいですけれど。
 この拠点ですが、アダラスタの町の真下に位置しているそうで、実は秘密の階段を通じて町との行き来も自由だとか。
 むしろ、アダラスタの成り立ちこそが、大昔に海賊のアジトの上にカモフラージュとして建てられた村に由来しているそうです。
 町から出港する船舶の監視が容易で、すぐに駆けつけられる要因は、拠点が真下にあったからなわけですね。盲点でした。
 そして、どうして部外者の私が、この秘密の場所にご招待を受けたかといいますと――あることについて、力になれるかもしれないからでした。
 そのために、私はこうしてガルロさんと連れ立って、秘密の拠点を闊歩かっぽしているわけです。
 この拠点では、かなりの人数が暮らしているようですね。


 余所よそものの私が練り歩くさまは、どうしても人目を集めてしまうらしく、見た目は海賊以外に見えない方々から、奇異とも敵意ともつかない視線にさらされてしまいます。
 先導するガルロさんと、肩の上のアンジーくんがいなければ、とっくに絡まれていそうです。
 アンジーくんは私の肩の上――つまりは肩車されて、上機嫌のようですね。
 先ほどから通りかかる先々の建物や出会う人について、頭の上から熱心に説明してくれています。
 船での出来事――本名を明かしてからというもの、よくわかりませんが、なんだか物凄ものすごくご機嫌です。
 ただ、あの後、女の子だと告白したのに無頓着むとんちゃくだと、罰ゲームを命じられました。なぜ。
 その罰ゲームとやらが、この肩車でして。これが罰なのかと疑問に思いますが、アンジーくんがとても喜んでいますから、まあ良しとしましょう。
 ちなみに、アンジーというのは愛称とのこと。呼び慣れていますので、私もアンジーくん呼びのままですが。

「着いたぜ、ここが例の物がある場所だ」

 ガルロさんに連れてこられたのは、古ぼけた建物の一室でした。
 建物自体は古いですが、もとは立派な建築物のようです。人が住んでいるような生活感はありませんが、内装がほとんどほこりを被ってないことからも、定期的に掃除そうじされているのでしょう。

「入るぜ、じじい」

 一声かけてから、ガルロさんが入室します。
 すでに故人となった方の部屋だそうですから、誰もいるはずがありません。それでも声をかけるあたり、ぶっきら棒ながらもガルロさんの気持ちが表われているようですね。

「うわ、なつかしい! オレ、じじいの部屋、久しぶりだ!」

 アンジーくんもはしゃいでいます。
 ここはガルロさんの父親、先代と呼ばれていた人物の私室だったそうです。

「ここで見たことは内密に頼むぜ。よっと」

 ガルロさんが一見なんの変哲もない壁を操作しますと、壁の一部がせり上がり、ぽっかりと四角い穴が開きました。隠し部屋というやつですね。密閉空間でよどんだ空気のカビ臭さが鼻を突きます。
 部屋は三人で手狭になるほどの小部屋でして、その中央に、でんっと存在感を放つ正方形の金属の箱が据えられています。
 頑丈がんじょうそうな外見通りの金庫ですが、小さな鍵穴はあってもダイヤルはないようです。

「こいつだ。どうにかなりそうか、あんた?」

 これが、私がここに呼ばれた理由でした。
 金庫はガルロさんが先代から受け継いだものらしいのですが、肝心の鍵が失われており、開けることがかなわないそうです。アンジーくんは、私の〈万物創生〉のスキルを目の当たりにしているため、どうにかならないかと持ちかけてきたのでした。
 この中に収められているのは、一枚の証書ということです。
 他言無用と剣先を突きつけられて教えられたのですが、その内容とは数十年も昔の出来事でした。
 さかのぼること三十年前、この近隣では多数の海賊が横行しており、重要な航路であるこちらの海峡もまた、彼らの脅威きょういさらされていたそうです。
 当時の若き領主、アンジーくんのお祖父じいさんは、情報を突き止めたその足で海賊のアジト――つまりはここに、単身で乗り込みました。酒樽さかだるひとつ抱えて。
 その海賊を束ねていた船長が、ガルロさんのお父さんだったと――そういうことみたいです。
 ふたりの間でどういうやり取りがあったのかは、子供だったガルロさんは教えてもらえなかったらしいのですが、そういった経緯があり、両者は協力体制を結んだそうです。
 おそらく、それまでの海賊行為を免責し、海賊の一味をそのまま私設船団として雇い入れたのでしょう。
 ガルロさんのお父さんは、表向きは海賊のまま他の海賊を支配下に置き、この地の秩序を取り戻しました。
 ただし、領主の貴族が海賊と繋がりがあると表沙汰おもてざたにはできずに、あくまで秘密裏のままだったようですね。海賊騒動が収まった後も、ガルロさんたちは侯爵家の旗下で独立した組織として、影に徹して海の平和を守ることに務めてきたそうです。
 しかしそれも、アンジーくんのお祖父じいさんが急死されると同時に反故ほごになりました。援助も打ち切られて久しいとのことです。
 詳しい事情は告げられていなかったであろうアンジーくんですら、幼い頃から頻繁ひんぱんにお祖父じいさんに連れられてここを訪れていたため、皆さんが海賊などではないことは知っています。
 現領主のアンジーくんのお父さんが、その事実を聞かされていないはずがありません。
 きっと、代替わりしたのを幸いと手を切り、過去の汚点として抹消まっしょうするつもりなのでしょう。
 それどころか、今回の海賊騒ぎに便乗して、領主の役割として、海賊退治の名目で大規模な船団を派遣したそうです。
 今回、アンジーくんが後先考えずにひとりでここアダラスタを目指していたのは、この情報をいち早く聞きつけたのが原因でした。
 幼い時分から慣れ親しんだ人たちの危急の事態に、じっとしてはいられなかったのでしょう。
 しかし、アンジーくんのお祖父じいさんは聡明そうめいな方だったらしく、この事態も想定されていたようですね。
 盟約を書面に残して、ガルロさんのお父さんに託していました。
 それさえあれば、公明正大に身分を証明できます。さらに、関係者であることが明かされますと、領主さんも家名のため、ちまたの誤解を解くために尽力せざるを得ないでしょう。
 ついでに、町の方々へのこれまでの申し開きも、クラーケンのことも勧告できるのですが……
 生憎あいにくと、その証書は固く閉ざされた目の前の金庫の中。それで、この窮地きゅうちおちいっているというわけでした。

「タクミ兄ちゃん、持ってきた!」

 アンジーくんから手渡されたのは、ガルロさんのお父さんの生前の写真ですね。
 ガルロさんはあらくれ将校といった感じでしたが、お父さんのほうは完全なあらくれ海賊ですね。
 見た目がすでに怖いです。昔の任侠にんきょう映画の組長といった風格ですよ。アンジーくんのお祖父じいさん、よくこの方にサシで相手されましたね。
 今より少し若いガルロさんも隣に写っています。り椅子に腰かけたお父さんの膝に乗ってる幼児……これ、もしかして、アンジーくんでしょうか? このいかつい面子メンツに囲まれていて、満面の笑みです。

「その、じじいが首にかけているペンダント! それが多分これの鍵だよ!」
「大事な物だとかいってた割には、いつからか着けているのを見かけなくなったからな。面倒かけやがる、あのじじい」

 故人に向かって「じじい、じじい」はあんまりです。中身がじじい目前の私としましては、せめて敬称くらいは付けましょうよと物申したくなりますが、これもまた愛情なのでしょうね。
 それにしても、アンジーくん……男の子に変装するための荒っぽい言葉遣いと思っていたのですが、素なのですね。女の子としての将来が、ちょっぴり心配になりますよ。
 間違いなく、こちらの船団の皆さんの影響でしょう。物心付くか付かないかのずいぶん幼い時分から、お祖父じいさんと一緒にここに通っていたみたいですし。

「ああ、これですね。たしかにペンダントの先端が、鍵のような形状ですね」

 魔法で焼きつけた写真だそうですが、写真自体が小さく見づらい上に、日本のものほど精巧ではないものの、どうにか見て取れます。

「でもよ、本当にあんた。その写真を見ただけで複製なんて可能なのか? アンジーがどうしてもと聞かないから、物は試しと連れてきてみたが……」
「大丈夫だと思いますよ」

 今までもできていましたしね。
 これまで創生したものもすべて、実物に触れたことがあるわけじゃありません。そもそも架空のものもありますし。
 ですので、写真でも問題はないはずです。

「俺の知る複製スキルは、目の前に現物ありきで、再現性も大したことない程度だったぞ? それを見ただけでなんてよ」
「ガルおっさん、うっさい! 今更だろ、黙って見てなよ。タクミ兄ちゃんは、すっごいんだから!」

 アンジーくんが自信満々です。まあ町に着く前夜に創生して泊まったログハウスで、要望されるままにいろいろ創り出しては遊んでましたからね。
 ……これで失敗したら、目も当てられませんね。気張りましょう。

「でもそれ、魔法の鍵だぞ。付加された魔法まで再現できるなんて、それはもう複製じゃなくて創造――」
『魔法の鍵、クリエイトします』
「できましたよ。お……開きましたね」

 なんとか体面は保てたようですね。成功してよかったです。
 アンジーくんの尊敬の眼差まなざしが痛いほどです。期待にこたえられて、なによりですね。

「おおっ! やるじゃねーか、あんた!」

 ガルロさんに大きなてのひらで、背中をびしばしとたたかれます。

「やっぱ、すごいや! 兄ちゃんは!」

 アンジーくんからは、嬉しそうにすねをげしげし蹴られます。
 喜び表現の行動パターンまで同じなのですが。痛くはないですけど。
 分厚い金属の扉の向こう側には、重厚な外見に比してあまりに質素な、一枚の封筒が収められていました。ただ、それが多くのきゅうする立場にある方々を救うのですから、大げさではないのかもしれません。そして、封筒のかたわらには、ペンダント状の一本の鍵――

「あああ! この金庫の鍵じゃねえか! あんのじじい、どうりでどこ探しても見つからないわけだ! そのくせ、心残りはないとばかりの満足な顔できやがって!」

 愛情……ありますよね? まずは落ち着きましょう。どうどう。

「結果オーライということでいいじゃないですか。これで、海賊の汚名を晴らせますよね」
「あ、ああ。すまん。つい取り乱した。それよりあんた、疑ってすまなかった。感謝する」
「頭を上げてください。これぐらい、なんでもありませんから」
「それにしても、すごいスキルだな。これは複製スキルなんてものじゃないな。創造スキルとでも言うべきか」
「〈万物創生〉というスキル名みたいですね」
「それはまた、大層な名前だ――んん? 万物、創生……? なにか、どっかで聞いた、いや見たことがあるような気がするが……? んー、思い出せん」

 もしかして、これってメジャーなスキルなのでしょうか。

「なんにせよ、よかったじゃん! これで、ガルおっさんたちが悪い奴じゃないって証明できるしさ! 船団が来る前に、早いとこそれを町の人や親父に突きつけてやろーぜ!」

 嬉しそうですね、アンジーくん。たったひとりで家を飛び出した甲斐かいがありましたね。
 はしゃぐアンジーくんを、ガルロさんも口の端に微笑ほほえみを浮かべて見ていましたが……不意にその目が細められました。すでにその表情に微笑ほほえみはなく、静かな眼差まなざしでアンジーくんを見下ろしています。
 ……なにか、嫌な予感がするのですけれど。

「いいや。残念だが、それはまだ先の話だ。大船団には予定通りこの地に来てもらわないと困る」
「……え? なんで?」
「今回は言わばチャンスだ。この船団を利用させてもらう。あちらもかなりの腕利きを積んでいるだろう。この地に誘導して、クラーケンと遭遇そうぐうしてもらう。なし崩し的に戦闘に巻き込むつもりだ。うちの戦力とあちらの戦力をあわせれば、いかなZランクの海魔といえども倒せるかもしれん」
「……え? え? でも、そんなことしたら、皆が危ない……」
「死ぬかもしれん。確実に大勢の犠牲者ぎせいしゃは出るだろう。だが、この機を逃しては、いつアダラスタの町や、一般の船が襲われないとも限らん」

 今のように船を遠ざけて危機回避しているのが対症療法に過ぎないのは、私にもわかっていました。原因のクラーケンとやらは健在なのですから。
 この確固たる口調からして、今しがた唐突に思いついた計画ではないようですね。

「もしかして、海賊と誤認させたままうわさを広めたのは故意ですか?」
「なんだ、のんびりした雰囲気ふんいきの割には、あんた鋭いじゃないか。唯一の心残りは、生き残った野郎どもの今後の生活だけだったが……あんたのおかげで、そいつも解消できそうだ。こいつさえあれば、なんとかなるだろ」

 ひらひらと封筒をらしていますが、そんなつもりで力を貸したのではなかったのですけどね。
 決死の覚悟に満ちた瞳です。生き残りの中に自分を勘定かんじょうしていないのが、よくわかります。
 どうしてこう血気盛んな若者は、老人よりも先に死にたがるのでしょうね。

「やだ……やだ、やだー! 絶対、やだー!!」

 ついに、アンジーくんがガルロさんにすがりつき、大声で泣き出してしまいました。
 アンジーくんにとって、ここの皆さんは家族も同然なのでしょう。少なくとも、我が身の危険を考慮外にして、身ひとつで家を飛び出してきてしまうくらいには。

「……クラーケンとは強いのですか?」
「まあな。討伐例がないから、実際にどれほどかはわからんがな。巨体に加え、大型船舶のメインマストを簡単にし折る怪力に、強力な再生能力。かつて、極大魔法で胴体半分を吹っ飛ばされても、即座に再生したって話は有名だ。やつがみついた海域は魔の領海と呼ばれ、船舶は迂回うかいするのが普通だな。だが、ここは海峡。満足に避けるだけのスペースもない。なのに侯爵様が管理するほどの海の要所でな。通れなくなるだけで、おまんまにありつけなくなる奴も大勢いるだろーさ」
「だからって、皆が死ぬなんて――嫌だよぅ……」
「アンジー。これをわざわざ話したのは、おめえを仲間と見込んでのことだ。仲間をだますのは不義理だからな。じゃなかったら、言いくるめてさっさと屋敷に帰して、こっちで勝手に実行してた。幼い頃から俺らを見てたおめえならわかんだろ? この海を守る――それが先代から受け継いだ、俺たち海のおとこの誇りと使命だ」
「じゃあ、オレも――」
「馬鹿か、おめえは? 海仕事に、足手まとい以下のガキは必要ねえ。おめえには遺した野郎どもを頼みたい。この証書を親父さんに届けるのが、おめえの重要な仕事だぜ? そいつは、おめえにしかできねえ。頼んだぜ?」
「嫌だ……嫌だ……」

 床にへたり込み、アンジーくんがさめざめと泣いています。

「重ね重ねすまねーが、あんたにはアンジーを任せたい。あんたにはよくなついてるようだしな。屋敷までの帰路を頼めないか?」
「お断りします」
「……そうか。あんたにはもともと関係ないことだったな。無理いした、すまない。それはこっちでなんとかしよう。あんたは旅に戻ってくれ」
「それもお断りします」
「は?」

 私はね、子供が泣いているのは嫌いです。それが知り合いだったら、なおさらです。仲のいい子だったら、言うまでもありません。私は、アンジーくんのお祖父じいちゃん代わり――は断られましたので、お兄ちゃん代わりになると約束しました。軽い口約束でしたが、約束は約束です。ですのに、その子が泣いたままなど、言語道断です。
 私、なんだかがらにもなく腹が立ってきましたよ。どうして、大きいだけのイカごときのために、アンジーくんのようないい子が悲しまないといけないんですか。

「おふたりとも。私に考えがあります。ここは狭いですね……ちょっと外に移動しませんか?」

 アジトのある地下洞窟から、別の道を通った先には、小ぢんまりとした入江がありました。
 今は砂浜になっていますが、潮の満ち引きで海に没してしまうそうです。

「これくらい広ければ、充分ですかね。ご足労ありがとうございました」
「恩義があるあんたには、この程度はなんでもないが……」

 付き添ってくれたガルロさんの手には、アンジーくんの手が握られています。
 アンジーくんが離さなかったというのが正しいのですが。
 あれだけ元気はつらつとしていたアンジーくんが、悲嘆のあまりに疲れ果てています。見る影もありません。イカ、許すまじですね!

「いったいここで、なにを見せる気なんだ、あんた?」
「あ、そのままちょっと離れていてくださいね。論より証拠、つまりはこういうことです」
『――――、クリエイトします』

 私の手が光り出しまして、かたわらに望んだものを創生します。海で巨大イカと戦うなら、やはりでしょう。

「は……あ……あ……?」

 ガルロさんの視線がどんどん上方へと上がっていき――ついには垂直に近いくらいになりました。
 強い日照りをさえぎり、巨大な影が頭上を完全に覆ってしまっていますね。
 ずっと下を向いていたアンジーくんが、隣のガルロさんの様子に気付いて前を向きます。
 その視線はガルロさんと同じように、目の前のモノに沿って、上へ上へと昇っていき――次第に驚愕きょうがくに満ちたガルロさんの表情とは裏腹に、希望の笑顔へと変わっていきました。

「……すっげー」

 アンジーくんがつぶやきます。

「すっげー! すっげーよ、これ! タクミ兄ちゃん!」

 興奮した笑顔が、実にアンジーくんらしいですね。やっぱり、アンジーくんには笑顔が似合います。

「どうです、ガルロさん? これでしたら、巨大なイカごとき、なんてことはないと思いませんか?」

 ガルロさんは唖然あぜんとしたまま、声も出ないようですね。
 待っていなさい、イカ。アンジーくんを泣かせた罪は重いですよ?


         ◇◇◇


 翌日――ガルロさんに案内をお願いしてやってきたのは、例のクラーケンなる大イカの出没付近の岸壁です。
 海峡を見下ろせる崖の上に陣取りまして、潮風の吹き抜ける波間の風景を一望します。
 一見、海面は穏やかに見えますが、海峡では潮の流れが速いらしく、水面下では激しい海流となっているそうです。それにも増して、海中には危険な海の魔物がひそんでいるというのですから、とんでもないことですね。
 左手の方角には、小さくアダラスタの港町が見て取れます。
 こんな目視できる距離に、体長が二百メートルを超す怪物がいるなど、悪夢のようですよ。
 しかし町では、この二ヶ月間で誰かが海魔に襲われたといううわさは耳にしていません。それこそ、ガルロさんたちの努力の成果なのでしょう。
 視線を前方に移しますと、遠くかすむように対岸が望めます。直線距離にして、およそ十キロほどでしょうか。
 当初はただ遊覧船で海を渡る程度の感覚でいましたが、あらためて思いますと、大事になったものです。
 ですが、これでよかったのでしょうね。
 私の隣に立ち、おっかなびっくり崖下をのぞき込んでいるアンジーくんの頭に手を置きます。
 帽子ぼうしはもう被っていませんので、長い銀髪は風にさらわれるままになっています。

「なに? どしたの、タクミ兄ちゃん?」
「いえね。アンジーくんの元気を分けていただこうかと思いまして。おかげでフルチャージですよ!」

 力こぶを作ってみせます。

「ぷっ、なにそれ、変なのー?」
「そうですか?」
「そうだよ。やっぱ兄ちゃんは変人だな!」

 けたけた笑うアンジーくんに心が安らぎます。
 どうしてこう、子供というものは愛らしいのでしょうね。だからこそ、この笑顔を曇らすことなど許せません。次世代をになう子を守るのは、大人の務めですからね。

「ガルロさん。イカは具体的にどのあたりに出やすいですか?」
「そうだな……今の時間、ここからなら沖合い一キロ手前ってとこか」
「意外に陸寄りなんですね」
「どうも普段は、海流に乗って一帯をぐるぐる回っているらしくてな。海底の岩礁の関係で、その海流がそこらの浅いところと深いところを交互に何度も通るんだよ」
「なるほどですね。立体的に行き交うとは、海の中も複雑なものですね」
「だが、どうやってそこまで近付く? 生半可なまはんかな船ではやつの起こす波だけで簡単に転覆するし、海に引き込まれでもしたら一巻の終わりだぞ? あのスキルで、桟橋でも創る気か?」
「ええ。足場は必要なので、そこは考えています。ただ、桟橋程度では、強度が持たないでしょうね」

 さて。久しぶりに激しく身体を動かすことになりますので、まずは準備運動ですね。

「なにそれ、兄ちゃん? そのへんてこな体操?」
「ラジオ体操第一です。私の地元では、由緒ゆいしょ正しき体操なんですよ。おいっちにーさんしーと」
「へ~。オレもやってみよ。にーにーさんしー? こんな感じ?」
「はい。上手ですよ、アンジーくん」

 程よく身体も心も温まったところで、いよいよ決行ですね。こうして、積極的になにかに当たるのは久しぶりです。特に、今までの私には無縁だった荒事あらごとになんて。
 思い返してみますと、この世界に来てからというもの、荒事あらごとは何度か経験しましたが、それはどちらかというと巻き込まれた形だったように思えます。
 自らの意思で飛び込んでいくのは、初めてではないでしょうか。ちょっと緊張してきました。

「それでは、おふたりとも。行ってきますね」
「ああ、頼んだ」
「しっかりな、タクミ兄ちゃん! オレ、信じてるから!」

 こんな子にこうも信頼されたのでしたら、こたえないわけにはいきませんね。

「ええ、それはもう。頑張がんばっちゃいますよ?」

 助走をつけて、海峡の崖下へとそのまま飛び降りました。

「わっ! 兄ちゃん!?」
『軍艦信濃しなの、クリエイトします』

 落下を始めると同時、足元に地面ならぬ巨大な甲板が出現しました。
 日本海軍の航空母艦――知る人ぞ知る信濃です。
 失われた著名な軍艦を足場のためだけに創生するのは、マニアの方からは怒られてしまいそうですが、そこは目をつぶっていただきましょう。操縦できればそれに越したことはないですが、これだけの艦を単身で動かせるわけありませんからね。私としても残念なところです。
 艦尾から艦首までを、全速力で一気に駆け抜けます。
 艦首から迷わず海に向かって大ジャンプです。

『戦艦武蔵むさし、クリエイトします』

 足が離れたことで信濃は消えてしまいますが、すぐさま次の足場が創生されます。
 今度は武蔵の艦尾に、勢いを殺さずに飛び移りまして、甲板を駆け続けます。
 全長二百六十メートルを超す、超弩級戦艦の揃い踏みです。
 これでしたら、イカ程度に不意を突かれても、簡単に転覆することはないでしょう。
 ある意味、海上で用意できる、もっとも安定した堅固な足場ですからね。

『戦艦大和やまと、クリエイトします』

 三度、飛び移ります。お次はかの有名な大和です。
 戦艦の中で最もお気に入りの大和ですが、本物とこういう出会いをしようとは。
 三隻もの巨大軍艦を縦に連ね、大和の艦首に至る頃には、沖合い一キロの予定地点に近くなっていました。
 さて、イカにとっては見たこともないような、自分の大きさ以上の巨大な物体が海面に浮いているわけですから、さぞかし巻き付き甲斐がいもあることでしょう。
 イカ釣りには豪華すぎるのような気もしますが、ここまでしたからには見事釣り上げてみせましょうか。

「来ましたねっ!?」

 思わず、声が上擦ります。
 艦体の脇から、いくつもの触手が、うねうねと艦上にせり上がってきました。

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