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第16話
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アーデル王太子は先ほどの大使の騒動から10分ほど。
階段に腰かけて頭を抱えたまま、なにやらぶつぶつと呟いている。
ここまで来ると、いえ、ここまで来てようやく、王太子は現実を本当の現実として認識し始めたらしい。
意味不明の尊大な威厳に満ちた王太子はすでになく、現実を嫌というほど突きつけられ、惨めでちっぽけな怯える男がいるだけだ。
「アーデル! まだ汚らわしい侵略者を排除できないのですか!?」
追い討ちをかけるように、壇上の王妃から叱咤が飛ぶ。
ここに到りて、先ほどあれだけの自国の立場を知らしめられて、王妃のほうはまだ自国最上との見解を崩してはいないらしい。
「アーデル! 聞いているのですか、アーデル!? この母が訊ねているのですよ!? アーデル! アーデル!!」
「やかましい! 少し黙っていてくれ!」
いい加減に堪りかねたのか、王太子が髪を振り乱して大声で叫んでいた。
それを受けた王妃は目を丸くして、さっと顔色を変えていた。
「まっ! それが母に向かって言う言葉ですか!? 貴方がまだ幼き頃、高熱を出して生死を彷徨ったとき、寝ずに看病したのは誰だと思っているのです!?」
「それは私の乳母だろう!?」
「命じたのは妾ですっ!」
その頃からなにかと捩れてはいたらしい。
この母ありて、こんな息子が育ったのかはわからないけれど。
「なにかあれば、いつもいつもそのことばかり! もう聞き飽きた! 母上はこの現状をわかっておられるのか!? このリセルドラ王国建国以来の未曾有の危機なのですぞ!?」
「なにを下らぬ戯言を! 我が祖国は、500年も続いた由緒正しき国! 存亡の憂き目なぞなるはずがありません!」
「事実、そうなっておるだろうが!」
「だったら、さっさと敵を排除すればよいだけです!」
激しい罵り合いだったはずなのに、王妃はの視線は虚空を見上げたまま息子を見ず、王太子は床を見つめたまま母親の姿を見ず。私にとってみると、なんとも異様な家族の姿だった。
「……あの、お2人共、少し落ち着かれてがいかがでしょう?」
ぴりぴりした空気に耐え切れず、私はおそるおそる提案してみた。
部外者――というか相手側の当事者である私がいうのもなんだけれど、そんな身内で言い争いをことをやっている場合ではないのでは。
「黙りなさい! この亜人ごときが! 妾に意見するとは何様のつもりですか!?」
息子への怒りそのままに、物凄い目で睨まれた。
「誰ぞ! 誰ぞ! この無礼な輩を牢に入れておしまいなさい! 誰ぞ!」
王妃は椅子に腰かけたまま、虚空に向かって叫んでいる。
当然、こんな城内を引っ繰り返したような状態で、衛兵や誰かが駆けつけてくるわけもなく。
椅子に座ったまま、ただ高慢に声を張り上げる王妃が、なんだか哀れに見えた。
そして、いよいよその瞬間はやってきた。
王都正門へ迫る、アリシオーネ聖王国軍がついに目視されたとの知らせである。
「いかがいたしますか、殿下!?」
伝令の声に、王太子はびくっと肩を震わせた後、ゆらりと立ち上がった。
「ふ、ふふふふ……」
低い声で笑い出す。
重圧に耐えかね、とうとう気でも触れたかと思ったけれど、意外にも王太子の顔は生気に満ちていた。
「忘れていたが、王都には我が国最強の兵団が常駐しているではないか! ここが華麗なる逆転の一手なり! 王都の城門を閉じ、最強の魔法兵団を城壁に集結させよ! 王都の城門は名だたる堅牢! 敵が城門を破ろうと手こずっている内に、頭上から魔法で灼き尽くしてしまえばよい!」
「……はぁ?」
思わず声が出てしまった。
命令を受けた伝令の兵もまた、不可解な顔をしている。それどころか、横目で私のほうを窺う始末だ。
「よ、よろしいので……? 殿下?」
「もちろんだ! 早く下知せよ!」
「は、はっ!」
伝令兵は敬礼し、追い立てられて慌てて退室していった。
その後ほどなくして、王都の城門が開門され、アリシオーネ聖王国軍が城内に雪崩れ込んでくる報が入った。
「何故だっ!?」
何故だもなにも――その魔法兵団は、アリシオーネ聖王国軍所属である。
リセルドラ王都有事の際の、つまりは他の人間諸国から攻撃を受けた際の、軍事協定で結ばれて本国から派遣されている、アリシオーネ聖王国軍リセルドラ王国駐留部隊が正式名称。
あくまで駐留しているだけで、有事の際の指揮権こそリセルドラ王国とされているけど、相手がアリシオーネ本国ともなると話が違う。
掲げている軍章旗はアリシオーネ聖王国軍のものだし、そんな部隊を祖国が攻めてくる城門の守備に当たらせるなんて、同調して開門しろと命じているようなもの。
その事実を知らなかった軍関係者は、この城内で王太子くらいのものだろう。
リセルドラ王家を守る盾は、これですべて失われた。
「こ、こうなれば――」
王太子の血走った眼が、私に向いた。
大股でずかずかと詰め寄ってくる。
アリシオーネ聖王国の目的は、報復以上にこの私の救出奪還にある。
当然、私を人質に取ろうとするくらいは想定の内だった。
今までそれをしなかったのは、王家としての矜持か、紳士としての心得かは知らないけど、このどうしようもなく馬鹿な王太子の唯一の評価すべき点だった。
これまで私が屈辱的な扱いにも大人しく従っていたのは、投獄はされたけれど命の危険まではなかった事と、抵抗しなければその窮地に晒されることはないと判断できたから。
でも、すぐそこまで本国の手の者が迫っているこの状態では、わざわざ従う義理はない。多少暴れたとしても、この混乱の最中では、増援の兵が押し寄せてくることもないだろう。
私には遠い祖国の聖地からの聖樹の加護はいまだ健在。暴力でくるなら暴力で返すだけの力がある。
王太子の両腕が私の両肩を掴んだ。
顎を肘でかち上げるか、蹴り上げるか悩んだところで――唐突に王太子は告げた。
「フィリよ! 結婚してやろう!」
馬鹿げた告白に、今まさに動かそうとしていた身体の動きが思わず止まる。
「はああぁぁぁぁ?」
たっぷり数秒も経ってから、私は力の限りに嘆息していた。
「私とそなたが婚礼を結べば、我々は身内となる! この愚かな戦も終わる! そうだろう?」
掴まれた肩を力任せに揺さぶられ、私の首がかくんかくんと前後に動く。
なんかもう、あまりに馬鹿馬鹿しく、唖然となりすぎて、反撃する気も失せた。
「そうだ、婚約などと悠長なことは言わない! 今すぐでも、婚礼を挙げよう! それで、そなたはこのリセルドラの未来の王妃だ! 我が妃となれるのだぞ? どうだ、悪い話ではないだろう!?」
「そのようなこと、許しませんよ! アーデル!」
「うるさい! 母上は黙っていてもらおう! これは若い当人同士での問題だ!」
当人同士て。
「そなたが私を好いていることは知っている! さあ、婚礼を挙げよう! この場で、今すぐに!」
もういい。それ以上の戯言は勘違いや自意識過剰では到底済まされない。この私への明確な侮蔑だ。
――スパーン!
甲高い音が謁見の間に響いた。
他人を殴るのは初めてで、少し手の平がひりひりして熱かった。
私の強烈な張り手に、王太子は赤く腫れた頬を茫然自失に押さえている。
「アーデル王太子殿下。この際です。はっきりと言わせてもらいます」
私は一呼吸おいてから、この馬鹿にもわかるように、澱みのない口調できっぱりと叫んだ。
「私は、貴方が嫌いです! 大嫌いです! 婚礼どころか婚約なども、一切合切お断りです! 私は、貴方を異性として最低ランクと見ております。たとえ大国の王だろうと、神のような存在であろうとも、結婚相手どころか友人としてすらお断りです!」
静寂。
「お分かりいただけたでしょうか、殿下? 一昨日きやがれ。むしろ未来永劫くんな?」
私は笑顔で締めくくった。
王太子はわなわなと震えていたけれど、さすがにこれだけ容赦なく斬り捨てたのだから、真意は通じてくれただろう。
「じょ……」
「じょ?」
「冗談や照れ隠しでもなく……?」
「冗談でも照れ隠しでもなく!」
しつこい。
自分でも驚くくらいの冷徹な気持ちで、私は足元の王太子を見下ろしていた。
「馬鹿な、そんな……」
王太子ががっくりと両手を床につく。
「それでは……シャルはなぜあのようなことを……?」
「……えっ、シャル?」
どうして、その名前が今この状況で出てくるの!?
詰め寄ろうとした私より早く、背にした謁見の間の両開きの扉が、それぞれの異なる方向に弾け飛んだ。
「な、なにっ!?」
床に転がる扉の中央には、ひび割れた靴底の跡が刻まれており、これが外側から尋常ならざる膂力で蹴り開けられたことが見て取れる。
もうもうと埃の立ちこめる、ぽっかりと空洞になった入り口から姿を見せたのは――
「聖王――!?」
祖国、アリシオーネ聖王国が聖王にして神代妖精族が筆頭、本国の聖地にいるはずの私の叔父だった。
階段に腰かけて頭を抱えたまま、なにやらぶつぶつと呟いている。
ここまで来ると、いえ、ここまで来てようやく、王太子は現実を本当の現実として認識し始めたらしい。
意味不明の尊大な威厳に満ちた王太子はすでになく、現実を嫌というほど突きつけられ、惨めでちっぽけな怯える男がいるだけだ。
「アーデル! まだ汚らわしい侵略者を排除できないのですか!?」
追い討ちをかけるように、壇上の王妃から叱咤が飛ぶ。
ここに到りて、先ほどあれだけの自国の立場を知らしめられて、王妃のほうはまだ自国最上との見解を崩してはいないらしい。
「アーデル! 聞いているのですか、アーデル!? この母が訊ねているのですよ!? アーデル! アーデル!!」
「やかましい! 少し黙っていてくれ!」
いい加減に堪りかねたのか、王太子が髪を振り乱して大声で叫んでいた。
それを受けた王妃は目を丸くして、さっと顔色を変えていた。
「まっ! それが母に向かって言う言葉ですか!? 貴方がまだ幼き頃、高熱を出して生死を彷徨ったとき、寝ずに看病したのは誰だと思っているのです!?」
「それは私の乳母だろう!?」
「命じたのは妾ですっ!」
その頃からなにかと捩れてはいたらしい。
この母ありて、こんな息子が育ったのかはわからないけれど。
「なにかあれば、いつもいつもそのことばかり! もう聞き飽きた! 母上はこの現状をわかっておられるのか!? このリセルドラ王国建国以来の未曾有の危機なのですぞ!?」
「なにを下らぬ戯言を! 我が祖国は、500年も続いた由緒正しき国! 存亡の憂き目なぞなるはずがありません!」
「事実、そうなっておるだろうが!」
「だったら、さっさと敵を排除すればよいだけです!」
激しい罵り合いだったはずなのに、王妃はの視線は虚空を見上げたまま息子を見ず、王太子は床を見つめたまま母親の姿を見ず。私にとってみると、なんとも異様な家族の姿だった。
「……あの、お2人共、少し落ち着かれてがいかがでしょう?」
ぴりぴりした空気に耐え切れず、私はおそるおそる提案してみた。
部外者――というか相手側の当事者である私がいうのもなんだけれど、そんな身内で言い争いをことをやっている場合ではないのでは。
「黙りなさい! この亜人ごときが! 妾に意見するとは何様のつもりですか!?」
息子への怒りそのままに、物凄い目で睨まれた。
「誰ぞ! 誰ぞ! この無礼な輩を牢に入れておしまいなさい! 誰ぞ!」
王妃は椅子に腰かけたまま、虚空に向かって叫んでいる。
当然、こんな城内を引っ繰り返したような状態で、衛兵や誰かが駆けつけてくるわけもなく。
椅子に座ったまま、ただ高慢に声を張り上げる王妃が、なんだか哀れに見えた。
そして、いよいよその瞬間はやってきた。
王都正門へ迫る、アリシオーネ聖王国軍がついに目視されたとの知らせである。
「いかがいたしますか、殿下!?」
伝令の声に、王太子はびくっと肩を震わせた後、ゆらりと立ち上がった。
「ふ、ふふふふ……」
低い声で笑い出す。
重圧に耐えかね、とうとう気でも触れたかと思ったけれど、意外にも王太子の顔は生気に満ちていた。
「忘れていたが、王都には我が国最強の兵団が常駐しているではないか! ここが華麗なる逆転の一手なり! 王都の城門を閉じ、最強の魔法兵団を城壁に集結させよ! 王都の城門は名だたる堅牢! 敵が城門を破ろうと手こずっている内に、頭上から魔法で灼き尽くしてしまえばよい!」
「……はぁ?」
思わず声が出てしまった。
命令を受けた伝令の兵もまた、不可解な顔をしている。それどころか、横目で私のほうを窺う始末だ。
「よ、よろしいので……? 殿下?」
「もちろんだ! 早く下知せよ!」
「は、はっ!」
伝令兵は敬礼し、追い立てられて慌てて退室していった。
その後ほどなくして、王都の城門が開門され、アリシオーネ聖王国軍が城内に雪崩れ込んでくる報が入った。
「何故だっ!?」
何故だもなにも――その魔法兵団は、アリシオーネ聖王国軍所属である。
リセルドラ王都有事の際の、つまりは他の人間諸国から攻撃を受けた際の、軍事協定で結ばれて本国から派遣されている、アリシオーネ聖王国軍リセルドラ王国駐留部隊が正式名称。
あくまで駐留しているだけで、有事の際の指揮権こそリセルドラ王国とされているけど、相手がアリシオーネ本国ともなると話が違う。
掲げている軍章旗はアリシオーネ聖王国軍のものだし、そんな部隊を祖国が攻めてくる城門の守備に当たらせるなんて、同調して開門しろと命じているようなもの。
その事実を知らなかった軍関係者は、この城内で王太子くらいのものだろう。
リセルドラ王家を守る盾は、これですべて失われた。
「こ、こうなれば――」
王太子の血走った眼が、私に向いた。
大股でずかずかと詰め寄ってくる。
アリシオーネ聖王国の目的は、報復以上にこの私の救出奪還にある。
当然、私を人質に取ろうとするくらいは想定の内だった。
今までそれをしなかったのは、王家としての矜持か、紳士としての心得かは知らないけど、このどうしようもなく馬鹿な王太子の唯一の評価すべき点だった。
これまで私が屈辱的な扱いにも大人しく従っていたのは、投獄はされたけれど命の危険まではなかった事と、抵抗しなければその窮地に晒されることはないと判断できたから。
でも、すぐそこまで本国の手の者が迫っているこの状態では、わざわざ従う義理はない。多少暴れたとしても、この混乱の最中では、増援の兵が押し寄せてくることもないだろう。
私には遠い祖国の聖地からの聖樹の加護はいまだ健在。暴力でくるなら暴力で返すだけの力がある。
王太子の両腕が私の両肩を掴んだ。
顎を肘でかち上げるか、蹴り上げるか悩んだところで――唐突に王太子は告げた。
「フィリよ! 結婚してやろう!」
馬鹿げた告白に、今まさに動かそうとしていた身体の動きが思わず止まる。
「はああぁぁぁぁ?」
たっぷり数秒も経ってから、私は力の限りに嘆息していた。
「私とそなたが婚礼を結べば、我々は身内となる! この愚かな戦も終わる! そうだろう?」
掴まれた肩を力任せに揺さぶられ、私の首がかくんかくんと前後に動く。
なんかもう、あまりに馬鹿馬鹿しく、唖然となりすぎて、反撃する気も失せた。
「そうだ、婚約などと悠長なことは言わない! 今すぐでも、婚礼を挙げよう! それで、そなたはこのリセルドラの未来の王妃だ! 我が妃となれるのだぞ? どうだ、悪い話ではないだろう!?」
「そのようなこと、許しませんよ! アーデル!」
「うるさい! 母上は黙っていてもらおう! これは若い当人同士での問題だ!」
当人同士て。
「そなたが私を好いていることは知っている! さあ、婚礼を挙げよう! この場で、今すぐに!」
もういい。それ以上の戯言は勘違いや自意識過剰では到底済まされない。この私への明確な侮蔑だ。
――スパーン!
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他人を殴るのは初めてで、少し手の平がひりひりして熱かった。
私の強烈な張り手に、王太子は赤く腫れた頬を茫然自失に押さえている。
「アーデル王太子殿下。この際です。はっきりと言わせてもらいます」
私は一呼吸おいてから、この馬鹿にもわかるように、澱みのない口調できっぱりと叫んだ。
「私は、貴方が嫌いです! 大嫌いです! 婚礼どころか婚約なども、一切合切お断りです! 私は、貴方を異性として最低ランクと見ております。たとえ大国の王だろうと、神のような存在であろうとも、結婚相手どころか友人としてすらお断りです!」
静寂。
「お分かりいただけたでしょうか、殿下? 一昨日きやがれ。むしろ未来永劫くんな?」
私は笑顔で締めくくった。
王太子はわなわなと震えていたけれど、さすがにこれだけ容赦なく斬り捨てたのだから、真意は通じてくれただろう。
「じょ……」
「じょ?」
「冗談や照れ隠しでもなく……?」
「冗談でも照れ隠しでもなく!」
しつこい。
自分でも驚くくらいの冷徹な気持ちで、私は足元の王太子を見下ろしていた。
「馬鹿な、そんな……」
王太子ががっくりと両手を床につく。
「それでは……シャルはなぜあのようなことを……?」
「……えっ、シャル?」
どうして、その名前が今この状況で出てくるの!?
詰め寄ろうとした私より早く、背にした謁見の間の両開きの扉が、それぞれの異なる方向に弾け飛んだ。
「な、なにっ!?」
床に転がる扉の中央には、ひび割れた靴底の跡が刻まれており、これが外側から尋常ならざる膂力で蹴り開けられたことが見て取れる。
もうもうと埃の立ちこめる、ぽっかりと空洞になった入り口から姿を見せたのは――
「聖王――!?」
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