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第7話
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リセルドラ王国の王妃カサンドラ――
豪奢なドレスと煌びやかな装飾品で着飾った妙齢の婦人。
あのアーデルの実母という割りには、年の頃はかなり若く見える。
王妃は雅の方で、芸術や芸能の世界に造詣が深く、美味なる食を愛され、舞踏会や晩餐会を頻繁に催させているとは噂に聞く。
公的な事柄は王や家臣に任せ、表舞台にはほぼ姿を見せることもないとも。
私が国王に挨拶に伺ったときも、王座の隣の王妃の座は空席だった。
こうしてお目にかかるのは初めてだった。
「仮にもリセルドラ王家主催たる晩餐の式の中、この騒動は何事ですか? 誉れ高きリセルドラ王家に仕える者として、恥を知りなさい!」
人の壁を押し退けて、カサンドラ王妃がこの壇上までやってくる。
「これはこれは、母上! そのように息巻かれていかがなされた? せっかくの美貌が台無しですぞ」
アーデルが両手を広げて出迎えた。
「おお、アーデル。これはいったいどうしたことです? この母に説明なさい」
「いやはや。なに、私がこのアリシオーネのフィリ殿との婚約を発表し、いささか場がざわめいただけのこと。サプライズが過ぎたかと反省しているところです」
「してませんしてません!」
王妃がばっとこちらに目を向けたので、私は全身全霊で両手と首をぶんぶんと振った。
「そしてこのように恥ずかしがるものですから、余計に騒ぎが大きく……困ったものです」
(困った者はあんただー!)
実母、しかも王妃の前だったので、私はどうにか胸中で叫ぶに留めた。
「アーデル……このアリシオーネ聖王国のフィリ殿に対し、そのようなことを……?」
息子の告白にカサンドラ王妃は顔色を変え、持っていた扇子で口元を覆う。
「そのようなこと、母は聞いておりませんよ……?」
「ええ、驚かせようと思いまして、黙っておりました!」
アーデルが誇らしげに胸を叩く。
(驚かせようと黙ってたって……)
国家にかかわる一大事ごとを、子供の母へのプレゼントレベルで考えるなんて、どうかしている。
王家の婚姻など、正式な使者を立て、約束事決め事を長い期間をかけて執り行ない、ようやく正式発表に至るもの。
少なくとも、こんな思いつきのように行なわれるものではない。
さすがは王妃、馬鹿息子と違ってそこらへんはわきまえているようで、王太子の恥じぬ態度に呆れている。
まあ、それが普通の反応だろう。
やっと上の身分で、常識人が現われてくれたとほっとする。
「アーデル! 貴方はなんという愚かなことを!」
カサンドラ王妃の鋭い声が飛ぶ。
激高のためか扇子を持つ手はわなわなと震え、身体もふらついているように見える。
「は、母上……?」
一方の息子のほうはというと、突然の母親からの叱咤に動揺している。
(いい気味だわ!)
私は思わずほくそ笑んだ。
これね。これがごく一般的な正常な反応。
王妃は当然の対応をしているだけだけれど、その当然がこれまであまりにも蔑ろにされていた。
なんだか、すごく嬉しい。
「独断で勝手に縁談事を持ちかけるなど、いかがしたことですか! それもあろうことかアリシオーネの者に!」
(言ってやれー! 言ってやれー! 本来なら外交問題だぞー!)
私は表面上にこやかにしながらも、拍手喝采を送る。
「こんなアリシオーネの者などに!」
重ねられた言葉に、私の笑顔がぴしっと凍った。
今、この方、なんと仰った……? などに? アリシオーネの者などに?
「このような亜人相手など認めませんよ!? 栄えある我がリセルドラ王家の血筋を、このような下賤な亜人の血で汚すわけにはまいりません!」
扇子の先を私の鼻先にぴたりと定めて、カサンドラ王妃ははっきりと言い切った。
友好関係にある国の、事実上は属国の、国のNo.2の立ち位置にある人間から。
それはもうきっぱりと。
個々の主義主張など、様々だ。
アリシオーネ聖王国でも、人間を妖精族の下に見て、卑下する者も少ないとはいえない。
過去の敵対や因縁、風習というのは拭い難く、それこそ国の重鎮の間でも、その傾向はある。
私が今回の留学に際して苦労したのもそのためだ。
もちろん、人間のほうでも、そういった考えが残っているのは知っている。
笑顔で握手を交わしても、内でどう思っているかは知れない。
でも、それ。こんな公衆の面前で、臣下の前で、しかも本人を前にして堂々と言っちゃう?
本音と建前って知ってる?
「しかし、母上! フィリ殿は見目麗しく、我が国とも縁深き国の尊い血筋ですぞ!?」
ああ、なんかもう庇っている王太子がよっぽど常識人に見えてくる。
なに、この効果?
実はこの場の皆がグルで、よってたかって私を陥れようとしてるってことはないよね?
馬鹿王妃と馬鹿王太子が親子で口論を続けている。
それを見守る周囲の貴族も、いたたまれない。
彼らの視線が、私に縋ってきているのがよくわかる。
(いえ、これ、あなた方が仕える王族でしょう? 私は本来、無関係なんですけど!)
大の貴族たちが、捨てられた子犬のような目をしている。
きっと、ふたりがこういう人物たちだってのは羞恥――いえ周知の事実で、知らなかったのは他所の国から来た私だけなのでしょう。
王妃が公式の場で表に出てこない理由がわかった。
出ないんじゃない。出してもらえなかったんだ。きっと上手いこと周囲が言い包めて。
「あの~、カサンドラ王妃……様?」
また収拾が付かなくなりそうだったので、私は暴走する王妃におそるおそる声をかけた。
今は頭に血が昇っているだけで、王妃は王妃。
他国の賓客に対して、最低限の礼節くらいは持ち合わせているはず――と信じて。
「汚らわしい! 触るでない、この亜人が! あまつさえ、下賤な身でこの王家に取り入ろうなどと! 誰か、この者を地下牢に叩き込んでおしまい!」
「は?」
私の希望はあっさりと裏切られた。
フィリ・フィール・マーテル・フォン・アリシオーネ。
偉大なるアリシオーネ聖王国の王族にあたる聖樹三花の末娘、高貴なる神代妖精族として生を受けて16年――
何故か属国であるはずのリセルドラ王国で、生まれて初めての投獄という経験を味わされることになった。
豪奢なドレスと煌びやかな装飾品で着飾った妙齢の婦人。
あのアーデルの実母という割りには、年の頃はかなり若く見える。
王妃は雅の方で、芸術や芸能の世界に造詣が深く、美味なる食を愛され、舞踏会や晩餐会を頻繁に催させているとは噂に聞く。
公的な事柄は王や家臣に任せ、表舞台にはほぼ姿を見せることもないとも。
私が国王に挨拶に伺ったときも、王座の隣の王妃の座は空席だった。
こうしてお目にかかるのは初めてだった。
「仮にもリセルドラ王家主催たる晩餐の式の中、この騒動は何事ですか? 誉れ高きリセルドラ王家に仕える者として、恥を知りなさい!」
人の壁を押し退けて、カサンドラ王妃がこの壇上までやってくる。
「これはこれは、母上! そのように息巻かれていかがなされた? せっかくの美貌が台無しですぞ」
アーデルが両手を広げて出迎えた。
「おお、アーデル。これはいったいどうしたことです? この母に説明なさい」
「いやはや。なに、私がこのアリシオーネのフィリ殿との婚約を発表し、いささか場がざわめいただけのこと。サプライズが過ぎたかと反省しているところです」
「してませんしてません!」
王妃がばっとこちらに目を向けたので、私は全身全霊で両手と首をぶんぶんと振った。
「そしてこのように恥ずかしがるものですから、余計に騒ぎが大きく……困ったものです」
(困った者はあんただー!)
実母、しかも王妃の前だったので、私はどうにか胸中で叫ぶに留めた。
「アーデル……このアリシオーネ聖王国のフィリ殿に対し、そのようなことを……?」
息子の告白にカサンドラ王妃は顔色を変え、持っていた扇子で口元を覆う。
「そのようなこと、母は聞いておりませんよ……?」
「ええ、驚かせようと思いまして、黙っておりました!」
アーデルが誇らしげに胸を叩く。
(驚かせようと黙ってたって……)
国家にかかわる一大事ごとを、子供の母へのプレゼントレベルで考えるなんて、どうかしている。
王家の婚姻など、正式な使者を立て、約束事決め事を長い期間をかけて執り行ない、ようやく正式発表に至るもの。
少なくとも、こんな思いつきのように行なわれるものではない。
さすがは王妃、馬鹿息子と違ってそこらへんはわきまえているようで、王太子の恥じぬ態度に呆れている。
まあ、それが普通の反応だろう。
やっと上の身分で、常識人が現われてくれたとほっとする。
「アーデル! 貴方はなんという愚かなことを!」
カサンドラ王妃の鋭い声が飛ぶ。
激高のためか扇子を持つ手はわなわなと震え、身体もふらついているように見える。
「は、母上……?」
一方の息子のほうはというと、突然の母親からの叱咤に動揺している。
(いい気味だわ!)
私は思わずほくそ笑んだ。
これね。これがごく一般的な正常な反応。
王妃は当然の対応をしているだけだけれど、その当然がこれまであまりにも蔑ろにされていた。
なんだか、すごく嬉しい。
「独断で勝手に縁談事を持ちかけるなど、いかがしたことですか! それもあろうことかアリシオーネの者に!」
(言ってやれー! 言ってやれー! 本来なら外交問題だぞー!)
私は表面上にこやかにしながらも、拍手喝采を送る。
「こんなアリシオーネの者などに!」
重ねられた言葉に、私の笑顔がぴしっと凍った。
今、この方、なんと仰った……? などに? アリシオーネの者などに?
「このような亜人相手など認めませんよ!? 栄えある我がリセルドラ王家の血筋を、このような下賤な亜人の血で汚すわけにはまいりません!」
扇子の先を私の鼻先にぴたりと定めて、カサンドラ王妃ははっきりと言い切った。
友好関係にある国の、事実上は属国の、国のNo.2の立ち位置にある人間から。
それはもうきっぱりと。
個々の主義主張など、様々だ。
アリシオーネ聖王国でも、人間を妖精族の下に見て、卑下する者も少ないとはいえない。
過去の敵対や因縁、風習というのは拭い難く、それこそ国の重鎮の間でも、その傾向はある。
私が今回の留学に際して苦労したのもそのためだ。
もちろん、人間のほうでも、そういった考えが残っているのは知っている。
笑顔で握手を交わしても、内でどう思っているかは知れない。
でも、それ。こんな公衆の面前で、臣下の前で、しかも本人を前にして堂々と言っちゃう?
本音と建前って知ってる?
「しかし、母上! フィリ殿は見目麗しく、我が国とも縁深き国の尊い血筋ですぞ!?」
ああ、なんかもう庇っている王太子がよっぽど常識人に見えてくる。
なに、この効果?
実はこの場の皆がグルで、よってたかって私を陥れようとしてるってことはないよね?
馬鹿王妃と馬鹿王太子が親子で口論を続けている。
それを見守る周囲の貴族も、いたたまれない。
彼らの視線が、私に縋ってきているのがよくわかる。
(いえ、これ、あなた方が仕える王族でしょう? 私は本来、無関係なんですけど!)
大の貴族たちが、捨てられた子犬のような目をしている。
きっと、ふたりがこういう人物たちだってのは羞恥――いえ周知の事実で、知らなかったのは他所の国から来た私だけなのでしょう。
王妃が公式の場で表に出てこない理由がわかった。
出ないんじゃない。出してもらえなかったんだ。きっと上手いこと周囲が言い包めて。
「あの~、カサンドラ王妃……様?」
また収拾が付かなくなりそうだったので、私は暴走する王妃におそるおそる声をかけた。
今は頭に血が昇っているだけで、王妃は王妃。
他国の賓客に対して、最低限の礼節くらいは持ち合わせているはず――と信じて。
「汚らわしい! 触るでない、この亜人が! あまつさえ、下賤な身でこの王家に取り入ろうなどと! 誰か、この者を地下牢に叩き込んでおしまい!」
「は?」
私の希望はあっさりと裏切られた。
フィリ・フィール・マーテル・フォン・アリシオーネ。
偉大なるアリシオーネ聖王国の王族にあたる聖樹三花の末娘、高貴なる神代妖精族として生を受けて16年――
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