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1巻
1-3
しおりを挟む◇◇◇
私は、大気を揺るがす轟音で目を覚ましました。
身体の芯に響くような花火にも似た音が、遠くから断続的に聞こえます。
なんなのでしょう。朝っぱらからまったく騒々しいですね。
(うう~ん……はて? ここは……どこでしょうか?)
私が寝ていたのは、自宅の薄い敷き布団ではなく、柔らかなベッドの上でした。
見覚えのない天井には、美麗な絵画が描かれていまして、豪華なシャンデリアが吊り下げられています。
フランス旅行からは、とうに帰国していたはずですが、いつ現地に舞い戻ったのでしょうか。
寝すぎたせいか、頭がぼ~っとしまして、考えがまとまりません。
「…………って! 寝惚けている場合じゃありませんでした! 今日は大軍が攻めてくるんじゃないですか!」
窓からは日が差し込んでおり、すでに夜が明けてかなりの時間が経っているようです。
なんたる不覚でしょう。
ちょっと横になるだけのつもりだったのですが、そのまま寝入ってしまうとは。
外は日が高く、おそらく昨日から一昼夜近く寝ていたことになります。
普段でしたら目覚ましをかけなくても、きっかり早朝五時には目を覚ますのですが。
若かりし頃の私は、確かに朝が弱く、休日にはややもすると昼過ぎまで寝てしまうこともありました。
まさか、そんなところまで昔に戻ってしまったのでしょうか。
私は寝台から飛び起き、着の身着のまま貴賓室を飛び出しました。
城内には、不自然なほどに誰の姿も見受けられません。
そして、断続的な音はなおも続いています。もう嫌な予感しかしないのですが!
昨日、謁見の間からの移動に使った廊下に差しかかったとき、私の不安が的中していることがわかりました。
この廊下からは、外の景色が一望できます。
昨日も見かけた雄大な大自然――しかし、その風景に、異様なものが見受けられるのです。
城壁の外、どこまでも続く緑の平原を、黒い塊が埋め尽くしています。
黒い塊は波打って蠢いて、草原を、森を、河を呑み込みながら、津波のごとく打ち寄せてきているように感じます。
「もしや、あれ全部が魔王軍とやらなのですか!?」
大声を上げずにはいられませんでした。
遠目なのでわかりづらいですが、確かに黒いもののひとつひとつが個々に動く生物のようです。
まるで、地を埋め尽くす蟻の行軍です。
この膨大な数――とても一万で収まるとは思えません。
軽くその十倍ほどの軍勢ではないのでしょうか。
時折、黒い塊のように見える集団の一部が爆音とともに弾け、一瞬だけ地表が現れてはまた黒く塗り潰されるという現象を繰り返しています。
テレビで観た、戦争映画での爆破シーンさながらです。
あれはもしや、誰かが攻撃しているのでしょうか?
となりますと、思い浮かぶのはあの三人の顔しかありません。
私はかつてないほどに全速力で走りまして、城から出て、城門を抜け、城下町の外壁へと向かいました。
お城ですから、途中で門番や守衛くらいはいそうなものでしたが、それすらいませんでした。
城下町に居並ぶ建物は、雨戸も扉も固く閉ざされて、町全体が怯えているかのようです。
あと少しで外壁というところで、武装した集団に道を阻まれました。
見たところ、この国の軍隊のようですね。
槍を携えた鎧の歩兵、重厚な西洋甲冑の兵士、馬に乗っているのは騎士でしょうか、整然と並んでいるところから、待機中のようですが……
とてもではないですが、通り抜けられそうにはありませんでしたので、私は偶然目に入った外壁の階段へと走りました。
城下をぐるりと取り囲む外壁の高さは二十メートルほどもあり、曲がりくねった階段はそれ以上の距離がありましたが、二段飛ばしで階段を駆け上がって、外壁の上へと出ました。
それにしましても、これだけ全力疾走して息切れひとつしないとは、我が身ながら驚きですね。
いくら若返ったとはいえ、昔から運動はそれほど得手ではなかったはずなのですが。
外壁の上にも弓で武装した大勢の兵がいまして、彼らの視線は一様に外に向けられており、歓声を上げていました。
ここからほんの数キロほど前方で、激しい戦闘が繰り広げられています。
城よりも距離が縮まったため、黒い塊の正体も目視できるようになりました。
二足歩行の獣――という表現がもっとも適しているでしょうか。明らかに人間とは違う生物が、群れを成して押し寄せてきています。
そして、それを押し留めているのは、たった三人の人間なのです。
――エイキ! ケンジャン! ネネさん!
豆粒ほどの大きさにしか見えませんが、三人が押し寄せる軍勢に対抗して、懸命に戦っている姿が見て取れます。
なにより信じがたいのは、若者三人が先に立って戦っているというのに、専門家であるはずの大勢の兵士の皆さんが、はるか後方で呑気に観戦しているこの光景です。
通常でしたら、大人たちが真っ先に加勢して然るべきではないのでしょうか。
その異様さに、身震いすらします。
あれだけの大軍にたった三人で応戦させるなど、もはや狂気の沙汰としか言いようがありません。
いくら彼らがここでは常人離れしているといいましても、限度というものがあります。
一騎当千という表現がありますが、ひとり頭で万を倒してさえ、とても足りない計算です。
大歓声の中で、ひときわ大きく下品に張り上げている、聞き覚えのある声が耳に届きました。
つい昨日、ここに来たばかりの身の上では、出会った人物などほんの数人ほど。声まで知る相手となれば、さらに少数です。
声の出所を捜して周囲を見回しますと、この外壁よりやや高い位置に設置された物見櫓の上に、ふたつの人影がありました。
赤い服のでっぷり太ったシルエットは、昨日も会った王様でしょう。その隣の白い衣装は、宮廷魔術師の方でしょうか。
王様がここにいて、兵士の皆さんが動かないとなりますと、それは王様の命令なのでしょう。
私はふたりのもとに直訴に向かうことにしました。
物見櫓の周辺には人員が配置されていましたが、警護と思しき兵の人たちまでもが観戦に夢中になっていましたので、誰にも気取られることなく、物見櫓へ続く段梯子にあっさり辿り着けました。
周りに人がいないのをいいことに、ふたりは上機嫌に大声で話し合っています。
会話は、段梯子の途中にいる私のところにまで聞こえてきました。
「なかなか、頑張っておるではないか、あの三人は!」
「にわか仕込みとはいえ、技術や魔法はできる限り叩き込みましたからな。稀に見る逸材です。異世界人の召喚儀式など、正直眉唾と思っておりましたが……いやはや先人の知恵にも倣ってみるものですな」
「よもや、このまま撃退できてしまうのではないか? はっはっはっ」
「さて、さすがにそれは難しいでしょうな。いかな彼奴らとて、所詮は人間。今しばしはよいでしょうが、体力も魔力も有限なれば、最後まではもちますまい」
「……ふむ。では予定通りにか?」
「はい。勇者と賢者には、自爆魔法も伝授しておりまする。自爆魔法は知力が高ければ高いほど威力を発揮する最終魔法。あのふたりの能力であれば最良かと。しかも、聖女のスキルにて、魔法威力の底上げもされておりまする。少なく見積もっても、敵の半数ほどは道連れにしてくれるかと」
「それで敵が退却してくれるのなら、申し分ないのだがな。今となればあの三人の戦力は惜しいが、さらなる召喚で替えの利く異世界人はともかく、我が兵どもは容易に替えが利かん。できれば温存したままやり過ごせるのが一番よな。だが、勇者も賢者も異世界人。命を引き換えにする自爆魔法を、我らのためにそう都合よく使うものか?」
「それについてはご心配なく。なぜだかあの異世界人、この世界で死んでも生き返れると思っておりまする。理由はわかりませぬが、そう訊ねてこられたときには、内心で笑いが止まりませんでしたぞ。なんでしょうな、蘇生アイテムや蘇生魔法とは? 死人が生き返る術などないというのに。したり顔で頷いたさまを、陛下にもお見せしたかったほどです」
……聞くに堪えません。
途中で何度も足が止まりそうになりましたが、実際以上に長く感じた段梯子を、私はようやく上り切りました。
突然現れた私の存在に、ふたりは驚いた顔をしましたが、すぐに卑しい笑みに塗り潰されました。
「誰かと思えば、そなたであったか。陛下の御前であるぞ。弁えたまえ」
「今のお話を聞きました……助力を仰ぎ、協力してくれる者に対して、それはあまりに理不尽ではないでしょうか? 彼らはあなたやこの国の生贄ではないんですよ? とても、人の上に立つ者の考えとは思えません」
「なにを言う。懇願したのは我々でも、承諾したのはあの者たちだ。無関係の者を救うために立ち上がった英雄たち――さすがは勇者、さすがは賢者、さすがは聖女といったところよ。まさに美談ではないかね? それに王の資質を問うならば、大勢の自国の民を守るため、他国の三人の尊い犠牲で済ます。それこそあるべき王の姿と考えるが?」
若返った反動でしょうか、年甲斐もなく、ついカッと頭に血が上りかけましたが、どうにか抑え込みました。
今ここで必要なのは、怒りに任せて感情的になることではありません。
感情だけでは物事は成り立ちません。特に現状では。
それもまた、この老骨が半世紀以上を生きて、学んだことです。
「……どうか考え直してください。彼らはまだ若い。前途ある若者たちです。ここで無為に命を散らしていいはずがありません。どうかお願いします。この通りです」
私は深々と頭を下げました。
しかし、返ってきたのは冷酷な却下でした。
「断る。貴様などの願いを聞く謂れはない。衛兵っ!」
王様の声に、段梯子の下から、どやどやと兵士たちが上ってきました。
「英雄は死んでこそ、英雄たるのだよ。彼らには英雄として死んでもらうことにした。これは王命にして決定事項だ。ついでに、そなたも英雄の末端に加えてやろう。光栄に思うがいい」
「兵たちよ! 陛下のお命を狙った不届き者である! 捕らえる必要はない、この場で処刑せよ!」
「「「はっ!」」」
たくさんの兵たちの構えた弓矢の先が、私に向いていました。
人ひとりの命が、思い付きの命令ひとつでこんなにも安易に奪われるなど――
この異世界という場所を、私は正直軽く見ていたのかもしれません。
理性と知性を持つ人間同士、話せば通じるものと。認識が甘かったようです。
日本という法治国家で長年平穏無事に過ごしてきた私は、凶悪な敵意と悪意、そして殺意というものを、初めて目の当たりにしました。
王様の合図に、一斉に弓矢が放たれるのを、私はどこか他人事のように呆然と見つめていました。
高齢になったこともありまして、おぼろげに自分の死について考えたことはありましたが、まさかこのような結末を迎えることになろうとは。
全身を矢で穿たれた私は、反動でふらつき、足を取られて物見櫓から転落しました。
そして、そのまま外壁の上からも転げ落ち――為す術もなく、二十メートルもの高さを真っ逆さまに落下する中、しだいに迫りくる地面を前に、目を閉じました。
◇◇◇
ネネ、エイキ、ケンジャンが戦いはじめてから、すでに一時間。
最初は優勢だった戦況も、今では必ずしもそうとはいえなくなってきた。
圧倒的な個の有利が、圧倒的な集団の有利に、徐々に押されてきている。
「ったく! しつこいってーの!」
前衛で戦い続けるエイキの息も荒い。
近接戦パラメータの高さに任せ、当初は無類の強さを誇っていた勇者の力も、明らかに陰りが見えはじめていた。
あまりに多くの敵を斬り続けたために、途中で剣は折れ、続いて切り替えた攻撃魔法も魔力切れで、今は素手で殴って応戦している。
それでも魔物の爪や牙より強力ではあったが、格闘技戦では反撃も受けやすい。どれほど彼の防御が秀でていても、そのダメージは蓄積していく。
「ケンジャン! さっきのやつ――隕石落とす、あれ! もう一回くらいできねーの!?」
「む、無茶言うな! あんな大魔法、何度もぽんぽん撃てるかよ!」
賢者の範囲攻撃魔法は、集団相手でこそ効果が増す。
その点でいえば、ケンジャンはエイキよりも遥かに多くの魔物を屠っていた。
賢者の生み出す爆炎や落雷、果てには天空より召喚した岩石は、どれもこれも大魔法、あるいは極大魔法に分類される大技で、並みの魔法使いでは到底、到達できぬ領域だった。
威力も賢者の名に恥じぬほど絶大で、魔法耐性のある魔物でも、一瞬にして消滅させた。
しかし当然の対価として、大魔法であるほど魔力消費も甚大となっていく。
魔力の尽きかけた魔法使いは、そこいらの平凡な兵士にも劣る。
それでも高いレベルと、魔法使い系の職業にしては高い身体パラメータで、小・中クラスの魔法を織り交ぜながら、なんとか騙し騙しに戦えていた。
「ふたりとも、しっかりして!」
後方で防御の中核を担っているのはネネだった。
聖女の固有スキル、魔を退ける〈聖光防壁〉と、範囲内の敵の力を減退させ、味方の活力を増す〈神護の領域〉で、全員の力の底上げと防御役をこなし、さらには大神官すら凌駕する回復魔法まで使っている。
ここまで戦闘を優位に運んでこられたのも、後ろを気にせずに攻撃に専念させた彼女の功績が大きいだろう。
だが聖女の力もまた、魔力を消費する以上、長期戦や持久戦には向いていない。
一回の発動に必要な魔力消費量は、攻撃魔法よりも補助系や防御系魔法のほうが少ないものの、単発消費で済む攻撃魔法と違って、常時魔力消費型が多かった。
じわじわと減っていく魔力量は、破滅へのカウントダウンのようで、気持ちのいいものではない。
各人、そんな状況下で、戦況はじわじわと押されていた。
HPでは四割方、MPにいたっては全員が八割以上を消費してしまっている。
ただ、それより深刻だったのは、終わりの見えない戦いに、ステータスでは見えない気力が削られ続けていることだった。
魔物は死体が残らない。命尽き果てる先から、黒い霧となって消えていく――
どれだけ魔物を倒しても、倒している実感がなく、どれだけ敵が減ったのかもわからない。
次々と襲いくる魔物は、無限に増殖しているのではないか、と錯覚さえさせていた。
数の暴力というものの脅威を、嫌というほど体験する破目になる。
提案されたこの戦いを、エイキは嬉々として、ケンジャンは満更でもなく、ネネは押しに負けて引き受けた。
英雄たちの戦いによりある程度敵が減ったところで、一万もの味方が参戦する作戦だと聞いていた。
ただし、その〝ある程度〟がどれくらいか、確認した者はいなかった。
最初は、普段と違う自分――万能感に高揚した。無双できることを楽しいとすら感じていた。
しかし、今となっては辛くてきついだけ。
誰となしにふと思う。なぜ自分たちは戦っているのだろうと。
いつしか、考え事をする余裕もなくなり、三人は一心不乱に戦い続けていた。
そして、そんなギリギリの状態が長続きするわけもなく――まず、矢面で戦っていたエイキがMP欠乏で失神した。
唯一の前衛が崩れ、一気に形勢が逆転する。
聖女の〈聖光防壁〉で押し留めてはいるものの、ネネもすでに限界で、もういくらかも持ち堪えられそうにない。
「ふっふっふっ、雑魚どものくせに、少しはやるようじゃないか……! こうなったら、我が秘奥――自爆魔法をもって、木っ端微塵にしてくれる」
「ケンジャンさん、それは――」
「なあに、ネネくん。心配することないさ。蘇生アイテムや蘇生魔法は異世界ものの定番だよ? 死に戻りなんてのも珍しくないしさ」
「でも、一度は死んでしまうってことよね……? あたし、怖いかも」
「心配性だなあ。多少のデスペナは覚悟しないといけないけど、主要人物の僕らが本当に死ぬわけないし、ここは一回リセットしよう。敵を倒しまくってずいぶんレベルも上がったし、次に全快状態で挑んだら勝てるって」
「そ、そうなの……かな?」
「そうそう、絶対大丈夫だって! 自慢じゃないけど、僕はネトゲ界では名が知れたプレイヤーでね。『タンジ』ってキャラネーム聞いたことない? 常勝無敗の伝説プレイヤーさ。だから信じていいよ。じゃあ、いくよ――こほんっ」
ケンジャンは手を掲げて、高らかに呪文を唱えはじめた。
「群れることしか能がない、愚かなる魔物どもよ! この大賢者、我が深奥なる魔法の極みを味わうがよい! 自爆魔法――」
「おやめなさい! いけませーん!」
どごんっ!
緊張感があるのかないのか、そんな声とともに飛来した物体が、物凄い音を立ててケンジャンのこめかみに激突した。
ケンジャンは手を掲げた姿勢のまま、ぱったりと倒れ込み、ぴくぴく痙攣していた。
◇◇◇
二十メートルもの高さから落下しまして、てっきり一巻の終わりかと思ったのですが――私はなぜか無事でした。
怪我どころか痛みすらもありません。
落下先が地面だったので、衝撃が緩和されたのでしょうか。
弓矢も確実に命中したはずですが、いつの間にか抜けています。服には穴が開いてしまっているものの、裂け目から覗く素肌には傷もないようです。
謎ではありますが、それを気にしている場合でもありませんね。
閉ざされた門の外に落ちてしまいましたので、自力で戻る手段はなさそうです。
殺されかけたこともありまして、逆に覚悟も決まりました。
レベルが1しかない、こんなちっぽけな私の力で、どうこうできるものでもないでしょうが、少しでも彼らの手助けをしませんと。
三人が戦っているのは、ここから二キロほど先のはずです。
今の場所では戦っている姿は見えませんが、いまだに戦闘音は風に乗って届いています。
例の自爆魔法とやらの問題もあります。
手遅れになる前に、行動あるのみですね。
ただ、武器のひとつもないのが悔やまれます。
せめて、棒の一本でもあるのでしたら、気分的にも違ったのでしょうけれど。
近場で目に付くものとなりますと、そこいらに転がる石くらいしかありません。
まあそれでも、素手よりは幾分マシでしょう。
日本と違い整地もされていない土地には、大小の岩石だけはごろごろしています。
拳大ほどの石を持てる分だけ小脇に抱えまして、私は先を急ぎました。
数百メートルも小走りで移動しますと、敵の先鋒が見えてきました。
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